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105 プランB…はグステルが適当につけた作戦名
しおりを挟む昔もあまりいい感情がなかったその二枚扉は、今はまた別な意味でグステルを威圧する。
廊下の曲がり角で、その先を覗き込む彼女の後ろから、エドガーが小さく言った。
「……なんですかあの奇妙な……警備……?」
「…………」
呆れとも、戸惑いとも取れる青年の言葉通り、その光景は確かに奇妙。
彼女たちが見ている廊下の最奥の扉は、グステルの父の部屋へ続くもの。
その固く閉じられた飴色の大きな二枚扉の前には、屈強な男たちが五名。皆身体が大きく腕っぷしが強そうだ。
しかし、彼らは真面目に警備をしているようにはとても見えなかった。
身なりは町にいる傭兵らと変わらないし、装備も軽装。
暇つぶしなのだろうか、廊下の隅にある小さなテーブルを囲み、何やらカードゲームにでも興じているらしい。
エドガーが『奇妙』と形容したのは、あの怠慢さと、ちぐはぐな警備体制のことだろう。
ここまでのグステルののんきな潜入を見てすでにお分かりかもしれないが……実は公爵邸の中はさほど警備が厳しくない。
もちろん、邸の周りは警備が厳しかった。
領民に解放された前庭園や、そこから守衛所を抜けた先には衛兵がウヨウヨいて外敵を警戒している様子は窺えた。
が、一度邸の中に入ってしまうと、王城のようにそこここに監視が立っているような厳しい警戒体制は取られておらず、たまに行き交う見回り兵や使用人たちを見かける程度。
今は国の王権がしっかりしていて、世の中は比較的平和。他国との戦もなく、公爵領でも近隣領との諍いもないせいか、主人の部屋や宝物庫などの要所以外にはあまり警備を置いていないらしい。
現代で例えるのなら、大型ショッピングモールで警備員をたまに見かけるのよりは、多少多いか? と、いった具合である。
要するに、全体的に見ても警備は手薄。まあ、だからこそグステルたちもここまで安全にこられたわけだが。
にも関わらず、辿り着いたその部屋の前には衛兵が五名。
この配置を見て、エドガーは奇妙に思った。
主人の部屋の前なのだから、衛兵がいるのは当たり前。しかし、彼らが堂々と遊びに興じているのが気になった。
もし彼の家で衛兵があのような不真面目な勤務態度であれば、彼の父は即刻その者を解雇するだろう。
エドガーは、自分の前で身をかがめて部屋の様子を窺っている娘にこそりと訊ねる。
「……ステラさん、もしや公爵はあそこには居られないのでは……?」
いくらなんでも、主人のそばであれはないだろうとエドガー。
しかし、黙り込んだ娘は、固い表情で男たちの会話に耳を澄ませている。
「……あの男たち、トーアの訛りがありますね……」
「トーア?」
トーアとは、この公爵領の端にある都市の名前。隣領との境にあることもあって、そちらの言い回しを使う者も多い。
ならばあの者たちはその辺りから働きに来ている者なのだなと、単にそう思ったエドガーであったが。ふとグステルの顔を見て、その異変に気がつく。
ここまでずっと平然としていたグステルが、奥歯を噛んで男たちを睨んでいる。冷たい眼差しには焦りが滲んでいるようだった。
「どうしました? トーアが何か……?」
「トーアは叔母が以前住んでいた場所です」
「グリゼルダ殿が……?」
それがどうかしたのだろうかとエドガーは考えようとしたが、その前にグステルが急ぎましょうと彼に言う。
「どうやらあの様子を見るに、私の懸念は当たっていたようです。こうなればもはや手段を選んではいられません──プランBであの怠慢な男たちを突破します」
その宣言を聞いて、エドガーが一瞬顔をしかめる。
「B……と、いうと……例の、放火作戦ですか……ヘルムートのためにも、あまり危険なことはしてほしくないんですがねぇ……」
のちにこの作戦を知ったら怒り狂うだろう友の顔を思い出したらしく、いい顔をしない男に。しかしグステルは「大丈夫」と一蹴。
「ここはそのヘルムート様の愛するラーラ様のためにも、ひとつ景気良く燃やしときましょう」
言ってグステルは、なぜかスカートに覆われた自分の太ももを持ち上げて、そこを手のひらでペェンッ! と強く打った。その気合の入った仕草を見て、事前に作戦を知らされているエドガーは……若干の呆れを覗かせる。
「景気良くって……燃やし方によっては、私がヘルムートに殺される案件なんですがね……」
ため息をつくエドガーに。するとグステルは「無理を言って申し訳ありません」と神妙な顔。
「でも、あまり時間をかけたくないのです。ここは申し訳ありませんが、お手伝い願いませんか?」
そう懇願してくる娘の目はとても真剣で、切実だ。これにはエドガーも、ここまできたのだから、乗りかかった船かと折れざるを得なかった。
「…………はあ……仕方ありませんね……では……」
エドガーは懐を探り、小さなマッチ箱を取り出した。
「──助けて!」
女の金切り声が廊下に響き渡った。
公爵の部屋の前で、すっかりカードゲームに夢中になっていた男たちも、その声には身構え険しい顔で振り返った。
手にしていたカードをテーブルの上に放り出し、壁に立てかけてあった剣に手をやった者もあった。
だが、警戒した彼らがそこで見たのは、廊下の向こうからやってくる、メイドが一人。
足をもつれさせながら自分たちのほうへよろよろと歩いてくる姿に、男たちはいったい何事だという困惑顔。と、その瞬間、彼らの目の前でメイドが廊下の床に崩れ落ちた。それを見た男たちは、さすがに慌てて女に駆け寄った。
「おいどうした⁉︎」
「大丈夫か⁉︎」
床に伏した娘を助け起こした男は、彼女の身から燻った匂いがしていることに気がついて険しい顔をする。
よく見れば、娘の全身は煤に塗れていて、メイド服は所々黒焦げている。袖もボロボロだし、スカートなどは太ももが半分あらわになるほどに焼き切れていた。
その様は、まるでひどい火事場から逃げ出してきたかのよう。男たちはさっと顔色を変える。
「まさか──火災か⁉︎」
と、ぐったりしていたメイドが男の腕の中でうっすら目を開けて、つらそうに腕を持ち上げる。
「きゃ……客間で……火が……」
しかし娘は途切れ途切れに言ったきり、持ち上げていた腕をパタリと落とし気絶。瞳をぴたりと閉じ、脱力して頭を横向きに落とした娘に、男たちは騒然となった。
「だ、大丈夫か⁉︎」
「おい揺さぶるな、煙を吸ったのかもしれん!」
「いや、しかし……お、おい! どこの客間なんだよ⁉︎」
客間と言われても、この公爵邸には恐ろしい数の客間がある。
メイドを抱えた男は、せめてどの棟の客間なのか教えろと声を掛けるが……娘の瞳は貝のようにぴったりと閉じられていて目覚める気配はない。
男は焦ってメイドの頬を手で打とうとする。が、それを別の男が「やめろ」と制止した。
「今は火元の特定と、消火が先だ! そいつがここに助けを求めにきたんだ、そう離れた場所ではないはず……。さっさと探しに行くぞ! 万一この主屋で被害が大きくなれば、アルマンとグリゼルダ様から大目玉だ……!」
その言葉には、周りにいた男たちも冗談じゃないと青くなった。
その二人は彼らにとって一番機嫌をとっておかなければならない存在。
号令をかけた男は駆け出して行って、他の男たちも慌ててそれに続く。
が、それを見て慌てたのは、メイドを抱えた男。
「お、俺は⁉︎ こ、こいつはどうする……⁉︎」
小さくなっていく同僚に叫ぶと、「お前はとりあえずそこにいろ! そいつは中にいるやつにでも任せときゃあいいだろ!」と怒鳴り返された。
残された男はあたふたとメイドを床に寝かせ、慌てて扉の内側に消えていく。
そしてまもなく部屋の中からは、その男と、もう一人、困惑顔の白い服の女が出てきて。彼女は部屋の前でぐったり寝そべった黒焦げのメイドを見ると、不安げに目をまるくした。
「な、ど、どうしたのですか⁉︎」
「いいからこいつの具合を見てやってくれ! 火が出て煙を吸ったらしい!」
「火⁉︎ か、火災ですか⁉︎」
女はさっと青ざめたが、とにかく今はこの娘をと急かされて。彼女は困惑しながらも、ぐったりしたメイドを部屋の扉の内側に運び入れるように言った。
貴人の部屋の前室には長椅子が据えてある。男はそこにメイドを横たわらせると、すまないが、と女に言う。
「他の奴らは行ってしまったから、俺は表にいなくちゃならん。もし避難の指示があれば人が来るはずだ、そうなったら知らせる。だからこいつは頼んだ!」
「え……あ、ちょっと……!」
言って男はそそくさと廊下に戻っていって。前室には女と、気絶した娘だけが残された。慌ただしくメイドを押し付けられた女は、眉間にしわを寄せて扉を睨む。
「ああもう、なんなのよ……! こっちだって暇じゃないのに! なんで私が──」
と、彼女が吐き捨てようとした時。女は、誰かに腕を掴まれてハッとした。
気がつくと、自分の顎の下に、何か銀色の細く薄っぺらいものが押し当てられている。
(──刃物っ⁉︎)
その不気味な輝きを見て、女は咄嗟にそう思い身を引こうとするが、腕が硬く握られていてできなかった。
女は自分の喉元にそれを押し当てている者を呆然と見た。
いつの間に目を覚ましたのか……頬に黒い煤をつけた娘が、自分に向かってニッコリと微笑みかけている。
「ごめんあそばせお姉様、ちょっと静かにしていてくださる?」
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