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129 妹の、体質利用
しおりを挟むメントライン家の馬車の中。
車内の向かい合った座席の間に……なぜか……フリードが……四つん這いになっている。
メントライン家の馬車がいかに立派でも、この大男が車内の床で四つん這いになどなれば、スペースは埋まり、足場などほぼなくなる。
グステルの世話をするために同乗していたヴィムは、身を縮めるようにしているが……これは窮屈だからというよりも、恐怖のためである。
そりゃあ貴公子の奇行も恐ろしかった。が……それよりも。その貴公子の背に、堂々横たわった娘が怖い。
頭をヴィムの膝に乗せ、兄の背中の上で丸まっているその娘は──もちろん、グステル。
この光景には、ヴィムは困惑のあまり、もはや押し黙るしかなかった……。
ことの発端は、フリードが馬車に持ち込んだ大量の菓子。
どうやらフリードは、グステルを喜ばせようとしたようだが……彼は加減を知らない。
ここに来るまでの道中、彼女は兄から嫌がらせかと疑いたくなるほどの菓子を与えられた。それは、そばで見ているだけのヴィムですらげんなりするような量。
メントライン家の馬車の中は、すっかり菓子倉庫のような有様だった。
しかし、当初のヴィムは、あまりグステルのことを心配していなかった。
なぜならば、彼女は精神がかなり強靭。
気の弱いヴィムとは違い、嫌なことは嫌とはっきりいえる性格なのだから、きっと今回もきっぱりきっちり兄を拒絶するのだろうと思っていた、……の、だが……。
けれども彼の予想に反し、彼女はなぜか兄に勧められる菓子たちに積極的に挑んだ。
揺れる馬車の中で延々と、黙々と。息つく間もなく菓子を押しつけてくる兄に文句もいわず、次々と菓子を食べ続ける姿がヴィムには不思議でならなかった。
(? ステラさん……お菓子がすごく好きだったのかな……?)
世の中には、甘味を好む人間はたくさんいる。
ちょっと……いやかなり量が尋常じゃない気もするが。
ならば兄妹の交流に自分が口出しすることもない、と、素直な彼は納得し、馬車の隅で大人しくしていた。
──が。
その実、ヴィムの見立ては大ハズレだった。
グステルは、かなり無理をしていた。無理をして兄に付き合い、そして、ひたすらに、時を待っていた。
そうしてカオスは、唐突に始まる。
フリードは、仏頂面で木の実の飴がけをグステルに食べさせながらも、実に上機嫌だった。
彼が差し出した菓子は、するすると妹の口の中に消えていく。なんだかそれが、とても面白かった。
なんだと、フリードはほっこりする。
妹とは、実に簡単で従順なものではないか。
騎士仲間たちは、妹とは非常に厄介な存在だと皆が口を揃えていた。
女性ならではの難しさに加え、ことごとく兄のすることを気に入らず、すぐに文句を言ってくる……と誰だかがいっていて。しかしそんなことはないではないか、とフリードは思った。
彼の妹は、口元に菓子を持っていくと素直に口を開く。
どうやら家人がいった通り、よほど菓子が好きらしい。
こんなことで喜ばせることができるなら容易い。これからも大いに菓子を与えてやろうと、彼はそう思っていて……。
からになったカゴをヴィムに押し付け、さぁて次はどの菓子を与えてやろうかとウキウキしていた時のことだった。
並んだ色とりどりの菓子の中からこれと思うものをつまみ、『さあ次はこれを──』と、グステルの顔を見た瞬間、彼の瞳が突然大きく見開かれた。
目の前で、まだ直前に与えた菓子をもぐもぐと咀嚼していた妹の鼻から、唐突に、一筋の血が滴り落ちていた。
『⁉︎』
思いがけない鮮明な色に、フリードはギョッとして。同時に気がついたヴィムが叫んだ。
『ステラさん⁉︎ は、鼻血が!』
馬車の中で跳び上がって驚いた青年の頭は天井にゴンッと当たり、その間にも、グステルの鼻の下には見る見る鮮血が溢れ出てくる。
『グ、グステル⁉︎ お、お前、ど、どうし──』
フリードは目を白黒させながらも、ひとまず妹の鼻の付け根を慌ててつまむ。と、まるでつねるようにぎゅっとやられた妹は、瞬間『うっ』と漏らしたが。彼女は、その痛みには負けず、今度は身を折って呻き始めた。
『く、苦しい……』
『グステル⁉︎』
『お、お兄様……』
腹を抱えて苦しむ妹を見て、フリードは真っ青になった。
真っ先に疑ったのは、毒だった。
公爵家の嫡男としても、騎士としても、その危機はずっと間近にある。
まさか妹がその犠牲になるのかとフリードは肝を冷やして──……が、次の瞬間妹がいった。
『お、お……お腹が痛いですぅうぅううっ!』
『な、なっにぃ⁉︎』
……いや……あれだけ食べさせておいて、何⁉︎ も、おかしいが。フリードはガーンと頭を殴られたような衝撃を受けた。……ちなみにだが、身体が頑丈な彼は腹を下したことがない。
妹は訴えた。
『お、お腹がパンパンで、あと胸焼け、も……うっ…………』
『⁉︎ グステルー⁉︎』
いったきり、げっそり天を仰いでちーん……と、沈黙した妹に。フリードもヴィムも大慌て。鼻血はどんどん溢れてくるし、妹の顔色はいつの間にか非常に悪くなっていた。
彼はすぐに馬車を停めさせた。
そうしてげっそりした妹を介抱すると、しばらくして顔色がマシになった妹が青白い顔で息も絶え絶えにいうのだ……。
『お、お兄、様……』
その顔を見て、ヴィムは(あれ……? な……なんだかわざとらしい、よう、な……?)と、思ったが。
フリードは、自分に向かって弱々しく伸ばされた妹の手を必死で握りしめた。
『なんだ⁉︎ どうした妹よ!』
『……お兄様……ごめんなさい……』
グステルは強調する。
『大好きなお兄様が、せっかく私のために用意してくださったから……全部食べたかったの、でも……途中からすごく気分が悪くなってしまって……』
沈んだ様子で『お兄様をがっかりさせたくなかったから言い出せなかった』と、いわれたフリードは──その瞬間ドカンと大きな衝撃を受けた。
妹の健気さに胸を打たれ、愛しさが爆発し、そして罪悪感に苛まれて涙腺が決壊。
フリードの、仏頂面が崩壊した瞬間であった。
──結果、こうなった。
フリードは、この一度目の鼻血の時には涙しながらグステルを膝枕。
ヴィムや家人たちが代わりましょうというのを、断固拒否して妹を介抱。
彼は掌中の珠のように妹を大事にしようとしたが……。
しかし妹を憐れむ彼の大量の涙は、膝の上の妹をびしょびしょに濡らし、妹を地蔵のような顔にさせ、彼は大いに反省した。
そして二度目の時には、彼は妹を自分の胸に抱きしめ、彼女の鼻の付け根を必死で押さえたが、それは余計にグステルをげっそりさせた。(暑苦しかった)
とはいえ色々と的外れながら、妹のためにあたふたと奔走したフリード。
そんな彼を見て、昔から令息の高慢で脳筋な性質をよく知る家人は、『……あんなに誰かのために慌てているフリード様を初めて見ました……』とヴィムにこっそり漏らした。
まあそれはともかくとして。
けれども彼の懸命の介抱(?)にも関わらず、なぜかグステルは道中で何度も鼻血を繰り返した。
三度目に鼻血が出てしまった時、彼はもう他にはつくす手がないと窮地に立たされた。フリードは、己の筋力と強さの及ばぬ事象に絶望した。
大袈裟で滑稽かもしれないが、これまで彼は人への気遣いを学んでこなかった。
膝枕もダメ、抱きしめるのもダメ……ならばと思い詰めた彼が差し出そうと思いついたのが──その背中だったわけである。
兄は青ざめた顔でいった。
『……グステルよ、もうだめだ……! 兄には……兄にはもう、可愛いお前に差し出せるものが己の肉体より他にない……!』
そう嘆き、涙ながらに自ら妹のベッドになろうと申し出た男に。ヴィムも家人たちもそんなバカなと呆気に取られたが──フリードは、そんな彼らの制止を大人しく聞き入れるような男ではなかった。
そしてさらにいえば、彼の妹もまた並の精神ではなかったもので──……。
グステルは、兄の申し出に半笑い。──もちろん、遠慮なくその背に乗った。
……明らかに、彼女はおいおいと嘆く兄をおもしろがっていた……。
「こ、怖かったですぅぅっ……!」
「あらー……」
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