【完結】「ラヴェラルタ辺境伯令嬢は病弱」ってことにしておいてください

平田加津実

文字の大きさ
213 / 216
最終章 切り開く未来

(3)

しおりを挟む
 王城内の見取り図は、舞踏会の前に頭に叩き込んであったから、ヴィルジールの私室の場所は分かっている。
 ドレスと高いヒールで動き回ることにもすっかり慣れたマルティーヌは、長い廊下を疾走していた。

 途中ですれ違った出仕の貴族や使用人たちは、鬼気迫る様子で向かってくる美少女に驚いて道を開けた。
 騎士や警備兵などが、怪しさしかない令嬢を止めようと立ち塞がったが、目にも止まらぬ速度でするりとかわしていく。
 そしてものの数分で、マルティーヌは目的の扉の前に辿り着いた。

 扉の前を守っていた二人の衛兵は、瞬きの間に目の前に現れた正装の令嬢に目を丸くした。
 途中の通路にも厳重な警備が置かれているから、部外者が入り込めるはずのない場所なのだ。

「え? ええ? いつの間に」
「ここは立ち入り禁止の区域です。どうやってここまで辿り着かれたのですか!」

 彼らが警戒心をあらわにして立ち塞がる。

 少し髪が乱れてはいるものの、完璧な令嬢が右手の長手袋を優雅に外しながら、清楚な笑みを浮かべ小首を傾げた。

「その扉の向こうには、どなたがいらっしゃいますの?」
「それはお答えできません。すぐにここから立ち去ってくださ……い……」

 令嬢の美貌に一瞬見惚れた二人の衛兵は、ほぼ同時に廊下に崩れ落ちた。

 マルティーヌは邪魔な二人を通路の隅にどけると扉を開けた。

 中は青灰色を基調とした落ち着いた配色の広い部屋だった。
 手前には大きなソファーやテーブルがあり、その奥に、この部屋の中では少し異質な色合いの、マホガニーの重厚な机が置かれている。

 その机に向かって座っていた銀の髪の男が、驚いた様子で椅子から立ち上がった。
 机のこちら側で、背を向けて立っていた男も肩越しにはっと振り返る。

「マルティーヌ嬢!」
「ええっ? どうしてこちらに?」

 軟禁と聞いていたが、どうやら自室に机を持ち込んで仕事をしていた様子だ。

 舞踏会の夜からの激務のせいか、以前会った時と比べて少し痩せたように思う。
 目の下には濃い隈も見える。
 彼が国王と話し合い、廃嫡されたのが昨晩だというから、ろくに眠っていないのかもしれない。

「ヴィルジール殿下が王子様をやめて、国外に行くって聞いたわ」

 実際には廃嫡で国外追放なのだが、少し軽い表現を使うと彼はふっと笑った。

「きっと驚くだろうと思ったが、まさか、ここまで乗り込んでくるとはな。外に見張りがいたはずだが?」
「ええ。でも、急病で倒れてしまって……」

 右手に手袋をはめながら、しらじらしく言う。

「時々、そんな病人が出るのだよ。私も以前かかったことがあるが、原因は何なのだろうな……」

 ヴィルジールは苦笑しながら、ちらりとジョエルに視線を送った。

「では、私は病人の様子を見て参ります」

 側近がそそくさと部屋を出ていくと、二人きりになった。

「とりあえず、こちらへ」

 ヴィルジールがマルティーヌの手を取り、ソファーへと誘おうとするが、マルティーヌはその場から動かない。
 上目遣いに彼を睨む。

「ヴィルジール殿下、廃嫡ってどういうこと? 国外追放って……?」
「俺はもう廃嫡されたんだ。……今は、ただのヴィルジールだ。ヴィルと呼んでくれないか」

 そう言われても、今、彼をヴィルと呼べば、彼が王子でないことを認める気がして、意地でも殿下呼びを押し通す。

 彼には何の罪もない。
 王位を継ぐべき人なのだから。

「ヴィルジール殿下! あの椅子は二人で壊したじゃない。もう魔王なんてこの世に存在しない、できないのに!」

 マルティーヌが訴えると、彼は顔を背けて「俺も最初はそう思っていた……」と呟くように言う。

「だったら、どうして!」
「あの椅子を壊した後、俺の中に微かな違和感が残ったんだ」
「違和感?」
「そう。それは、これまで気づかなかっただけで生まれた時からあったかもしれないし、椅子の力によって生み出されたものかもしれない。だが、同じ感覚は、四百年前の魔王の記憶にもある。椅子が存在しようがしまいが、関係ない。いまここにあるものは、俺が魔王である証拠なんだ」

 ヴィルジールが胸を押さえながら喘ぐ。

「……でも、椅子がなければ実際には魔王にならないわ」
「いや。父上……陛下には言えなかったが、俺は既に魔王なんだ。この違和感がどうしても気になって、死にかけていた黒魔狼に近づいてみたんだ。奴は恐怖の悲鳴をあげ、動けない体で必死に逃げようとした」
「それ……は」

 魔王には魔獣が近づかない。
 恐怖のあまり逃げ出してしまうのだという。
 それは、四百年前の魔王も、アダラールもそうだった。

 ヴィルジールは巨躯魔狼や『魔王の目』に襲われた経験があるし、『死の森』で魔獣を狩ったこともある。
 その時は、魔獣に避けられたりしなかった。
 彼は魔王の記憶を持ってはいても、魔王ではなかったのだ。

 しかし、今は——。

 ヴィルジールは苦しげに首を横に振ると、マルティーヌの前から離れていく。
 そして、書類が積まれた大きな机の向こう側にある窓の前に、背を向けて立つ。

「俺がこの国にいれば、いずれ国王にならなければならない。だが、人間の敵である魔王に、そんな資格があるものか! 俺がこの国を、この世界を、恐怖と絶望しかない荒野に変えてしまうかもしれないのに……」

 大きなガラスに、彼の俯く姿が微かに映る。

 どんな顔で、そんなことを言っているのか。
 彼の震える肩を見るだけで、胸が苦しくなってくる。

 彼は、魔王の記憶を自身が繰り返すことを恐れている。

 考えすぎだとは言えない。
 実際に彼は、魔王と同じ性質を宿している実感があるのだから。
 きっと、今の彼には慰めの言葉は何の役にも立たない。

 ——それなら。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします

未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢 十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう 好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ 傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する 今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる

街風
ファンタジー
「お前を追放する!」 ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。 しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。

悪役顔のモブに転生しました。特に影響が無いようなので好きに生きます

竹桜
ファンタジー
 ある部屋の中で男が画面に向かいながら、ゲームをしていた。  そのゲームは主人公の勇者が魔王を倒し、ヒロインと結ばれるというものだ。  そして、ヒロインは4人いる。  ヒロイン達は聖女、剣士、武闘家、魔法使いだ。  エンドのルートしては六種類ある。  バットエンドを抜かすと、ハッピーエンドが五種類あり、ハッピーエンドの四種類、ヒロインの中の誰か1人と結ばれる。  残りのハッピーエンドはハーレムエンドである。  大好きなゲームの十回目のエンディングを迎えた主人公はお腹が空いたので、ご飯を食べようと思い、台所に行こうとして、足を滑らせ、頭を強く打ってしまった。  そして、主人公は不幸にも死んでしまった。    次に、主人公が目覚めると大好きなゲームの中に転生していた。  だが、主人公はゲームの中で名前しか出てこない悪役顔のモブに転生してしまった。  主人公は大好きなゲームの中に転生したことを心の底から喜んだ。  そして、折角転生したから、この世界を好きに生きようと考えた。  

令和日本では五十代、異世界では十代、この二つの人生を生きていきます。

越路遼介
ファンタジー
篠永俊樹、五十四歳は三十年以上務めた消防士を早期退職し、日本一周の旅に出た。失敗の人生を振り返っていた彼は東尋坊で不思議な老爺と出会い、歳の離れた友人となる。老爺はその後に他界するも、俊樹に手紙を残してあった。老爺は言った。『儂はセイラシアという世界で魔王で、勇者に討たれたあと魔王の記憶を持ったまま日本に転生した』と。信じがたい思いを秘めつつ俊樹は手紙にあった通り、老爺の自宅物置の扉に合言葉と同時に開けると、そこには見たこともない大草原が広がっていた。

処理中です...