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第5章 魔王の目
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その鼠のような生き物には、その場にいた全員に心当たりがあった。
『死の森』全域に生息する小型の魔獣で、しばしば大繁殖を起こし、人間の居住地にも出没する厄介者だ。
魔獣としては最弱の種であるが、背中の鋭い棘で怪我をする者も多い。
「棘鼠ね?」
マルティーヌが確認すると、ヴィルジールは頷いた。
「そうだ。あれが最初に呼び出した魔獣だった。昨日の討伐演習で、何匹か倒したが、私があれを実際に見たのは、あの頃以来だったよ。だからといって懐かしさも何もない。ただただ、忌々しかった」
彼は魔王の記憶を自分の経験であるかのように言う。
「呼び出した? 『死の森』の魔獣はすべて魔王が生み出したと言われているけど、そうじゃないの?」
「生み出したというのとは少し違う。彼の体に溜まっていったのはおそらく魔力だろう。その魔力が限界まで溜まって放出されると、目の前に黒い穴のようなものがぽっかりと現れるんだ。魔獣はその穴から這い出てくる」
ヴィルジールの隣に座っていたセレスタンが考え込む。
「だとすると……召喚? 魔獣はどこかから呼び寄せられたということか。一体どこから……?」
「分からない。この世界とは別の世界かもしれない」
魔獣は、現在のドゥラメトリア王国と、隣国ザウレン皇国との国境に広がる『死の森』にしか生息しない。
姿形はこの世界で普通に見られる動物と共通点はあるものの、大半はおぞましい外見と能力を持つ異形だ。
巨躯魔狼や『魔王の目』のように、普通の動物の数十倍の大きさがある種も多い。
これまでは、魔獣は魔王が生み出したのだから、異形なのは当然だと考えられていた。
マルティーヌも、ベレニスの時代から今までずっとそう信じていたから、彼の話に戸惑いを覚える。
しかし、真実を知っているのは魔王——彼の記憶を持つヴィルジールだけ。
現在では、勇者についても真実が隠蔽され美化されて伝わっているから、魔王はより邪悪な存在として誇張されているのかもしれない。
「最初のうちは、召喚されるのは灰色の棘鼠ばかりだったが、黒い個体が混ざるようになり、徐々に大型化し、やがてもう少し大きい別の種類の魔獣が現れるようになった。そんなことを、何年、何十年繰り返したか分からない。魔王の魔力量が増えるにつれて、魔獣はどんどん大型化し凶暴になっていった」
ヴィルジールは話を続けた。
彼が石の椅子があるだけの閉ざされた空間で目覚めてから、どれくらい年月がたったのか定かではない。
周囲の古木が朽ち果て、新たに芽吹いた種が大木となっていたのだから、ゆうに百年以上は経っていただろう。
ある時、彼の前に現れたのは、鴉のように真っ黒な体色で尾羽の中央だけが鮮やかな赤い色をした、巨大な魔鳥だった。
その鳥は、空中に大きく開いた暗い穴から飛び出してくると、そのままばさりと落ちて動かなくなった。
「おい、おまえ!」
彼は慌ててその鳥の首を起こした。
しかし、鳥は目を閉じたままぐったりとして動かない。
最初は死んでしまったのかと思ったが、どこも怪我をした様子はない。
しっかりと筋肉がついた頑強な体つきをしており、健康そうだ。
柔らかな羽毛に包まれた胸部がゆっくりと上下していたから、気を失っているか眠っているのだろうと考えた。
これまで出現した魔物たちは、穴から這い出てくるとすぐさま恐怖におののき、悲鳴をあげて逃げ去ってしまったから、この魔鳥は、彼が孤独の日々の中で初めて触れる温もりであった。
魔鳥の体にもたれかかって目を閉じ、自分以外の体温と規則的な心臓の鼓動を感じていると、安らぎを覚えた。
彼は魔鳥が目覚める日を心待ちにしていたが、その日が来ることはなかった。
魔鳥にもたれて、ただぼんやりと日々を過ごしていると、ふっと視界が暗くなった。
次の瞬間、彼は石の床にごろりと転がった自分の体を、真上から見下ろしていた。
「えっ? 何」
漆黒の鳥の姿はそこになかった。
ぐったりと横たわる粗末な衣をまとった少年と、円形舞台のように石が敷き詰められた床と、その中央に据え置かれた石の椅子だけが見えた。
間近で大きな鳥の羽音が聞こえ、視界の端を黒い翼がかすめていく。
これまで、経験したことのない奇妙な浮遊感。
「この姿はまさかあの鳥? 僕は鳥になったの?」
ようやく彼は、自分の意識が魔鳥の中にあることに気づいた。
そして、この姿であれば、自分を閉じ込めている透明な壁の外に出られることを知り、開放感と高揚感に胸がいっぱいになった。
『死の森』全域に生息する小型の魔獣で、しばしば大繁殖を起こし、人間の居住地にも出没する厄介者だ。
魔獣としては最弱の種であるが、背中の鋭い棘で怪我をする者も多い。
「棘鼠ね?」
マルティーヌが確認すると、ヴィルジールは頷いた。
「そうだ。あれが最初に呼び出した魔獣だった。昨日の討伐演習で、何匹か倒したが、私があれを実際に見たのは、あの頃以来だったよ。だからといって懐かしさも何もない。ただただ、忌々しかった」
彼は魔王の記憶を自分の経験であるかのように言う。
「呼び出した? 『死の森』の魔獣はすべて魔王が生み出したと言われているけど、そうじゃないの?」
「生み出したというのとは少し違う。彼の体に溜まっていったのはおそらく魔力だろう。その魔力が限界まで溜まって放出されると、目の前に黒い穴のようなものがぽっかりと現れるんだ。魔獣はその穴から這い出てくる」
ヴィルジールの隣に座っていたセレスタンが考え込む。
「だとすると……召喚? 魔獣はどこかから呼び寄せられたということか。一体どこから……?」
「分からない。この世界とは別の世界かもしれない」
魔獣は、現在のドゥラメトリア王国と、隣国ザウレン皇国との国境に広がる『死の森』にしか生息しない。
姿形はこの世界で普通に見られる動物と共通点はあるものの、大半はおぞましい外見と能力を持つ異形だ。
巨躯魔狼や『魔王の目』のように、普通の動物の数十倍の大きさがある種も多い。
これまでは、魔獣は魔王が生み出したのだから、異形なのは当然だと考えられていた。
マルティーヌも、ベレニスの時代から今までずっとそう信じていたから、彼の話に戸惑いを覚える。
しかし、真実を知っているのは魔王——彼の記憶を持つヴィルジールだけ。
現在では、勇者についても真実が隠蔽され美化されて伝わっているから、魔王はより邪悪な存在として誇張されているのかもしれない。
「最初のうちは、召喚されるのは灰色の棘鼠ばかりだったが、黒い個体が混ざるようになり、徐々に大型化し、やがてもう少し大きい別の種類の魔獣が現れるようになった。そんなことを、何年、何十年繰り返したか分からない。魔王の魔力量が増えるにつれて、魔獣はどんどん大型化し凶暴になっていった」
ヴィルジールは話を続けた。
彼が石の椅子があるだけの閉ざされた空間で目覚めてから、どれくらい年月がたったのか定かではない。
周囲の古木が朽ち果て、新たに芽吹いた種が大木となっていたのだから、ゆうに百年以上は経っていただろう。
ある時、彼の前に現れたのは、鴉のように真っ黒な体色で尾羽の中央だけが鮮やかな赤い色をした、巨大な魔鳥だった。
その鳥は、空中に大きく開いた暗い穴から飛び出してくると、そのままばさりと落ちて動かなくなった。
「おい、おまえ!」
彼は慌ててその鳥の首を起こした。
しかし、鳥は目を閉じたままぐったりとして動かない。
最初は死んでしまったのかと思ったが、どこも怪我をした様子はない。
しっかりと筋肉がついた頑強な体つきをしており、健康そうだ。
柔らかな羽毛に包まれた胸部がゆっくりと上下していたから、気を失っているか眠っているのだろうと考えた。
これまで出現した魔物たちは、穴から這い出てくるとすぐさま恐怖におののき、悲鳴をあげて逃げ去ってしまったから、この魔鳥は、彼が孤独の日々の中で初めて触れる温もりであった。
魔鳥の体にもたれかかって目を閉じ、自分以外の体温と規則的な心臓の鼓動を感じていると、安らぎを覚えた。
彼は魔鳥が目覚める日を心待ちにしていたが、その日が来ることはなかった。
魔鳥にもたれて、ただぼんやりと日々を過ごしていると、ふっと視界が暗くなった。
次の瞬間、彼は石の床にごろりと転がった自分の体を、真上から見下ろしていた。
「えっ? 何」
漆黒の鳥の姿はそこになかった。
ぐったりと横たわる粗末な衣をまとった少年と、円形舞台のように石が敷き詰められた床と、その中央に据え置かれた石の椅子だけが見えた。
間近で大きな鳥の羽音が聞こえ、視界の端を黒い翼がかすめていく。
これまで、経験したことのない奇妙な浮遊感。
「この姿はまさかあの鳥? 僕は鳥になったの?」
ようやく彼は、自分の意識が魔鳥の中にあることに気づいた。
そして、この姿であれば、自分を閉じ込めている透明な壁の外に出られることを知り、開放感と高揚感に胸がいっぱいになった。
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