【完結】「ラヴェラルタ辺境伯令嬢は病弱」ってことにしておいてください

平田加津実

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第10章 舞踏会の長い夜

(3)

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 目的の塔のすぐ前に、七、八頭の黒魔狼が頭を寄せ合い、ひしめき合い、一つの黒い塊となっていた。
 獣たちの唸り声と強い血の臭いがあたりに充満している。
 漆黒の毛並みの間からちらちらと見えるのは、血に染まった人の肌と衣服らしきもの。
 興奮した獣が空高く放り投げたのは、恐怖と無念で指先がこわばった人の腕だった。

「なっ——!」

 城の中から魔獣たちの動きを視ていたジョエルは、予想通りの光景に、唇を噛んで顔を背けた。

 おそらく犠牲者は、塔の入り口の見張りを任された者たち。
 少なくとも二人はいるようだ。
 彼らはすでに息絶え、獰猛な狼たちの餌となっていた。

 人間の犠牲者を目の当たりにしたのは、これが初めてだったが、城内に魔獣が溢れていることを考えると、どれほどの犠牲者がいるか分からない。

「こうなることは分かっていただろう!」

 人間がいる屋外に魔獣を解き放てば、こうなるのは当たり前だ。
 人の命なんて、どうでもいいのか!
 そうまでして、何を手に入れたいというのか!

「くっそぉ。ふざけんな!」

 マルティーヌは湧き上がる怒りで剣を強く握りしめた。

 興奮状態で人の肉を貪っていた魔獣たちが、強烈な殺気を感知してびくりと体を震わせた。
 赤くぎらりと光る目が一斉にこちらを向く。

「おまえら、覚悟しな」

 マルティーヌは剣を握った右手を下ろし、ゆっくりと魔獣の群れに近づいていった。
 その威嚇のような一歩ごとに、魔獣たちの間に怯えが生まれていく。

 群れの中のいちばん臆病な一頭が「ギャッ」と悲鳴をあげて黒い塊の中から飛び出した。
 それをきっかけに、狼たちが後方にぱっと身を翻す。

「逃がすかよ!」

 マルティーヌは素早く数歩駆け寄ってから、全力で地面を蹴った。
 逃げ惑う魔狼たちの上を飛び越え、立ちふさがるように着地すると、剣を大きく横薙ぎにした。
 数頭を最初の一刀で一気に片付けると、残りの狼たちにも次々と斬りかかる。

 仲間たちが無残に斬り殺される様子を目の当たりにした三頭が、方向転換をして逃げ出した。

「ジョーっ、そいつらは任せた! 無理なら避けろ!」
「は、はいっ!」

 恐怖から逃れることが最優先となった狼たちは、正面にいた人間を避けて左右に別れて駆けていく。
 自分の実力を知るジョエルは、最後の一頭だけに照準を定めた。

「はあっ!」

 マルティーヌは軽々と斬り伏せているが、黒魔狼はジョエルが初めて戦った赤魔狼よりも遥かに硬い体毛を持つ。
 最初の一撃は全く刃が通らなかったが、細い棒で打ち付けたような打撃を与えることができた。
 獣は腹を見せて地面に叩き落とされた。
 すかさず魔力を込めた切っ先を比較的柔らかな腹部に突き立てると、獣は短い悲鳴を上げて二、三度もがいた後、動かなくなった。

「……やったか」
「やぁ。上出来だよ、ジョー!」

 自分の周囲の魔狼をすべて片付けたマルティーヌが駆け寄ってくる。

 ジョエルはラヴェラルタの基準では使い物にならないが、俊敏な黒魔狼を一頭でも倒すことができる男は、王都にはいないだろう。
 彼は十分強いのだ。

「すみません。残りを逃がしてしまって……」
「いいさ。あいつらが逃げた先は庭園なんだろう? リーヴィたちがどうにかしてくれる」
「そうですね。向こうはまだ……魔獣を倒しきれていないようですが、時間の問題だと思います」

 ジョエルは目を細めて、逃げる魔獣の後ろ姿を追った。
 その後、庭園へと目を向けると、彼の主とラヴェラルタの仲間たちはまだ戦闘中だった。

「あっ! パメラがいますね。よかった……」

 ラヴェラルタ騎士団最強の聖結界の使い手であり、治癒術にも長けた女性魔術師の姿が、ようやく彼らの近くに確認できた。

「じゃあ、向こうは全然問題ないな。さてと……」

 マルティーヌも安堵した表情を見せてから、塔を見上げた。

 塔は王城の一部ではあるが内部は繋がっていない。
 高さは五階建ての城より、三階分ほど高いだろうか。
 真下にいるため、その高さが分かりづらい。
 最上部には窓があるはずだが、明かりは見えない。

「本当にこの上に、皇女殿下はいる?」
「はい。間違いなくいらっしゃいます」
「他に誰かいる?」

 誰かと問われて、ジョエルは最初、人という大きな括りを標的にした。
 すると、少女の隣にもう一人の姿を捉えた。
 女性と思われるその人物は、膝を抱える少女に寄り添い、慰めているように視える。

「そうですね……。人が……あぁ、女性が一人一緒にいるようです。おそらく侍女でしょう。……とすると」

 ジョエルは心当たりの人物を思い描いて絞り込む。

「やはりそうでした。皇女殿下の教育係のレナータ殿です」
「じゃあ、皇女さまも少しは心強いか」
「そうですね」

 ジョエルはそのまま視線を足元まで下ろしてくると「他には誰もいません」と断言した。

 塔の内部に逃げ込むことができれば、先ほどの見張りたちの命も助かったかもしれないが、塔の入り口に頑丈な錠前がかかっていた。
 彼らはその鍵を持たされていなかったのだろう。

「じゃあ行くぞ!」

 マルティーヌは錠前を手に取るとあっさりと破壊した。

 内部はどこからも光が入らない真の暗闇だ。
 暗視術を最大限に使って確認すると、塔の内側の壁に沿って螺旋階段がつくられていた。
 夜空に続くかと思うほどの高い場所に、微かに漏れる光がある。

「ルフィナ皇女殿下、いらっしゃいますかぁ! 助けに参りました!」

 ジョエルが叫んだ声が、狭い塔の中で反響する。
 塔の中は吹き抜け状態だから、きっと声は届く。
 しばらく反応をみてみると、木製の扉を叩くような音が響いてきた。
 耳を済ませば微かに声も聞こえる。

「よし! 先に行くぞ」

 マルティーヌがジョエルを置き去りにして、凄まじいスピードで階段を駆け上がっていく。
 そして、あっという間に頂上にたどり着くと、隙間から光の漏れる扉の取っ手に手をかけた。
 しかし、この扉にも鍵がかかっていた。

「危ないですから、扉からできるだけ離れてください!」

 マルティーヌが声をかけると、内側から「えっ? 女の人?」「姫さま、早くこちらへ」などというやり取りが聞こえてくる。
 ジョエルが言っていたように、皇女と侍女なのだろう。

「いきますよ!」

 がつんと音がしたかと思うと、扉はあっさりと内側に開いた。
 鉄製であるはずの鍵の部分は割れて床に落ち、蝶番はぐにゃりと曲がっていた。

「ご無事ですか? ルフィナ皇女殿下」
「まあぁぁぁ!」

 皇女は壊れた扉から姿を現した若い女性の姿に、思わず息をのんだ。
 そこにいたのは、エメラルドグリーンの豪奢なドレスを身にまとった、可憐で華奢な、これまで見たことのないほど美しい令嬢だった。
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