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第1章 異世界 出会い編
閑話Ⅰ:The Memories of ルナ
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その日は、森全体がやさしい光に包まれていた。木々の隙間からこぼれる木漏れ日が、私と友達の笑い声を照らしている。花の香りが漂い、小さな虫たちが羽音を立てて飛び交う中、私たちは夢中で花を摘んでいた。
「これ、似合うかな?」
摘んだ花で編んだ花冠を友達の頭にそっとのせる。友達はくすぐったそうに笑い、私の頭にも花冠を置いてくれた。
「とっても似合ってるよ!」
その瞬間がずっと続くと信じていた――あの日までは。
---
「見つけたぞ! ガキどもを捕まえろ!」
突然、森に響いた怒声がすべてを壊した。複数の男たちが木々の間から飛び出してくる。花冠が地面に落ちる音が、妙に鮮明に耳に残った。
「逃げよう!」
友達の声で我に返り、必死に駆けだす。枝が腕を裂き、痛みと恐怖で息が苦しくなる。
「早く……!」
伸ばした友達の手に触れる、その瞬間――背後から冷たい腕が私を乱暴に引き寄せた。
「いやっ! 離して!」
必死にもがくが、男の腕はびくともしない。振り返ると、友達も別の盗賊に捕まっていた。
「いやあああっ! やめてぇぇぇぇ!」
私の叫びは森に虚しく響き渡るだけだった。
---
暗くじめじめした檻馬車の中、盗賊たちに連れ去られた私と友達は、体を寄せ合って震えていた。木の車輪がごろごろと音を立て、馬の蹄が地面を叩く度に、不安が胸を締め付ける。
「……こわいよ……。」
「大丈夫……一緒にいよう……。」
互いを慰め合うように手を握り合ったその時――がしゃん、と重たい音を立てて檻馬車の扉が開かれた。
「ほら、降りろガキども!」
乱暴に腕をつかまれ、私たちは引きずり出される。そこにいたのは、無機質な目をした一人の男――奴隷商ギルデアだった。彼は私たちを値踏みするように眺め、口角をわずかに上げる。
「いい品だな。こっちは金払いがいい客がつくだろう。」
金貨の音が乾いた音を立て、盗賊たちはにやりと笑う。そして私たちは引き離され、友達の泣き声を最後に二度と会えなかった。
---
その後、私は街の奥まった建物に連れて行かれた。目隠しを外された先は、暗い部屋と不気味な笑い声。奴隷商ギルデアが満足そうに手を叩き、数人の男たちを招き入れる。
「こいつはまだ若いが、目が綺麗で将来性がある。欲しい奴はいるか?」
私は恐怖で声を出せず、ただ震えるしかなかった。その中の一人が前に出て、私の顎を無理やり掴む。
「この子を買おう。」
その言葉と共に金貨が渡され、私は所有物として売られた。その瞬間、自由という言葉が遠い世界のものになった。
---
新しい主人の家は暗く、冷たい場所だった。
朝日が昇る前に叩き起こされ、重い荷物を何度も運ばされる。ほんの一瞬でも手を止めれば、怒鳴り声と鞭が背中を打つ。
「早くしろ、奴隷が!」
「……っ……!」
泣き声はもう出ない。ただ、耐えるだけの日々。食事は硬いパンひとかけらと泥水のようなスープ。文句を言えば「贅沢を言うな!」と殴られた。
夜は藁の敷かれた狭い部屋に押し込められ、冷たい空気に震えながら眠る。眠っても悪夢が襲い、盗賊や主人の顔が何度も浮かんでは私を怯えさせた。
私は……ただの物……。考えちゃいけない……感じちゃいけない……。
笑顔も涙も消え、残ったのは「逃げたい」という小さな願いだけだった。
---
その日も荷物を運んでいると、足がもつれて地面に倒れ込んだ。
「この役立たずが!」
主人が怒鳴り、容赦なく蹴り飛ばす。土と血の味が口いっぱいに広がり、視界がぐにゃりと歪んだ。
「……ごめんなさい……」
声にならない謝罪が喉に詰まる。
その時――
「やめなさい!」
宿屋の扉が勢いよく開き、金髪の女性が主人を鋭く睨んだ。
後ろから赤い髪の少女が駆け寄り、私を抱き上げる。
「もう大丈夫、怖くないよ。」
その温もりに、凍りついていた心が少しだけ溶けた。後方では白銀のフェンリルが低く唸り、主人は青ざめて後ずさる。金髪の女性が金貨を投げつけ、冷たく言い放った。
「これでこの子は自由よ。二度と近づかないことね。」
---
ふかふかのベッドに寝かされると、全身の痛みが押し寄せる。赤髪の少女がそっと手をかざすと、淡い光が体を包み込み、痛みが和らいでいく。
「……あったかい……」
自然と声が漏れ、頬を涙が伝った。赤髪の少女は優しく微笑み、「もう安心して眠っていいんだよ」と囁いた。
私は小さく頷き、まぶたを閉じた。
---
翌朝、ユミたちは初めての依頼に向かうことになった。ユミは私の前にしゃがみ込み、目を合わせて微笑む。
「それじゃあ行ってくるね。あなたはギルドで待っていてね。」
優しい声だった。でも胸が締めつけられる。声を出せず、ただユミの服をぎゅっと握る。
「大丈夫、すぐ帰ってくるから。」
その言葉を最後に、私は一人ギルドに残された。
---
ギルドの隅に座り、膝を抱えて入口をじっと見つめる。笑い声、足音、武器の音――どれも怖くて、心臓が早鐘を打つ。
受付嬢が声をかけてくれる。
「お嬢ちゃん、大丈夫? ユミさんたちはすぐ戻るわ。」
私は小さく頷くしかなかった。それでも不安は大きくなるばかり。
扉が開くたびに顔を上げるが、入ってくるのは知らない冒険者ばかり。
……違う……ユミさんじゃない……。
胸が締め付けられ、視界が滲む。
「……帰ってきて……お願い……。」
---
小一時間後、扉が勢いよく開いた。赤い髪が目に飛び込み、世界がぱっと明るくなる。
「ただいま。待たせちゃったね。」
その声を聞いた瞬間、張り詰めていた感情が一気に崩れた。
「……うっ……ううぅ……!」
私は駆け寄り、ユミの服を強く掴む。涙が止まらず、嗚咽が漏れた。
ユミは何も言わず、優しく頭を撫でてくれた。その温もりが、私を安心で包み込んだ。
---
数日後、ユミさんたちは紅牙という恐ろしい組織と戦うため、街を出て行った。出発前、ユミさんは私の目をまっすぐ見て優しく微笑んでくれた。
「大丈夫。必ず戻るから、あなたは宿で待っていてね。」
その言葉を胸に抱きしめ、何度も繰り返して自分を落ち着かせようとした。……けれど、心臓は早鐘のように鳴り、息苦しさは消えなかった。
---
部屋には私ひとり。外はもうとっくに夜の帳が下り、街は深い闇に包まれていた。時折、外から聞こえる馬車の車輪の音や、犬の遠吠えがやけに大きく響き、恐怖心を煽る。
……ユミさん……ミルフィーさん……雪さん……雪風さん……。
名前を心の中で何度も唱えても、返事は返ってこない。胸の奥でざわつく恐怖は膨れ上がるばかりだった。
布団を頭からかぶり、膝を抱え込んでも安心は訪れない。閉じた瞼の裏には、あの日――森で盗賊に追われ、捕まった時の悪夢が何度もよみがえってきた。
「いや……もういや……。」
震える声が喉の奥で途切れ、呼吸が浅くなる。
---
コン、コン――と、部屋の扉が優しくノックされた。思わずびくりと肩が震える。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
宿屋の女将が心配そうに顔を覗かせる。手には温かいハーブティーを乗せたお盆を持っていた。
「これでも飲んで、少し落ち着きなさい。……無理に眠らなくてもいいんだよ。」
震える手で受け取り、一口すすぐと、ほんの少しだけ胸の奥が温かくなる。
「ありがとう……ございます……。」
かすれた声で呟くと、女将は安心したように微笑み、部屋を後にした。
---
それからしばらくして、再び扉がノックされた。
「お嬢ちゃん、私よ。入ってもいい?」
今度はギルドの受付嬢だった。彼女は柔らかく微笑み、私の頭をそっと撫でる。
「ユミさんたちは必ず帰ってくるわ。信じて待ちましょう。」
その言葉に胸がじんと熱くなり、涙がこぼれそうになる。必死に堪えながら小さく頷いた。
受付嬢が部屋を出ていくと、また静寂が戻り、孤独が一層濃くなる。それでも、彼女たちが来てくれたことが、ほんのわずかな希望となった。
---
夜が明けきらない明け方、窓から淡い光が差し込み始める。とうとう部屋にいられなくなり、私は宿屋の入口へ向かった。
冷たい朝の空気が肌を刺し、全身が震える。街道の方をじっと見つめながら、祈るように呟く。
ここで待たなきゃ……ユミさんが帰ってきた時、すぐに会えなくなっちゃう……。
後ろから女将が駆け寄り、声をかけてくる。
「お嬢ちゃん、こんな寒いところに……中に戻ろう?」
しかし私は首を横に振り、必死に拒んだ。女将はそれ以上言わず、心配そうに見守りながら宿の中へ戻っていった。
---
やがて、かすかに複数の足音が近づいてくる。
「……っ!」
胸が高鳴り、涙があふれ出す。朝靄を切り裂いて現れた赤い髪――ユミさんの姿を見つけた瞬間、全身の力が抜けた。
「ただいま。待たせちゃったね、あなた。」
その声を聞いた瞬間、張り詰めていた感情が一気に崩れ、私はユミに駆け寄り、その胸に飛び込んだ。
「ユミさんっ……!」
ユミは何も言わず、優しく抱きしめてくれた。その温もりが、長い夜を乗り越えた私の心を溶かしていった。
---
皆で宿屋へ戻ると、雪と雪風は静かに横たわり、ミルフィーもユミも、ベッドに倒れ込むように眠ってしまった。戦いでどれほど疲れていたのか、その寝顔を見ればわかった。
私はしばらくその光景を見つめていた。ユミさんの寝息が静かに部屋に広がり、安心感が胸を満たしていく。
---
しかし、心の奥にはまだ恐怖の余韻が残っていた。
「……ユミさん……。」
小さく呟きながら、私はそっとベッドに近づき、布団の隙間に身を滑り込ませる。ユミさんの手をそっと握ると、冷え切っていた体が少しずつ温まる。
雪風がベッドの足元に丸くなり、私たちを守るように眠っている。その姿にほっとして、私も目を閉じた。
部屋には、穏やかな寝息と朝の静けさが満ちていた。長い夜を乗り越えた安心感に包まれながら、私はユミさんたちと共に、深い眠りへと落ちていった。
---
数日後の朝。
街の門前には、エルフ族の仲間たちが集まっていた。彼らは今回救出した仲間たちを里に連れて帰るため、準備を整えている。澄み渡る朝の空気の中、緊張感と少しの安堵が漂っていた。
ユミは彼女の肩に手を置き、エルフたちへと向き直った。
「この子も一緒にお願いできませんか?
里で安全に暮らしてほしいんです。」
仲間たちは頷き、優しく手を差し伸べる。しかしルナはその手を見つめるだけで、動こうとしない。そして、ゆっくりと首を横に振った。
---
「……!」
ユミも仲間たちも驚き、目を丸くする。ルナは何も言わず、ユミさんの服をぎゅっと握りしめた。その手は震えていて、決して離そうとしない。
ミルフィーがそっとしゃがみ込み、ルナの目線に合わせて優しく声をかけた。
「……ねえ、どうしたいの?あなたの気持ちを、私たちに教えて。」
長い沈黙の後、ルナはかすかに唇を動かす。
「……わたし……ユミさんと……一緒にいたい……。」
その小さな声は震えていたけれど、確かな決意が込められていた。
---
ユミは驚いた表情を浮かべたあと、優しく微笑み、ルナの頭を撫でた。
「……ありがとう。私も、あなたと一緒にいたいよ。」
ミルフィーは安堵の息をつき、エルフの仲間たちに振り返る。
「そういうことだから、この子は私たちと一緒に行動するわ。あなたたちは先に里へ戻っていて。」
仲間たちは少し驚いたものの、事情を理解して頷いた。
「わかった。気をつけてな。」
---
ルナはユミの手をぎゅっと握りながら、心の中でそっと誓う。
もう離れない……。
この人たちと一緒に、ずっと……。
そして一行は、里へ向かうため新たな一歩を踏み出した。
「これ、似合うかな?」
摘んだ花で編んだ花冠を友達の頭にそっとのせる。友達はくすぐったそうに笑い、私の頭にも花冠を置いてくれた。
「とっても似合ってるよ!」
その瞬間がずっと続くと信じていた――あの日までは。
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「見つけたぞ! ガキどもを捕まえろ!」
突然、森に響いた怒声がすべてを壊した。複数の男たちが木々の間から飛び出してくる。花冠が地面に落ちる音が、妙に鮮明に耳に残った。
「逃げよう!」
友達の声で我に返り、必死に駆けだす。枝が腕を裂き、痛みと恐怖で息が苦しくなる。
「早く……!」
伸ばした友達の手に触れる、その瞬間――背後から冷たい腕が私を乱暴に引き寄せた。
「いやっ! 離して!」
必死にもがくが、男の腕はびくともしない。振り返ると、友達も別の盗賊に捕まっていた。
「いやあああっ! やめてぇぇぇぇ!」
私の叫びは森に虚しく響き渡るだけだった。
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暗くじめじめした檻馬車の中、盗賊たちに連れ去られた私と友達は、体を寄せ合って震えていた。木の車輪がごろごろと音を立て、馬の蹄が地面を叩く度に、不安が胸を締め付ける。
「……こわいよ……。」
「大丈夫……一緒にいよう……。」
互いを慰め合うように手を握り合ったその時――がしゃん、と重たい音を立てて檻馬車の扉が開かれた。
「ほら、降りろガキども!」
乱暴に腕をつかまれ、私たちは引きずり出される。そこにいたのは、無機質な目をした一人の男――奴隷商ギルデアだった。彼は私たちを値踏みするように眺め、口角をわずかに上げる。
「いい品だな。こっちは金払いがいい客がつくだろう。」
金貨の音が乾いた音を立て、盗賊たちはにやりと笑う。そして私たちは引き離され、友達の泣き声を最後に二度と会えなかった。
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その後、私は街の奥まった建物に連れて行かれた。目隠しを外された先は、暗い部屋と不気味な笑い声。奴隷商ギルデアが満足そうに手を叩き、数人の男たちを招き入れる。
「こいつはまだ若いが、目が綺麗で将来性がある。欲しい奴はいるか?」
私は恐怖で声を出せず、ただ震えるしかなかった。その中の一人が前に出て、私の顎を無理やり掴む。
「この子を買おう。」
その言葉と共に金貨が渡され、私は所有物として売られた。その瞬間、自由という言葉が遠い世界のものになった。
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新しい主人の家は暗く、冷たい場所だった。
朝日が昇る前に叩き起こされ、重い荷物を何度も運ばされる。ほんの一瞬でも手を止めれば、怒鳴り声と鞭が背中を打つ。
「早くしろ、奴隷が!」
「……っ……!」
泣き声はもう出ない。ただ、耐えるだけの日々。食事は硬いパンひとかけらと泥水のようなスープ。文句を言えば「贅沢を言うな!」と殴られた。
夜は藁の敷かれた狭い部屋に押し込められ、冷たい空気に震えながら眠る。眠っても悪夢が襲い、盗賊や主人の顔が何度も浮かんでは私を怯えさせた。
私は……ただの物……。考えちゃいけない……感じちゃいけない……。
笑顔も涙も消え、残ったのは「逃げたい」という小さな願いだけだった。
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その日も荷物を運んでいると、足がもつれて地面に倒れ込んだ。
「この役立たずが!」
主人が怒鳴り、容赦なく蹴り飛ばす。土と血の味が口いっぱいに広がり、視界がぐにゃりと歪んだ。
「……ごめんなさい……」
声にならない謝罪が喉に詰まる。
その時――
「やめなさい!」
宿屋の扉が勢いよく開き、金髪の女性が主人を鋭く睨んだ。
後ろから赤い髪の少女が駆け寄り、私を抱き上げる。
「もう大丈夫、怖くないよ。」
その温もりに、凍りついていた心が少しだけ溶けた。後方では白銀のフェンリルが低く唸り、主人は青ざめて後ずさる。金髪の女性が金貨を投げつけ、冷たく言い放った。
「これでこの子は自由よ。二度と近づかないことね。」
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ふかふかのベッドに寝かされると、全身の痛みが押し寄せる。赤髪の少女がそっと手をかざすと、淡い光が体を包み込み、痛みが和らいでいく。
「……あったかい……」
自然と声が漏れ、頬を涙が伝った。赤髪の少女は優しく微笑み、「もう安心して眠っていいんだよ」と囁いた。
私は小さく頷き、まぶたを閉じた。
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翌朝、ユミたちは初めての依頼に向かうことになった。ユミは私の前にしゃがみ込み、目を合わせて微笑む。
「それじゃあ行ってくるね。あなたはギルドで待っていてね。」
優しい声だった。でも胸が締めつけられる。声を出せず、ただユミの服をぎゅっと握る。
「大丈夫、すぐ帰ってくるから。」
その言葉を最後に、私は一人ギルドに残された。
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ギルドの隅に座り、膝を抱えて入口をじっと見つめる。笑い声、足音、武器の音――どれも怖くて、心臓が早鐘を打つ。
受付嬢が声をかけてくれる。
「お嬢ちゃん、大丈夫? ユミさんたちはすぐ戻るわ。」
私は小さく頷くしかなかった。それでも不安は大きくなるばかり。
扉が開くたびに顔を上げるが、入ってくるのは知らない冒険者ばかり。
……違う……ユミさんじゃない……。
胸が締め付けられ、視界が滲む。
「……帰ってきて……お願い……。」
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小一時間後、扉が勢いよく開いた。赤い髪が目に飛び込み、世界がぱっと明るくなる。
「ただいま。待たせちゃったね。」
その声を聞いた瞬間、張り詰めていた感情が一気に崩れた。
「……うっ……ううぅ……!」
私は駆け寄り、ユミの服を強く掴む。涙が止まらず、嗚咽が漏れた。
ユミは何も言わず、優しく頭を撫でてくれた。その温もりが、私を安心で包み込んだ。
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数日後、ユミさんたちは紅牙という恐ろしい組織と戦うため、街を出て行った。出発前、ユミさんは私の目をまっすぐ見て優しく微笑んでくれた。
「大丈夫。必ず戻るから、あなたは宿で待っていてね。」
その言葉を胸に抱きしめ、何度も繰り返して自分を落ち着かせようとした。……けれど、心臓は早鐘のように鳴り、息苦しさは消えなかった。
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部屋には私ひとり。外はもうとっくに夜の帳が下り、街は深い闇に包まれていた。時折、外から聞こえる馬車の車輪の音や、犬の遠吠えがやけに大きく響き、恐怖心を煽る。
……ユミさん……ミルフィーさん……雪さん……雪風さん……。
名前を心の中で何度も唱えても、返事は返ってこない。胸の奥でざわつく恐怖は膨れ上がるばかりだった。
布団を頭からかぶり、膝を抱え込んでも安心は訪れない。閉じた瞼の裏には、あの日――森で盗賊に追われ、捕まった時の悪夢が何度もよみがえってきた。
「いや……もういや……。」
震える声が喉の奥で途切れ、呼吸が浅くなる。
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コン、コン――と、部屋の扉が優しくノックされた。思わずびくりと肩が震える。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
宿屋の女将が心配そうに顔を覗かせる。手には温かいハーブティーを乗せたお盆を持っていた。
「これでも飲んで、少し落ち着きなさい。……無理に眠らなくてもいいんだよ。」
震える手で受け取り、一口すすぐと、ほんの少しだけ胸の奥が温かくなる。
「ありがとう……ございます……。」
かすれた声で呟くと、女将は安心したように微笑み、部屋を後にした。
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それからしばらくして、再び扉がノックされた。
「お嬢ちゃん、私よ。入ってもいい?」
今度はギルドの受付嬢だった。彼女は柔らかく微笑み、私の頭をそっと撫でる。
「ユミさんたちは必ず帰ってくるわ。信じて待ちましょう。」
その言葉に胸がじんと熱くなり、涙がこぼれそうになる。必死に堪えながら小さく頷いた。
受付嬢が部屋を出ていくと、また静寂が戻り、孤独が一層濃くなる。それでも、彼女たちが来てくれたことが、ほんのわずかな希望となった。
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夜が明けきらない明け方、窓から淡い光が差し込み始める。とうとう部屋にいられなくなり、私は宿屋の入口へ向かった。
冷たい朝の空気が肌を刺し、全身が震える。街道の方をじっと見つめながら、祈るように呟く。
ここで待たなきゃ……ユミさんが帰ってきた時、すぐに会えなくなっちゃう……。
後ろから女将が駆け寄り、声をかけてくる。
「お嬢ちゃん、こんな寒いところに……中に戻ろう?」
しかし私は首を横に振り、必死に拒んだ。女将はそれ以上言わず、心配そうに見守りながら宿の中へ戻っていった。
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やがて、かすかに複数の足音が近づいてくる。
「……っ!」
胸が高鳴り、涙があふれ出す。朝靄を切り裂いて現れた赤い髪――ユミさんの姿を見つけた瞬間、全身の力が抜けた。
「ただいま。待たせちゃったね、あなた。」
その声を聞いた瞬間、張り詰めていた感情が一気に崩れ、私はユミに駆け寄り、その胸に飛び込んだ。
「ユミさんっ……!」
ユミは何も言わず、優しく抱きしめてくれた。その温もりが、長い夜を乗り越えた私の心を溶かしていった。
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皆で宿屋へ戻ると、雪と雪風は静かに横たわり、ミルフィーもユミも、ベッドに倒れ込むように眠ってしまった。戦いでどれほど疲れていたのか、その寝顔を見ればわかった。
私はしばらくその光景を見つめていた。ユミさんの寝息が静かに部屋に広がり、安心感が胸を満たしていく。
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しかし、心の奥にはまだ恐怖の余韻が残っていた。
「……ユミさん……。」
小さく呟きながら、私はそっとベッドに近づき、布団の隙間に身を滑り込ませる。ユミさんの手をそっと握ると、冷え切っていた体が少しずつ温まる。
雪風がベッドの足元に丸くなり、私たちを守るように眠っている。その姿にほっとして、私も目を閉じた。
部屋には、穏やかな寝息と朝の静けさが満ちていた。長い夜を乗り越えた安心感に包まれながら、私はユミさんたちと共に、深い眠りへと落ちていった。
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数日後の朝。
街の門前には、エルフ族の仲間たちが集まっていた。彼らは今回救出した仲間たちを里に連れて帰るため、準備を整えている。澄み渡る朝の空気の中、緊張感と少しの安堵が漂っていた。
ユミは彼女の肩に手を置き、エルフたちへと向き直った。
「この子も一緒にお願いできませんか?
里で安全に暮らしてほしいんです。」
仲間たちは頷き、優しく手を差し伸べる。しかしルナはその手を見つめるだけで、動こうとしない。そして、ゆっくりと首を横に振った。
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「……!」
ユミも仲間たちも驚き、目を丸くする。ルナは何も言わず、ユミさんの服をぎゅっと握りしめた。その手は震えていて、決して離そうとしない。
ミルフィーがそっとしゃがみ込み、ルナの目線に合わせて優しく声をかけた。
「……ねえ、どうしたいの?あなたの気持ちを、私たちに教えて。」
長い沈黙の後、ルナはかすかに唇を動かす。
「……わたし……ユミさんと……一緒にいたい……。」
その小さな声は震えていたけれど、確かな決意が込められていた。
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ユミは驚いた表情を浮かべたあと、優しく微笑み、ルナの頭を撫でた。
「……ありがとう。私も、あなたと一緒にいたいよ。」
ミルフィーは安堵の息をつき、エルフの仲間たちに振り返る。
「そういうことだから、この子は私たちと一緒に行動するわ。あなたたちは先に里へ戻っていて。」
仲間たちは少し驚いたものの、事情を理解して頷いた。
「わかった。気をつけてな。」
---
ルナはユミの手をぎゅっと握りながら、心の中でそっと誓う。
もう離れない……。
この人たちと一緒に、ずっと……。
そして一行は、里へ向かうため新たな一歩を踏み出した。
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