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第一章 空箱
空箱(1)
しおりを挟む兄が殺されたのは、私が高校二年の時だった。
兄と私の間には十三歳の差がある。
これだけ歳が離れているのは、兄を産んだのは私の母とは別の人であるからだ。
兄の母————つまり、私たちの父の前妻は、兄が小学生なってすぐに他界しており、父は兄が小学生を卒業する前に私の母と再婚したのだ。
その時すでに私は母のお腹の中ですくすくと育っており、十三年という差が生まれた。
中学生だった兄は、私をとても可愛がってくれていて、私は全く覚えていないけれど、オムツを替えてもらったこともあったらしい。
私も優しい兄が大好きだったし、何より顔がいい。
物心ついてから、他の男たちの顔を見て、どこにも兄を超えるイケメンはいないことを知って、とてもがっかりしたものだ。
小さいうちは天使のように可愛らしかった同級生の男の子たちも何人かいたが、中学生になると別人のように誰もが皆不細工に変わってしまったので、私は同級生たちがあの先輩がカッコいいとか、あの先生が素敵だとか、そういう話には全く同意できなかった。
兄を超えるイケメンはこの世にいないのだ。
そこ証拠に、たまに実家に帰って来た兄の姿を目撃した同級生たちが、「あんなイケメン見たことない!」っと、大騒ぎしていた。
それが自分の兄であると気づいた時、どれほど鼻が高くなっていたことだろう。
本当に、自慢してもしきれないほど、完璧な兄であった。
そんな兄が、殺された。
それも、犯人は隣の部屋に住んでいた大学生の女だそうだ。
あの日私は朝いつものように起き、普段と違って私以外誰も家にいないのを少し楽しんでいた。
といっても、学校があるので楽しんでいる時間はわずかなものだった。
もちろん朝食は用意されていないので、シリアルに牛乳を注いでいる最中に、母から電話でその一報を聞いて、膝から崩れ落ちた。
あまりのショックに泣きながら、私はただただ床にぶちまけてしまった牛乳を必死に拭きづづけるしかなかった。
夜中に家の電話が鳴ったことは知っていたし、何やら慌てて父と母がどこかへ出かけたこともわかっている。
兄のところに行って来るというメッセージも夜中に私のスマホに届いていた。
けれど、まさかそんなことが起こるなんて、思いもしなかった。
顔以外の首から下を何箇所も滅多刺しにされ、ひどい状態であったらしい。
あのどこを取っても綺麗だった兄の刺殺体は、とても見せられるものではないかからと、両親は決して私に遺体の体は姿は見せなかった。
私が兄の死体と対面したのは、それから二日後。
念のため行われた司法解剖の後、綺麗に体についた血や汚れを拭き取られ、傷跡を隠すように着させられた白装束の姿。
何度呼びかけても、兄はもう二度と、私の名前を呼ぶことも、頭を撫でてくれることもないのかと思うと本当に悲しくてたまらなかった。
ピアノなんて全く弾けないのに、長くて綺麗な兄の手に触れてみたけれど、あまりに冷たくて、これが本当に私の兄だったのか、人間だったのかも信じられなくなっていた。
女の私よりもずっと色が白くて、お酒を飲むとすぐに赤くなる肌は、黄色く変色ている。
私はもちろん一度も会ったことがないけれど、この白い肌は兄の母がイギリス人だった為らしい。
この時初めて、兄も私と同じ黄色人種だったのだと不思議なことに初めて実感した。
今思えば、兄と過ごした時間はとても短ったものに思える。
十三歳も離れているせいで、私が物心ついた頃にはすでに兄は高校生で、今の私くらいの年齢だった。
大学は実家から少し離れた都心部へ進学し、そこの寮で暮らしていた。
卒業後に最初に就職したのは全国的に有名な大手の食品会社。
でも、二年も経たずにいつの間にか辞めてしまって、すぐに別の会社に再就職を決めていた。
そこも私が中学生の頃に、確か副社長だった人の不祥事で一時期炎上して別の意味で有名なところだけど……
兄はそこで営業の仕事をしていると言っていた。
社長はいい人なのだけど、上層部の社員の頭がどこかおかしいんだとか。
それでも、「あの炎上のおかげで逆に今はだいぶ仕事がしやすくなった」と兄は言っていた。
仕事は充実していたはずだ。
炎上のせいで売り上げが落ちているとしても「他の社員たちはみんないい人ばかりで、仕事は楽しい」とも言っていた。
一方で、プライベートの方は謎のままだった。
隣に住んでいた大学生が、どうして兄を殺したのかその理由もわかっていない。
テレビやネットの記事では、兄の写真が出回ると最初は「こんなイケメンがどうして……」「そんじょそこらの芸能人よりかなりイケメン」だなんて擁護するような声も大きかたけど、「滅多刺しにされるなんて、相当恨まれるようなことをしたんだろう」と、いつの間にか兄への同情の声は、誹謗中傷に変わっていた。
私はそれがとても悔しくて、本当のことを知りたいと思った。
あの兄が、誰かの恨みを買うような、最低な人間だなんて、殺されて当然だなんて思われるような人間だなんて、思いたくなかった。
けれど、兄のことを、私は何も知らないのだと気がついた。
私は家族の前の兄の姿しか、知らない。
優しい兄の姿しか私は知らない。
葬儀には兄の会社の人や学生時代の友人たちもたくさん来ていたけど、その誰もが見たことがない人ばかりだった。
中には子供のように声を上げながら泣いている人もいたのに、私はその人と兄の間にどんな思い出があったのかまるで知らなかった。
葬儀から約一ヶ月後、両親が兄の部屋を片付けに行くというので、私もついて行くことにした。
ちょうど夏休みが始まった頃だった。
両親は殺害現場となった玄関には、血の跡が残っているからと反対されたが、私は看護師を目指していると嘘をついて、血ぐらい平気だと言って押し通した。
私は兄が住んでいたそのアパートには一度も入ったことがなく、兄がどんな生活を送っていたのか、この目で見ておきたいと思ったのだ。
それに逮捕されたその女は、一貫して無実を主張しているという。
私はその女が凶器の包丁を手に持っているところを、アパートの大家さんが呼んで来た警察官が止めて、その場で逮捕されたと聞いている。
決定的な証拠があるというのに、その女は自分は兄の死体を見て、死のうとしていたと供述しているらしい。
自分は殺していない。
兄を殺したのは、別の人間だと。兄の死体を目の前にして、生きている価値が自分にはないと、衝動的にそう思ったそうだ。
事件を担当した刑事さんは女性だった。
彼女も過去に身内を殺害された経験があり、私の姿を自分と重ねてしまい、つい口を滑らせたのをいいことに、私はその同情心に漬け込んで、いろいろなことを聞き出して、両親には内緒で連絡先を交換してた。
兄が住んでいたアパートは、三階建のなんとも微妙なピンク色の外壁の古臭い建物。
大家の向井百子さんは、二階へ上がる錆びついた鉄骨階段の前に、つばの広い淡いピンク色の帽子を被って立っていた。
ボタニカルな柄のミモレ丈のワンピースの裾が風にさらわれて揺れるのを両手で抑えながら……
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