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3 白金の王族
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レイナール・アーノンが王家の養子になることは、産まれてまもなく、定められた。決して、己や父が望んだことではなかった。
母は産後の肥立ちが悪くて亡くなり、彼女を深く愛していた父親は、息子を手放したくないと抵抗した。再婚して他の跡継ぎを、という説得も受け入れず、最終的には謀反の罪を被るか否かという究極の選択を迫られ、泣く泣くレイナールの手を離したのだった。
何代も前にシュニー家から分籍した上で成り立った公爵家というのが、よくなかった。どれほど薄くとも、王家の血を引いている。本当に叛意のある人間たちに担ぎ上げられる可能性があった。
レイナールが望まれたのは、優秀さを買われたわけでも、後継の子どもに恵まれなかったわけでもない。国王夫妻の間には、当時すでに王太子となる男児が誕生し、健やかに育っていた。
レイナールが養子縁組することになったのは、ひとえにその色彩ゆえにだった。
建国以来、長きに渡ってヴァイスブルムの王として君臨するシュニー家。その始祖は、天から遣わされた賢者であったという。
彼は白金の髪と銀の星の瞳を持ち、知によって島を平定し、ヴァイスブルムを建国した。彼が治めるようになった国は、豊穣と繁栄を約束され、民は彼を慕い、幸福に暮らした――建国神話としてはありきたりな話だが、実際、シュニー家には時折、金と銀の色を持つ王子や姫が産まれた。
時代が移り変わるにつれ、次第に始祖の血は薄まっていった。白金の髪と銀星の瞳、いずれか一方を持つ子どもすら、産まれなくなっていた。同時に、王家の求心力も徐々に低下していく。
もちろん、相関関係はない。だが、庶民はもちろん、身分のある人間にも、初代国王は人気が高かった。元は王家の血を引くアーノン家に産まれたレイナールの目が開いたとき、産婆は歓喜にむせび泣いたという。ほわほわと髪が生え始めたときには、アーノン公爵は丸刈りにしようとして、皆に止められたそうだ。
「レイナール。お前の役目を果たせ」
八歳で王家の養子に入ってから、国王とは、数えるほどしか顔を合わせたことがなかった。隣に立つ王太子とは、言葉を交わした記憶すらない。面白くなさそうな顔で、人質としてボルカノに向かうことを命じられたこちらを見下ろしていた。
義弟どころか、親戚という意識も希薄であろう。王太子は、実父・アーノン公爵のことを苦手としている。他国の言語を最低でも三つは習得すべきだという主張を、子どもの頃からないがしろにし続けている彼にとって、公爵はただの口うるさい中年なのだ。
親子、兄弟の情というものを、レイナールも国王たちに対して持ち合わせていなかった。淡々と、跪いたままで頭を下げる。
「謹んで、承ります」
何の感情も籠もらぬ返事をして、レイナールは義家族との今生の別れを済ませた。
十日後には、港からボルカノに向けて出発する。都からは一日半で港町に着くが、さっさと出発するに限る。会いたいのは、実父くらいのもの。友人もいない。
一応、ヴァイスブルムの王宮にもレイナールの私室はある。もう二度と訪れることはない。不要品と持っていくものの分別をしていこうと思い立ち、城の奥へと向かった。
「お兄様!」
ほとんどを不要に振り分けたところで、外からドタバタと足音。淑女にあるまじき轟音とともに扉が開いたと同時の悲痛な呼び声に、レイナールは振り向いた。
「リザベラ」
遅れてやってきた侍女は、諫めようとリザベラの手を引いた。だが、彼女はレイナールから目を逸らさない。涙が溜まり、今にもこぼれ落ちそうになっている。快晴の空の色をしている瞳から雨が降る様は、ありえないからこそ美しかった。
まだ十二歳の、可愛い義妹。唯一、自分のことを兄として敬愛してくれる、愛おしい存在。
国王から、レイナールの処遇を聞いたのだろう。彼女は、眉尻が情けなく下がりそうになるのを必死に堪えて、自分は怒っているのだという顔をする。
「お兄様が行くことないわ。私が……」
「リザベラ」
短く鋭く、レイナールは義妹の名前を呼んだ。びくりと肩を震わせた拍子に、雫が頬を伝う。それでも目を逸らさない強さを、幼いながらにリザベラは身につけている。
だから、大丈夫。自分がいなくても、彼女は立派な王族として、歩んでいける。
レイナールは少し屈んで、リザベラを目を合わせた。
「リザベラ。これは私が産まれたときから定められている、運命なんだ」
白金の王子や姫は、政治に直接携わる者は少なく、祭祀に特化する。歴史上、神殿の長を務める者がいたこともわかっている。ただしそれは、何事もなかったときの話だ。
今回のように、他国に人質として王族を派遣したり、友好的ではない国と政略結婚を執り行う場合、レイナールと同じ、白金の髪と銀星の瞳を持つ者が、優先的に選ばれてきた。
リザベラとて、歴史の指南役から習っているだろう。特に彼女は、レイナールに懐いていたから、いずれ来るかもしれない別れを覚悟させるためにも、何度も説かれていたはずだ。
義理の兄は、敵国に赴くために引き取られてきたと言っても過言ではない、と。
しかしリザベラは、納得がいかないと唇を尖らせる。姫様、と隣の侍女がたしなめても、どこ吹く風で、レイナールを見つめる。
「でも、お兄様。お兄様は幸せの王子でしょう? なのにどうして」
宗教行事の度に表舞台に姿を現し、五穀豊穣を祈る姿から、庶民たちが自分をそう呼んでいるのは、知っていた。
レイナールは首を横に振る。それから妹姫を優しく抱き締めた。
これが今生の別れになる。愛しい義妹。唯一の理解者。二度と会うことはない。
「ボルカノから、君の幸せを祈っているよ」
微笑みは柔らかな拒絶だ。レイナールは、どんなに可愛い義妹の頼みであろうとも、聞き入れることはない。リザベラにも、その強固な意志は伝わった。悲痛な顔をして、いよいよ涙を流しっぱなしになった。
「兄様の、ばか!」
来たときと同様、走り去る彼女を、侍女は追っていく。
そういえばあの侍女、自分には一切構わなかったな。誰も彼もに軽んじられる存在、それが自分だ。
レイナールは無礼を咎めずにふたりを見送り、選り分けた荷物を手に、部屋を出た。
母は産後の肥立ちが悪くて亡くなり、彼女を深く愛していた父親は、息子を手放したくないと抵抗した。再婚して他の跡継ぎを、という説得も受け入れず、最終的には謀反の罪を被るか否かという究極の選択を迫られ、泣く泣くレイナールの手を離したのだった。
何代も前にシュニー家から分籍した上で成り立った公爵家というのが、よくなかった。どれほど薄くとも、王家の血を引いている。本当に叛意のある人間たちに担ぎ上げられる可能性があった。
レイナールが望まれたのは、優秀さを買われたわけでも、後継の子どもに恵まれなかったわけでもない。国王夫妻の間には、当時すでに王太子となる男児が誕生し、健やかに育っていた。
レイナールが養子縁組することになったのは、ひとえにその色彩ゆえにだった。
建国以来、長きに渡ってヴァイスブルムの王として君臨するシュニー家。その始祖は、天から遣わされた賢者であったという。
彼は白金の髪と銀の星の瞳を持ち、知によって島を平定し、ヴァイスブルムを建国した。彼が治めるようになった国は、豊穣と繁栄を約束され、民は彼を慕い、幸福に暮らした――建国神話としてはありきたりな話だが、実際、シュニー家には時折、金と銀の色を持つ王子や姫が産まれた。
時代が移り変わるにつれ、次第に始祖の血は薄まっていった。白金の髪と銀星の瞳、いずれか一方を持つ子どもすら、産まれなくなっていた。同時に、王家の求心力も徐々に低下していく。
もちろん、相関関係はない。だが、庶民はもちろん、身分のある人間にも、初代国王は人気が高かった。元は王家の血を引くアーノン家に産まれたレイナールの目が開いたとき、産婆は歓喜にむせび泣いたという。ほわほわと髪が生え始めたときには、アーノン公爵は丸刈りにしようとして、皆に止められたそうだ。
「レイナール。お前の役目を果たせ」
八歳で王家の養子に入ってから、国王とは、数えるほどしか顔を合わせたことがなかった。隣に立つ王太子とは、言葉を交わした記憶すらない。面白くなさそうな顔で、人質としてボルカノに向かうことを命じられたこちらを見下ろしていた。
義弟どころか、親戚という意識も希薄であろう。王太子は、実父・アーノン公爵のことを苦手としている。他国の言語を最低でも三つは習得すべきだという主張を、子どもの頃からないがしろにし続けている彼にとって、公爵はただの口うるさい中年なのだ。
親子、兄弟の情というものを、レイナールも国王たちに対して持ち合わせていなかった。淡々と、跪いたままで頭を下げる。
「謹んで、承ります」
何の感情も籠もらぬ返事をして、レイナールは義家族との今生の別れを済ませた。
十日後には、港からボルカノに向けて出発する。都からは一日半で港町に着くが、さっさと出発するに限る。会いたいのは、実父くらいのもの。友人もいない。
一応、ヴァイスブルムの王宮にもレイナールの私室はある。もう二度と訪れることはない。不要品と持っていくものの分別をしていこうと思い立ち、城の奥へと向かった。
「お兄様!」
ほとんどを不要に振り分けたところで、外からドタバタと足音。淑女にあるまじき轟音とともに扉が開いたと同時の悲痛な呼び声に、レイナールは振り向いた。
「リザベラ」
遅れてやってきた侍女は、諫めようとリザベラの手を引いた。だが、彼女はレイナールから目を逸らさない。涙が溜まり、今にもこぼれ落ちそうになっている。快晴の空の色をしている瞳から雨が降る様は、ありえないからこそ美しかった。
まだ十二歳の、可愛い義妹。唯一、自分のことを兄として敬愛してくれる、愛おしい存在。
国王から、レイナールの処遇を聞いたのだろう。彼女は、眉尻が情けなく下がりそうになるのを必死に堪えて、自分は怒っているのだという顔をする。
「お兄様が行くことないわ。私が……」
「リザベラ」
短く鋭く、レイナールは義妹の名前を呼んだ。びくりと肩を震わせた拍子に、雫が頬を伝う。それでも目を逸らさない強さを、幼いながらにリザベラは身につけている。
だから、大丈夫。自分がいなくても、彼女は立派な王族として、歩んでいける。
レイナールは少し屈んで、リザベラを目を合わせた。
「リザベラ。これは私が産まれたときから定められている、運命なんだ」
白金の王子や姫は、政治に直接携わる者は少なく、祭祀に特化する。歴史上、神殿の長を務める者がいたこともわかっている。ただしそれは、何事もなかったときの話だ。
今回のように、他国に人質として王族を派遣したり、友好的ではない国と政略結婚を執り行う場合、レイナールと同じ、白金の髪と銀星の瞳を持つ者が、優先的に選ばれてきた。
リザベラとて、歴史の指南役から習っているだろう。特に彼女は、レイナールに懐いていたから、いずれ来るかもしれない別れを覚悟させるためにも、何度も説かれていたはずだ。
義理の兄は、敵国に赴くために引き取られてきたと言っても過言ではない、と。
しかしリザベラは、納得がいかないと唇を尖らせる。姫様、と隣の侍女がたしなめても、どこ吹く風で、レイナールを見つめる。
「でも、お兄様。お兄様は幸せの王子でしょう? なのにどうして」
宗教行事の度に表舞台に姿を現し、五穀豊穣を祈る姿から、庶民たちが自分をそう呼んでいるのは、知っていた。
レイナールは首を横に振る。それから妹姫を優しく抱き締めた。
これが今生の別れになる。愛しい義妹。唯一の理解者。二度と会うことはない。
「ボルカノから、君の幸せを祈っているよ」
微笑みは柔らかな拒絶だ。レイナールは、どんなに可愛い義妹の頼みであろうとも、聞き入れることはない。リザベラにも、その強固な意志は伝わった。悲痛な顔をして、いよいよ涙を流しっぱなしになった。
「兄様の、ばか!」
来たときと同様、走り去る彼女を、侍女は追っていく。
そういえばあの侍女、自分には一切構わなかったな。誰も彼もに軽んじられる存在、それが自分だ。
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