白金の花嫁は将軍の希望の花

葉咲透織

文字の大きさ
7 / 25

7 肖像と動揺

しおりを挟む
 寝る支度をすべて済ませたレイナールは、蝋燭と窓から差し込む月明かりの下、机に向かい、筆を走らせていた。

 白い便箋は、瞬く間に埋まっていく。実父とリザベラに向けた手紙は、書き上げたところで、投函するわけにもいかない。講和条約を結んだとはいえ、決して友好国ではない。連絡を取ろうとすれば、間諜だと処罰されるのは、わかりきっていた。

 出すあてのない手紙を前に、レイナールは小さく溜息をついた。揺らめく火を見つめて、ぼんやりとする。

 今日は怒濤の一日だった。

 サムがぎっくり腰で倒れて、ジョシュアの祖父・前侯爵のアルバートが現れた。そしてなぜかジョシュアはアルバートとレイナールが親しくしていることに、怒りを覚えている様子だ。

 アルバートは紳士的で、風流人だ。けれどそれだけじゃなく、グェイン家の当主として、ボルカノ軍でも活躍をしていた。国から授与された勲章も、たくさん持っている。

 ジョシュアは祖父を尊敬し、愛している。だから、アルバートにぽっと出のレイナールが構われている図が、面白くないのかもしれない。

 アルバートは孫に責め立てられても、何食わぬ涼しい顔で受け流していた。年の功、とはよく言ったもので、はらはらと成り行きを見守ることしかできないレイナールに向けて、片目を瞑って合図をしてみせる、茶目っ気があった。もちろん、ジョシュアはそれを見咎めて、さらに口うるさくなる。

 本当の祖父の顔を、レイナールは知らない。実祖父母は父方、母方ともに、物心ついたときにはすでに亡くなっていた。甘える対象は父しかおらず、それも八歳の誕生日までのこと。王宮や神殿での生活は、常に孤独で、緊張を強いられていた。

 アルバートは、レイナールのことを本当の孫のように扱おうとする。いろいろな知識があり、導いてくれる。嬉しいが、ジョシュアのあの剣幕を見てしまうと、調子に乗ってはいけないと思いなおす。

 自らを戒めて、レイナールは再び筆を執った。インクにペンを浸し、紙に押し当てたところで、小さなノックの音が、コツコツ。

 驚いて、紙に滲んでしまった。せっかくきれいに書けていたのに、やり直しだ。

 苛立った自分自身に、苦笑した。

 馬鹿だな。どうせ出せずに、このまま引き出しの中にしまうんだから、書き損じも何もないのに。

 焦れたように、先ほどよりも素早いノックの音がした。

「はい」

 レイナールが返事をすると、「俺だ。開けても構わないか?」と、ジョシュアの声がする。

 急いで扉を開けると、シャツにスラックスという格好のジョシュアが現れた。ジャケットがないから部屋着なのかもしれない。だが、自分だけが寝間着のだらしない姿であることに気づいて、気後れしてしまうが、もはやどうしようもなかった。

「ジョシュア様。何かご用ですか?」

 問いかけに、彼は不意に視線を逸らした。国王相手であっても、敬意を払いつつも臆することのない将軍が、なぜか今は、少しだけ頼りなく感じた。

「ジョシュア様?」
「その……アンディのところから、葡萄酒をくすねてきた」
「はい?」

 確かに手には、瓶と器――夕食時に出てくる、薄いガラス製のものではない。木をくりぬき、つるつるになるまで磨き上げたそれは、庶民にも手が出せるものだ――が握られているが、いったいどういうことだろう。

「その、一緒に飲まないか?」
「お酒……」

 神殿でも葡萄酒は出てくるが、それは人間のためのものではなく、神に捧げるためのものだ。神を模した像の根元に注ぎ、杯に残った一口分を、神からの分け前としていただく。

 だからレイナールは、自分の楽しみのために、酒を飲んだことが一度もなかった。

「お酒……」
「なんだ、初めてか?」

 こくりと頷いたレイナールのコップに、ジョシュアは少しだけ、葡萄酒を注いだ。

「お高くとまった貴族どもは、やれどこそこ産の葡萄で作ったものじゃなきゃいかんなどと言うが、こういう、庶民が飲むようなのも、捨てたものじゃない」

 いつもより饒舌なのは、すでに彼が、酒を飲んでいるからかもしれない。

「乾杯」
「か、乾杯」

 杯をお互いに軽く上げて、レイナールはおっかなびっくり、口をつけた。口当たりはまろやかで、思ったよりも飲みやすい。生の葡萄とは違う、芳醇な香りが胃まで満たす。酒精が喉の奥で、じわりと熱を生んだ。

 注がれた一杯目をぺろりと飲み干したレイナールに、ジョシュアは「いける口だな」と、おかわりを注いだ。今度は普通に一杯分だ。

 夜更けに持参した酒を酌み交わそうというのは、気まぐれの思いつきではない。たいてい、ふたりで酒を飲む場面は、何か話をしたいときと相場は決まっている。経験こそないが、酒精は人の口をなめらかにする効果があるらしい。

 ジョシュアはきっと、自分自身にその効果を期待している。ならば自分にできるのは、彼の話を促し、聞いてあげることだ。

「ジョシュア様。何かお話があるのではないですか?」

 遠回しな言葉は、きっと彼には煩わしいことだろう。レイナールは直球で投げかけた。ジョシュアは戸惑ったように、杯から口を離したが、やがて、

「俺も」

 と、小さく零した。

「俺も、レイと呼んでいいだろうか?」

 それが、昼間の話の続きであることに気がついて、レイナールは目を数度、瞬かせた。即答できなかったことを、ジョシュアは悪い方に取る。

「嫌なら、今まで通りで構わないのだが……」
「あ、いいえ。ぜひ、レイとお呼びください」

 愛称で呼んでくれたのは、アルバートに続いて二人目になる。実父ですら、王の養子になる定めの息子を、「レイ」と呼んではくれなかった。

「レイ」

 呼び方が変わっただけなのに、心の距離がずっと近づいた気がする。

「はい」

 自分の気のせいではなく、ジョシュアもまた、口元を緩め、レイナールの名前を唱える。

「レイは、こんな夜遅くまで何をしていたんだ?」
「私は……」

 ちらりと机の上の手紙を見やる。表になったままの便箋を、ごく自然な動作で裏返そうとしたが、ジョシュアの目に留まってしまう。

「手紙を」

 彼に頼めば、検閲次第で実父と義妹に、自分がボルカノで平穏に暮らしているという報告くらいは、できるだろうか。

 そんな期待を込めて言いかけたところで、レイナールは、ジョシュアの意識が自分の手元の紙に向けられていないことに気がついた。

 目をカッと見開いた様子は、鬼気迫るものがあった。戦場ではいつも、こんな顔をしているのかもしれない。

 だが、ここは彼の家で、一緒にいるのはレイナールだ。そんな顔をされるいわれはなく、レイナールは後ずさった。ぽかぽかとほろ酔い気分だったのが、スッと冷めていく。

「ジョシュア様?」

 彼の視線の先にあるものは、額縁だった。ヴァイスブルム王家の末の花、リザベラ王女の肖像画に、ジョシュアは釘づけになっている。

 なぜか、心臓のあたりが不快だと訴えかけてくる。リザベラはまだ幼いが、各国にその可憐さ、美しさは伝わっており、婚約の申し込みも引く手数多の状態だ。

 ジョシュアが思わず見惚れてしまっても、おかしくはない。

 そう、頭では理解しているのだ。どんな男だって、リザベラの愛らしさに惹かれずにはいられないのだ。赤ん坊の頃から見知っているレイナールだって、彼女の美貌には、はっと目を瞠る。

「これは……」

 小さな額縁を持って、ジョシュアは問いかける。力が入りすぎて、指がぶるぶると震えている。壊される不安を覚えたレイナールは、彼の手から、すっと姿絵を回収する。

「ヴァイスブルムが姫、リザベラ・シュニーの肖像画です。私の義妹ですね」
「いもうと……?」
「ええ。もう十二歳になのですが、可愛いんですよ」

 さりげなく机の上に戻したところで、ジョシュアの目は、レイナールに向けられた。

 ボルカノの謁見の間で初めてその視線にさらされたときは、恐ろしい以外の感想は浮かばなかった。痛みこそないが、突き刺されるのと同じ鋭さを伴った目を、しかし、今のレイナールは、なぜか安堵とともに受け入れている。短い時間でも、慣れるものである。

「ヴァイスブルムには、姫はこのひとりだけか?」
「ええ」
「姫の髪と目は、この色のままか? お前と同じ髪と目の人間は、ヴァイスブルムにはいないのか?」

 レイナールは絵をちらりと確認して、頷いた。太陽を照り返す小麦の金色の髪に、空の青さをそのまま写し取った澄んだ瞳は、下手な装飾品が負けてしまうような華やかさである。

 ジョシュアは「そうか……そうだったのか……年齢を考えれば、最初から気づいてしかるべきだった……」と、ぶつぶつ訳のわからないことを言い始めた。

「あの、ジョシュア様……?」

 ためらいがちにかけた声は、ジョシュアには聞こえていない。葡萄酒の瓶をそのままに、彼はふらふらと、レイナールの使っている客間を出て行ってしまった。

「なんだったんだろう……?」

 初めての飲酒の酔いはすっかり覚めきって、取り残されたレイナールは、呆然とするほかなかった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

同室のアイツが俺のシャワータイムを侵略してくるんだが

カシナシ
BL
聞いてくれ。 騎士科学年一位のアイツと、二位の俺は同じ部屋。これまでトラブルなく同居人として、良きライバルとして切磋琢磨してきたのに。 最近のアイツ、俺のシャワー中に絶対入ってくるんだ。しかも振り向けば目も合う。それとなく先に用を済ませるよう言ったり対策もしてみたが、何も効かない。 とうとう直接指摘することにしたけど……? 距離の詰め方おかしい攻め × 女の子が好きなはず?の受け 短編ラブコメです。ふわふわにライトです。 頭空っぽにしてお楽しみください。

婚約破棄と国外追放をされた僕、護衛騎士を思い出しました

カシナシ
BL
「お前はなんてことをしてくれたんだ!もう我慢ならない!アリス・シュヴァルツ公爵令息!お前との婚約を破棄する!」 「は……?」 婚約者だった王太子に追い立てられるように捨てられたアリス。 急いで逃げようとした時に現れたのは、逞しい美丈夫だった。 見覚えはないのだが、どこか知っているような気がしてーー。 単品ざまぁは番外編で。 護衛騎士筋肉攻め × 魔道具好き美人受け

兄様の親友と恋人期間0日で結婚した僕の物語

サトー
BL
スローン王国の第五王子ユリアーネスは内気で自分に自信が持てず第一王子の兄、シリウスからは叱られてばかり。結婚して新しい家庭を築き、城を離れることが唯一の希望であるユリアーネスは兄の親友のミオに自覚のないまま恋をしていた。 ユリアーネスの結婚への思いを知ったミオはプロポーズをするが、それを知った兄シリウスは激昂する。 兄に縛られ続けた受けが結婚し、攻めとゆっくり絆を深めていくお話。 受け ユリアーネス(19)スローン王国第五王子。内気で自分に自信がない。 攻め ミオ(27)産まれてすぐゲンジツという世界からやってきた異世界人。を一途に思っていた。 ※本番行為はないですが実兄→→→→受けへの描写があります。 ※この作品はムーンライトノベルズにも掲載しています。

待て、妊活より婚活が先だ!

檸なっつ
BL
俺の自慢のバディのシオンは実は伯爵家嫡男だったらしい。 両親を亡くしている孤独なシオンに日頃から婚活を勧めていた俺だが、いよいよシオンは伯爵家を継ぐために結婚しないといけなくなった。よし、お前のためなら俺はなんだって協力するよ! ……って、え?? どこでどうなったのかシオンは婚活をすっ飛ばして妊活をし始める。……なんで相手が俺なんだよ! **ムーンライトノベルにも掲載しております**

王女が捨てた陰気で無口で野暮ったい彼は僕が貰います

卯藤ローレン
BL
「あなたとの婚約を、今日この場で破棄いたします!」――王宮の広間に突然響いた王女の決別宣言。その言葉は、舞踏会という場に全く相応しくない地味で暗い格好のセドリックへと向けられていた。それを見ていたウィリムは「じゃあ、僕が貰います!」と清々しく強奪宣言をした。誰もが一歩後ずさる陰気な雰囲気のセドリック、その婚約者になったウィリムだが徐々に誤算が生じていく。日に日に婚約者が激変していくのだ。身長は伸び、髪は整えられ、端正な顔立ちは輝き、声変わりまでしてしまった。かつての面影などなくなった婚約者に前のめりで「早く結婚したい」と迫られる日々が待っていようとは、ウィリムも誰も想像していなかった。 ◇地味→美男に変化した攻め×素直で恐いもの知らずな受け。

結婚間近だったのに、殿下の皇太子妃に選ばれたのは僕だった

BL
皇太子妃を輩出する家系に産まれた主人公は半ば政略的な結婚を控えていた。 にも関わらず、皇太子が皇妃に選んだのは皇太子妃争いに参加していない見目のよくない五男の主人公だった、というお話。

聖女ではないので、王太子との婚約はお断りします

カシナシ
BL
『聖女様が降臨なされた!』 滝行を終えた水無月綾人が足を一歩踏み出した瞬間、別世界へと変わっていた。 しかし背後の女性が聖女だと連れて行かれ、男である綾人は放置。 甲斐甲斐しく世話をしてくれる全身鎧の男一人だけ。 男同士の恋愛も珍しくない上、子供も授かれると聞いた綾人は早々に王城から離れてイケメンをナンパしに行きたいのだが、聖女が綾人に会いたいらしく……。 ※ 全10話完結 (Hotランキング最高15位獲得しました。たくさんの閲覧ありがとうございます。)

[離婚宣告]平凡オメガは結婚式当日にアルファから離婚されたのに反撃できません

月歌(ツキウタ)
BL
結婚式の当日に平凡オメガはアルファから離婚を切り出された。お色直しの衣装係がアルファの運命の番だったから、離婚してくれって酷くない? ☆表紙絵 AIピカソとAIイラストメーカーで作成しました。

処理中です...