16 / 66
第四章 芯 奥
芯 奥 (四)
しおりを挟む
堺の湊まで延々と続く道には、船大工や鉄砲鍛冶、鋳物師などの工房や民家が建ち並び、人混みで賑わう大通りには、異国の椅子や円卓や茶器や敷布、物珍しい品々を商う店が目立った。そういえば幼少の頃、茶屋四郎次郎どのが岡崎の城に季節の変り目ごとに届けてくれた珍奇な物も、この堺で手に入れたものだったかもしれない。
三河のように閉じられた世界では決して見ることのできない、拡がりの連鎖のようなものを実感させられた。
茶をふるまう店の前の横長の木椅子に腰をおろした。
潮のにおいと人のにおいが、ほどよいあんばいで混じっては風にのって通り過ぎていった。久方ぶりに爽やかな気分になって、
「船ならば、いつでも、どこへでも、好きなときに行ける……」
と、つぶやいていた。
すると、隣に腰掛けていた嘉兵衛が、叱咤を含んだ口調で喋り出した。
「……それは、海の怖さというものを知らない者の謂いでございましょうなあ。所詮は人や物を運ぶ道具にしかすぎませぬ。……しかも、海の上では、飲み水が欠かせませぬ、ところが、夏の日差しは水を腐らせてしまいます。それで腹をこわし……あっけないほどに人は死ぬるのでございます。五月、六月ともなれば、桶に溜めた水は、ほんの二日、三日で腐ってしまいますから……」
水や食糧を腐らせずに保存する知恵こそが大事だ、と嘉兵衛は強調する。それには現地調達に勝るものはないという。島影が見えるたびに船をつけ、小高い山を登って湧水や滝を探すのだそうである。食糧は島民から奪い取る……
「……そのうちに互いに知恵を出し合うようになります、密約のようなものでございますよ。船が来たりなば、島民は水も食糧も寝床も提供する代わりに、他の海賊から守ってもらう、珍しい異国の品々も譲ってもらう……というような約束事でございます。互いに殺し合うより、よほど好ましい……そのうちに島の女と海の男の間に児が産まれ……児らの一人は大海に出て、もう一人は島に残り……こうして、強い絆がつくられていく……」
なるほどそういうものかと、漠然とながら合点した。
いや理解できたといえば嘘になるけれど、そういう人の営みのありようというものが、おぼろげにも判りかけてきたような気がした。
こちらが口を開こうとしたとき、嘉兵衛が通りのずっと奥の大木の方角を指差した。
潮風避けに並んで植えられた松の木だろうか。
「あれをご覧じられませ。枝が揺れておりましょう……あれは、佐助でございますよ。遠目が効きますので、ああやって、姫様に害を及ぼす輩が、いまかいまかと見張っているのでございましょう」
そう言われても、そこからでは大きな鳥のようにしか見えなかった。嘉兵衛が逆の方を向いて、人混みの中で道脇に佇んでこちらを窺っている人物を指差した。
「や!」
思わず声を挙げそうになった。熊蔵が照れながら、視線の遣り場に困っていた。
すると、コホンと咳払いした嘉兵衛が真顔になってわたしを見た。いよいよ、このわたしにどんな役割を担わそうとしているのか告げてくれるのだろう。
黙って頷き嘉兵衛の言葉を待った。
「……姫様には、松永弾正様の城に赴いていただきます」
松永弾正!
名を耳にした途端、くらくらと宙に浮いてしまいそうになってしまった。
その悪名は、三河にまで轟いていた。
十三代将軍足利義輝公を弑逆した男。
東大寺大仏殿を焼き払った男。
信長様と戦い、敗れて後、信長様の麾下に列した老練の武将。
驚いているわたしに追い討ちをかけるように、嘉兵衛は淡々とした口調で続けた。
「……姫様には、明国の皇女、秀華姫に扮していただくことになりましょう……」
三河のように閉じられた世界では決して見ることのできない、拡がりの連鎖のようなものを実感させられた。
茶をふるまう店の前の横長の木椅子に腰をおろした。
潮のにおいと人のにおいが、ほどよいあんばいで混じっては風にのって通り過ぎていった。久方ぶりに爽やかな気分になって、
「船ならば、いつでも、どこへでも、好きなときに行ける……」
と、つぶやいていた。
すると、隣に腰掛けていた嘉兵衛が、叱咤を含んだ口調で喋り出した。
「……それは、海の怖さというものを知らない者の謂いでございましょうなあ。所詮は人や物を運ぶ道具にしかすぎませぬ。……しかも、海の上では、飲み水が欠かせませぬ、ところが、夏の日差しは水を腐らせてしまいます。それで腹をこわし……あっけないほどに人は死ぬるのでございます。五月、六月ともなれば、桶に溜めた水は、ほんの二日、三日で腐ってしまいますから……」
水や食糧を腐らせずに保存する知恵こそが大事だ、と嘉兵衛は強調する。それには現地調達に勝るものはないという。島影が見えるたびに船をつけ、小高い山を登って湧水や滝を探すのだそうである。食糧は島民から奪い取る……
「……そのうちに互いに知恵を出し合うようになります、密約のようなものでございますよ。船が来たりなば、島民は水も食糧も寝床も提供する代わりに、他の海賊から守ってもらう、珍しい異国の品々も譲ってもらう……というような約束事でございます。互いに殺し合うより、よほど好ましい……そのうちに島の女と海の男の間に児が産まれ……児らの一人は大海に出て、もう一人は島に残り……こうして、強い絆がつくられていく……」
なるほどそういうものかと、漠然とながら合点した。
いや理解できたといえば嘘になるけれど、そういう人の営みのありようというものが、おぼろげにも判りかけてきたような気がした。
こちらが口を開こうとしたとき、嘉兵衛が通りのずっと奥の大木の方角を指差した。
潮風避けに並んで植えられた松の木だろうか。
「あれをご覧じられませ。枝が揺れておりましょう……あれは、佐助でございますよ。遠目が効きますので、ああやって、姫様に害を及ぼす輩が、いまかいまかと見張っているのでございましょう」
そう言われても、そこからでは大きな鳥のようにしか見えなかった。嘉兵衛が逆の方を向いて、人混みの中で道脇に佇んでこちらを窺っている人物を指差した。
「や!」
思わず声を挙げそうになった。熊蔵が照れながら、視線の遣り場に困っていた。
すると、コホンと咳払いした嘉兵衛が真顔になってわたしを見た。いよいよ、このわたしにどんな役割を担わそうとしているのか告げてくれるのだろう。
黙って頷き嘉兵衛の言葉を待った。
「……姫様には、松永弾正様の城に赴いていただきます」
松永弾正!
名を耳にした途端、くらくらと宙に浮いてしまいそうになってしまった。
その悪名は、三河にまで轟いていた。
十三代将軍足利義輝公を弑逆した男。
東大寺大仏殿を焼き払った男。
信長様と戦い、敗れて後、信長様の麾下に列した老練の武将。
驚いているわたしに追い討ちをかけるように、嘉兵衛は淡々とした口調で続けた。
「……姫様には、明国の皇女、秀華姫に扮していただくことになりましょう……」
0
あなたにおすすめの小説
戦国九州三国志
谷鋭二
歴史・時代
戦国時代九州は、三つの勢力が覇権をかけて激しい争いを繰り返しました。南端の地薩摩(鹿児島)から興った鎌倉以来の名門島津氏、肥前(現在の長崎、佐賀)を基盤にした新興の龍造寺氏、そして島津同様鎌倉以来の名門で豊後(大分県)を中心とする大友家です。この物語ではこの三者の争いを主に大友家を中心に描いていきたいと思います。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~
古道 庵
歴史・時代
「母を、自由を、そして名前すらも奪われた。それでも俺は――」
天正十年、第六天魔王・織田信長は本能寺と共に炎の中へと消えた――
信長とその嫡男・信忠がこの世を去り、残されたのはまだ三歳の童、三法師。
清須会議の場で、豊臣秀吉によって織田家の後継とされ、後に名を「秀信」と改められる。
母と引き裂かれ、笑顔の裏に冷たい眼を光らせる秀吉に怯えながらも、少年は岐阜城主として時代の奔流に投げ込まれていく。
自身の存在に疑問を抱き、葛藤に苦悶する日々。
友と呼べる存在との出会い。
己だけが見える、祖父・信長の亡霊。
名すらも奪われた絶望。
そして太閤秀吉の死去。
日ノ本が二つに割れる戦国の世の終焉。天下分け目の関ヶ原。
織田秀信は二十一歳という若さで、歴史の節目の大舞台に立つ。
関ヶ原の戦いの前日譚とも言える「岐阜城の戦い」
福島正則、池田照政(輝政)、井伊直政、本田忠勝、細川忠興、山内一豊、藤堂高虎、京極高知、黒田長政……名だたる猛将・名将の大軍勢を前に、織田秀信はたったの一国一城のみで相対する。
「魔王」の血を受け継ぐ青年は何を望み、何を得るのか。
血に、時代に、翻弄され続けた織田秀信の、静かなる戦いの物語。
※史実をベースにしておりますが、この物語は創作です。
※時代考証については正確ではないので齟齬が生じている部分も含みます。また、口調についても現代に寄せておりますのでご了承ください。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる