早川 翠

早川 翠

若い頃は漫画家を志していましたが、絵の才能がなく断念。その後派遣社員をしながら、文章の書き方や物語の構成方法などを手探りで学習し、今は趣味で自作の小説を書いています。

平清盛の祖先・・・都市伝説界隈で有名な『平将門』について

9月19日に、小説「兵どもが夢の跡 第一章 出生の秘密 その4」を投降しました。
今回、自作の小説にちなんで「平清盛の祖先・・・都市伝説界隈で有名な『平将門』について」の小話を紹介します。

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平清盛の先祖をたどると桓武天皇まで遡ります。彼が名乗っている「平」という姓は、桓武天皇のひ孫の高望王が皇族の身分を離れた時に与えられた姓を引き継いでいるのです。

その高望王の三男、平良将の息子として西暦903年頃生まれたのが「平将門」です。

将門公といえば謀反をおこして朝廷から討伐された時の強力な怨念が、時代を超えた今でも東京の大手町に鎮座する彼の首塚に宿っているという都市伝説は、未だにネットやニュースなどで頻繁に拡散されていますよね。

よく話題に取り上げられるのが、関東大震災後に大蔵省の仮庁舎を建設しようとした時と、戦後にGHQが駐車場を建設しようとした時の二度にわたって、将門公の首塚を取り壊そうとしたけれども、いずれも仮庁舎の職員や、駐車場の工事関係者らが急死するなど、不可解な事件が頻発したため、将門公の祟りなのではという噂が広がり、二度とも計画が頓挫したという逸話です。

あまりにも有名なので、ご存知の方も多いのではないでしょうか?


実はこの怨霊伝説のカラクリとしては、将門公の首塚の撤去を快く思っていなかった地元の人たちが、不幸な事故が起こったタイミングで、ここぞとばかりに祟りの噂を広めていった事が、図らずとも工事中止につながっていったのではないかとする説が有力です。


彼は、朝廷では反乱を起こした首謀者とされながらも、関東一帯の地域においては、英雄として多くの人々からの崇敬を集めているという一面があるため、昔から、彼の塚を守るための苦肉の策として、祟りの噂を流し続けてきた名残が、現代の都市伝説に引き継がれていったのかも知れません。

それでは次回の更新の時にまたお会いしましょう。

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登録日 2026.09.20 08:55

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