早川 翠

早川 翠

若い頃は漫画家を志していましたが、絵の才能がなく断念。その後派遣社員をしながら、文章の書き方や物語の構成方法などを手探りで学習し、今は趣味で自作の小説を書いています。

実は関東にとてつもない経済圏を築いていた!!平将門公の功績について

10月3日に、小説「兵どもが夢の跡  第一章 出生の秘密 その6」を投降しました。
今回、自作の小説にちなんで「実は関東にとてつもない経済圏を築いていた!!平将門公の功績について」の小話を紹介します。

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平将門公は西暦903年頃に桓武天皇の後孫である平良将の息子として、常陸国相馬郡(現在の茨城県守谷市)で生まれたと伝えられています。

15歳になった頃、官位を得るために平安京に出て、右大臣の藤原忠平に仕えながら滝口の衛士という役職についていました。

彼はそこで検非違使になる事をめざして、12年間ほど在京していましたが、重要な役職は権力者が独占していて出世の望みがなかった所に、父平良将の急逝の知らせが届いたため、生まれ故郷である相馬郡一帯の荘園を管理する役人として帰郷する事になりました。

ところが帰郷先では、父親の領土のほとんどを伯父たちによって奪われていたため、本拠地を鎌輪之宿(現在の茨城県下妻市)に移した後、辺り一面の荒野を一から開墾し、新たな田園作りを行いました。

彼はそこで積極的に灌漑事業を行ったり、鉄製の鍬や鋤などの農機具を製造して、地元の農民たちに与えていたため、農業生産高が爆発的に向上していきました。

彼が開墾したと伝わっている場所は、今の千葉県北西部から、茨城県の南西部に渡る、広大な範囲に及びます。

土地が豊かになってくると盗賊達から財産を守るための自衛手段も必要になってきます。

彼は自分が所有していた広大な牧場から、軍馬の供給と騎馬隊の訓練を行い、隊員たちには鉄製の鎧や、鉄の矢尻が付いた弓矢、太刀など、殺傷能力の優れた武器を持たせていました。

関東一帯の荒れ地を開墾し、田園、鉄、牧場、軍団とまさに比類ないほどの経済力をもたらした将門は、地元住民から一躍英雄として慕われるようになりました。

さらに京での仕官時代に律令法の専門知識を身に着けていた将門は、住民たちから土地にまつわるさまざまなトラブルの仲裁役として頼られるようになっていったのですが、一方で彼のバックボーンである強大な経済力と軍事力に脅威を感じた親戚連中からの、様々な攻撃に苦しめられることになるのでした。

今回は一旦ここまでにして、次回に続きをお話しします。
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登録日 2026.10.05 08:41

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