はじまりは親族間の諍いだった!!将門公が謀反人として処刑されるまで その1
10月10日に、小説「兵どもが夢の跡 第一部 ~鞍馬天狗の化身 編~ 第2章 鞍馬寺 その1」を投降しましたので、お時間のある時にぜひご覧ください。
今回は、新天地で次々と新たな土地を開墾し、地域住民から英雄として崇敬されていった将門が、なぜ朝廷から謀反人として処刑されてしまったのか・・・。彼の生涯を振り返りながらその謎に迫っていきたいと思います。
事の発端は、将門の正室の父親である「平真樹」という者が、「源護」という者と、所領をめぐって争っていたことがきっかけでした。
平真樹は、その当時急速に勢力を伸ばしてきた自分の娘婿である将門を頼って、源譲との争いを有利に進めようと目論見ましたが、源譲の方は、正攻法では勝てないという焦りがあったため、将門が平真樹の所に向かう途中を狙って、自分の3人の息子達に彼を急襲させました。
将門は奮闘の結果、3人の息子達を討ち取った後、その勢いのまま、源譲の本拠地を焼き討ちにし、伯父の国香を焼死させました。
この事で将門との徹底抗戦を決めた源譲は、今度は平良正、良正の兄の良兼、将門によって殺された国香の息子である資盛との連合軍を形成し、将門を襲撃する事にしましたが、合戦が始まると、将門軍が親族連合軍に奇襲をかけて撃破したため、彼らは下野国(現在の栃木県)の国府に逃げ込みました。
これ以上国府を攻撃するのは分が悪いと考えた将門は、追撃の手をゆるめて、役人と交渉の末、自らの正当性を認めさせたうえで陣を解き帰国しました。
源譲は今度は将門を謀反人として朝廷に訴える手段に出ました。将門は捕らえられて尋問を受けましたが、半年後に朱雀天皇の元服による恩赦のため帰国が許されています。
良兼らの連合軍は、将門に更なる攻撃を仕掛けましたが、戦の際に、「常羽御厨」という将門が朝廷に管理を任されていた牧場を焼き払ったので、将門は彼らを朝廷に訴え、追討令の発布にこぎつけました。
その後は終始有利に戦う事が出来た将門軍が、最終的には良兼を筑波山中に追いやって、その3年後に良兼が病死した事で、親族連中の勢力は衰えていきました。
この一連の戦によって将門軍の実力と名声が関東一帯に轟きましたが、将門に父を殺され強い恨みをもっていた資盛によって、新たな災いの種が引き起こされるのでした。
今回は、新天地で次々と新たな土地を開墾し、地域住民から英雄として崇敬されていった将門が、なぜ朝廷から謀反人として処刑されてしまったのか・・・。彼の生涯を振り返りながらその謎に迫っていきたいと思います。
事の発端は、将門の正室の父親である「平真樹」という者が、「源護」という者と、所領をめぐって争っていたことがきっかけでした。
平真樹は、その当時急速に勢力を伸ばしてきた自分の娘婿である将門を頼って、源譲との争いを有利に進めようと目論見ましたが、源譲の方は、正攻法では勝てないという焦りがあったため、将門が平真樹の所に向かう途中を狙って、自分の3人の息子達に彼を急襲させました。
将門は奮闘の結果、3人の息子達を討ち取った後、その勢いのまま、源譲の本拠地を焼き討ちにし、伯父の国香を焼死させました。
この事で将門との徹底抗戦を決めた源譲は、今度は平良正、良正の兄の良兼、将門によって殺された国香の息子である資盛との連合軍を形成し、将門を襲撃する事にしましたが、合戦が始まると、将門軍が親族連合軍に奇襲をかけて撃破したため、彼らは下野国(現在の栃木県)の国府に逃げ込みました。
これ以上国府を攻撃するのは分が悪いと考えた将門は、追撃の手をゆるめて、役人と交渉の末、自らの正当性を認めさせたうえで陣を解き帰国しました。
源譲は今度は将門を謀反人として朝廷に訴える手段に出ました。将門は捕らえられて尋問を受けましたが、半年後に朱雀天皇の元服による恩赦のため帰国が許されています。
良兼らの連合軍は、将門に更なる攻撃を仕掛けましたが、戦の際に、「常羽御厨」という将門が朝廷に管理を任されていた牧場を焼き払ったので、将門は彼らを朝廷に訴え、追討令の発布にこぎつけました。
その後は終始有利に戦う事が出来た将門軍が、最終的には良兼を筑波山中に追いやって、その3年後に良兼が病死した事で、親族連中の勢力は衰えていきました。
この一連の戦によって将門軍の実力と名声が関東一帯に轟きましたが、将門に父を殺され強い恨みをもっていた資盛によって、新たな災いの種が引き起こされるのでした。
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登録日 2026.10.13 08:39
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