たとえ愛がなくても、あなたのそばにいられるのなら

魚谷

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 アーサーは愛馬と共に、獲物を探して森の小径を進んでいた。
 狩猟祭の評価基準は獲物の大きさと希少性。
 希少性と大きさならば、希少性に軍配が上がる。
 だから闇雲に獲物を捕まえればいいという訳でもなかった。
 制限時間は日没まで。
 考えることはクリフォードのこと。あいつは本気でハイネを狙っている。
 兄とは犬猿の仲だからこそ、兄が愛し、そして愛しているハイネを我が物にして溜飲を下げたいのか。

(……俺も同じ穴の狢だな)

 だがいざ契約結婚でハイネを自分の物にした今、溜飲が下がるどころか、同じ時間を共有すればするほど愛情が存在しない関係に、狂おしさばかり募っていく。
 誰よりも愛しているはずなのに、その愛が伝わらない事実に悩ましさが募り、八つ当たりするようにハイネに辛く接し、そのたびに自己嫌悪を覚えてしまう。
 いっそ手放せればどれだけ楽だろうとも思うが、そんなことは考えられない。
 その時、藪の奥で、白いものが見え、はっとした。

(白獣か)

 野生動物の中には稀に雪のように真っ白な毛並みの個体が生まれることがあった。これを白獣と言って、その怪我は優先的に王室に献上されるほどに珍重されている。
 アーサーは馬腹を蹴り、藪の中へ入っていく。
 遠ざかっていこうとする藪の動きを頼りに弓を構える。
 相手はかなりすばしっこい。
 その時、シュッ、と風切り音が背後から聞こえた。

「っ!」

 アーサーは剣を抜き、自分に向かってきた矢を叩き落とす。
 矢は一本だけではない。
 他の参加者の誤射ではなく、明らかにアーサーを狙っている。
 激しい体の動きでまだ完全には治りかけていない脇腹に刺すような痛みが走ったが、奥歯を噛みしめてこらえた。
 愛馬をけしかけ矢の放たれた方角に向かう。
 そこには農民と思しき男たちが二人いた。
 しかしその目つきは素人のそれではない。
 踵を返して逃げようとする男を背後から斬りつけ、さらにもう一人の背中に剣を投げた。 剣は吸いこまれるように男を貫く。
 馬から下り、倒れた男たちを蹴る。二人とも事切れていた。
 身辺を探るが、男たちの素性を明らかにするものは見つからなかった。
 男たちのは手には、明らかな剣だこができている。

(騎士、いや……盗賊……?)

 男たちが腰に下げた短剣を手に取り、鞘から抜き、刃を日射しへさらす。

(毒、か)

 可能性で一番高いのは、暗殺者。

(こいつら、俺の命を狙ったのか)

 二人が使っていた矢は狩猟に使うのではなく、より殺傷力を高めた軍用だ。
 一瞬、クリフォードの姿が頭を過ぎったが、いくらあの男でもそこまで姑息なことはしない。いや、殺すことを他人に任せたりはしないだろうという妙な確信があった。
 その時、愛馬が耳をピクピクと動かし、そちらを向いた。
 白い狐がこちらの様子を窺っている。
 アーサーは上体を低くすると弓を構えた。



「見事だ、アーサー!」

 日没後、王の面前で無事に勝利を飾ったアーサーが片膝を折り、右手を左胸に添える最敬礼をする。

「さすがはラウーロの弟。その武勇に優れた公爵家よ。しかし残念だ。お前が優勝ということは例年通り、褒美は返上か」

 特別叶えたい望みのなかったアーサーは、願いを言ったことはなかった。
 王はつまらなさそうな顔をする。

「いえ。今回は」
「お前にも何か欲しいものが出来たか。これも結婚をしたせいか? さあ、何でも言うがよい!」

 国王は愉快そうに身を乗り出させる。

「褒美は、我が妻のハイネへ捧げたいと思っております」

 それはまるで、クリフォードへの当てつけのような言葉だった。
 その場の全員の視線がハイネに向いた。

(私に……)

「さあ、ハイネよ。こちらへ来るが良い」

 王に手招きされる。
 ハイネは王の面前に立つと、深々と頭を下げる。

「お前の願いを叶えよう。美しい宝石が欲しいか? それともドレスか? 早くお前の望みを利かせてくれ」
「では、陛下にお願い申し上げます。夫にしばし休息を取るようお命じくださいっ」

 目の端に映るアーサーも、ハイネの思わぬ願いに呆気に取られていた。

「休息?」

 国王も怪訝な顔をした。

「アーサーは日々、第二騎士団の団長として職務に励んでおります。本人もそれを誇りとしています。だからこそ、彼は己を厳しく律し、休むということを知りません。しかし私は妻として、夫の体調が心配なのです。ですから休息をしっかりとるようお命じくださいっ」
「驚いた。まさか自分の望みではなく、夫の休息を望むか。愛し合っているのだな……。良かろう。アーサーに休息を与える。ちょうどここはお前の領地である訳だしな。一週間でも一ヶ月でもゆるりと休息を取るが良い」
「ありがとうございます、陛下。しかしさすがに第二騎士団の団長でございますので、一週間ほどちょうだいいたします。それから、休暇の間は、私の指示に従うよう、重ねてお命じください」
「あっはっは。確かにアーサーは休めと言われて、素直に休むような性格ではないな。良かろう。アーサー」
「はっ」
「休みの間はハイネの言葉は余の言葉と心得よ。ハイネ、もしお前の聞き分けのない夫が王命に背くようなことがあればすぐに報告するように」
「かしこまりました」
「アーサー、王命はしっかり守るのだぞ」
「……はっ」

 全てが終わると、アーサーがハイネに近づいてきた。

「どんな願いでも叶えられるというのに、随分と下らないことに使ったな」

 アーサーが呆れ混じりに言った。

「俺と離縁することも可能だったんだぞ。愛してもいない男のそばにいることから解き放たれ、自由に振る舞うことだって」
「そんなことは考えもしなかったわ。とにかく、しっかり休息を取ってもらうから」

 狩猟の時にも無茶をしたのだろう。
 ここへ来る時よりも、歩き方の違和感が強くなっていた。
 馬にまたがろうとするアーサーを、ハイネは引き留めた。

「私と馬車に乗って」
「馬にも乗せないつもりか?」
「私の言葉は陛下の言葉よ。忘れたの?」

 アーサーは舌打ちをするが逆らうことはなかった。
 ハイネと馬車に乗り、公爵家の領主館へ向かう。
 領主館の管理人たちに迎え入れられた。

「休みの間は一緒の部屋で過ごすから」

 ハイネは管理人に医者を連れて来るよう言った。

「怪我はもう治ったと……」

 そうして腕をまくってみせるが、「それ以外の傷よ」とハイネは言った。

「服を全部脱いで」
「何だ、盛ったのか?」
「言いたいことが分かるでしょ。あなたは怪我を負っているわ。あの狼に襲われた時に。腕以外の場所に。そして無理を押して狩猟祭にも参加したのよね。本当に無茶をするにもほどがあるわ」
 アーサーは、ハイネが一歩も譲らないことを知ると観念したように上衣を脱げば、左脇腹に巻かれた包帯が鮮血でじっとりと湿っていた。
「ひどい」
「これくらい何でもない。どれだけ鍛えていると思ってるんだ」
「何でもない傷には見えないわ」

 包帯を解くと、そこには治りかけとは燃えぬ生々しい傷跡が飛び込んでくる。
 ひとまず用意してもらったお湯で傷口の周りを綺麗に拭っていると、医者が到着する。
 医者もこの深手にはかなり驚いたようだった。
 すぐに処置が行われる。
 それから薬草から作られた軟膏を渡され、包帯は毎日替えるように言われた。

「……そんな大怪我で日々、駆け回っていたなんて。もう子どもの頃とは違うの。あなたは第二騎士団の団長なのよ」
「だから休む訳にはいかないだろ。この程度の怪我で」
「この程度!? 一つ間違えれば感染症にかかっていたのよ!?」
「軍医にも診てもらっていたし、そんな心配はない」

 無理矢理にでも聞き出せば良かった。
 でもきっと隠したのは、ハイネのせいだろう。ハイネが自分を責めないように。
 アーサーは昔から優しいから、自分よりも他人を優先する。

「ひとまず、その傷じゃ湯に浸かることはできないから、私が体を拭くわ。今日は一日中、外にいて汗をかいたでしょう」
「それくらい自分でできる。布を貸せっ」
「アーサー」
「……分かった」

 アーサーは舌打ちをする。
 ハイネはたっぷりのお湯に浸した布をきつく絞ると、隆起した筋肉で覆われた体を拭っていく。

「下を脱いで」

 アーサーは言われた通りすれば、すでにそこは下着ごしにも硬く張り詰めていた。

「男の習性だ。気にするな」
「……そこはは自分でして」

 ハイネは股間部分を、見ないように太腿や足を拭う。

「布を貸せ」

 粗方終えると、アーサーに言われた。布を渡すと、ハイネは背中を向けた。
「今さらだろ」

 かすかにアーサーの声には喜色が滲む。

「……いいから早くして」

 全てを終えると夜着に着替え、布団にもぐりこんだ。
 ハイネはこちらに背中を向けるアーサーの背中を見つめる。
 大人になってから、性行為を抜きにして、一つのベッドで眠るのは初めてのこと。
 いつもは貪られるように体を求められ、疲れ果てたハイネは気絶するように意識を手放すのが常だったが、今日は違う。
 普段と違う状況に妙に緊張を覚えてしまう。

(昔はよく二人で昼寝をしたりしていたのに……)

 夫婦になってからのほうが、よそよそしくなってしまっている。それだけ心の距離が開いているということだ。
 ズキッと胸にはしった痛みに、ハイネは顔をしかめるのだった。
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