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本編~2ヶ月目~
第19話~アジのなめろう~
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~新宿・歌舞伎町~
~居酒屋「陽羽南」~
週末を過ぎて、月曜日。一週間の始まりが再びやってくる。
世間の人々が休日を終えて憂鬱な面持ちで仕事に向かい、そして仕事を終えて街に繰り出すのを、僕はエレベーター傍の窓から見下ろしていた。
世間一般のサラリーマンと異なり、勤務時間が夜になる僕達は、どうしても世間一般の「つうきんらっしゅ」というものや「にどねのゆうわく」というものとは縁が遠い。
「つうきんらっしゅ」に関して言えば、住んでいる寮が職場から徒歩圏内にあるということも、大いに影響しているだろうが。
「にどねのゆうわく」には、パスティータがよく昼寝の時間を取りすぎて遅刻の恐怖と戦っているので、まぁ、あれだ。人による。
もうじき開店の頃合いだ、エプロンを締めなおして厨房に戻ると、僕に声がかかる。
「カマンサックさん、お通しのお煮しめは、このくらいの盛りでいいですか?」
視線を向けると、まるで金魚を人間大に肥大化させ、胸びれと尾びれを人間の手足のように変形させたかのような魚人《ウォーターレイス》の女性が、その手に小鉢を持って僕に差し出していた。
僕はその小鉢の中に目をやると、小さく頷いて見せる。
「いいですね、その調子であと二十ほどお願いします。
……あと、名字《ファミリーネーム》だと呼びづらいでしょうから、マウロでいいですよ、ディトさん」
そう言いつつ、僕は自分の右胸に付けられている名札を親指で指し示した。
手書きで「マウロ」と書かれたそれは、店長である澄乃のお手製だ。僕達全員には無論のこと、バイトとして働く寅司にも、目の前の彼女にもつけられている。
最初はどうかと思ったが、お客さんがすんなり名前とお店を覚えてくれて、案外便利だ。
この魚人《ウォーターレイス》の女性は、ディト・イヌリエータ。今日からバイトとして、この店で働くことになった新しい店員だ。
調理師学校を卒業した後、日本の西側の「かっぽー」で料理人として働いていたそうだが、最近東京に越してきて仕事を探していたところ、ここを見つけたのだそう。
試しに数品作ってもらってみたところ、澄乃と僕が揃って「美味い!」と声を上げるほどの腕前だったので、初日から厨房でお通しの仕込みをお願いした。
ちなみに僕よりも一つ年上で、会社勤めの旦那さんがいるらしい。
現状、バイトである寅司とディトは、週3勤務の15時~21時の6時間就業の形でお願いしている。
寅司が火、木、土出勤、ディトが月、水、金出勤、というシフトだ。
居酒屋の仕事は開店前の仕込みや掃除、閉店後の片付けもあるため――店長の澄乃には会計の仕事もあるが――営業時間の見た目よりも拘束時間は長い。
だが、片付けについては僕達正社員で十分回っているうえ、学生の寅司と家庭を持つディトを遅くまで拘束できない、というのもあってのことだ。
もし今後、僕達だけではどうにもならないような状況になったら、澄乃に何らかの措置を講じてもらう必要はあるだろうが、その時はその時だ。
「さあ、そろそろ開店時間です。そんなに心配はしていませんが、よろしくお願いしますよ」
「はい!頑張ります、カマンサックさん!」
名前でいいと言ったのに、再び名字で呼ばれてしまい、僕の膝はちょっと支えを失った。
有り体に言うと、ガクッとなった。
まぁ、間違えられているわけではないし、習慣のようなものもあるのだろう。そしてニコリと笑顔で呼ばれてしまっては、変に訂正も出来ない。
僕は早々に訂正するのを放棄して、入店してくるお客様に向き合った。
そして開店して数時間。澄乃と分担しながら料理を捌きつつ、ディトの様子を何度か伺ったのだが、いやはや流石に、料理を専門に勉強してきた人なだけはある。
何がすごいと言うならば、手際の良さが段違いなのだ。
例えば、僕が一種類の魚の刺身を切って盛ってとする間に、ディトは三種の盛り合わせを彩りも考えた上で盛り付け終わっているのである。
また、揚げ物や焼き物といった加熱を行う料理についても、食材に包丁を入れてから油やフライパンに投入するそのスピード、火から引き上げるタイミング、その全てが理想的と言っていい。
さらに、スピードが速いからといって品質や切り口がおざなりになっているかといえば決してそんなことはなく、その点も非常に整っている。
現在陽羽南で厨房に入っている僕もシフェールも、料理について一定以上の技量と経験を持ってはいるが、料理を専門に学び、その技術を証明されているわけではない。
澄乃についてはディトと同じように調理を専門に教える学校に通い、そこを卒業しているそうだが、彼女の場合は僕達とは比べ物にならないほど時間があるから、仕方がないと言えば仕方がない。
正直、ちょっと悔しい気持ちも湧き上がってくるが、こればかりは経験の差というよりも受けてきた教育の差だ。
冒険者家業の片手間に酒場の厨房で働いていた僕と、しっかりとした店で料理人として生計を立てていた彼女とでは、重視するものや求められるもの、そして何より現場で教わるものが大きく異なる。
だから僕は彼女にあれやこれやということはせず、作る料理を割り振る程度に留めていた。
「5席様、ケンビシ1、なめろう1入りましたー!」
「ありがとうございまーす!ディトさんすみません、5席様のアジのなめろう、お願いします」
そう言って僕は日本酒を取るために冷蔵庫へ向かう。
澄乃は先程から、どっと入って来た揚げ物の調理で手が離せないでいる。それにこの手の料理ならば、ディトの得意とするところだ。
ディトは僕に視線を送ると、ぐっと頷いた。
「分かりました!」
そうして僕と入れ替わるようにして、カウンター側の調理場に立ったディトは、手をしっかり洗うと冷蔵庫からアジを取り出した。
事前にアジは内臓と頭を取った状態で冷蔵庫に入っている。なのでまずは三枚おろしだ。
ディトは滑らかな手つきで包丁をアジの背に包丁を差し込むと、スッと頭側に走らせる。置き換えて腹側にも包丁。そして尾の方から包丁を入れて骨の上をスーッと滑らせれば、綺麗に身が切り離される。
そしてアジをひっくり返して、反対側も同様に包丁を入れれば、瞬く間にアジの身が三枚に下ろされた。
次いで腹骨を削ぎ落としたディトは、刺抜きを持って小骨を抜く作業にかかる。
なめろうは身を叩いてしまうとはいえ、やはり骨が残っていては嫌なものだ。食感にも影響する。
この作業ばかりはディトも骨の抜き残しが無いよう、確認を怠る様子はない。
そして半身に残った皮を剥いだ後に、ディトは包丁を手に取った。
刹那、包丁が5本に分裂したのではないかというほどの速度で、アジの身が細かく刻まれていく。
一瞬にして叩かれたアジの身に、味噌、醤油、みじん切りにしたネギとショウガ、少しのニンニクを加えて、混ぜつつさらに叩く。
小鉢に青じその葉を敷き、その上に包丁で盛り付ければ、完成だ。
あっという間に、と言うほど迅速にというわけでもなかったが、立派なアジのなめろうがそこに出来上がっているのであった。
「5席様、なめろうどうぞー!」
カウンターの上になめろうの小鉢を置くディト。声出しもばっちりだ。
すぐさまパスティータの手によって、お客様の元になめろうが運ばれていく。供されたそれを一口口に運び、先程僕が運んでいった剣菱をクイっと飲むお客様。
そして息を吐いたその顔は喜びに満ちていた。
「っはー、美味いっ!有能なバイトが入ってよかったなぁ、マウロちゃん、店長!」
お客様の言葉に、ディトが頭を軽く掻きつつ頬を染める。やはり褒められると嬉しくもなるものだ。
そして僕も、お客様に頭を下げながらニコリと微笑むのであった。
~第20話へ~
~居酒屋「陽羽南」~
週末を過ぎて、月曜日。一週間の始まりが再びやってくる。
世間の人々が休日を終えて憂鬱な面持ちで仕事に向かい、そして仕事を終えて街に繰り出すのを、僕はエレベーター傍の窓から見下ろしていた。
世間一般のサラリーマンと異なり、勤務時間が夜になる僕達は、どうしても世間一般の「つうきんらっしゅ」というものや「にどねのゆうわく」というものとは縁が遠い。
「つうきんらっしゅ」に関して言えば、住んでいる寮が職場から徒歩圏内にあるということも、大いに影響しているだろうが。
「にどねのゆうわく」には、パスティータがよく昼寝の時間を取りすぎて遅刻の恐怖と戦っているので、まぁ、あれだ。人による。
もうじき開店の頃合いだ、エプロンを締めなおして厨房に戻ると、僕に声がかかる。
「カマンサックさん、お通しのお煮しめは、このくらいの盛りでいいですか?」
視線を向けると、まるで金魚を人間大に肥大化させ、胸びれと尾びれを人間の手足のように変形させたかのような魚人《ウォーターレイス》の女性が、その手に小鉢を持って僕に差し出していた。
僕はその小鉢の中に目をやると、小さく頷いて見せる。
「いいですね、その調子であと二十ほどお願いします。
……あと、名字《ファミリーネーム》だと呼びづらいでしょうから、マウロでいいですよ、ディトさん」
そう言いつつ、僕は自分の右胸に付けられている名札を親指で指し示した。
手書きで「マウロ」と書かれたそれは、店長である澄乃のお手製だ。僕達全員には無論のこと、バイトとして働く寅司にも、目の前の彼女にもつけられている。
最初はどうかと思ったが、お客さんがすんなり名前とお店を覚えてくれて、案外便利だ。
この魚人《ウォーターレイス》の女性は、ディト・イヌリエータ。今日からバイトとして、この店で働くことになった新しい店員だ。
調理師学校を卒業した後、日本の西側の「かっぽー」で料理人として働いていたそうだが、最近東京に越してきて仕事を探していたところ、ここを見つけたのだそう。
試しに数品作ってもらってみたところ、澄乃と僕が揃って「美味い!」と声を上げるほどの腕前だったので、初日から厨房でお通しの仕込みをお願いした。
ちなみに僕よりも一つ年上で、会社勤めの旦那さんがいるらしい。
現状、バイトである寅司とディトは、週3勤務の15時~21時の6時間就業の形でお願いしている。
寅司が火、木、土出勤、ディトが月、水、金出勤、というシフトだ。
居酒屋の仕事は開店前の仕込みや掃除、閉店後の片付けもあるため――店長の澄乃には会計の仕事もあるが――営業時間の見た目よりも拘束時間は長い。
だが、片付けについては僕達正社員で十分回っているうえ、学生の寅司と家庭を持つディトを遅くまで拘束できない、というのもあってのことだ。
もし今後、僕達だけではどうにもならないような状況になったら、澄乃に何らかの措置を講じてもらう必要はあるだろうが、その時はその時だ。
「さあ、そろそろ開店時間です。そんなに心配はしていませんが、よろしくお願いしますよ」
「はい!頑張ります、カマンサックさん!」
名前でいいと言ったのに、再び名字で呼ばれてしまい、僕の膝はちょっと支えを失った。
有り体に言うと、ガクッとなった。
まぁ、間違えられているわけではないし、習慣のようなものもあるのだろう。そしてニコリと笑顔で呼ばれてしまっては、変に訂正も出来ない。
僕は早々に訂正するのを放棄して、入店してくるお客様に向き合った。
そして開店して数時間。澄乃と分担しながら料理を捌きつつ、ディトの様子を何度か伺ったのだが、いやはや流石に、料理を専門に勉強してきた人なだけはある。
何がすごいと言うならば、手際の良さが段違いなのだ。
例えば、僕が一種類の魚の刺身を切って盛ってとする間に、ディトは三種の盛り合わせを彩りも考えた上で盛り付け終わっているのである。
また、揚げ物や焼き物といった加熱を行う料理についても、食材に包丁を入れてから油やフライパンに投入するそのスピード、火から引き上げるタイミング、その全てが理想的と言っていい。
さらに、スピードが速いからといって品質や切り口がおざなりになっているかといえば決してそんなことはなく、その点も非常に整っている。
現在陽羽南で厨房に入っている僕もシフェールも、料理について一定以上の技量と経験を持ってはいるが、料理を専門に学び、その技術を証明されているわけではない。
澄乃についてはディトと同じように調理を専門に教える学校に通い、そこを卒業しているそうだが、彼女の場合は僕達とは比べ物にならないほど時間があるから、仕方がないと言えば仕方がない。
正直、ちょっと悔しい気持ちも湧き上がってくるが、こればかりは経験の差というよりも受けてきた教育の差だ。
冒険者家業の片手間に酒場の厨房で働いていた僕と、しっかりとした店で料理人として生計を立てていた彼女とでは、重視するものや求められるもの、そして何より現場で教わるものが大きく異なる。
だから僕は彼女にあれやこれやということはせず、作る料理を割り振る程度に留めていた。
「5席様、ケンビシ1、なめろう1入りましたー!」
「ありがとうございまーす!ディトさんすみません、5席様のアジのなめろう、お願いします」
そう言って僕は日本酒を取るために冷蔵庫へ向かう。
澄乃は先程から、どっと入って来た揚げ物の調理で手が離せないでいる。それにこの手の料理ならば、ディトの得意とするところだ。
ディトは僕に視線を送ると、ぐっと頷いた。
「分かりました!」
そうして僕と入れ替わるようにして、カウンター側の調理場に立ったディトは、手をしっかり洗うと冷蔵庫からアジを取り出した。
事前にアジは内臓と頭を取った状態で冷蔵庫に入っている。なのでまずは三枚おろしだ。
ディトは滑らかな手つきで包丁をアジの背に包丁を差し込むと、スッと頭側に走らせる。置き換えて腹側にも包丁。そして尾の方から包丁を入れて骨の上をスーッと滑らせれば、綺麗に身が切り離される。
そしてアジをひっくり返して、反対側も同様に包丁を入れれば、瞬く間にアジの身が三枚に下ろされた。
次いで腹骨を削ぎ落としたディトは、刺抜きを持って小骨を抜く作業にかかる。
なめろうは身を叩いてしまうとはいえ、やはり骨が残っていては嫌なものだ。食感にも影響する。
この作業ばかりはディトも骨の抜き残しが無いよう、確認を怠る様子はない。
そして半身に残った皮を剥いだ後に、ディトは包丁を手に取った。
刹那、包丁が5本に分裂したのではないかというほどの速度で、アジの身が細かく刻まれていく。
一瞬にして叩かれたアジの身に、味噌、醤油、みじん切りにしたネギとショウガ、少しのニンニクを加えて、混ぜつつさらに叩く。
小鉢に青じその葉を敷き、その上に包丁で盛り付ければ、完成だ。
あっという間に、と言うほど迅速にというわけでもなかったが、立派なアジのなめろうがそこに出来上がっているのであった。
「5席様、なめろうどうぞー!」
カウンターの上になめろうの小鉢を置くディト。声出しもばっちりだ。
すぐさまパスティータの手によって、お客様の元になめろうが運ばれていく。供されたそれを一口口に運び、先程僕が運んでいった剣菱をクイっと飲むお客様。
そして息を吐いたその顔は喜びに満ちていた。
「っはー、美味いっ!有能なバイトが入ってよかったなぁ、マウロちゃん、店長!」
お客様の言葉に、ディトが頭を軽く掻きつつ頬を染める。やはり褒められると嬉しくもなるものだ。
そして僕も、お客様に頭を下げながらニコリと微笑むのであった。
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