翡翠色の空の下で~古本の旅行ガイドブック片手に異世界旅行~

八百十三

文字の大きさ
3 / 56
第1章 古本屋を出たら異世界でした

第3話 地球の常識ドルテの非常識

しおりを挟む
「ドルテは世間一般の人が『異世界』と聞いて想像するような異世界とは、ちょっと違うんだ。
 剣と魔法の世界じゃないし、電気や水道は各家庭に引かれているし、家電なんかもあるものはあったりする。まぁ、スマートフォンの電波は飛んでないけれどね」
「電気も水道も通っているんですか?」
「各家庭にコンセントも標準的に備わっているよ。水道は飲料用とその他用途とで分けられている。飲料用の水道の水は、沸かさなくても普通に飲めるんだ」

 自己紹介を終えた後。私はベンさんにこの世界――ドルテの話を聞いていた。
 今後どのように行動するにしても、その世界の常識を知らないことにはおちおち安心して行動も出来ない。
 幸い今はここに、ドルテにも詳しい上に日本語ペラペラなベンさんがいる。ならば今のうちに聞けることは聞いてしまえ、と質問をぶつけたのだ。
 そして、まず最初。ドルテという異世界そのものについて質問すると、予想外の答えが返ってきた。
 まさかの、剣も無く魔法も無い異世界。警察の代わりに騎士はいるそうだが、別に鎧を着て剣を携えているわけでもないようで。
 ベンさん曰く、19世紀後半のヨーロッパをイメージするのが近いらしい。
 まだ世界的には一般的ではないが自動車も作られ始めており、鉄道もあるとのこと。石炭燃料をすっ飛ばして電気自動車や電車が走っているのは、なんというか異世界だなって感じがするけれど。
 それにしても飲料水の安全が担保されているのは、非常に有り難い。
 
「ところで、ドルテには人間以外の種族も、普通にいるんです?」
「そう、長耳族ルング獣人族フィーウル竜人族バーラウ
 それに短耳族スクルト――いわゆる僕やミノリちゃん、さっきのチャーリーみたいな普通の人間を加えた四種族で、この世界の人類は構成されている。
 ただ……そうだな」

 予想だにしない答えに驚きを露にしながら、この世界の人種について質問すると、ベンさんは少し難しい表情をした。
 私が小さく首を傾げると、ベンさんは私のショートボブの黒髪と、その陰に隠れる私の耳に目を向けた。

「ミノリちゃんは、日本生まれで日本育ちなんだよね?」
「はい……両親も日本人ですし、生粋の日本人ですけれど……それが、なにか?」
「いやね……日本の人には馴染みの薄い話だからピンと来ないかもしれないんだけど。
 ドルテはね、全世界的に種族差別が・・・・・・・・・・日常茶飯事に・・・・・・行われている・・・・・・んだ」

 悲しそうに目を細めたベンさんの言葉に、私は目を大きく見開いた。
 種族差別や人種差別。確かに、日本ではなかなか触れることの無い風習だ。両親や祖父母の頃には、黒人差別があったと話に聞いたことがあるくらいで、どこか遠い世界の話だった。
 私の表情を見て、ベンさんは細めた目をさらに細めて宙を仰いだ。

「インドのカースト制度をイメージするのが一番分かりやすいかなぁ。司祭、王族、市民、労働者、不可触民、っていうのを、学校で習っただろう。
 あれの王族から下が、種族ごとに分かれているものと思えばいい。
 竜人族バーラウがトップに立ち、次に長耳族ルング、その下に短耳族スクルト。一番下が獣人族フィーウル
 長耳族ルング短耳族スクルトの境目は、少しずつなくなってきているけれど……一番上が竜人族バーラウ、一番下が獣人族フィーウルって構図は、もう何百年って単位で、変わっていないねぇ」
「うわぁ……えぐいですね……」

 私が眉を顰めると、ベンさんが小さく頷いた。

「そうだねぇ。
 このフーグラー市があるマー大公国は世界の中でも急進派で、当代の大公様は短耳族スクルト獣人族フィーウルの中からも有用な人材をお城に登用しているけれど……それでもまだまだ、差別の解消には程遠い。
 市井で直接仕事に従事するのはほとんどが短耳族スクルトだし、獣人族フィーウルの小間使いが長耳族ルングの雇用主に理不尽な暴力を振るわれるなんて場面も、未だにありふれたものだ。
 フーグラー市の前の市長も融和政策を推し進めていたけれど、お亡くなりになって市長が変わってから、またちょっと差別が横行するようになってきたし。
 だからミノリちゃんも、自分が下に見られる・・・・・・ことは、よくあることだと思っていた方がいい」

 ベンさんの優しく、しかし真面目な声色に、私は姿勢を正し、両手を膝の上で握って話に聞き入っていた。
 この声は、からかったり騙そうとしたりする雰囲気ではない。心底から、私に注意を促す声色だ。話の内容を考えても、私を騙すメリットは多くないだろう。
 私はベンさんの忠告に、はっきりと頷いた。
 頷きを返した後、他に何か聞かなければならないことは無いか、と思案を巡らせる私。と、ここで一つ思い当たることがあった。

「あと……そうだベンさん、ドルテ語の発音の仕方、というか日常会話について、軽くレクチャーしてほしいんですけど」
「あぁ、そうだね。簡単な会話くらいは、ドルテ語で出来るのに越したことは無い。
 「みるぶ」の……えーと何ページだったかな、最初の方に基本の会話集があったはず。開いてごらん」

 ベンさんに促されて「みるぶ」のページを先頭から繰る。すると7ページ目に挨拶などの会話集がアルファベットらしき言語と一緒に載っていた。
 そのページをベンさんに見せると、彼は笑みを浮かべて頷いた。

「うん、この中に載っている挨拶を言えれば、困ることは無いだろう。
 それじゃあ上から順にいこう。まずは『おはようございます』。これは「Buna dimineata.」」
「ブナ……ディミニャーツァ」
「そうそう。それじゃ次、『こんにちは』。これは「Buna ziua.」」
「ブナ ズィワ」
「いいね、その調子。次は『さようなら』。これは「La revedere.」。最初の「ラ」だけLエルで舌を巻かないから、注意して」
「ラ……ラ? レヴェデレ」
「いいよ。それじゃ次は『ありがとう』だ。これは「Multumesc.」。少し発音に難儀すると思うが、素直にカタカナで読む感じでいい」
「えー……ムルツメスク?」

 ベンさんの言葉を繰り返すようにして、たどたどしくなりながらも発音される、私のドルテ語。
 それを耳にしていたか、チャーリーと呼ばれた先程の青年が古書を抱えてこちらに戻ってきた。両手に5冊ほどの分厚い本を持っている。

「Ben, ii spui cuvintele? De ce?」

 何をやっているのか、といった表情で問いかけてくるチャーリーに、ベンさんは「みるぶ」から顔を上げ、にこやかな笑みを浮かべて答えた。

「Nu poate vorbi in limba dorthesc. Ar fi spus ca e cel mai nou calatorul.」
「In nici un caz……este un calatorul din "Japonia"?」

 ますます、信じられないといった口ぶりで目を丸くするチャーリーに、ベンさんが大きく頷くと。
 チャーリーは驚愕の表情を顔に貼り付けたままで、手に持っていた古書をばさばさと取り落とした。落ちた本が立て続けに、チャーリーの足の甲へと落下していく。

「Oa!!」

 足を抱えてうずくまるチャーリーに、思わず私は丸椅子から立ち上がって駆け寄った。落ちた本を拾うと、痛みに顔を顰めるチャーリーへとそっと手渡す。

「どうぞ……あー、大丈夫?」
「Multumesc, dor. Bine, bine.」

 そう言いながらチャーリーは笑って、私が手渡した本を両手で受け取った。すぐさま私は後ろのベンさんを振り返る。

「ベンさん、今のって『ありがとう』ですよね? 「みるぶ」に『どういたしまして』って載ってますか?」
「飲み込みが早いね、そうだよ。『どういたしまして』は「Cu placere.」だ」
「ありがとうございます。えーと……「ク プラチェーレ」」

 改めてチャーリーの方を向いて、にこやかに笑顔を作りながら習ったばかりの「どういたしまして」を返すと。
 目の前のチャーリーの顔が一気に紅潮した。勢いよく立ち上がって、私の脇をすり抜けてレジカウンターに突撃していく。

「************!!!」

 何やらものすごい興奮して、聞き取れないレベルの早口でベンさんにまくし立てているチャーリー。
 取り残されてポカーンとする私に、カウンターからベンさんが声をかけてきた。

「やるね、ミノリちゃん。どこかでドルテ語習ってた?」
「え? いえ、全くですけど」

 興奮しきりのチャーリーをなだめながら笑うベンさんに、私は大きく首を傾げるのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

俺は善人にはなれない

気衒い
ファンタジー
とある過去を持つ青年が異世界へ。しかし、神様が転生させてくれた訳でも誰かが王城に召喚した訳でもない。気が付いたら、森の中にいたという状況だった。その後、青年は優秀なステータスと珍しい固有スキルを武器に異世界を渡り歩いていく。そして、道中で沢山の者と出会い、様々な経験をした青年の周りにはいつしか多くの仲間達が集っていた。これはそんな青年が異世界で誰も成し得なかった偉業を達成する物語。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

優の異世界ごはん日記

風待 結
ファンタジー
月森優はちょっと料理が得意な普通の高校生。 ある日、帰り道で謎の光に包まれて見知らぬ森に転移してしまう。 未知の世界で飢えと恐怖に直面した優は、弓使いの少女・リナと出会う。 彼女の導きで村へ向かう道中、優は「料理のスキル」がこの世界でも通用すると気づく。 モンスターの肉や珍しい食材を使い、異世界で新たな居場所を作る冒険が始まる。

異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました

雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。 気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。 剣も魔法も使えないユウにできるのは、 子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。 ……のはずが、なぜか料理や家事といった 日常のことだけが、やたらとうまくいく。 無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。 個性豊かな子供たちに囲まれて、 ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。 やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、 孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。 戦わない、争わない。 ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。 ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、 やさしい異世界孤児院ファンタジー。

通販で買った妖刀がガチだった ~試し斬りしたら空間が裂けて異世界に飛ばされた挙句、伝説の勇者だと勘違いされて困っています~

日之影ソラ
ファンタジー
ゲームや漫画が好きな大学生、宮本総司は、なんとなくネットサーフィンをしていると、アムゾンの購入サイトで妖刀が1000円で売っているのを見つけた。デザインは格好よく、どことなく惹かれるものを感じたから購入し、家に届いて試し切りをしたら……空間が斬れた!  斬れた空間に吸い込まれ、気がつけばそこは見たことがない異世界。勇者召喚の儀式最中だった王城に現れたことで、伝説の勇者が現れたと勘違いされてしまう。好待遇や周りの人の期待に流され、人違いだとは言えずにいたら、王女様に偽者だとバレてしまった。  偽物だったと世に知られたら死刑と脅され、死刑を免れるためには本当に魔王を倒して、勇者としての責任を果たすしかないと宣言される。 「偽者として死ぬか。本物の英雄になるか――どちらか選びなさい」  選択肢は一つしかない。死にたくない総司は嘘を本当にするため、伝説の勇者の名を騙る。

夏と竜

sweet☆肉便器
ファンタジー
皆さんは幻獣と呼ばれる生き物をご存じでしょうか? 私たちとは違う世界に住んでいて、でもちょっとだけ私たちの世界と交わる幻獣。 これは竜と呼ばれる幻獣とそれを育てる少年のお話です。 夏休みの休暇を祖父の元で過ごすために田舎へとやって来た少年皆川夏。彼はその集落で奉られている神社の片隅で竜の卵を見つけて持ち帰ります。 『アオちゃん』と名付けられた幼いドラゴンと少年ナツを中心に語られるやさしく何気ない毎日の物語をお楽しみください。

「キヅイセ。」 ~気づいたら異世界にいた。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者~

あめの みかな
ファンタジー
秋月レンジ。高校2年生。 彼は気づいたら異世界にいた。 その世界は、彼が元いた世界とのゲート開通から100周年を迎え、彼は通算一万人目の冒険者だった。 科学ではなく魔法が発達した、もうひとつの地球を舞台に、秋月レンジとふたりの巫女ステラ・リヴァイアサンとピノア・カーバンクルの冒険が今始まる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...