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第二章
2-7
しおりを挟む気分転換にお菓子を焼いた私は、いつものようにディリスお兄様の休憩時間を狙って鍛錬場に来た。そこにはウィルティム様はいなくて、お兄様しかいなかった。
「ディリスお兄様、知っていたんですよね、ウィルティム様がウィルストン殿下だって」
今日のお菓子はミニアップルパイ。時間をかけてパイ生地も丁寧に作った。
「あぁ、うん、今日のパイは絶品だな」
もぎゅもぎゅと一つ食べると、もう一つと手を出してくる。
「お兄様。どうして教えてくれなかったのですか、そうであれば、あんな無謀なことしなかったのに」
純潔を捧げた夜のことを思い出す。あの夜、ディリスお兄様は殿下の部下から何か話を聞いているはずだ。でなければ、お父様の直筆の婚約を許可する手紙を得ることはできなかっただろう。
「リアリム。お前、後悔しているのか? 俺は、てっきり二人とも両想いだから、だから宣誓書も署名したと思って父上に依頼したのだが。もしかして、騙されて書かされたのか?」
「あ、お兄様、その、あの夜のことは大丈夫です。私が勝手に、いえ、ウィルティム様と夜を過ごせて、私はとても幸せでした。でも、そのことでウィルストン殿下と婚約することになるとは、思っていなくて」
お兄様は、美味しそうに食べていたパイを一息でゴクンと飲み込んだ。
「あの野郎、俺は、お前が納得しているとばかり思って」
私の桃色の髪よりも赤みが強いお兄様の髪。その赤い髪が燃えているかの如く、ディリスお兄様は怒気をもった目で遠くを睨んでいる。
「お、お兄様。怒らないで、本当に私が、私が望んだことだから、そのことは後悔していないの。ただ、ちょっと驚いてしまって。だって、私、本当に平凡に過ごしたかっただけで、まさか王子妃になるなんて、気持ちが追いつかないの」
ディリスお兄様は、それでも「アイツ、今度来たら叩きのめす」と恐ろしいことを言っているけれど。
「リアリム、すまない。俺はお前がウィルティムのことを好きなことを知っていたから、てっきり、殿下だとしても問題ないと思っていた」
「お兄様、問題大ありだけど、」
「そうか、そうだよな」
シュンと頭を垂れたお兄様。ちょっと情熱的過ぎるお兄様は、きっと私の恋が成就するのがいいと単純に思ったのだろう。だからこそ、ウィルティム様に協力してきた。
その気持ちは素直に嬉しいけれど。
「だから、婚約話は少し待ってもらうことにしたの。私の気持ちの整理がつくまで」
それがいつまで、とは、はっきりしていない。
「そうか、お前がそうしたいのなら、俺は反対しないよ。とにかく、お前の気持ちが一番大切なんだ」
「ありがとう、お兄様」
吹き抜けていく風が、二人の間を通り過ぎていく。王子妃としての道が始まれば、こうして気軽にここに来ることも出来なくなる。
お兄様と過ごしてきた時間も、もう終わるのかもしれない。そんなことを思いながら、私は残っていたパイを口に入れた。ホロっと崩れるパイの味は、よくわからなかった。
意識しないまま、私は涙を流していた。頬を伝う涙が口に入り、ようやく私は自分が泣いていることに気が付いた。
「リアリム、すまない、そんなにもショックだったか」
私の涙を見て、ディリスお兄様は私をそっと引き寄せて私の頭を胸にくっつけた。
優しいお兄様の腕の中で、私は次第に嗚咽交じりに泣き始める。うぐっ、うぐっと止まらない涙を、お兄様は黙って受け止めてくれた。
それは、お兄様との時間が終わることが悲しいのか、それとも憧れて好きだった人が王子とわかったショックなのか、よくわからなかった。
けれど、泣きながら私の髪を優しく撫でてくれるディリスお兄様という存在を、私はただ嬉しく思うのであった。
社交界シーズンの今、時折王宮においても夜会が開かれる。今夜は社交界デビューの令嬢が多く参加しているから、ウィルストン殿下は第一王子として彼女達と踊るのに忙しい。
彼が約束通り送って来たのは、一見シンプルだけれど使われている素材は高級なドレスだ。淡い桃色のプリンセスラインのドレスは、銀色の糸で蔦模様が刺繍されていた。
まるで、私に絡みつく殿下の想いを表しているようだ。もう離さない、と主張するような。
一瞬、ぞわりとした悪寒を背中に感じる。
普段は、こんなにも華やかな色のドレスは選ばない。イザベラ様の腰ぎんちゃく要員としては、彼女より目立つような色のドレスを着るわけにはいかない。
でも本当は、こういうガーリーな色のドレスが着たかった。
「似合うかなぁ、初めてだけど」
桃色の髪をふわりと下す。今日は髪を巻いて、ふわふわとさせている。殿下はドレスだけでなく、私の髪色に合わせたカチューシャとアメジストのネックレスも贈ってくれた。
全て纏うと、まるウィルストン殿下に抱かれているような気がする。少し気恥しい。
イザベラ様と会うことを考えると気が重いが、遅かれ早かれ会わなければいけない。
今日はディリスお兄様のエスコートで会場に入る。お兄様は「今日も綺麗だよ、自信をもって」と言ってくれるけど、夜会では極力目立たずにいたい。
けれど、大広間に一歩足を踏み入れた途端、絡みつくような視線で注目された。
どこからともなく、ひそひそと私のことを噂する声が聞こえてくる。殿下、とか、アトリエで、など、やはりユウ君のことだろうか。
その噂話に気が付いたのか、お兄様はサッと顔色を変えて辺り一帯を睨みつけるようにみている。何かと見目の良いお兄様は、それはそれで注目される人だ。
いつもなら、すぐに次期伯爵の妻の座を狙う令嬢達に囲まれるけど、今日は私が傍にいるせいか、だれも声をかけてこない。
「お兄様、ちょっと気疲れしました。飲み物をとってきますね」
そう言ってドリンクを配る給仕のところに行こうとする私を、サッと引き留める方がいた。
普段は真面目な顔をしているチャーリー様が、その蒼色の髪をさらりと流し優し気な目で私を見つめていた。
「ミンストン伯爵令嬢、いや、リアリム様。私と1曲、いかがですか?」
気が付くとホールではダンスが始まっている。この広い会場のどこかで、ウィルストン殿下も踊っているのだろう、探そうとしても簡単にはいかない。
差し出された手を見ていると、ディリスお兄様が「リアリム、踊っておいで」と合図をしてくれた。
「っはい、ありがとうございます」
まさか、チャーリー様と踊ることになるとは思ってもいなかった。いつも、殿下の傍にいて仕事を進めるイメージしかない。でも、思えば何度もチャーリー様は私を助けてくれる、気配りの方だ。
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