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3章 握り過ぎた手
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「はい、そうですよ。何かお悩み事でも?」
「ええ、まあ、そうなんですが……私、あまりこういう場所で人に相談するのは慣れてなくて。できれば、私の家に来ていただけませんか? もちろん、相応の料金は支払うつもりです」
「それはつまり、訪問カウンセリングのご依頼ですか」
「はい」
「はっは。残念ですが、僕のところではそういう、心の風俗出張サービスみたいなことはやっていませんよ」
「なんでそんな変な言い方するんですか、先生」
と、灯美はさすがに口をはさまずにはいられなかった。どさくさにまた何を言ってるんだろう、この男は。
「まあ、とりあえず、そちらにお掛けください。デリバリーサービスはありませんが、店舗で直接お求めになられるのは何かとお得ですよ」
ウロマは今度はピザの出前みたいなことを言う。女は「はあ」と、ちょっと戸惑った様子だったが、すぐに、近くのパイプ椅子に腰掛けた。例によって、いつの間にかそこに現れていたものだった。
「実は私、一緒に暮らしている息子のことで悩んでいるんです」
女はすぐに話し始めた。
「私、菊池信子といいます。歳は五十八歳で、専業主婦です。実は私、息子の直春 《なおはる》ことで悩んでいますの。あの子ったら、最近、何かと私に手を上げることが増えてきて」
「手を上げるというのは、息子さんがあなたに暴力をふるうということですか?」
「ええ、まあ……。そこまで頻繁にというわけではないんですが」
信子は、はあと、ため息をついた。
「他のご家族の方は、直春君のあなたに対する暴力にどう対応されていますか?」
「他には家族はいませんの。私と直春の二人暮らしですわ」
「直春君はおいくつですか?」
「今年で二十五になります」
「なるほど。直春君は、普段はどういった暮らしを? どこかに勤めに出ていて、帰宅後の夕方などに、あなたに暴力をふるうのですか?」
「いえ。直春は子供のころから体が弱くて、どこかに働きに出ることはできないんですわ。一度勤めに出たこともあったんですけど、結局続けられなくて。だから、家でいつも、私と二人でいます」
「体が弱い? 何か持病をお持ちで?」
「喘息です。子供のころからずっとなんです」
信子はまたしても憂鬱そうにため息をついた。
「喘息ですか。菊池さんとしては、息子さんがそんな病気をお持ちで、何かと苦労が絶えないでしょうね」
と、ウロマは急に、らしくないほどに同情的な言葉を吐いた。
そして、
「実は僕にも一人、娘がいましてね。五歳になるんですが、喘息持ちなのです。親としては何かと手を焼かれっぱなしなのですよ」
いきなり真っ赤な嘘を並べ始めたではないか……。
「ちょ、ちょっと、先生! いきなり何言ってるんですか!」
さすがに灯美はウロマの耳を引っ張って小声で尋ねずにはいられなかったが、
「嘘ではありません。ちょっと存在がイマジナリーなだけです」
ウロマは小声で意味不明なことを言って、灯美のツッコミを一蹴した。何を考えているのだろう、この男。
しかし、信子はそんなウロマの大嘘発言に、大いにシンパシーを感じたようだった。
「まあ、先生にも、喘息持ちのお子さんがいらっしゃるんですのね。そうでしょう。子供が喘息だと、何かと大変ですよね」
一気に顔をほころばせ、表情をやわらげた。警戒心がなくなったようだった。
「実は、今までいろんなカウンセラーの方に、直春のことを相談したことがあったのです。しかし、どの方にも、息子の喘息のことをちゃんと理解していただけませんでした」
「理解していただけなかった、というと?」
「どの人も、まるで直春の病気がそれほどたいしたことがないように思っていたらしくて、少しは外に出ろだの、どこどこに通ってみろなどと言うのです。そんなふうに、家の外に気軽に出れるような体質ではないことは、最初にお伝えしているのですが、本当に、いい加減なものですよね」
「まあ、喘息の辛さは、当人とその家族にしかわからないものですからね。僕もそのへんは苦労しています。ところで、直春君はどういうお薬をお使いですか?」
「えーっと……確か、テオなんとかというのと、ペミロなんとかという薬を二種類ですわ」
「テオフィリンとペミロラストカリウムですね。なるほど」
と、なぜかさらっと喘息の薬の名前が口から出てくるウロマだった。
「それで、話を家庭内暴力に戻しますが、直春君はどういうときに暴力をふるうのですか? 例えば、お酒を飲んだときなどですか?」
「いえ、お酒は関係ありませんわ。あの子、お酒は時々飲むんですけど、あまり強くないので、飲んで暴れるなんて、とうていできっこないですわ」
「では、暴力をふるうのは、家であなたと顔を合わせるときなどですか」
「そうですね。私が直春の部屋に行くと、時々ひどく不機嫌なときがあって、そのときに少し……」
「直春君は部屋で何かされているのですか?」
「ああ、パソコンを使って仕事をしています。ウェブデザイナーをやっているんです」
「ウェブデザイナー? 具体的にはどういうことを?」
「さ、さあ……私、パソコンは昔からどうも苦手で」
「例えば、直春君あてに大量の荷物や、本人限定受け取りの書類などが届いたりはありましたか?」
「いえ、そういうのはないです」
「では、部屋の中で、何かに向かって話しているような声が聞こえたりは?」
「そういうのも別に……あ、そうだ!」
と、信子は何かを思い出したようだった。
「そういえば、直春はよく、買ってきたばっかりの雑誌をバラバラにしていますわ。ウェブデザイナーの仕事のために、スクラップにしているって言っていました」
「なるほど。仕事のために、雑誌から情報収集されているわけですね。雑誌の装丁などを参考にされているのかもしれない」
ふむふむ、という感じで、ウロマはうなずいた。
「ええ、まあ、そうなんですが……私、あまりこういう場所で人に相談するのは慣れてなくて。できれば、私の家に来ていただけませんか? もちろん、相応の料金は支払うつもりです」
「それはつまり、訪問カウンセリングのご依頼ですか」
「はい」
「はっは。残念ですが、僕のところではそういう、心の風俗出張サービスみたいなことはやっていませんよ」
「なんでそんな変な言い方するんですか、先生」
と、灯美はさすがに口をはさまずにはいられなかった。どさくさにまた何を言ってるんだろう、この男は。
「まあ、とりあえず、そちらにお掛けください。デリバリーサービスはありませんが、店舗で直接お求めになられるのは何かとお得ですよ」
ウロマは今度はピザの出前みたいなことを言う。女は「はあ」と、ちょっと戸惑った様子だったが、すぐに、近くのパイプ椅子に腰掛けた。例によって、いつの間にかそこに現れていたものだった。
「実は私、一緒に暮らしている息子のことで悩んでいるんです」
女はすぐに話し始めた。
「私、菊池信子といいます。歳は五十八歳で、専業主婦です。実は私、息子の直春 《なおはる》ことで悩んでいますの。あの子ったら、最近、何かと私に手を上げることが増えてきて」
「手を上げるというのは、息子さんがあなたに暴力をふるうということですか?」
「ええ、まあ……。そこまで頻繁にというわけではないんですが」
信子は、はあと、ため息をついた。
「他のご家族の方は、直春君のあなたに対する暴力にどう対応されていますか?」
「他には家族はいませんの。私と直春の二人暮らしですわ」
「直春君はおいくつですか?」
「今年で二十五になります」
「なるほど。直春君は、普段はどういった暮らしを? どこかに勤めに出ていて、帰宅後の夕方などに、あなたに暴力をふるうのですか?」
「いえ。直春は子供のころから体が弱くて、どこかに働きに出ることはできないんですわ。一度勤めに出たこともあったんですけど、結局続けられなくて。だから、家でいつも、私と二人でいます」
「体が弱い? 何か持病をお持ちで?」
「喘息です。子供のころからずっとなんです」
信子はまたしても憂鬱そうにため息をついた。
「喘息ですか。菊池さんとしては、息子さんがそんな病気をお持ちで、何かと苦労が絶えないでしょうね」
と、ウロマは急に、らしくないほどに同情的な言葉を吐いた。
そして、
「実は僕にも一人、娘がいましてね。五歳になるんですが、喘息持ちなのです。親としては何かと手を焼かれっぱなしなのですよ」
いきなり真っ赤な嘘を並べ始めたではないか……。
「ちょ、ちょっと、先生! いきなり何言ってるんですか!」
さすがに灯美はウロマの耳を引っ張って小声で尋ねずにはいられなかったが、
「嘘ではありません。ちょっと存在がイマジナリーなだけです」
ウロマは小声で意味不明なことを言って、灯美のツッコミを一蹴した。何を考えているのだろう、この男。
しかし、信子はそんなウロマの大嘘発言に、大いにシンパシーを感じたようだった。
「まあ、先生にも、喘息持ちのお子さんがいらっしゃるんですのね。そうでしょう。子供が喘息だと、何かと大変ですよね」
一気に顔をほころばせ、表情をやわらげた。警戒心がなくなったようだった。
「実は、今までいろんなカウンセラーの方に、直春のことを相談したことがあったのです。しかし、どの方にも、息子の喘息のことをちゃんと理解していただけませんでした」
「理解していただけなかった、というと?」
「どの人も、まるで直春の病気がそれほどたいしたことがないように思っていたらしくて、少しは外に出ろだの、どこどこに通ってみろなどと言うのです。そんなふうに、家の外に気軽に出れるような体質ではないことは、最初にお伝えしているのですが、本当に、いい加減なものですよね」
「まあ、喘息の辛さは、当人とその家族にしかわからないものですからね。僕もそのへんは苦労しています。ところで、直春君はどういうお薬をお使いですか?」
「えーっと……確か、テオなんとかというのと、ペミロなんとかという薬を二種類ですわ」
「テオフィリンとペミロラストカリウムですね。なるほど」
と、なぜかさらっと喘息の薬の名前が口から出てくるウロマだった。
「それで、話を家庭内暴力に戻しますが、直春君はどういうときに暴力をふるうのですか? 例えば、お酒を飲んだときなどですか?」
「いえ、お酒は関係ありませんわ。あの子、お酒は時々飲むんですけど、あまり強くないので、飲んで暴れるなんて、とうていできっこないですわ」
「では、暴力をふるうのは、家であなたと顔を合わせるときなどですか」
「そうですね。私が直春の部屋に行くと、時々ひどく不機嫌なときがあって、そのときに少し……」
「直春君は部屋で何かされているのですか?」
「ああ、パソコンを使って仕事をしています。ウェブデザイナーをやっているんです」
「ウェブデザイナー? 具体的にはどういうことを?」
「さ、さあ……私、パソコンは昔からどうも苦手で」
「例えば、直春君あてに大量の荷物や、本人限定受け取りの書類などが届いたりはありましたか?」
「いえ、そういうのはないです」
「では、部屋の中で、何かに向かって話しているような声が聞こえたりは?」
「そういうのも別に……あ、そうだ!」
と、信子は何かを思い出したようだった。
「そういえば、直春はよく、買ってきたばっかりの雑誌をバラバラにしていますわ。ウェブデザイナーの仕事のために、スクラップにしているって言っていました」
「なるほど。仕事のために、雑誌から情報収集されているわけですね。雑誌の装丁などを参考にされているのかもしれない」
ふむふむ、という感じで、ウロマはうなずいた。
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