嘘つきカウンセラーの饒舌推理

真木ハヌイ

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6章 左目のプルートー

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 ウロマからもらった目薬のおかげで、隆一のQOLは大きく回復した。そう、クオリティ・オブ・ライフ。なんかちょっと意識高そうな単語だが、ようは生活の質である。それが、猫を轢いてしまう以前のレベルまで戻ったのだ。左目の異常が治ることによって。

 彼の会社の人間は当然、彼の左目から眼帯が外れたことを祝った。周囲には単なるものもらい的なものと説明していただけだったので、眼帯期間が変に長引くことなく終わったのは隆一にとって幸いだった。素直に回復を祝ってくれる部下たちの姿に、社長として慕われている自分を感じ、喜んだ。

 また、彼はバツイチの独身だったが、友人は多く、プライベートでも同様に左目の回復を祝われまくった。愛され体質の自分を感じ、やはり嬉しくなる隆一だった。眼帯をしている最中は、雑誌のインタビューなどを受ける際に撮影をNGにしていたのだったが、その反動で、今度は自分から写真を撮ってくれと関係者にアピールして回った。憑き物が取れ、すっかり有頂天な彼であった。

 もちろん、その間も、ウロマからもらった目薬は欠かさず使い続けた。一日一回だから、簡単だ。たったそれだけで、どこの病院でも原因すらわからなかった症状が晴れるというのだから、ちょっと信じられないくらいだった。

 あのウロマという男は、いったい何者だろう? 医者でも研究者でもない、単なる一介のカウンセラーがこんな薬を用意できるものなのだろうか? そもそも、話し方や立ち居振る舞いも妙にスキがなく、抜け目がないように感じられた。こちらの質問に対する受け答えも実に明確で、頭の回転も早そうだった。一企業の社長という立場上、いろんな人間と接する隆一だったが、彼の話しぶりはまるで辣腕の弁護士か、超エリート営業マンのように思えた。カウンセラーとはみんなあんなふうなものなのだろうか? うちの営業にもぜひ欲しい人材だ……。彼はどこまでも経営者思考なのだった。

 しかしやがて、隆一は、その男が最後に言った言葉を思い出すことになった。そう、目薬をもらうとき、こう言われたのだ。この目薬には少し変わった夢を見る副作用がある、と。

 実際その言葉は真実だった。目薬を使い始めて一週間ほどたったころ、彼は夢を見た。夢の中で彼は中学生になっており、夜道、自転車を走らせていたところで黒猫に遭遇し、それを轢いてしまうというものだった。

 ベッドの中で目が覚めたとき、隆一はその夢の内容が、ずっと昔に自分が実際に体験したことだったと思い出した。あまりにも古い記憶だったので、今まですっかり忘れていたのだった。

「そうか、俺は前にも黒猫を轢いたことがあったんだな……」

 まさか人生で二度も黒猫を轢くとは。実に嫌な気分になりながらも、そのときのことをぼんやり思い返してみた。確か、あれは塾の帰り道の出来事だった。黒猫を自転車ではねてしまったあとは、びっくりして一瞬その場で立ち止まってあたりを見回したが、黒猫の体は道路わきの茂みのほうに飛ばされたらしく、見つからなかった。一応、三日後の夕方にもう一度そこに行ったが、そのころにはもう黒猫の体はどこにもなかった。自転車ではねても、無事に生きていてどこかに行ったのか、あるいはその死骸がすでに片付けられていたのか、中学生の隆一にはそれ以上確かめようもなかったし、そこまで追求するほどでもなかった。だから、それきり忘却の彼方になって、すっかり忘れていたことだった。

 まあ、なんにせよ、勝手に道路に飛び出してくる猫が悪いよな。こっちはただ、真っ直ぐ走っているだけだったのに……。

 隆一はそう考え、すぐにその夢のことを忘れようとした。だが、それから毎晩、同じ夢を見ることになった。目薬の副作用なのだから、おそらく、それを使い続ける限りずっとこうなのだろう。さすがにうんざりした。なにかあったら、また来てくださいというウロマの最後の言葉を思い出し、さっそくその週の日曜に、再びあの男に会いに行った。

「なるほど。黒猫を轢いてしまった昔の体験を何度も夢に見るわけですね。それは実に気分が悪いことでしょう。なんとかしなければなりませんね」

 ウロマという男はやはり理解が早かった。彼の隣には、前に来たときにも見た少女の姿があった。前は制服姿だったが、今日は私服だ。ここで働いているのだろうか。

「しかし、同じ夢を何度も見るということは、あなたの意識していないなんらかの感情の表れかもしれません」
「夢でそういうのがわかるのですか?」
「ええ。深層心理学において、夢とは人間の無意識を如実に反映するものとされています。無意識下に抑圧されている、自分でもはっきり自覚していない感情や衝動が、夢となって現れるのです」
「でも、私の夢はただの古い記憶ですよ?」
「それを夢として繰り返し見るということに意味があるのです。おそらく、あなたの無意識は、その記憶を何度もあなたの表層意識に持ち上げることで、なんらかのメッセージを発信しているのでしょう」
「む、無意識がメッセージを?」

 無意識とやらがそんなことをしでかすのか。ちょっとびっくりな隆一であった。

「で、どういう意味がその夢にあるのですか?」
「そうですね……。猫を自転車で轢いてしまったということは、おそらく、あなたにとっては失敗の体験です。そして、当時、あなたはその結果をちゃんと確かめずにその場を離れてしまった。そう、失敗の結果を確かめずに、スルーしてしまった。それは、まさに、今まで数多くの失敗を乗り越えて、成功し続けてきた安芸山さんにとっては、実に『らしくない行動』だったと言えるのではないでしょうか」
「私らしくない行動……」

 隆一はその言葉にはっとした。そうだ、目の前の男が今言ったとおり、自分は今の地位を築くために、たくさんの失敗を乗り越えてきた。失敗するたびに何がダメだったのか、何が間違っていたのか、自分なりに結果を見つめ、反省してきた。例えばかつて、結婚生活にピリオドを打ったとき、元嫁の捨て台詞は「あなたは愛がない。自分しか見ていない。鏡と結婚すればいいのよ」だった。そして、その怨嗟の言葉を自分なりに考え、反省して、彼はやがてマジックミラーと顔認証AIを組み合わせた高齢者見守りサービスを開発し、リリースにこぎつけた。従来型よりずっとパフォーマンスに優れたものだった。そう、そんな経験があってこそ、今の自分があるのだった。

「おそらくあなたは無意識では、たとえ小さな失敗でも、ちゃんと結果を確かめず忘れることを是としていないのです。あなたは、あなたが思っている以上に、自分に厳しく誇り高い意識をお持ちなのです。だからあなたの無意識は、夢という形をとって、あるいは、左目に黒猫の影を走らすという形をとって、黒猫を轢いたという失敗体験をスルーし続けている現状を責めているのです。これがあなたの左目の視覚障害の本当の原因だったと思われます」
「な、なるほど……」

 そうか、失敗は成功の母と昔から言うし、自分の本当の心は、それを知らせるために、夢でサインを送り続けていたのか。ウロマの分析にすっかり感心する隆一だった。思ったとおり、かなり有能な男のようだ。

「やはり、ここはもう一度現場に行き、轢いてしまった黒猫の死体を探すしかないでしょう。あなたが黒猫の影から解放されるためには、それしかありません」
「しかし、もう一ヶ月以上経っているのですよ? 猫の死体なんて、残っているかどうか――」
「例え猫の死体が見つからなくても、それはそれでいいのです。あなたにとって大事なことは、自分がしてしまったことの結果を確かめるという、行動そのものなのですから。いわば、これはあなたにとって禊《みそぎ》の儀式ようなものです」
「はあ、禊ですか」
「では、そういうわけなので、善は急げです。これから現場に行きましょう」
「え、今すぐですか?」
「はい。僕達も同行します。安芸山さん、案内お願いしますよ」

 ウロマは強引だったが、彼の提案そのものは非常に合理的で正しいように思えた。隆一は彼に言われるまま、彼と、助手らしい少女とともに一緒にカウンセリングルームを出て、車で事故現場に向かった。
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