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7.杏子side
しおりを挟む――絶対に間違ってる……と思った。
僕と和紗さんは、運命の番だ。
なのに――運命でないオメガの方を取るなんて、絶対に間違ってる。
あの脳が痺れるような香り、僕の運命……――。
和紗さんも、ちゃんと僕の匂いを嗅げば、直ぐに僕しか見えなくなるはずなのに……。なんで、そうしてくれないのか理解出来ない。
仕切り越しに和紗さんと会って、何度も訴えた。僕の運命、僕だけの運命だと……。
しかも、和紗さんは強いアルファだ。僕の自慢の……僕を守ってくれる、絶対的な運命の番。
発情期の時に逃げ出し、和紗さんに会おうとした。
運命の発情期なら、流石に抗うことは出来ないはずだから。
苦しいから薬を持って来てと言い、持って来た使用人の隙をついて部屋を飛び出した。
発情期だから、そんなことをすると思わなかったのだろう。ガードが緩くて助かった。
少し屋敷を走っていると、和紗さんの後ろ姿が見えた。たまたま、この屋敷に訪れていたようだ。
それで、やっぱり運命だと確信した。
和紗さんは、なかなか僕の元に訪れない。
だから逃げ出してから、どうにかして和紗さんを連れて来させないとと思っていた。
誰かを人質に、と思っていたが……。このタイミングで和紗さんがいるのは、僕と和紗さんが運命の番だからだろう。絶対に僕たちが番になるようにと、必然的にそうなっているんだ。
和紗さんの背中に、濃いフェロモンを浴びせた。
和紗さんは唸り声を上げながら、振り返り――僕に鋭い目を向けた。
それは嫌悪や殺気を含むものであり、どう見ても運命の香りだと喜ぶ表情ではなかった。
和紗さんは正気を保つためか、自分の腕を強く噛み、速やかに使用人を呼び寄せた。
僕はこんなのあり得ないとぼんやりしたまま、気付いたら元いた部屋に戻されてしまっていた。
それからは、静かに過ごした。
運命のフェロモンを嗅いだのに、あんな反応をされたのだ。もし番になれても、愛してはもらえないと漸く理解出来た。
それに――僕も、本当に和紗さんを好きなのかが……分からなくなってきた。
“運命じゃなきゃいけない”という、固執した気持ちを無くすと。和紗さんと人生を共に歩みたいとは思えないのだ。
けど今までの自分の常識から、そうだと認めたくなくて……。毎日が苦しかった。
そうして過ごしていたら――アルファの男性が、僕の部屋に投げ入れられた。
その男性は、和紗さんと一緒に歩いていた人が運命なのだと、俺の運命に会わせてくれと。扉の前で長い時間、叫んでいた。
暫くして、僕がいることに気が付き。お互いに自己紹介をして、同居という形になった。
その男性のことを、陽太と言い。
僕のことは、杏子と呼んでもらうことにした。
陽太は、とてもおおらかで優しいアルファだった。
僕がこの境遇に悲しんでいる時は、背中を擦りながら「大丈夫、いつか一緒に出ような」と明るく笑ってくれた。
僕がつまらなくてボーとしていると「なんかゲームしよう! 無難に、しりとりとかどうだ?」とお茶目な笑顔を見せてくれた。
自分だって辛いはずなのに、そんなのを感じさせないくらい、いつも明るく接してくれた。
長い月日を過ごしているうちに――僕は陽太のことが、どんどん好きになっていった。
好きになった大きな理由が、僕の発情期だ。
陽太は熱に苦しみながらも、僕を抱こうとしてこなかった。
和紗さんは、僕と陽太を番にしたいのだろう。陽太がこの部屋に来てからは、発情を抑える薬をくれたことがない。
だから僕は勿論だけど、陽太も苦しいはずだ。
なのに、陽太は僕の背中を擦り「大丈夫、大丈夫……。俺は、杏子に絶対、酷いことをしない。大丈夫だ」と息を荒げながらも、僕が寝付けるまで側にいてくれた。僕の発情期中……一週間もの間、ずっと――。
そんな発情期を、何度も過ごすうち……。こんな風にオメガに優しくて魅力的なアルファは、世の中を探しても陽太しかいないと思うようになり。陽太に笑顔を向けられる度、ドキドキと胸が高鳴るようになった。
けど、陽太は運命と番になりたいと思っている。
だから僕の発情期に当てられていても、ずっと我慢出来ているんだ。
僕も、かつてはそうだった……。運命と番になるのが当然なんだと、そう思っていたから――。
でも、それから数ヶ月経った夜。我慢出来ずに、陽太に告白した。
陽太は「杏子はさ、こんな場所に俺と閉じ込められて……。だから、そう思っちゃったんだ。杏子の運命は、あの強いアルファだろ? 俺みたいな奴じゃ……」と顔を歪めていた。
けど、『俺みたいな奴じゃ』と言われたことで、陽太は運命にじゃなくて、僕に気持ちがあるのだと分かった。
『閉じ込められて』というなら、陽太だって同じだ。
もし何かがあって、ここから解放されてから。正気になった陽太が、僕ではない違うオメガを選んで番になったら嫌だ。
それもあって、今のうちに番になっておきたかったのだ。
だから、何度もお願いした。
「運命のことは好きじゃない。強さなんてもの、どうでもいい。僕が心から番になりたいのは、陽太なんだ」と――。
それでも陽太は、自身と番になったら僕がのちのち後悔するのでは……と酷く悩んでいるようだった。
もう押し倒してしまおうかと思った、その時――何かがプチリと切れたような感覚がした。
不思議と『運命との絆が切れた』と感じた。
それは陽太も同じようで、驚いたように僕を見ていた。けど直ぐに、どこか安心したような表情になった。
何故そんな感覚がしたのかは、分からない。そんな事など、今まで聞いたことがないからだ。
でももしかしたら、運命と出会ったからこそ感じることの出来たものかもしれない。
その後、陽太は僕を番にすることを拒否することなく、僕の身体を優しく開き。けれど、うなじを噛む時は強く歯を立ててくれた――。
陽太と番になった数日後。和紗さんが訪れて、僕と陽太は解放された。
そして――生涯食べていけるくらいの、凄い金額が書かれた小切手を渡してきた。
和紗さんは「今まで監禁したから、その詫び金だ」と言った。
陽太はそれを突き返し「こんなのは、いらない。お詫びされることなんてないからだ。俺はここに来て……大事なものを得られた」と僕を見て、微笑んだ。
陽太に『大事なもの』と言われて、顔がカァーッと熱くなる。
和紗さんは、何を言っているんだというように目を細め――「ならば余計に……その大事なもののためにも、これは受け取るべきだろう」と絶対に譲らない、といった声を出した。
それは、強者からの命令にしか聞こえなかった。
その威圧をはね除けることは出来ず、再び差し出された小切手を受け取ると。
僕たちが一時的に住む家も、和紗さんが事前に用意してくれたようで。その仮住まいの家へ送る車の場所まで、和紗さんが案内してくれた。
和紗さんは車の扉を閉める前に、ふと僕たちの手元に目を向けてから、驚いたように目を見開いた後に小さく笑みを浮かべた。
和紗さんが見ていた場所は、少しも離れたくないというようにお互いに固く結んでいる僕と陽太の手であり――。
それは、運命と番になれないから仕方なく番になったわけではない……――愛している者同士だから出来る、強い繋がりが感じられるものだった。
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