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結婚に向けて1
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王都から領地に帰った翌日の午後。ルースレアは母のアリアにとある部屋へと呼び出されていた。
指定された部屋は幼い頃、ダンスや淑女としてのマナーなどを講師から習っていたレッスン室だ。習得した今はもう使っておらず、なぜこんなところに呼び出されたのか理由が思いつかず首を傾げる。
目の前に立つアリアが不思議そうな表情の娘に優しく微笑みかけ、口を開いた。
「今日ここに呼んだのは、貴方のためよ。ルースレア」
アリアの言葉にますます謎が深まって、ルースレアは困った表情を浮かべる。社交界に顔を出していないとはいえ、マナーはしっかりと身についているし、ダンスも兄のクロウの練習に時々付き合っていたので問題ないはず。
「分からないって表情ね。……貴方には嫁にいっても恥ずかしくない教育を施してきました。でも、それだけではだめなのですよ」
まだ母の意図が掴めない。とりあえず最後まで話を聞こうとアリアの顔を見つめた。
「……貴方の嫁ぐ先は本来なら犬族だった。この家から出れば、社交界は関係なくなる。だから今のままでも良かったの。でも、そうはいかなかった。嫁ぎ先は猫族の領主になるシアン様のところ……。家を継ぐシアン様の妻となるなら今までのように社交界から目をそらしてはいられないわ」
社交界にはデビューのときに行ったきり。悪意のある言葉や嘲笑に辛い思いをして、ずっと家に引きこもってきた。いずれ嫁に行き社交界から遠ざかるはずだったので、それでも大きな問題はなかったのだ。
だが、いずれ家督を継ぐシアンに嫁ぐとなるとそうはいかない。猫族の領主の妻として、その責務を果たさなければならないのだ。
「お茶会から舞踏会まで、様々な場面に参加しないといけない。お茶会はともかく、舞踏会なんかは従者は連れていけない。シアン様だって付き合いがあって、ずっと隣にはいられないでしょう。そんなとき、貴方は一人」
アリアの話に急に不安が襲ってくる。心強い味方のミューラも、頼りになるシアンも側にいない。獣族返りで言葉の話せない自分が一人でなにができるというのだろう。
社交界では味方を作ることも大切だというのに。
「だからね、ルースレア。貴方は完璧な淑女にならなければならないの」
母の言葉にルースレアは顔を上げた。どういうことなのだろうか、と首を傾げる。
「……建国の王ウルルドの妃様は言葉を発せずとも、微笑み一つで民衆の心を掴んだというわ。ルースレア、話せないことは重要ではないと思うの。決して揺るがず、弱みを見せないことが大切よ。悪意を微笑み一つで黙らせれるくらい強くなる。それが、貴方を守る武器となる」
辛いことを言われも、嫌がらせを受けても、微笑みを崩さずに対応する。そんなことができる自信などなく、ルースレアは耳を伏せた。
「貴方は優しく繊細な子。それは私がよくわかってるわ。でも、それでは社交界の中ではやっていけない。ルースレア、私が母としてあなたにしてあげられる時間はもうわずか。……お母様のことを信じて、頑張ってみない?」
ぎゅっと強く抱きしめられる。母の包容はいつでも暖かく、深い愛情を感じさせてくれる。シアンに嫁いだら、もうこの母の愛情を感じられなくなる。それが不意に現実味を帯びて、ルースレアは泣きそうになった。
今まで家族にはたくさん守ってもらった。でもこれからは一人で立たなければならない。
ルースレアは深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
シアンと共にありたいと望んだのは自分だ。そのためにふさわしくなりたい。
「ルースレア……」
母から体を離し、微笑んでみせた。アリアはそれを見て少し涙ぐんだが、いつものように優しい笑みを浮かべた。
「覚悟を決めたのね」
しっかりと頷く。完璧な淑女はきっと簡単になれるものではない。洗練された所作からどんなことにも揺るがない心が必要だ。
母の言うようにそれが自分を守る盾になるのなら、どれほど厳しくても頑張ろう。
「今日から、婚礼まで私は貴女を厳しく教育します。婚礼の準備もあって忙しいけど、一緒に頑張りましょう」
はい、と唇を動かす。言葉が話せていたのなら、この返事はきっと力強いものだっただろう。
そうして母の厳しい教育は幕を開けた。
「ルースレア、笑顔が硬いわ。もっと柔らかく」
「歩くときは指先まで意識して!」
「ダンスのときはステップに気を取られすぎない! ドレスの広がりまで美しく見せるように!」
そんな叱咤が続き、まだ半日しか経っていないのに、ベッドに入る頃にはルースレアはヘトヘトになっていた。
今までも食事のマナーなどに厳しい一面はあったが、それを上回っている。
特に自分でコントロールするのが難しい耳や尻尾は難点だった。彼女の感情を素直に表現してしまうからだ。感情を現してくれるのは話せない彼女にとって大切なことだったが、今回においてはそれが裏目に出ている。
心配そうなミューラを下がらせ、真っ暗な部屋で目を閉じた。
厳しさにちょっぴり泣きそうにはなったが、改めて気合を入れ直す。そして、疲れ果てていたルースレアはすぐに眠りへと落ちていったのだった。
指定された部屋は幼い頃、ダンスや淑女としてのマナーなどを講師から習っていたレッスン室だ。習得した今はもう使っておらず、なぜこんなところに呼び出されたのか理由が思いつかず首を傾げる。
目の前に立つアリアが不思議そうな表情の娘に優しく微笑みかけ、口を開いた。
「今日ここに呼んだのは、貴方のためよ。ルースレア」
アリアの言葉にますます謎が深まって、ルースレアは困った表情を浮かべる。社交界に顔を出していないとはいえ、マナーはしっかりと身についているし、ダンスも兄のクロウの練習に時々付き合っていたので問題ないはず。
「分からないって表情ね。……貴方には嫁にいっても恥ずかしくない教育を施してきました。でも、それだけではだめなのですよ」
まだ母の意図が掴めない。とりあえず最後まで話を聞こうとアリアの顔を見つめた。
「……貴方の嫁ぐ先は本来なら犬族だった。この家から出れば、社交界は関係なくなる。だから今のままでも良かったの。でも、そうはいかなかった。嫁ぎ先は猫族の領主になるシアン様のところ……。家を継ぐシアン様の妻となるなら今までのように社交界から目をそらしてはいられないわ」
社交界にはデビューのときに行ったきり。悪意のある言葉や嘲笑に辛い思いをして、ずっと家に引きこもってきた。いずれ嫁に行き社交界から遠ざかるはずだったので、それでも大きな問題はなかったのだ。
だが、いずれ家督を継ぐシアンに嫁ぐとなるとそうはいかない。猫族の領主の妻として、その責務を果たさなければならないのだ。
「お茶会から舞踏会まで、様々な場面に参加しないといけない。お茶会はともかく、舞踏会なんかは従者は連れていけない。シアン様だって付き合いがあって、ずっと隣にはいられないでしょう。そんなとき、貴方は一人」
アリアの話に急に不安が襲ってくる。心強い味方のミューラも、頼りになるシアンも側にいない。獣族返りで言葉の話せない自分が一人でなにができるというのだろう。
社交界では味方を作ることも大切だというのに。
「だからね、ルースレア。貴方は完璧な淑女にならなければならないの」
母の言葉にルースレアは顔を上げた。どういうことなのだろうか、と首を傾げる。
「……建国の王ウルルドの妃様は言葉を発せずとも、微笑み一つで民衆の心を掴んだというわ。ルースレア、話せないことは重要ではないと思うの。決して揺るがず、弱みを見せないことが大切よ。悪意を微笑み一つで黙らせれるくらい強くなる。それが、貴方を守る武器となる」
辛いことを言われも、嫌がらせを受けても、微笑みを崩さずに対応する。そんなことができる自信などなく、ルースレアは耳を伏せた。
「貴方は優しく繊細な子。それは私がよくわかってるわ。でも、それでは社交界の中ではやっていけない。ルースレア、私が母としてあなたにしてあげられる時間はもうわずか。……お母様のことを信じて、頑張ってみない?」
ぎゅっと強く抱きしめられる。母の包容はいつでも暖かく、深い愛情を感じさせてくれる。シアンに嫁いだら、もうこの母の愛情を感じられなくなる。それが不意に現実味を帯びて、ルースレアは泣きそうになった。
今まで家族にはたくさん守ってもらった。でもこれからは一人で立たなければならない。
ルースレアは深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
シアンと共にありたいと望んだのは自分だ。そのためにふさわしくなりたい。
「ルースレア……」
母から体を離し、微笑んでみせた。アリアはそれを見て少し涙ぐんだが、いつものように優しい笑みを浮かべた。
「覚悟を決めたのね」
しっかりと頷く。完璧な淑女はきっと簡単になれるものではない。洗練された所作からどんなことにも揺るがない心が必要だ。
母の言うようにそれが自分を守る盾になるのなら、どれほど厳しくても頑張ろう。
「今日から、婚礼まで私は貴女を厳しく教育します。婚礼の準備もあって忙しいけど、一緒に頑張りましょう」
はい、と唇を動かす。言葉が話せていたのなら、この返事はきっと力強いものだっただろう。
そうして母の厳しい教育は幕を開けた。
「ルースレア、笑顔が硬いわ。もっと柔らかく」
「歩くときは指先まで意識して!」
「ダンスのときはステップに気を取られすぎない! ドレスの広がりまで美しく見せるように!」
そんな叱咤が続き、まだ半日しか経っていないのに、ベッドに入る頃にはルースレアはヘトヘトになっていた。
今までも食事のマナーなどに厳しい一面はあったが、それを上回っている。
特に自分でコントロールするのが難しい耳や尻尾は難点だった。彼女の感情を素直に表現してしまうからだ。感情を現してくれるのは話せない彼女にとって大切なことだったが、今回においてはそれが裏目に出ている。
心配そうなミューラを下がらせ、真っ暗な部屋で目を閉じた。
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