婚約破棄だ!と言われ実家に帰ったら、最推しに餌付けされます

黒猫かの

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アースガルド公爵邸、正面玄関。

ザザーッという音と共に、氷の道に乗った私たちが滑り込んできた。

「到着だ!」

ルーク様が私を抱いたまま、華麗に着地する。

その瞬間、待ち構えていた使用人たちが一斉にクラッカーを鳴らした。

パーン! パパパン!

「おかえりなさいませぇぇぇ!」

「旦那様、ナイス誘拐です!」

「ノエル様、おかえりなさい! おやつ用意できてます!」

セバス、メイド長、料理長、文官たち。

全員が涙を流して歓迎してくれている。

「……ただいま戻りました」

私はルーク様の腕から降り、スカートを整えて一礼した。

「皆様、ご心配をおかけしました。……留守中の業務報告は後ほど。まずはこの散らかった紙吹雪の清掃から始めましょう」

「ノエル様だ……! 本物のノエル様だ……!」

「相変わらずの業務第一主義……安心する……」

使用人たちが拝み始めた。

ルーク様は、満足げにその光景を見渡し、そして高らかに宣言した。

「聞け、皆の者!」

ルーク様が私の肩を抱き寄せる。

「彼女は戻ってきた! これより、来週の結婚式に向けて総力戦を行う! 準備はいいか!」

「オーッ!!」

地鳴りのような歓声。

私は苦笑しながら、隣の「ボス」を見上げた。

「……閣下。来週って、本気ですか?」

「本気だ。……善は急げだ」

「準備期間が足りません。通常、公爵家の結婚式は半年かけて準備するものです」

「金ならある。人手もある。……何より、お前がいる」

ルーク様は私を見つめた。

「お前の指揮があれば、一週間で城の一つや二つ建つだろう?」

「……買いかぶりすぎです。ですが」

私はニヤリと笑った。

「不可能を可能にするのが、優秀な事務官の仕事ですからね」

          ***

その夜。

お祭り騒ぎの使用人たちを下がらせ、私たちは久しぶりに二人きりで執務室にいた。

「……落ち着くな」

ルーク様が、いつもの革張りの椅子に座り、深く息を吐く。

「やはり、ここが一番だ」

「そうですね。……壁に穴も空いていませんし」

私はいつもの席でお茶を淹れ、ルーク様の前に置いた。

湯気が立ち上る。

ルーク様はそれを一口飲み、そしてカップを置いて立ち上がった。

「……ノエル」

「はい」

ルーク様が私の前に来て、片膝をついた。

今度は、勢い任せでも、パニック状態でもない。

静かで、真剣な、騎士の礼。

「……改めて、言わせてくれ」

ルーク様が、ポケットからあの「氷雪の指輪」を取り出した。

「ノエル・フォン・ローゼン。……俺の妻になってくれ」

直球のプロポーズ。

王城での宣言や、実家での絶叫とは違う、二人だけの誓いの言葉。

私は、その指輪を見つめた。

巨大なブルーダイヤモンド。

その重みは、公爵家という巨大な組織の重みであり、ルーク様という一人の男性の人生の重みだ。

私は、事務官としての癖で、瞬時に計算を始めてしまった。

「……閣下。確認させてください」

「ん?」

「公爵夫人になるということは、これまでの『事務官』としての業務に加え、『社交』『家政』『領地経営の共同責任』……そして『後継者育成』という重大なタスクが追加されるわけですよね?」

私は指を折って数えた。

「単純計算で、現在の業務量の倍……いえ、三倍です。私の労働時間は二十四時間を超え、睡眠時間はマイナスになります」

私は真顔でルーク様を見下ろした。

「……死にますよ?」

ムードもへったくれもない返し。

だが、ルーク様は笑った。

「……わかっている」

彼は私の手を取り、指輪を薬指に滑らせた。

「だから、俺が守る」

「守る?」

「労働基準法は守らせる」

ルーク様は真剣な顔で言った。

「お前が働きすぎないように、俺が見張る。……お前が徹夜しようとしたら、俺が強制的にベッドへ運ぶ」

「……」

「お前が書類に埋もれそうになったら、俺が書類を凍らせて燃やす」

「それはやめてください」

「そして、お前が疲れたら……いつでも俺が膝枕をして、甘いものを食わせて、マッサージをしてやる」

ルーク様は私の手の甲に口づけた。

「俺は、お前を『働かせる』ために娶るんじゃない。……お前と『生きる』ために一緒になるんだ」

「……」

完敗だ。

この不器用な公爵様には、どんな計算も敵わない。

私の胸の奥が、じわりと温かくなる。

「……わかりました」

私はルーク様の手を握り返した。

「その条件、飲みましょう。……ただし」

「ただし?」

「残業代は高くつきますよ? ……一生分の愛で支払ってくださいね」

「……望むところだ」

ルーク様が立ち上がり、私を引き寄せた。

顔が近づく。

触れるか触れないかの距離で、ルーク様が囁く。

「……契約成立だ」

「はい、ボス……いえ、あなた」

唇が重なる。

甘くて、優しい、契約のキス。

それは書類上のサインよりも確かに、私たちの心を結びつけた。

          ***

「……キャーッ!」

「見た!? 今見た!?」

「契約成立ーッ!」

「結婚式だー! 準備だー!」

ドアの隙間から、またしても使用人たちの悲鳴と歓声が聞こえた。

ルーク様が唇を離し、苦笑する。

「……また覗いていたか」

「当家のセキュリティはザルですね」

「……まあいい。今日だけは許してやる」

ルーク様は私を抱き寄せたまま、ドアに向かって叫んだ。

「おい、お前たち! 聞いての通りだ!」

ガチャリとドアが開き、なだれ込んでくる使用人たち。

「おめでとうございますぅぅぅ!」

「やっと……やっとですねぇぇ!」

「セバス! これより『結婚式超特急プラン』を発動する!」

ルーク様が指示を飛ばす。

「招待状の手配、衣装の準備、料理の選定……全てを一週間で完璧に仕上げろ! 金に糸目はつけん!」

「御意!!」

「それから、人手が足りん! ……『労働者』たちを呼び戻せ!」

「労働者?」

私が首を傾げると、ルーク様がニヤリと笑った。

「鉱山に行っている二人だ。……一時帰休させて、結婚式の雑用をさせる」

「ああ……クレイスさんとミーナさんですね」

「皿洗いくらいはできるだろう。……それに、元婚約者の結婚式で働くなんて、最高の『教育』だと思わんか?」

「……性格が悪いですね、あなた」

「お前ほどじゃない」

私たちは顔を見合わせて笑った。

          ***

そして、怒涛の一週間が始まった。

「ノエル様! ドレスの仮縫いです! 三時間立ちっぱなしでお願いします!」

「料理の試食です! ケーキ五十種類、全部食べて評価してください!」

「招待客リストが千人を超えました! 席次表のパズルをお願いします!」

「引き出物の発注ミスが! 至急対応を!」

屋敷は戦場と化した。

私は「花嫁」兼「現場監督」として、屋敷中を走り回った。

「そこの花! 配置が三センチずれています!」

「料理長! メインの肉料理、ソースの塩分濃度を0.1パーセント下げて!」

「クレイスさん! サボらないで椅子を並べて! ミーナさん、招待状の封入作業、遅い!」

呼び戻されたクレイスとミーナは、死んだ魚のような目で単純作業に従事していた。

「なんで……なんで俺が元婚約者の結婚式の準備を……」

「指が……紙で切れて痛い……」

「文句を言う暇があったら手を動かす! 働かざる者、披露宴の残り物は食わせませんよ!」

「はいぃぃぃ!」

そして、結婚式前日。

全て準備が整った深夜。

屋敷の門の前に、一台の馬車が砂煙を上げて到着した。

「待てぇぇぇ! 私の娘はどこだぁぁぁ!」

降りてきたのは、鬼の形相をした父、ローゼン侯爵。

そして、その背後には。

「……計算の合わない結婚など、私が認めませんよ」

不気味に眼鏡を光らせる、家庭教師のオスカー。

最後のオールスターが集結した。

いよいよ明日、世紀の結婚式(ドタバタ劇)の幕が開く。

私たちは、最強の夫婦として、このカオスな式を乗り切ることができるのか。

そして、誓いのキスの後には、どんな「ハッピーエンド」が待っているのか。

「……楽しみですね、ルーク様」

「ああ。……俺たちの『最初で最後の共同作業』だ」

私たちは手を取り合い、夜明けを待った。
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