侯爵家の婚約者

１１．

　ジルダの魔力は、事実とても小さかった。
　魔力吸収の能力は、自分の魔力量を超え吸収することはできない。――もし行ったら、魔力暴走を起こしてしまう。
　これは常識だった。
　だが、ジルダはそれができたのだ。
　
「溢れた魔力を体に巻き付けるようにするんです。――こう、くるくると」
　ジルダはトコトコと窓際に行くと、サロンのカーテンを手に取って、自分の体にくるくるとカーテンを巻き付けた。
「こうすると、体に入りきらない魔力も一緒にすることができるんです」
　巻き付けたカーテンから顔だけを出してジルダが説明する。
　ソファーに座ってその様子を見ていたカインは、自分の手を流れる魔力を見つめた。
　魔力とは魂の一部であり、命と対になるものだ。その命を体の外に出して巻き付けるなんて――
　ジルダの言っている事はありえない事に思われた。
　物心ついた頃から身に付いている常識だ。
　体の中にある魔力は使えば減るが、ゆっくり休むことで回復もする。だから魔力を使った仕事をしても、魔力が体から無くなることもなく生活ができる。
　魔力の量は個人差があるが、どれだけ魔力量が大きかろうが小さかろうが、魔力が無くなると命も終わる。
　だから魔力を無駄に体の外に漏らしたり、使い切ったりしないよう訓練するのだと教えられてきたし、他の者も同じだ。
　それを、目の前のこの少女は事も無げに「体の外に出す」と言ってのけたのだ。
　
「……やっぱり、変ですよね？私の言ってること」
　カーテンから出てきて、自分の目の前に座り直したジルダは、わかりやすくしょんぼりとして、テーブルに用意されていたティーカップに目を落とした。
「――びっくりしただけだよ。今まで真逆の事を言われてきたから……公女はどうしてこんな事ができるようになったの？魔力を吸収するだけでもすごいのに、自分の魔力量よりいくらも大きい魔力を吸収するなんて」
　カインは子供用に淹れられた、甘い蜜の入ったお茶を勧めながら、ジルダに尋ねた。
　思いがけず否定の言葉が出なかったことに驚いて顔を上げたジルダは、これまたわかりやすく顔を輝かせて話始めた。
「わ……私は、一度失敗して死にそうになったんです。３歳の頃送水ポンプの魔法陣を誤って触ってしまって――それで助けてくれた使用人の魔力を吸収して助かったんです。その時、必死だったからちょっと吸いすぎたみたいで――」
　ジルダは自分から溢れた魔力を「もったいない」と思い、慌てて自分の体に貼り付けたのだ。
「え？貼り……？そんな事できるの？」
「今ではできないとわかっています。でも、その時はそ・ん・な・事・知・ら・な・か・っ・た・んです」
　カインは落としそうになったカップを両手で包むように持つと、「知らなかった」と口の中で呟いて、その言葉をお茶と一緒に飲み込んだ。

「つまり、シトロン公女は魔力とはどういうものかを知らなかったからできた、そういう事か」
　カインからジルダとの会話を聞いた侯爵は、ソファに深くもたれながらため息をついた。
「シトロン公女はその――家族にほったらかしにされてたそうなんです。それで、小さな頃からいつの間にか聞かされている魔力の話を一度も聞いたことがなくて、魔力そのものは知っていたけど、体の中にあるものだとか、命と対になっているとか知らなかったそうです」
　母とは疎遠ではあったが、父であるエスクード侯爵はもちろん、領地でも首都でも使用人たちは時間があればカインと遊んでくれていたし、一緒に本を読んだり、屋敷の外の話や武勇伝を聞かせてくれていたので、寂しいと思ったことはなかった。
　シトロン公女が物心ついた頃から最低限の世話しか受けれず、一人で過ごしていたと聞いた時、カインの心は締め付けられるようだった。
「カインの周りにいつも人がいるのは、カインは一人息子だからというのもある」
　思い出して唇を嚙む息子を膝に抱き上げ、侯爵は続けた。
「シトロン家は確か、ジルダ嬢の上に４人のお子がいてかなり年も離れていた。１番上の令嬢は確か１８歳……ジルダ嬢が生まれた頃はデビュタントの準備や下のご子息のお披露目なんかで忙しい頃だったのだろう」
　王宮でたまに見かける程度の付き合いでしかないシトロン伯爵だったが、子沢山の伯爵家は何かと話題が絶えず、侯爵の耳にもその家庭環境は聞こえてきていた。
　前妻が亡くなって２年後に迎えた後妻が生んだ末娘は酷く不器量で、伯爵も母親も関心を示さず放置された娘は、５歳の能力発現までその容姿以外、社交界の噂に上る事はなかったのだ。
　侯爵でさえ、1年前に王宮で初めて顔を合わせるまでその存在を気にも留めていなかった。
　他人の前で感情を表現する事が苦手そうなその娘は、美しい侯爵夫妻を前に、小さなその体を更に小さく丸めながら父親である伯爵に隠れて、夫妻をきらきらとした目で盗み見ていた。
　話に聞くほど酷い容姿ではなかった。むしろ、子供らしく愛らしいとさえ思えたが。
　当時の事を思い出しながら侯爵は笑みを浮かべた。
「どうしたのですか？父上」
　急に微笑んだ侯爵にカインは不思議そうに尋ねた。
「カインはシトロン公女をどう思った？」
「シトロン公女は――僕の事を怖がっているようです。でも、公女に手を握られると、僕はとても楽になります」
　カインはジルダに握られた手を見つめながら答えた。
「嫌いじゃないか？」
「公女のことが？――いいえ。むしろ大好きです。彼女の魔力はとても綺麗ですし……」
「なら――」
　侯爵は昼間に王宮で王から出された提案を保留にしていた。カインの意見を聞いてからでは答えられないと。
「ジルダ嬢と婚約するのはどうだろうか」