侯爵家の婚約者

やまだごんた

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26.そばにいる

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 獣車の外はすっかり陽が高く、空の模様は秋の深まりを知らせていた。
 ロメオは心地よい獣車の揺れに身をまかせていた。
 カインの言う通り、魔力量に差がありすぎると子供ができない。
 だから貴族は伴侶の魔力が釣り合わない時などは妾を迎える。
 貴族にとって最も重要なことは、愛ではなく家を繋ぐことなのだから。
 だが、そうではなかった2人をロメオは知っている。
 愛を貫いた美しい2人だった。
 なのに――その息子ときたら……
 ロメオは窓から流れる貴族街を眺めていた。
 エスクード邸とアバルト邸は、どちらも首都の中心部に建つが、結界の塔を挟んだ反対側に位置している。
 気軽に行き来できる距離ではあるが、今日はやたらと道が遠く感じる。
「なんでよりにもよって平民――しかも貧民街の生まれなんだよ……」
 ロメオは言いようのない苛立ちに、車内で独りごちた。
 カインの魔力量は非常に大きく、ジルダの魔力は常人よりも小さい事は隠しようなく周知の事実だ。
 二人が結婚しても子供は望めないと誰もが思っていた。
 だからこそ、カインの婚約者が社交界一不器量なジルダと発表された時も、貴族達はむしろ歓迎した。
 相手がジルダなら、カインは妾を迎え入れざるを得ないという思惑からだ。事実、貴族たちは魔力量の多い自分の娘を差し出そうと躍起になっていた。
 ジルダはただ黙ってそれを見ていた。
 自分の役割はこれだけだと言わんばかりに、黙って3日に1度の魔力吸収を欠かさず行った。
 必要があれば夜会に出席し、カインが目を合わせる事がなくとも、静かにカインの隣に立っていた。
 唯一の救いは、擦り寄る貴族達やどんな美しい令嬢にも、一切興味を示さなかったことだったのに――よりにもよって奴隷以下の貧民に手を出すとは。
 ロメオが差別的な考え方をしているのではなく、貧民街の住民と言うのは人としてさえ認められていないような存在だった。
 奴隷であっても、技能があれば平民よりも収入を得る事ができるし、その子供は解放奴隷として平民の地位を与えられる。
 だが、貧民街の住民が平民として暮らせることはほぼなかった。
 貧しく、教養もなく、汚れ仕事や力仕事を請け負っては日銭を稼げばよい方で、大抵は小型の魔獣のように路地の裏をねぐらにし、物乞いや残飯を漁って暮らすような者達だったからだ。
 そんな貧民街の女を召し抱えたと知れたら、侯爵家の名誉は地に落ちるだろう。
 万が一子を産めたとしても、その子供がカインほどの魔力を持たない限り、貴族としてさえ認められない可能性もあるのだ。

「幸い、君の恋人の正体はまだ知られてはいない。もし君が彼女を愛妾に迎えたいのなら、適当な身分を与え、それなりの作法と教養を身につけさせるんだ。いいね」
 平行線な話し合いの末、帰り際にこれだけ言ってきたのだが、カインはわかってくれただろうか。
 どこぞの裕福な平民か、辺境貴族の養女にでもして、それなりの作法と教養さえ身につけてしまえば、あとは何とでも誤魔化せる。
 貧民街の出だと知れたとしても、身分や後ろ盾があれば足を掬われる事もない。それが貴族社会なのだ。
 ――しかし、なぜ伯父上は黙っているのだろう。
 エスクード侯爵は妻の死後、より仕事に没頭するようになった。
 領地と首都を往復し、ロメオでさえ顔を見ることは難しい。
 エスクードの領地は交易の中継地として栄えており、その管理と治安維持だけでもかなりの仕事量になる。
 その上、カインが所属する魔道技術管理を取りまとめ、定期的に行われる王宮の会議も法務貴族として参加している。時には魔獣の大掛かりな討伐隊を指揮する事もあった。
 それだけの仕事をこなしても、夜会や晩餐会を嫌う息子の代わりに招待に応じ、社交界にも多大な影響力を持つ。
 五十路を目前に控えた現在でさえ、魅力的な外見は衰える事はなく、貴婦人や令嬢からの再婚の申し出は後を絶たないのは余談ではあるが。
 それだけ多忙であるなら、カインの私生活まで面倒見切れないのも無理はない。
 だが、あれだけ子煩悩で、しかもジルダの事も娘のように大事にしていた伯父上が、この状況について何もお考えになっていないわけがない。
「僕の知らない何かがあるというのか――」
 ロメオは答えを探し出せないまま目を閉じると、獣車の揺れに身を任せた。

 イレリアの部屋を訪れると、イレリアはカウチで眠っていた。
 ロメオを見送った玄関で感じた風は肌寒いと思ったが、閉じられた窓から差し込む光で、暖炉をつけなくても十分部屋は暖かかった。
 イレリアの手元には、薬草の本が置かれている。読書中に眠ってしまったのだろう。
 イレリアは貧民街にいたが、薬師が仕事に必要な読み書きを教えていたらしく、簡単な文字なら読むことができた。
 だが、このような専門的な本を読むことはできなかったはずだが――勉強したのだろうか。
 本を拾い上げるとカウチのひじ掛けに腰を落とし、イレリアの寝顔を見つめた。
 結い上げていない栗色の髪が頬にかかっていたので、そっと指先でその髪を掬い上げた。
 彼女の物であれば髪の毛一本でさえ愛しいと思えるのは、彼女だかだ。他の誰にもこんな感情を覚えたことはなかった。
 カインはイレリアの髪の毛に口付けすると、懐かしい香りが鼻先をくすぐった。
 カインが使わない香油の香りだ。ジルダのものでもない。
 誰だっだろう――懐かしい、けれど悲しみが蘇る。
「カイン――泣いているの?」
 カインの気配を感じたのか、イレリアが薄く目を開けてカインを見た。
「起こした?ごめんよ」
 カインはすぐに笑顔を作ると、イレリアの瞼に唇を落とした。
 イレリアの長いまつ毛がカインの唇を撫でるのが心地いい。
「ううん。待ってようと思ってたのに眠ってたのね」
 隣に座ったカインにもたれながらイレリアが体を起こすと、カインはイレリアの体を優しく抱きしめて口付けた。
「悲しいことがあったの?」
 イレリアはカインの柔らかい金色の髪を優しく撫でて尋ねた。
 イレリアは感情を読むのが上手だった。魔力の揺らぎを感じて、感情や不調を感じ取る事が出来た。薬師として最適な能力だと、カインは思っていた。
 だが、二度とあんな場所にイレリアを帰す事は想像だにしたくなかった。
「君がいなくなるんじゃないかと思うと、悲しい気持ちになったんだよ」
 イレリアの頬に口づけをして、カインは答えた。
「カイン――私ね……あなたがいない間、ずっと考えていたの」
 両手でカインの頬を挟み、イレリアは緑色の瞳でカインの青い瞳を見つめた。
「あの場所の人達は私の家族も同然でとても大切な存在よ。でも、カイン。あなたがいない人生を考えた時、私は生きていられないと思ったの」
 イレリアはそう言うと、カインの唇に自分のそれを重ねた。
「カイン、あなたを愛してる」
 そして、小さく深く息を吸い込み、カインに頬擦りした。
「カイン――あなたが必要とする限り、私はずっとあなたのそばにいるわ」
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