5 / 8
5.失いたくないもの
しおりを挟むロベルトに相談したところで、結局答えは決まっている。
「フェリクス様」
城に帰ると、ディートリンデが尋ねてきていた。
美しい化粧をして、美しく髪を結いあげて、美しいドレスを着て、庭のテラスに座っている彼女は、いつも通り穏やかで、春の日差しのように暖かだ。
「しばらくお会いできなくて寂しかったですわ」
「ああ、そうだな」
考えなければいけない事が山ほどある。
ディートリンデと一緒にいたくて、その事を考えているはずなのに、いつの間にか、彼女といるための世界の話を、アンリとばかりしている。アンリと考えている世界の話には、アンリは存在しないのに。
「……なぁ、ディートリンデ嬢。例えば婚約を破棄できたとして、その後、城に、アンリがいるのは嫌か?」
「嫌です」
いつだって穏やかで、何かを聞いても波風を立てないような言葉選びをする彼女が、はっきりと嫌だと言った事に驚いて息を呑む。
「……何故だ。アンリは仕事が出来るし、この国にとって……」
「この国にとって良いだとか、良くないだとか、そんなことは関係ありませんわ。誰だって、元恋人がいたらいい気がしませんよ」
「…………俺と、アンリはべつに、恋人とかじゃ……」
「アンリ様は、そうですね、でも貴方は違うでしょう」
そう言われて、何も反論ができない。思わず視線を落とした。
アンリと、フェリクスの関係は、確かに恋人なんて甘い関係ではない。
アンリはフェリクスの事を好きでは無かった。
フェリクスが、アンリをどう想っているか、と言えば、それはとてもじゃないが人には言えないようなものだ。
いつだってフェリクスが何をしても、何を言っても、アンリの心には響かなくて、いつからかそれが、無性に悔しかった。アンリが、ひとつも俺を好きじゃないと言うのなら、せめて一生残る傷をつけてやりたい。例えば、アンリがフェリクス以外の誰かを選んだとしても、それでもたまに思い出しすくらいの、ひどい傷跡くらいつけてやりたい。
ずっと傷口が痛んで、じくじくと、彼を傷つけるものでありたい。
そんなフェリクスの感情はきっと、恋ではない。
こんな感情が、恋であってはならない。
これはおぞましい、執着だ。
「……ところで、フェリクス様。私、早く結婚式の衣装を選びたいのですわ。今度一緒に見てくれませんか? 私、お気に入りのデザイナーがいて、是非その方にって、もう声もかけてますの」
「ディートリンデ嬢、今はそんな事を言ってる場合じゃない」
婚約破棄の前に、どれだけのハードルがあると思っているのか。来年の即位に、挙式は間に合わないかもしれない。出来れば一緒に済ませてしまいたかったが、アンリと考えれば考えるほど、ハードルは多い。
即位式と挙式を別にやるのであれば、またそれには相応の血税がかかる。
(……アンリが言う通り、アンリが王妃になるのであれば……)
「……フェリクス様、私、新婚旅行はウシュク=ベーハ帝国に行ってみたい」
「はぁ、あのな、あの国は鎖国しているから行けるわけがないだろう」
「あら、そうですか。でも行ったと言う方のお話を聞いた事が……」
「話をしているのは商人だろう。彼らは帝国の中でも、一握りの選ばれた商人で、帝国の機密を護る誓約をして、他国で商売をしている者たちだ」
「へぇ、難しい国もありますのね」
あまりに政治情勢に疎いディートリンデに思わず、内心ため息が出てしまう。
学生の頃はそれはそれが癒しで、それが心の安寧だったはずなのに、近頃はそれが妙にフェリクスを不安にさせて、焦燥感が募る。すでに王妃教育を受け終えている、アンリのようになって貰わなければいけないのに距離が遠すぎる。これから、ダンス、マナー、知識をつけて、王妃になるには、正直厳しいだろうと考えてしまう。
「フェリクス様」
その時、突然、後ろからアンリの声が聞こえた。
ディートリンデと話している時に、アンリが声を掛けてくるのは珍しかった。
彼女といる時は話しかけないようにする、と言う約束だったのに。ディートリンデの機嫌が悪くなりそうな気配を察知して、それを咎めようと振り向いた瞬間、ドン、と言う音がして、アンリに抱きしめられた。
それと同時に防護魔法が展開される。
アンリは防護魔法の名手だ。美しい緋色の魔法陣は、アンリの魔法によって描かれたものだろう。続いて、ドン、ドン、ドンと大砲のような音がした。
「アンリ」
フェリクスを抱きしめているはずのアンリが動かない。
フェリクスを抱きしめる腕に力が無い。
「アンリ」
何度呼びかけても聞き慣れたはずの声が、返ってこない。
地面が大量の血で濡れていく。
遠くで護衛が何かを叫んでいるのが聞こえてくる。
「…………アンリ?」
ディートリンデの叫び声が辺りに響き渡った。
◇◇◇
庭に忍び込んだ男は、地下牢に閉じ込められている。
城のセキュリティは完璧だった。城内の者が、手引きをしたらしい。犯人の尋問と、城へ手引きした者の捜索が進められている。
アンリは肩と、腹に銃弾を受けていた。アンリの作った障壁は、しっかりとフェリクスを護ったのだという。
「フェリクス」
「……ニコラス」
ニコラス、と呼ばれた男は、勝手にフェリクスの寝室に入って来た。
アンリの兄だ。あれからアンリは、銃弾を取り出す手術をして、それからずっと眠り続けている。熱が出て、下がっての繰り返しで、意識はまだ戻らない。心配でたまらなくて、いつ目が覚めてもいいように、アンリはフェリクスの寝室で寝かせていた。
「寝てないのか」
「……寝てられるかよ」
アンリの怪我自体は手術で銃弾を取り出して、魔法で表面の怪我と内部の血管損傷を治されている。けれど体が受けたダメージだけは、すぐには回復しない。
寝て治すしかないのだという。
もう三日も眠り続けているアンリの顔色は、蒼褪めたままだ。
「治るって言われてるんだろ、お前が寝てても寝てなくても、アンリは目覚めないぞ」
「わかってる、うるさいな。俺がそうしたいんだから、いいんだよ」
時折医師や看護師が入ってきて、様子を見ては部屋を出ていく。
フェリクスだってずっと側にいて見守るだけはできないから、アンリの眠る側でずっと仕事を続けている。仕事に詰まるたびに、アンリが目覚めていれば相談ができるのにと思って、その度にため息が出る。
「そういえば、お前、婚約破棄の件はどうするんだ」
「……するわけないだろ」
「なるほど、勝手な男だな」
今、捜索されている王太子殺害未遂の犯人を手引きしたのは、ディートリンデの父親だという説が濃厚だった。実際に城内に招いたのは、ディートリンデではないかということで、彼女も拘束されている。
こうなった以上、フェリクスの伴侶は、アンリ以外はありえない。その事実に安堵してホッとしている自分がいる。
「…………けど、こうなって、アンリがそれで幸せかどうかわからない」
アンリの頬をそっと撫でてやると、血の気の無い頬は少しひんやりとしている。
「なんで」
「………………………………………………だってアンリは、別に、俺を好きじゃない」
まるで構って貰えなくて拗ねた子どものような事を言ってしまった。
ニコラスも幼馴染みのようなものである。齢は十歳年上だが、それを感じさせないくらい、幼い頃は一緒にいた。いつだってアンリとフェリクスが喧嘩をしたり、遊んだりしているところにちょっかいを掛けてきては、二人が成長するのを見守ってくれていた。
「いや、アンリはお前のこと好きだろ」
「……そうやってニコラスは、適当なことばっかり……」
「適当じゃないって。見てればわかるだろ」
見てればわかるだろ、と言われたって、アンリは笑わないし、フェリクスと一緒にいたって別に楽しそうではない。どこからどう見たらそう思うのか。
「……見ててもわからない」
「あー……まぁ、アレは、お前の為に感情を失ってるから、仕方ない」
ニコラスの言葉の意味が分からなくて、怪訝な顔をして見上げてしまう。
「……何だ、それは」
「王妃に必要な資質ってやつ。例えお前が取り乱しても、お前が泣いても、笑ってても、冷静にその場の判断を下せるようにと教えられている」
「誰がそんな事を教えたんだ」
「両親だよ、お前の相手に相応しいようにって、笑っても泣いても、叩かれて躾けたらしい。俺はアンリがそうされてる間、他国に留学に行っててさ、帰ってきたらあの通り」
(なんだ、それは)
そんな事はアンリから聞いていない。
そうだ。幼い頃、婚約をしたばかりの頃は、アンリは良く笑っていた。良く笑って、良く泣いて、フェリクスが一つ年上だから、泣いているアンリの手を引いて家へ連れて帰った事もある。
すっかり忘れていた。婚約をして、数年は幼いころに交流があったが、その後は、フェリクスが寄宿学校に入ったせいで、しばらく会わなかったのだ。
物心がついて、再会したアンリは随分と様変わりしていた。
「……そんな話、俺は聞いてない」
「言わないだろ、アンリは」
ベッドで眠りこんでいる姿を見る。すっかり血の気の失せた顔は、痛々しい。ずっとフェリクスの側で努力を重ねてきた相手だ。
「目が覚めたらよく見てやってよ。意外とわかりやすいぜ」
「…………」
アンリが自分に興味がないことに腹が立って、わかりやすく自分に愛情を示す相手を好きだと言って、滑稽なことこの上ない。今、目の前で眠るアンリが、目を覚まさなかったらと思うと、心臓が引き裂かれそうだった。
741
あなたにおすすめの小説
5回も婚約破棄されたんで、もう関わりたくありません
くるむ
BL
進化により男も子を産め、同性婚が当たり前となった世界で、
ノエル・モンゴメリー侯爵令息はルーク・クラーク公爵令息と婚約するが、本命の伯爵令嬢を諦められないからと破棄をされてしまう。その後辛い日々を送り若くして死んでしまうが、なぜかいつも婚約破棄をされる朝に巻き戻ってしまう。しかも5回も。
だが6回目に巻き戻った時、婚約破棄当時ではなく、ルークと婚約する前まで巻き戻っていた。
今度こそ、自分が不幸になる切っ掛けとなるルークに近づかないようにと決意するノエルだが……。
妹を侮辱した馬鹿の兄を嫁に貰います
ひづき
BL
妹のべルティシアが馬鹿王子ラグナルに婚約破棄を言い渡された。
フェルベードが怒りを露わにすると、馬鹿王子の兄アンセルが命を持って償うと言う。
「よし。お前が俺に嫁げ」
婚約破棄と国外追放をされた僕、護衛騎士を思い出しました
カシナシ
BL
「お前はなんてことをしてくれたんだ!もう我慢ならない!アリス・シュヴァルツ公爵令息!お前との婚約を破棄する!」
「は……?」
婚約者だった王太子に追い立てられるように捨てられたアリス。
急いで逃げようとした時に現れたのは、逞しい美丈夫だった。
見覚えはないのだが、どこか知っているような気がしてーー。
単品ざまぁは番外編で。
護衛騎士筋肉攻め × 魔道具好き美人受け
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
遊び人殿下に嫌われている僕は、幼馴染が羨ましい。
月湖
BL
「心配だから一緒に行く!」
幼馴染の侯爵子息アディニーが遊び人と噂のある大公殿下の家に呼ばれたと知った僕はそう言ったのだが、悪い噂のある一方でとても優秀で方々に伝手を持つ彼の方の下に侍れれば将来は安泰だとも言われている大公の屋敷に初めて行くのに、招待されていない者を連れて行くのは心象が悪いとド正論で断られてしまう。
「あのね、デュオニーソスは連れて行けないの」
何度目かの呼び出しの時、アディニーは僕にそう言った。
「殿下は、今はデュオニーソスに会いたくないって」
そんな・・・昔はあんなに優しかったのに・・・。
僕、殿下に嫌われちゃったの?
実は粘着系殿下×健気系貴族子息のファンタジーBLです。
婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました
由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。
彼女は何も言わずにその場を去った。
――それが、王太子の終わりだった。
翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。
裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。
王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。
「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」
ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。
聖女ではないので、王太子との婚約はお断りします
カシナシ
BL
『聖女様が降臨なされた!』
滝行を終えた水無月綾人が足を一歩踏み出した瞬間、別世界へと変わっていた。
しかし背後の女性が聖女だと連れて行かれ、男である綾人は放置。
甲斐甲斐しく世話をしてくれる全身鎧の男一人だけ。
男同士の恋愛も珍しくない上、子供も授かれると聞いた綾人は早々に王城から離れてイケメンをナンパしに行きたいのだが、聖女が綾人に会いたいらしく……。
※ 全10話完結
(Hotランキング最高15位獲得しました。たくさんの閲覧ありがとうございます。)
愛されていたのだと知りました。それは、あなたの愛をなくした時の事でした。
桗梛葉 (たなは)
恋愛
リリナシスと王太子ヴィルトスが婚約をしたのは、2人がまだ幼い頃だった。
それから、ずっと2人は一緒に過ごしていた。
一緒に駆け回って、悪戯をして、叱られる事もあったのに。
いつの間にか、そんな2人の関係は、ひどく冷たくなっていた。
変わってしまったのは、いつだろう。
分からないままリリナシスは、想いを反転させる禁忌薬に手を出してしまう。
******************************************
こちらは、全19話(修正したら予定より6話伸びました🙏)
7/22~7/25の4日間は、1日2話の投稿予定です。以降は、1日1話になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる