サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ

文字の大きさ
9 / 17

第9話 移動する真実

しおりを挟む
1
 八月二日、午前十時。
 前田は再び、広島市内の地域交流センター向かいのカフェにいた。
 上司からの叱責を無視し、ホテルを転々としながら、前田は調査を続けていた。会社には「体調不良で療養中」と連絡してあったが、もはや信じてもらえないだろう。
 しかし、前田には引き返せない理由があった。
 八月六日——四日後には、広島で平和記念式典が開催される。総理も出席する大きな行事だ。安藤が言っていた「総理の広島訪問の準備」が、その式典のことだとすれば、何かが動くのはその前後のはずだった。
 前田はカフェの窓際の席で、三日目の張り込みを続けていた。
 地域交流センター——前回、安藤が消えた建物。あの中に、地下への入口がある。前田はそう確信していた。
 午前中は、地域の人々が出入りするだけで、特に変わった様子はなかった。
 昼過ぎ、前田は軽食を注文しながら、店員に申し訳なさそうに謝った。
「すみません、また長居してしまって……」
「いえいえ、お仕事大変そうですね」
 若い女性店員は、優しく微笑んだ。前田が「小説の執筆で集中できる場所を探している」と説明していたことを、覚えてくれていた。
 午後二時を回った頃——前田の目に、見覚えのある人物が飛び込んできた。
 安藤だ。
 紺色のスーツ、ブリーフケースを持ち、いつもの落ち着いた様子で地域交流センターに入っていく。
 前田は急いで代金を支払い、店を出た。
2
 前田は地域交流センターに入り、安藤の姿を探した。
 一階のロビー、図書室——しかし、どこにもいない。また消えたのか——
 前田が二階への階段を上がろうとした時、背後から声がかかった。
「前田さん、お探しですか?」
 振り向くと、安藤が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「安藤さん……どこに?」
「ちょっと地下の資料室に。防災関連の書類を確認していたんです」
 地下——やはり、この建物には地下施設がある。
「私は……あの、少しお話を」
「ああ、取材ですか」安藤は時計を見た。「これから呉に行く用事があるんですが、移動中なら構いませんよ」
「え……本当ですか?」
 前田は予想外の申し出に驚いた。前回はあれほど警戒していたのに、なぜ今日は——
「ええ。ただし、車の中だけですよ。呉に着いたら、私は仕事がありますから」
「ありがとうございます!」
 前田は喜んで同意した。安藤が何を考えているのか分からないが、これはチャンスだ。
 施設の駐車場に停められていた黒いセダン——安藤の車だろう。前田は助手席に乗り込んだ。
 安藤がエンジンをかけ、車は静かに発進した。
3
 車は広島市内を抜け、高速道路の入口へと向かった。
「広島呉道路——通称クレアラインを使います。約三十分ほどで呉に着きますよ」
 安藤は運転しながら、穏やかに話しかけてきた。
「それで、何を聞きたいんですか?」
 前田はICレコーダーを取り出した。
「録音しても?」
「構いませんが、報道には使えませんよ。これは非公式な会話ですから」
「分かりました」
 前田は録音を開始した。形式的なものだが、後で内容を確認するためには必要だった。
 高速道路に入り、車は海沿いを走り始めた。窓の外には、瀬戸内海の美しい風景が広がっている。
「安藤さん、広島で何をしようとしているんですか?」
 前田は単刀直入に尋ねた。
「通常業務の出張ですよ」安藤は淡々と答えた。「八月六日の平和記念式典に、総理が出席されます。その警備体制の確認や、関連施設の視察が主な目的です」
「それだけですか?」
「それだけです」
 安藤の表情は変わらなかった。
「では、地域交流センターの地下施設は何なんですか?」
「防災用の施設と聞いていますよ」安藤は少し笑った。「前田さん、あそこに何か秘密があると思っているようですが、実際には備蓄倉庫と避難スペースがあるだけです」
「でも、電子ロック付きの扉が——」
「防災倉庫には、重要な物資が保管されていますからね。セキュリティは必要でしょう」
 安藤の説明は、完璧に筋が通っていた。しかし、前田は納得できなかった。
4
 車は海沿いを走り続けている。トンネルを抜けると、眼下に広島湾の景色が広がった。
「どうして呉に向かうんですか?」
「防衛省の人間だからね。呉には海上自衛隊の重要な基地があります。普通の業務ですよ」
「製鉄所跡地の新しい施設——あれは何ですか?」
「倉庫施設の建設です。老朽化した既存の倉庫を更新するためのものです」
 安藤は、どの質問にも即座に答えた。まるで、予め用意していた答えを読み上げているかのように。
「水嶋先生のことを知っていますか?」
 前田は、核心に近い質問をした。
 安藤の表情が、ほんの一瞬だけ変わった。しかし、すぐに元の穏やかな笑みに戻る。
「会ったことはあるかな。日本先端技術大学で、一度お話ししたことがあります」
「一度だけですか?」
「詳しくは知らないんですよ。優秀な研究者だという話は聞いていますが」
 嘘だ——前田は直感した。
 安藤は水嶋のことを、よく知っている。おそらく、彼を説得してこの計画に引き込んだのも、安藤だ。
「安藤さん」前田は真っ直ぐに安藤を見た。「何かを隠していますよね」
 安藤は前方を見たまま、答えた。
「前田さん、世の中には知らない方がいいこともあります」
「それは、国民を馬鹿にしていませんか?」
「いいえ」安藤は首を振った。「むしろ、国民を守るためです」
5
 車はトンネルを抜け、再び海が見えた。
 安藤は少し口調を変えて、話し始めた。
「前田さん、あなたは記者として、真実を伝えることが大切だと考えている。それは正しい」
「ええ、当然です」
「でも」安藤は続けた。「全ての真実を、全ての人に伝えることが、常に正しいとは限らない」
「どういう意味ですか?」
「例えば——」安藤は慎重に言葉を選んだ。「ある国が、我が国に対して軍事的脅威を強めているとします。それに対抗するため、政府が秘密裏に防衛力を強化している。その事実を報道すれば、どうなると思いますか?」
「国民は知る権利があります」
「そうです。しかし、その報道によって、敵国はこちらの手の内を知ることになる。結果として、防衛力の強化は無意味になる。国民の安全は、むしろ脅かされることになる」
 前田は黙った。安藤の論理は、ある意味で正しかった。
「前田さん」安藤は言った。「あなたは、国会の様子をご覧になっていますね」
「ええ……」
「野党は防衛費の増額に反対し、審議は進まない。理想論を唱え、対話による解決を主張する。しかし、現実はそれを待ってくれない」
 安藤の声には、僅かな苦みがあった。
「周辺国は着々と軍備を増強し、我が国の領海を侵す。その間、国会は空転している。このままでは、本当に国を守れなくなる」
「だから、国会を迂回して秘密裏に——」
「前にも言いましたが、私は何も認めていませんよ」安藤は微笑んだ。「ただ、仮定の話をしているだけです」
6
 車は呉市内に入っていた。海沿いの道路を走り、やがて製鉄所跡地が見えてきた。
「安藤さん、一つだけ教えてください」
 前田は最後の質問をした。
「あなたは、自分のやっていることが正しいと信じていますか?」
 安藤は少し考えてから、答えた。
「正しいかどうかは、分かりません。ただ、必要なことだと信じています」
「必要……」
「ええ。国を守るために、誰かがやらなければならないことです」
 車は工事現場の近くに停まった。
「さあ、着きましたよ」安藤は車を停めた。「ここで降りてください」
「ありがとうございました」
 前田は車を降りた。
 安藤は窓から顔を出し、最後に言った。
「前田さん、忠告します。これ以上、深入りしない方がいい」
「でも——」
「あなたは聡明な方だ。だからこそ、分かってほしい。あなたが追っているものは、想像以上に大きく、複雑で、そして危険なんです」
 安藤の目は、真剣だった。
「もし、どうしても取材を続けるなら——せめて、八月六日までは待ってください」
「八月六日? 平和記念式典の日ですか?」
「ええ。その日を過ぎれば、少しは状況が変わるかもしれません」
 安藤はそれだけ言うと、車を発進させた。
 前田は、去っていく車を見送りながら、考え込んでいた。
 八月六日——その日に、何かが起こる。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。 九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。 同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。 不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。 古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

女神の白刃

玉椿 沢
ファンタジー
 どこかの世界の、いつかの時代。  その世界の戦争は、ある遺跡群から出現した剣により、大きく姿を変えた。  女の身体を鞘とする剣は、魔力を収束、発振する兵器。  剣は瞬く間に戦を大戦へ進歩させた。数々の大戦を経た世界は、権威を西の皇帝が、権力を東の大帝が握る世になり、終息した。  大戦より数年後、まだ治まったとはいえない世界で、未だ剣士は剣を求め、奪い合っていた。  魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。  *表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

異世界ランドへようこそ

来栖とむ
ファンタジー
都内から車で1時間半。奥多摩の山中に突如現れた、話題の新名所――「奥多摩異世界ランド」。 中世ヨーロッパ風の街並みと、ダンジョンや魔王城を完全再現した異世界体験型レジャーパークだ。 26歳・無職の佐伯雄一は、ここで“冒険者A”のバイトを始める。 勇者を導くNPC役として、剣を振るい、魔物に襲われ、時にはイベントを盛り上げる毎日。 同僚には、美人なギルド受付のサーミャ、エルフの弓使いフラーラ、ポンコツ騎士メリーナなど、魅力的な“登場人物”が勢ぞろい。 ――しかしある日、「魔王が逃げた」という衝撃の知らせが入る。 「体格が似てるから」という理由で、雄一は急遽、魔王役の代役を任されることに。 だが、演技を終えた後、案内された扉の先にあったのは……本物の異世界だった! 経営者は魔族、同僚はガチの魔物。 魔王城で始まる、まさかの「異世界勤務」生活! やがて魔王の後継問題に巻き込まれ、スタンピードも発生(?)の裏で、フラーラとの恋が動き出す――。 笑えて、トキメいて、ちょっと泣ける。 現代×異世界×職場コメディ、開園!

死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜

のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、 偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。 水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは―― 古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。 村を立て直し、仲間と絆を築きながら、 やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。 辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、 静かに進む策略と復讐の物語。

ダンジョン美食倶楽部

双葉 鳴
ファンタジー
長年レストランの下働きとして働いてきた本宝治洋一(30)は突如として現れた新オーナーの物言いにより、職を失った。 身寄りのない洋一は、飲み仲間の藤本要から「一緒にダンチューバーとして組まないか?」と誘われ、配信チャンネル【ダンジョン美食倶楽部】の料理担当兼荷物持ちを任される。 配信で明るみになる、洋一の隠された技能。 素材こそ低級モンスター、調味料も安物なのにその卓越した技術は見る者を虜にし、出来上がった料理はなんとも空腹感を促した。偶然居合わせた探索者に振る舞ったりしていくうちに【ダンジョン美食倶楽部】の名前は徐々に売れていく。 一方で洋一を追放したレストランは、SSSSランク探索者の轟美玲から「味が落ちた」と一蹴され、徐々に落ちぶれていった。 ※カクヨム様で先行公開中! ※2024年3月21で第一部完!

処理中です...