サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ

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第16話 二葉山の密談

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1
 八月十日、午後。
 広島市の東部に位置する二葉山——標高139メートルの小さな山だ。
 その山の中腹に、一軒の戸建て住宅が建っていた。普通の戸建てにしては広めの、敷地面積100坪近いコンクリート製の立派な家だ。
 リビングの大きな窓からは、広島市内が一望でき、遠くには広島湾も見える。
 安藤は、その窓の前に立ち、景色を眺めていた。
「しかし、あの記者には悪いことをした」
 安藤が振り返って言った。
 ソファには、もう一人の人物が座っていた。
 森川だ。
 しかし、彼の雰囲気は、前田と接していた時とは全く違っていた。よりリラックスし、そして——安藤と対等に話す、協力者としての顔だった。
「減給にならなかったのは幸いでしたね」
「ああ。編集長に直接連絡して、事情を説明した。彼女の上司も、理解してくれたよ」
 森川がコーヒーを一口飲んだ。
「前田さんは、真面目でいい記者です。できれば、うちに引き抜きたいぐらいですよ」
「いずれ機会を見て、あたってみるか?」
「ええ、いつでも」
 森川は微笑んだ。
2
 リビングには大型テレビがあり、ニュース番組が流れていた。
 安藤がリモコンで音量を上げた。
 テレビには、国会の様子が映し出されていた。
「総理! 政府は秘密裏に原子力潜水艦を建造しているのではないですか!」
 野党議員が、激しい口調で追及している。
「そのような事実は一切ありません。我が国は非核三原則を堅持しており、原子力潜水艦の建造など考えておりません」
 総理が、落ち着いた口調で答弁している。
「しかし、呉市の製鉄所跡地で、不審な建造物が目撃されたという報道があります!」
「それは、海上自衛隊の倉庫施設の建設です。既に説明した通りです」
 安藤は、その映像をちらっと見て、音量を下げた。
「相変わらず、ひどいもんだ」
 安藤の声には、冷めた響きがあった。
「自分たちが手を出さなければ、相手は殴って来ないと本気で思っているわけでもなかろうに」
「ええ、彼らだって、世界がお花畑だとは思っていないでしょう」
 森川が答えた。
「でも、どこかからの圧力で、そう言わないといけないのかもしれません……」
3
 安藤は窓際に戻り、遠くの海を見つめた。
「今頃は、観音の工場から出た巨大プローブを載せたタンカーが、東シナ海を目指して進んでいる頃だな」
「ええ。予定通りなら、明日には目的海域に到着します」
 森川が地図を広げた。そこには、東シナ海の海域が詳細に記されている。
「C国の海洋調査船が活動している海域ですね」
「ああ。あの巨大プローブを、そこで『発見』させる」
 安藤は、意味深に笑った。
「C国の調査船が、日本の新型潜水艦らしきものを発見する。その情報は、すぐに本国に伝わる。そして——」
「世界中に広まる」森川が続けた。「日本が、革命的な新型潜水艦を保有していると」
 安藤は窓から離れ、ソファに座った。
「そうだ。そして、その情報が抑止力になる。そのために……いや、どちらにせよ、我々は、この海原にサイレントサブマリンを解き放ってしまった」
 その言葉には、重みがあった。
「やがて、その責任を取らなければならない時が来る。これから水嶋先生には、苦労をかけるな」
「ええ、本当にそうです」
 森川は頷いた。
「ただ、プローブは本物ですから、しばらくは大丈夫でしょう」
4
 森川が立ち上がった。
「それにしても、前田さんは最後まで信じませんでしたね」
「ああ」安藤は満足そうに笑った。「あれでいい。むしろ、完璧だった」
「完璧……ですか?」
「そうだ。彼女が疑い続けること——それこそが、我々の計画の要だ」
 安藤は森川を見た。
「君も見ただろう。ホテルの周辺に、何人かの不審な人物がいたことを」
「ええ。おそらく、各国の諜報員でしょう」
「そうだ。彼らは、前田さんを監視していた。そして、八月六日の前日だ。各国の大使も広島に来てた」
 安藤は窓の外を見た。
「記者が必死に真実を追う。取材を妨害される。それでも諦めない——その姿を見て、彼らは何を思うか?」
「……ああ」森川は理解した。「日本は、本当に何かを隠していると」
「その通りだ」安藤は頷いた。「もし我々が、あっさり全てを公開したら、逆に疑われる。『これは罠だ』『本物は別にある』と」
「しかし、必死に隠そうとすれば——」
「本物だと信じる」安藤は断言した。「秘密というのは、隠せば隠すほど暴きたくなる。そして、ようやく見つけた秘密は、それがどんなに荒唐無稽に思えても信じてしまうものだ」
 森川は感心した様子で言った。
「たとえそれが虚像だとしても」
「ああ」安藤は頷いた。「現に、もうA国やE国から、次期型潜水艦の共同開発の打診が来ているそうだ」
5
 安藤は壁に掛けられた絵画に手をかけた。
 絵画が横にスライドし、その奥にタッチパネルが現れた。暗証番号を入力すると、壁の一部が音もなく開いた。
 そこには、階段があった。地下へと続く階段だ。
「少し、状況を確認しよう」
 二人は階段を降りていった。
 地下には、驚くべき空間が広がっていた。
 最新鋭のコンピューター機器が並び、壁一面には大型モニターが設置されている。数人のオペレーターが、静かに作業をしていた。
「現在の状況は?」
 安藤が、オペレーターの一人に尋ねた。
「プローブ群は、順調に稼働しています。現在、日本近海に配置されているのは計47機。年度内に配備される予定の2機を加えると、当初の予定海域はほぼ把握できます」
 モニターには、日本周辺の海域地図が表示され、プローブの位置が点で示されていた。
「東シナ海、日本海、太平洋——広範囲に展開していますね」
 森川が地図を見ながら言った。
「ええ。一部は、不審船の追跡任務に就いています」
 オペレーターが画面を切り替えると、水中カメラの映像が表示された。
 暗い海中を、何かが進んでいる。船の底部——おそらく、密輸船か不審船だろう。
「プローブ23号、対象を2時間追跡中。船籍不明、速度12ノット」
「海上保安庁には通報済みです」
 別のオペレーターが報告した。
6
 安藤と森川は、モニターを見ながら会話した。
「確かに、日本近海では、すでに多数のプローブが水中を進んでいる」
 森川が言った。
「不審な動きをする船を追跡したり、海中に設置された不審物を調べたり。それらの情報は、全てここに送られてくる」
「ええ」安藤が頷いた。「これは、紛れもない事実だ。プローブは実在し、実際に機能している」
 画面が切り替わり、別のプローブの映像が表示された。
 こちらは、海底を撮影している。岩礁の間に、何か人工物らしきものが設置されている。
「これは……」
「海底ケーブルの盗聴装置です」森川が説明した。「K国のものと推定されています。プローブ14号が発見しました」
「素晴らしい」安藤は満足そうに言った。「水嶋先生の技術は、本当に革命的だ」
 安藤は別のモニターを指差した。
「しかし、問題は——」
 そのモニターには、観音の工場から出た巨大な構造物の図面が表示されていた。
「あれは、ハリボテだ」
7
 森川も、その図面を見つめた。
「全長87メートル。外観は本物の潜水艦そっくりですが、内部は空洞。実際に潜水できますが、航行能力はほとんどありません」
「あれは、見せるためだけのもの」安藤が言った。「世界に、日本がサイレントサブマリンを保有していると信じ込ませるための——」
「ブラフですね」
「そうだ」
 安藤は深く息をついた。
「前田さんが見たもの、撮影しようとしたもの——それは確かに存在する。しかし、彼女が信じているような機能は持っていない」
「でも、彼女は最後まで、あれが本物の軍事用潜水艦だと信じている」
「そして、それでいい」安藤は断言した。「いや、それが最高なんだ」
 安藤は森川を見た。
「君が彼女に接触し、工場に誘導した。その演技は完璧だった」
「ありがとうございます」森川は少し複雑な表情を見せた。「ただ、彼女を利用したことに、罪悪感がないわけではありません」
「分かっている」安藤は頷いた。「しかし、これは国のためだ。彼女の疑念こそが、世界を欺く最大の武器になる」
8
 二人は地上に戻り、再びリビングに座った。
「しかし、これは諸刃の剣です」
 森川が真剣な表情で言った。
「そうだな」安藤も頷いた。「やがて、本物の存在が必要になる時が来る」
「それまでに、本気で開発をしなければ、日本の信用は落ちる」
「そうだ。だから、水嶋先生には、引き続き研究を続けてもらう。小与島の施設も、広島の地下施設も、全て本当に稼働し続ける」
 安藤は窓の外を見た。
「これから日本は、ますます窮地に立たされる。あんなハリボテじゃなく、本物のサイレントサブマリンを作らなければならないのだから」
「技術的な課題は、まだ山積みですね」
「ああ。5メートル級のプローブは完成した。しかし、有人の大型潜水艦となると、エネルギー問題、生命維持システム、通信システム——解決すべき問題は多い」
 森川がコーヒーカップを置いた。
「しかし、時間はあります。少なくとも、数年は」
「その数年の間に、何としても実用化しなければならない」
 安藤の声には、決意があった。
「それが、我々の責任だ」
 夕陽が、二葉山の家を照らしていた。
 そして、その地下では——日本の未来を左右する秘密が、静かに動き続けていた。
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