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27. 母と娘 〜合の子として
しおりを挟む『フィングレイ侯爵家のご令嬢のセシリアさまですって』
『わたくし、父と母には彼女との付き合いは控えるように申しつけられておりますの』
『まぁ、私もよ。ご両親に問題がおありだとか』
女学院に入る前、母から20年前にあった出来事─いわゆる、『ヴァリシュの断罪劇』だ─の話を聞いていた。
だから、断罪劇に関わった二つの家の間に産まれた自分への周囲の目は厳しいだろうとは思っていたが⋯⋯。
想像以上に遠巻きにされて、学院の最初の1年間はとても辛いものになった。
「──貴女も、嫌な思いをしたでしょう?両家の子供であるというだけで」
母の言葉に、過去に馳せていた思考を戻した。
プライセルとフィングレイの合の子というだけで、仔細までは知らぬであろう令嬢たちは、それでも親に言われるままに、私に近づかなかった。
家の爵位が高かったから遠巻きにされるだけですんだが、もし下位貴族であったならどんな目に遭っていたのだろうと、思わないこともない。
「ごめんなさい、セシリア。何度謝っても謝りきれないわ。⋯⋯私は、自分が辛い思いをしたくないからと、結局は貴女たち子供を犠牲にしてしまったのよ」
断罪劇の後、母には二つの選択肢があった。
婚約者のフィングレイ侯爵子息と結婚するか、婚約を破棄するか。
悪女にあっさりと誑かされた男だ。当然母も傷ついただろうし、幸せな結婚生活は思い描けなかったはずだ。
それでもその婚約を破棄したとして、婚約者に裏切られ、実の兄も愚かな出来事に加担していたとあれば、次にどんな相手と婚約できたか。
母のことを責められるわけがない。愚かだったのは、元父とサイラスだ。母はその愚行に巻き込まれた被害者に過ぎない。
それでも母までもが、その責を負わねばならなくなったのだ。
結局、母はそのまま父と結婚し、私と弟が産まれた。
そして、そんな私たちに誰よりも厳しい目を向けていたのは、同居していた父方の祖父母だった。
『お前はフィングレイの名に恥じぬ淑女になりなさい』
何度も言われた、呪詛のような祖母の言葉を思い出す。
「特にお義母様は、嫡男だったトリスタンに厳しく当たったわ。──息子と同じ失敗を繰り返さないようにと」
私はよく覚えていなかったが、母曰く、トリスタンに対する教育は私以上に厳しかったらしい。
高位貴族といえど、大体は7歳を過ぎてから家庭教師等を呼んでの教育を行うところを、トリスタンは5つから行った。
しかも、時間が許す限り、必ず祖母が同席したらしい。
私の記憶の中の祖母は、いつでも険しい顔をしていた。
それで、ちょっとでも立ち振る舞いに難があると、素早く叱責が飛んできたものだ。
そんなことを思い出していると、脳裏に蘇る弟の声があった。
『あねうえはできがよくてズルい。ひどいよ、わるくなってよ⋯⋯!』
どういう意味だろうとそのときは思ったが、要するに、弟はずっと私と比べられていたのだろう。
姉は出来がいい──それに比べてこの弟は、と。
しかし、その意味が当時わかったとして、どうしてやれたことだろう。
できなければ私が叱られるのだ。それこそ必死で、死にものぐるいだった。
「私はそれを止められなかったわ。止めようとすれば、『この子が将来道を踏み外さないために必要なことなのに、なんて酷い母親か』と⋯⋯。⋯⋯夫と、兄のことがあったから、私もそこまで強く出られなかった。
──今思えば、私も感覚が麻痺していたのね」
今となっては言い訳だけれど、と母が苦い顔をした。
私としては、そこまで孫に厳しく当たる前に、もう少し自分の息子の方を何とかできなかったのか──と、今さらながらに思うが。
「だからきっと、あの子は外に助けを求めたのよ。そこへ、上手い具合にあの男が身を滑り込ませた。
──すべて、私たちの責任だわ」
母が深く息をついた。そうして、自嘲げに笑う。
「こんなことなら、もっと早くに離縁すればよかったかと、後悔していたの。でも──」
「⋯⋯あのお祖母様なら、大事な跡取り息子を手放さなかったでしょうね。⋯⋯それに、格好の醜聞になります」
「ええ、そうね。⋯⋯時の流れの中で、学院でのあの出来事の記憶も風化しつつあったのに、私が離縁してしまえば、また皆が思い出すと思ったの。これからその厳しい目にさらされるのは、貴女たち子供だから」
母が今の今まで、あんな父相手でも離縁を躊躇ってきた理由がこれだ。
特に母の世代では、女性側からの離縁など考えられないという風潮があった。離縁するとなれば間違いなく社交界中の注目を集めただろうし、しかもそれがあの断罪劇の後に結婚した夫婦だと分かれば、愉快な醜聞として延々とつつき回されたことだろう。
結局母は、祖父母亡き後の父の所業に子供ともども耐える方が、社交界中の噂の的になるよりも、まだましだと判断したのだ。
特に、私たちの婚約が調ってからは、母はさらに慎重になっていた。
絶対に、何とか繋いだこの縁を切ってしまうことがあってはならないと。
せめて娘が無事に嫁すまでは──と。
しかし、今度は息子の婚約者への態度を見るに、その後のことを憂うようになった。
自分が出て行ってしまえば、やがて嫁してくる彼女が辛い目に遭うのでは──と。
そうやって、母が雁字搦めになりかけていたところへ──何の配慮もなく、メリルという爆弾を持ちこんだのが、元父だったわけだが。
結果的に、これが母への決定打になった。
このままでは、反対に私たちの婚家の方に迷惑がかかるのではないかと、判断を改めたのだ。
それでも、と私は憔悴した様子の母を見やった。
「お母様はトリスタンを庇い過ぎです。確かにあの子にも同情すべき点はあるかと思いますが、それでも、ここまで心を砕いてきたお母様の厚意に、あの子は感謝するどころか、それを何度も無下にしてきました」
忘れもしない。母が苦労して苦労して、何とか伯爵令嬢であるティルダとの婚約を取り付けたときだ。
あの愚弟は何も尽力などしていないくせに、相手が伯爵令嬢と知るや、憎々しげに母を睨みつけたのだ。
『伯爵家?姉上の婚約者は侯爵家だったというのに?
⋯⋯やっぱり母上は姉上が可愛いのですね。こんなところにまで差をつけてくるとは』
そう吐き捨てたのだ、あの愚弟は。
そもそも私とマルクスとの婚約が成ったのは、女学院で成績が優秀だったことを、彼の父君が買ってくれたことが大きい。
では弟はどうかと言えば、騎士学校で『剣の腕はあるが、集団行動が苦手であるため、騎士としては難がある』と評されていたというのに。
しかも、そこからさらに彼が取った行動が、ティルダへの冷遇だ。お門違いにも程がある。
母は、困った顔をしつつも、何も言い返さない。
彼女自身、分かっているのだろう。どれだけ尽くしたところで、弟にその真心が通じていなかったことも、愚かな言動を改めようともしなかったことも。
「しかもあの愚弟は、信じるべき母の言葉ではなく、怪しいことこの上ない不審者の言葉を信じて、さらにお母様に辛く当たりました」
「セシリア、それは⋯⋯」
「環境のせいなどとおっしゃらないでくださいね。それでも彼奴には、第三者に話を聞いて確認するということもできました。サイラスの言だけを聞いて信じたのは、それが結局、彼奴にとっても都合が良かったからなのでしょう」
実の兄をも追い落とす鬼のような女であるから、やはり自分など顧みずに姉ばかり可愛がるのだと。
きっと、そのように都合の良い解釈をしたに違いない。
「言うなれば、彼奴もお坊ちゃんでした。他力本願で労を取れない元父とは少し違い、夢見がちなお坊ちゃんだったのです」
そのように、今なら思う。
明らかな不審者の言を信じて母や私に邪険に接したのも、メリルの側近くで彼女の騎士のように振る舞っていたのも、連行されるメリルを助け出そうとしたのも。
自分は特別だと勘違いして、物語の中の騎士のように振る舞おうとでもしていたように──悪い言い方をするならば、自分に酔っていたように思えるのだ。
そこまではさすがに母には言わなかったが、母も何となく察するところはあったらしい。
そっと苦笑をこぼした。
「⋯⋯それでも、誰も彼もがセシリアのようにはできないわ」
「でしょうね。私も、自分は運が良かったのだとは感じておりますよ」
今だからこそここまで弟たちをこき下ろせるが、自分だってどこかで判断を誤ってしまっていたかもしれない。
もしも、厳しい祖父母の目が自分よりも嫡男である弟に向いていなかったら。
もしも、サイラスの甘言に深く考えずに乗ってしまっていたら。
もしも、成績が優秀でなくて、マルクスの父君の目に留まらなかったら。
もしも、元父をどうにもできず、彼とメリルの好きなままになっていたら。
もしも、サイラスをどうにかできず、自分と母とが命の危険にさらされ続けていたら。
自分がそうとは知らずに通過してきた、重大な分岐点などいくらでもある。
それでも、今自分がここでこうしていられるのは、
「お母様、先程にも申しましたわ。産まれる環境は選べませんが、何を理想としてどう生きるかは、自分で選べると。⋯⋯少なくとも私は、その場その場で自分の理想の姿を思い描き、そのための最善となるような選択を繰り返してきたつもりです。そしてそれが、世の人々にも受け入れてもらえただけです」
少なくとも私の中の羅針盤は、他の人たちから見ても、常に正しいとされるだろう方向を向いていてくれたのだ。
ただ、それだけだ。
「⋯⋯貴女は強いわね、セシリア」
「強く育てていただいたのです。私は、プライセル公爵家とフィングレイ侯爵家の合の子ですから」
胸を張って言えば、母はくすりと笑った。
「貴女が言うと、とても素晴らしいことのように聞こえるわ」
「少なくとも、今の私がこうして在るのは、その環境に身を置いたからですもの」
トリスタンも、メリルも。
親世代の禍根を引きずりながらでも、それでもやりようはいくらでもあったはずなのだ。
彼らがすべて悪いと言うつもりはないが、それでも選択を誤ったことは確かだ。
親世代の因果を引きずっているのは事実だが、それでも自分たちは、けして恵まれない境遇に産まれた訳ではないのだから。
「だからお母様、あの愚弟のことをあまり気に病まないでください。私たちもいつまでも子供ではないのです。自分たちの道は、自分たちで切り拓きます。⋯⋯切り拓かねばならないのですわ」
しゃんと胸を張って、薄く笑みながら、心の底からの言葉を言い切った。
フィングレイだとか、プライセルだとか、貴族の令嬢だとか、そんなことは関係ない。
私はただ、一人の人間として、セシリアとして──
自信をもって、胸を張って、
自分が理想とする姿に向かって、生きていくだけだ。
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