ひとりの少女を守るために70億の命を犠牲になんてできないから、ひとりの少女を犠牲にしてみた結果、事態がさらに悪化した件。

あめの みかな

文字の大きさ
16 / 123

第2章 第8話

しおりを挟む
 少年が男の言葉の真意について考えていると、

「もしかして君は言葉が話せなくなってしまったのかな?」

 男がそう言ったので、少年は頷いた。
 顔を見ればわかるのだそうだ。
 男の知り合いに昔、失語症になってしまったことがある者が何人かいたのだという。
 医者か何かだったのだろうか。
 少年は男がかつて会社を経営していたことを知らなかったからそんなことを思った。

「これは、僕からの君への感謝の気持ちだよ。受け取ってほしい」

 男は、スーツの内ポケットから、真空パックに入れられた何かを取り出した。
 それは、腕時計だった。
 高級時計に疎い少年も名前くらいは聞いたことのある「ユークロニア」という高級ブランドのもので、おそらく高級自動車並みに値の張るものだった。
 ユークロニアは確か雨野市内に本社と製造工場があった。

「本当なら箱に入れて渡したかったのだけれど、かさばるし、いつ君に会えるかわからなかったからね。
 それでも一応新品だよ。会社がなくなってしまって、発売されなかった2024年モデルの試作品。これは世界に1個しかないものなんだ」

 男は少年の右手首に腕時計をつけてくれた。
 男はユークロニアの社長だったという。名は橋良トネリというそうだ。

 先程の失語症に関するくだりは、彼が会社で社長という立場を利用し、部下に対しパワハラやモラハラを繰り返していたためだったのだが、男は少年にそのことは話さなかった。

「君が4年前に彼女とおそろいでつけていたスマートウォッチもよく似合っていたけれど、君はもう大人だ。
 大人の男はいい時計をひとつくらい持っていた方がいい」

 災厄の時代の到来の前から、いつの間にかそういう時代じゃなくなってしまっていたらしいが、彼よりも一回り上の世代はそういう人が多かったそうだ。
 そう言えば、少年の父親もひとつだけ、数十万円もする高級時計を持っていた。

「それにあれだけ流行ったスマートウォッチは今はもう使い物にならないしね」

 橋良はそう言って笑った。

 貰えないと思った。
 いくら成人したとはいえ、中学生の頃と外見が全く変わっていない自分には、全く似合っていないように見えたからだ。
 それ以上に、世界にひとつしかない、下手をすれば数千万円の値がつくかもしれないものなんて貰えないと思った。

「自分には似合わないと思うかい?」

 そう訊ねられ、少年は頷いた。
 タカミならもしかしたら似合うかもしれないが、自分にはまだ早い。早すぎる。

「いつか似合うようになるよ。良い時計っていうものは、そういうものなんだ。持ち主の成長を時を刻みながら見守ってくれるものなんだよ」

 僕は今でも十分君に似合っていると思うけどね、と言って男は笑った。

 笑顔のまま、その場に崩れ落ちるように倒れた。

 男の腹部には、ナイフで刺されたと思われる傷が何ヵ所もあった。

 刺されてからどれくらいの時間が経過していたのだろうか。
 今まで気づかなかったのが不思議なくらい大量に出血していた。
 雨が血のにおいを消し、アスファルトに流れ落ちた血を洗い流していたから気付けなかった。

 暴徒にやられたのだろう。
 こんなところで大の大人が5時間以上もショーシャンクごっこをやっていたからだ。

「最期に君に出会えてよかったよ。
 僕は、君に自由を与えられた者なんだ」

 自由? またしても少年には理解できない言葉を男は口にした。

「いくら仕事に忙殺されて、心に余裕がなかったとしても、やっぱり部下は大切にしないと駄目だね。
 部下だけじゃない。これは、他人の尊厳をないがしろにし続けた僕に与えられた罰なんだろう」

 男を刺したのは、暴徒ではなかった。
 かつて彼が失語症になるまでに精神的に追い詰めた部下のひとりだったという。

「災厄の時代の前の僕には、仕事と金以外何もなかった。
 けれど、仕事も金も妻も子もすべてを失って、手に入れたものがひとつだけあったんだ」

 それが自由だったのだという。

「時計屋が時間を気にすることすらなくなるくらい、この数年間、僕は何にも誰にも縛られることなく、僕の人生を自由を謳歌することができたんだ」

 それは、君のお陰だ、と男は言い、

「僕の亡骸はこのままここに放っておいてくれるかな」

 息を引き取った。

 少年は、彼の意思を尊重することにした。

 目をつぶらせ、胸のあたりに両手を組ませると、マンションに向かって歩きだした。

 こんな世界になってから、ようやく人間らしく自分らしく生きることができるようになった人がいる。

 そんな人がいることが、少年には理解できなかった。

 もらった時計が似合うようになる頃には、理解できるだろうか。

 少年には一生理解できない気がした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

少しの間、家から追い出されたら芸能界デビューしてハーレム作ってました。コスプレのせいで。

昼寝部
キャラ文芸
 俺、日向真白は義妹と幼馴染の策略により、10月31日のハロウィンの日にコスプレをすることとなった。  その日、コスプレの格好をしたまま少しの間、家を追い出された俺は、仕方なく街を歩いていると読者モデルの出版社で働く人に声をかけられる。  とても困っているようだったので、俺の写真を一枚だけ『読者モデル』に掲載することを了承する。  まさか、その写真がキッカケで芸能界デビューすることになるとは思いもせず……。  これは真白が芸能活動をしながら、義妹や幼馴染、アイドル、女優etcからモテモテとなり、全国の女性たちを魅了するだけのお話し。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します

namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。 マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。 その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。 「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。 しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。 「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」 公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。 前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。 これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

処理中です...