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初めて白目を剥く
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兵庫県神戸市の山奥にある兵庫県立北神戸工業高校。
偏差値は兵庫県下で最も低いランクに位置し、学級崩壊寸前のこの高校に
津久見裕太は赴任して3年目の日本史の教師である。
生まれは大分県の宇佐という町であるが、神戸の大学に進学し、教員免許を取得。
大学時代に出会った今の彼女と、遠距離恋愛する勇気も無く、そのまま神戸市での高校に赴任し、今に至っている。
噂には聞いていたが、ここまで酷いとは…。
と、絶句した記憶はあるが、熱血教師でもない彼は、只々毎日を平穏に終わらせる事だけに注力していた。
津久見は開いていた教科書を閉じた。
あと5分で2年B組の日本史の授業である。
教科書を片手に持って、教員室を出た。
今日の授業は関ヶ原の戦いから日本がどう変わって行ったか、という授業だ。
津久見自身この時代は殊更興味のある時代で、本来なら熱弁したいが…この学校ではそんな気も起きない。
何の思いもない。嫌気ももうしない。なんせ、授業と言っても独り言のようにただただ、授業を進めていくだけである。授業を聞いている者など一人もいない。
皆スマホを見たり、おしゃべりをしたり、しまいにはカップルらしき男女の生徒がいちゃつきだす始末であった。
最近は、教室に入るときにドッキリ企画の様な物を仕掛けて動画サイトに上げられることもしばしばあった。
「おう。津久見。授業か。」
と、小太りの男が後ろから話しかけてきた。
男の名は島森浩平。同時期にこの高校に赴任してきた理科の教師である。
二人は廊下を並んで歩き始めた。
「三宮の駅前に新しいパチンコ屋ができたらしいねんけど、今度行かへん?」
無類のギャンブル好きの島森は、神戸の垂水という所の出身で、今も実家暮らしらしい。
「そうなんだ。う~ん。気が向いたらで。」
津久見は味気のない返事を返した。
「おっけおっけ。ほんなら今度いっぺん行ってくるけの、また話すでな。」
と、島森は関西弁の中でも取りわけ、その語尾に特徴のある「播州弁」で答えた。
階段を上がる。2年B組はこの階段を上がった奥だ。
「おっととと。」
と、島森は階段につまずいて転びそうになったが、咄嗟に手すりにつかまり、何もなかったようにまた階段を上り始めた。
津久見はそんな島森には意に介さず、横目で手すりをつかめた島森を見ると、静かに階段を上って行った。
というのも、島森はよくつまずく癖があった。何もない道でも、よくよろけている。
それを知っている津久見はあまり心配していなかった。
二人は廊下を進む。この廊下の突き当りを右に曲がると、島森の理科室がある。
廊下には何人かの生徒が座り込んで話したり、流行りの音楽を流し動画を撮ったりしている。
二人は生徒に挨拶するでもなく、廊下を進む。
やがて2年A組の前を通り過ぎ、隣の教室が2年B組だ。
「じゃあ。またな。」
と津久見は言うと、
「おう。」
と島森が返す。
が、その瞬間津久見は床に足を取られ、滑るように必死に足を動かしていた。
天井がゆっくり歪むように見えている。
自分では必死に足を動かしているつもりであったが、見える風景は実にゆっくりとしていた。
声は聞こえないが、大声で笑っているであろう生徒の表情も詳細に分かるほどに。
「どーん!」
津久見は頭から廊下に転倒してしまった。
「はははは。」
と、B組の教室の窓から生徒達がスマホで撮影しながら、笑っていた。
スマホのカメラは津久見の転ぶさまを撮影し、アングルを女生徒に変える。
女生徒は満面の笑みにピースサインで言った。
「日本史の先生に油まみれの廊下歩かせてみた!大成功!いぇーい」
笑い声が響いた。
「何これ笑教科書顔に被せて転んでだけど笑ちょーうけるー!」
津久見はその笑い声を聞きながら真っ暗闇にいる感覚だった。
まぶたが重たい。頭も痛い。
耳鳴りがしてきた。笑い声が段々と遠くなっていく。
その笑い声と引き換えに、耳鳴りと共に何やら、言葉らしき声がしてきた。
「・・・・と・・・・の。」
(ん?)
と、津久見は耳を澄ます。
「・・と・・の。」
(なんだ?)
次に聞こえた時は確かに聞こえた。
「殿!」
と言われた瞬間、重たいまぶたがぱっと開いた。
「殿?」
津久見はぼそっと言うと、声の方へ振り向いた。
「殿!お目覚めでございますか!良かった。」
状況が把握できない。
なんせ、この声を掛けてきた男、甲冑着てるし、髭もじゃだし、髪を結いてるし。
津久見は咄嗟に、
「太秦の方ですか?」
と、聞いてしまった。
「うずまさ?いかがいたしましたか殿!この左近、殿が急に倒れたと聞いて、急いで駆け付けましたのですぞ。」
と、男は言う。
「うこん?との?」
津久見は、その男に支えられるようにゆっくり立つと辺りを見回した。
そこには驚くべき光景が広がっていた。
朝霧に包まれた山間の中に所狭しと甲冑に身を纏った武者が全員こちらを見ている。
遥か後方には、馬がいなないている。
こんな人数見たことがない。地元大分勢の高校が甲子園に出場した際に見たのが、人生で一番の群衆であった。
それを遥かに超える人の数…。
ふと津久見は近くの旗を見た。
旗には「大一大万大吉」の文字が書かれていた。
「え…。」
驚いて口を開けながら、自分の身体を見てみると、これまた立派な甲冑を着ているのが分かった。
分かった瞬間、その甲冑の重さを感じると、またよろめいてしまった。
咄嗟に先ほどの男が支える。
「殿!しっかりなされよ!」
津久見は支えられながら、天を仰いだ。
「え~。これって。どういうこと~。」
と白目をむいて叫んだ。
第一話 完
偏差値は兵庫県下で最も低いランクに位置し、学級崩壊寸前のこの高校に
津久見裕太は赴任して3年目の日本史の教師である。
生まれは大分県の宇佐という町であるが、神戸の大学に進学し、教員免許を取得。
大学時代に出会った今の彼女と、遠距離恋愛する勇気も無く、そのまま神戸市での高校に赴任し、今に至っている。
噂には聞いていたが、ここまで酷いとは…。
と、絶句した記憶はあるが、熱血教師でもない彼は、只々毎日を平穏に終わらせる事だけに注力していた。
津久見は開いていた教科書を閉じた。
あと5分で2年B組の日本史の授業である。
教科書を片手に持って、教員室を出た。
今日の授業は関ヶ原の戦いから日本がどう変わって行ったか、という授業だ。
津久見自身この時代は殊更興味のある時代で、本来なら熱弁したいが…この学校ではそんな気も起きない。
何の思いもない。嫌気ももうしない。なんせ、授業と言っても独り言のようにただただ、授業を進めていくだけである。授業を聞いている者など一人もいない。
皆スマホを見たり、おしゃべりをしたり、しまいにはカップルらしき男女の生徒がいちゃつきだす始末であった。
最近は、教室に入るときにドッキリ企画の様な物を仕掛けて動画サイトに上げられることもしばしばあった。
「おう。津久見。授業か。」
と、小太りの男が後ろから話しかけてきた。
男の名は島森浩平。同時期にこの高校に赴任してきた理科の教師である。
二人は廊下を並んで歩き始めた。
「三宮の駅前に新しいパチンコ屋ができたらしいねんけど、今度行かへん?」
無類のギャンブル好きの島森は、神戸の垂水という所の出身で、今も実家暮らしらしい。
「そうなんだ。う~ん。気が向いたらで。」
津久見は味気のない返事を返した。
「おっけおっけ。ほんなら今度いっぺん行ってくるけの、また話すでな。」
と、島森は関西弁の中でも取りわけ、その語尾に特徴のある「播州弁」で答えた。
階段を上がる。2年B組はこの階段を上がった奥だ。
「おっととと。」
と、島森は階段につまずいて転びそうになったが、咄嗟に手すりにつかまり、何もなかったようにまた階段を上り始めた。
津久見はそんな島森には意に介さず、横目で手すりをつかめた島森を見ると、静かに階段を上って行った。
というのも、島森はよくつまずく癖があった。何もない道でも、よくよろけている。
それを知っている津久見はあまり心配していなかった。
二人は廊下を進む。この廊下の突き当りを右に曲がると、島森の理科室がある。
廊下には何人かの生徒が座り込んで話したり、流行りの音楽を流し動画を撮ったりしている。
二人は生徒に挨拶するでもなく、廊下を進む。
やがて2年A組の前を通り過ぎ、隣の教室が2年B組だ。
「じゃあ。またな。」
と津久見は言うと、
「おう。」
と島森が返す。
が、その瞬間津久見は床に足を取られ、滑るように必死に足を動かしていた。
天井がゆっくり歪むように見えている。
自分では必死に足を動かしているつもりであったが、見える風景は実にゆっくりとしていた。
声は聞こえないが、大声で笑っているであろう生徒の表情も詳細に分かるほどに。
「どーん!」
津久見は頭から廊下に転倒してしまった。
「はははは。」
と、B組の教室の窓から生徒達がスマホで撮影しながら、笑っていた。
スマホのカメラは津久見の転ぶさまを撮影し、アングルを女生徒に変える。
女生徒は満面の笑みにピースサインで言った。
「日本史の先生に油まみれの廊下歩かせてみた!大成功!いぇーい」
笑い声が響いた。
「何これ笑教科書顔に被せて転んでだけど笑ちょーうけるー!」
津久見はその笑い声を聞きながら真っ暗闇にいる感覚だった。
まぶたが重たい。頭も痛い。
耳鳴りがしてきた。笑い声が段々と遠くなっていく。
その笑い声と引き換えに、耳鳴りと共に何やら、言葉らしき声がしてきた。
「・・・・と・・・・の。」
(ん?)
と、津久見は耳を澄ます。
「・・と・・の。」
(なんだ?)
次に聞こえた時は確かに聞こえた。
「殿!」
と言われた瞬間、重たいまぶたがぱっと開いた。
「殿?」
津久見はぼそっと言うと、声の方へ振り向いた。
「殿!お目覚めでございますか!良かった。」
状況が把握できない。
なんせ、この声を掛けてきた男、甲冑着てるし、髭もじゃだし、髪を結いてるし。
津久見は咄嗟に、
「太秦の方ですか?」
と、聞いてしまった。
「うずまさ?いかがいたしましたか殿!この左近、殿が急に倒れたと聞いて、急いで駆け付けましたのですぞ。」
と、男は言う。
「うこん?との?」
津久見は、その男に支えられるようにゆっくり立つと辺りを見回した。
そこには驚くべき光景が広がっていた。
朝霧に包まれた山間の中に所狭しと甲冑に身を纏った武者が全員こちらを見ている。
遥か後方には、馬がいなないている。
こんな人数見たことがない。地元大分勢の高校が甲子園に出場した際に見たのが、人生で一番の群衆であった。
それを遥かに超える人の数…。
ふと津久見は近くの旗を見た。
旗には「大一大万大吉」の文字が書かれていた。
「え…。」
驚いて口を開けながら、自分の身体を見てみると、これまた立派な甲冑を着ているのが分かった。
分かった瞬間、その甲冑の重さを感じると、またよろめいてしまった。
咄嗟に先ほどの男が支える。
「殿!しっかりなされよ!」
津久見は支えられながら、天を仰いだ。
「え~。これって。どういうこと~。」
と白目をむいて叫んだ。
第一話 完
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