恋詠花

舘野寧依

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第一章:通達、昔語り

第1話 下賤の姫

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 ──オルデリード大陸第二の大国、トゥルティエール。


 この国はまだ二十歳そこそこの若い王が統治している。

 名をルドガーと言い、典型的なトゥルティエール王族の特徴である白金の髪と青灰色の瞳をしていた。
 そして、その彼にはこの国の王族ではあり得ない灰桜色の真っ直ぐな長い髪に胡桃色の瞳を持つ妹姫がいた。



「アイシャ様、陛下がお呼びでございます」

 やや年かさの侍女であるライサが知らせてきたのを受けて、アイシャは少々慌てる。
 兄王とは折り合いが悪く、普段アイシャは彼にないものとして扱われていた。
 それが、今回の唐突な呼び出しだ。
 ルドガーには意図があるのだろうが、アイシャはそれがなにかも想像がつかない。

「まあ、陛下がお呼びだなんてなにかしら……? 良いことであればいいのだけれど」

 それでも久しぶりの兄王との対面にアイシャは心を浮き立たせていた。
 ルドガーとの折り合いは悪いが、アイシャは決して兄王を嫌っているわけではなかった。

「アイシャ様、陛下の御前に出られるのですから、その前に髪を少し結いましょう」
「あ、そうね。衣装はこれでいいかしら?」

 ライサの言葉にアイシャは素直に頷くと、自らを見下ろした。
 今日のアイシャは象牙色のやや控えめな意匠いしょうのものを身につけていたが、これは髪型でそれなりに華やかになるだろう。

 美しい灰桜色のアイシャの髪は結わずにいても充分見事ではあったのだが、ただでさえ彼女に厳しいルドガーの前に出るのにそれでは体裁が悪いだろうとライサは考えたのだ。

「はい、よろしいと思いますよ。それでは、姫様こちらへ」

 ライサに導かれて、アイシャは衣装部屋の鏡台の前に座った。
 ライサに髪を丁寧にブラシでかけられると、アイシャの髪はより美しい艶やかさをかもし出した。

「本当に素敵な御髪おぐしですわ、アイシャ様」
「……ありがとう」

 大事にしている髪をライサに褒められたのと、久しぶりに兄王に会える嬉しさとで、アイシャは頬を綻ばした。
 ライサはアイシャの両方の横の髪を結うと、そこを白い咲きかけの薔薇と白い小花で飾る。

 そうすると、アイシャの可憐さがより引き立ち、まるで妖精のように見えた。

「さあ、出来ましたわ。それでは陛下の元へご案内します」
「ええ」

 大きな姿見で自分の姿を確認していたアイシャがそれに微笑んで答えた。

 ──これなら、きっとあの方もみすぼらしいとはおっしゃらないわ。

 ルドガーにいつも厳しい言葉ばかりかけられているアイシャもこの支度の出来映えに満足して、ライサの先導でルドガーが待つ謁見の間へ向かった。



 その謁見の間の玉座には、ルドガーが肘をついてなにかを考え込むようにして座っていた。

「お呼びでございますか、陛下」

 アイシャは兄王の前で姫君らしく正式な礼をする。
 可憐なその様子をつまらなそうに見やりながら、ルドガーは早々に話を切りだした。

「……この度、おまえの婚礼の話がまとまった」

 控えめに佇んでいたアイシャはその言葉に衝撃を受けたようにルドガーの顔を見返した。

「わ、わたくしの婚礼でございますか……?」

 王妹おうまいたるもの、いつかは来る話だとアイシャも思っていた。
 ただ、それがこんな急に訪れるものだとは思ってもいなかった。

「おまえの嫁ぎ先はハーメイだ。下賤げせんの出のおまえが小国とはいえ、国王の正妃となれるのだ。ありがたく思うのだな、アイシャ」

 ルドガーがアイシャを下賤の出と言ったのには訳があった。
 彼女は先王の第二王妃の娘だが、先王とは血の繋がりのない姫だったのだ。
 つまり、ルドガーとアイシャは兄と妹という関係ではあるが、まったくの赤の他人だった。
 そして、彼とアイシャが折り合いが悪いのもこれに起因していた。

「……ハーメイ……」

 ──わたしがハーメイの王妃に。
 確かにわたしの出自から考えたら、これほどの良い話はないのかもしれないわ。

 それでも突然訪れた自分の婚姻話に、アイシャはうろたえてしまう。
 下賤の者とさげすまれても、まだアイシャはこのトゥルティエール王宮に身を置いていたかったのだ。

「これでいやしいおまえと縁が切れると思うと清々するな。……ただ、おまえはこの大国トゥルティエールの王妹として嫁ぐのだ。このわたしに恥をかかせる真似だけはするな」
「は、はい」

 ルドガーの辛辣しんらつな言葉にアイシャの身が震える。
 アイシャは泣くまいと思ったが、その瞳には既に涙が浮かんでいた。
 優しい言葉など望めるはずもなかった。
 しかし、アイシャはどうしても彼にそれを期待してしまうのをやめられなかった。
 ……だが、空しいその時はもう終わりを告げるのだ。
 自分がこの王宮から出てしまえば、彼とはもう二度と会うことはないのだから。

「……泣いて同情を誘うつもりか。おまえは本当に浅ましい女だな」

 ルドガーが心底嫌そうに言う。
 すると、アイシャの頬を涙が伝っていった。
 陛下は本当に優しくない、とアイシャは思う。
 けれど、それは仕方のないことなのだ。
 わたし達が彼から奪ってしまったものはとてつもなく大きい。

「わたしの前で泣くな。鬱陶しい」
「は……い、申し訳、ございませ……」

 ルドガーの叱責しっせきに涙を止められなくなったアイシャをかばうようにしてライサがその前に立った。

御前ごぜん失礼いたします。陛下、アイシャ様はもう下がられてよろしいでしょうか? 姫様はお話ができる状態ではございませんし」
「ラ、イサ……」

 アイシャがただ一人信頼のおける侍女の名前を呼ぶと、ルドガーは忌々しそうに顔をしかめた。

「いや、いい。もう話は済んだ。わたしがここを出ていく。ライサ、その鬱陶しい女をどうにかしろ」
「……かしこまりました」

 ライサが頭を下げると、ルドガーは玉座から立ち上がりその場を去った。
 ライサから手巾ハンカチを渡され、アイシャは涙を拭くと大きく息をついた。

「……ライサ、ごめんなさい。こんなふうに取り乱してしまって」
「アイシャ様は気になさらなくてよろしいのですよ。……それにしても、急なお話でしたわね」
「ええ……」

 安心させるかのように優しく語りかけるライサに幾分落ち着いたアイシャは頷いた。
 確かに急な話だった。
 王族と名乗ることすらおこがましいと自分でも思っていたアイシャは、いずれはこの国の貴族にでも降嫁こうかすることになると思っていた。しかし、それがまさか隣国の王の花嫁とは。

「でも、これもよい機会かもしれませんわ。アイシャ様はこれまでのことはお忘れになって、ハーメイの国王様とお幸せになられるとよろしいのです」
「……ええ」

 ライサの慰める言葉に、しかしアイシャはどこか哀しそうに頷いた。

 ──多分あの方と会うのはこれが最後だろう。
 ……結局、この想いは告げることすら出来なかった。

「アイシャ様……」

 ライサが衣装の胸元を掴みながら俯いたアイシャを気遣わしげに覗き込む。
 アイシャはついぞ叶うことのなかった恋の痛みに、いつの間にか涙を流していた。
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