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「ですが……貴族の婚姻には議会の承認が必要と聞きました。ミュリディアス殿下は王家の方ですし、貴族院の承認のほかに陛下の許しも得なければならないのでは?」
私が困惑していると、ミュリディアス殿下が頬笑みを浮かべる。冷たい美貌の人だと思っていたが、彼は私と話す時は柔らかな雰囲気になる。
元々そういう人なのだろうか。社交界で見る彼はいつも刺々しい雰囲気があり、眉を寄せ、誰をも寄せ付けないような空気感があったので、そういう性格なのだと思っていたが。
「貴族院の承認は得ているよ。かなり強引になってしまったけど……承認には変わりない。陛下の方も……まあ」
「……陛下はご納得されているんですか?」
ミュリディアス殿下と私の婚約自体、突然のもので陛下がどう思っているか分からない。不快にさせたのでは、と思っているとミュリディアス殿下が苦笑した。
「納得は……どうだろう。でも、許しは貰えたよ。条件はあったけど」
「……?」
その条件とは、私を娶る理由とも関連しているのだろうか。押し黙っていると、彼が尋ねてきた。
「ごめん。チェリーディア……怒ってる?」
「え、怒って?私が、ですか?」
「勝手に婚姻届を提出されて、知らないうちに夫婦にされてたんだ。怒って当然だよ」
「そう……なのでしょうか?いえ、あの、殿下の方がご不快なのではと……私なんかと形上ではありますが夫婦など。ただでさえ気を悪くされているでしょうに、そうせざるを得なかったとはいえ、申し訳なく思います……」
私としては、彼に冷たく接されるのはご褒美のほかにならないが、彼は違うのだ。ただ純粋に、私を疎ましく思っているのであり、ストレスを感じているのだ。
それについては申し訳なく思う。素直な感想を口にすると、ミュリディアス殿下は目を見開いた。そして、がっと私の肩を掴んだ。強い力だ。
殴られるのかと思ってびっくりする私に、彼が言った。
「チェリーディア、どうして?僕がそんなこと思うはずがないじゃない。きみを妻にできるんだ。これ以上の幸福はない」
「えっ」
「くそ……僕の気持ちが伝わってなかったんだな。いや、勝手に夫婦になったことの後ろめたさではっきり口にしなかった僕も悪い。チェリーディア、いい?僕はきみが好きだ。愛してる。だから、きみを妻にしたいと思ったし、あのくそみたいなチェルチュア伯爵家からきみを連れ出したいと思ったんだ」
「へ……………?」
愛?
好き?
誰を?
誰が?
……………私!?
びっくりしすぎて何も出てこない。
あ、とか、う、とか意味の無い言葉ばかり漏らす私に、彼が困ったように笑った。
「チェリーディア、きみは知らないだろうけど僕はずっと前からきみのことを知ってる。ずっとずっと、きみのことが好きだった」
「あ、うぇ……???」
「幼い頃、僕は母上に連れていかれたティーパーティーでうんざりしていたんだ。令嬢にいい思い出がなかったから、彼女たちから逃げ回っていた。あとから母には叱られたが──でも今はそれでよかったと思っている。なぜなら僕は、そこできみに出会った」
「私……?」
ミュリディアス殿下とティーパーティーで会った……?いつの話……?
こんなに綺麗な顔をしているなら、覚えているはずだ。だけどいくら記憶を探しても思い当たらない。私が難しい顔をしていると、ふ、とミュリディアス殿下が笑った。
「きみが知らないのも無理はない。あの時、私はきみに声をかけなかったしきみも私に気がついていなかった」
怪訝な顔になる私に、彼が思い出すように目を細めた。長い銀色のまつ毛が薄水色の瞳を彩る。
「あの時、私の妃候補にと呼び出された令嬢たちの間で口論になったらしく、場はヒートアップしていた。本来なら私が仲裁に入るべきだったのだろうが、どうにも億劫で。好き勝手に罵り、自滅すればいいと放置していた。争いに巻き込むなとも思った」
「………」
「そのうちの一人が、ついに手を上げた。なにか頭にくる言葉でも言われたのだろうね。相手の令嬢を殴ろうとして……その間に、きみが割り込んだ」
記憶をひっくり返すように思い出そうと懸命に頭を悩ますが、覚えていない。似たようなことは今まで何度もあったから、これ、と言いきれるものがない。
「令嬢の手がきみに当たり……きみは頬を打たれたというのに、全くこらえた様子はなく穏やかに微笑んで、言ったんだ。『おやめください、こんな場をミュリディアス殿下に見られたらお困りかと思います』と。それで周囲の令嬢は頭が冷えたのか、みな静かになった」
「…………………」
お、覚えてない……。
でもおそらく、私が割り込んだのは手を上げた令嬢がきっと美しかったからだろう。
だから、私のいけない癖が出てしまい、考えるより先に体が動いてしまったのだと思う。その言葉は後付だ。咄嗟に体が動いたための言い訳に過ぎない。
いたたまれなくなり視線を逸らす私に、ミュリディアス殿下が言った。
「衝撃だった。本来なら僕が諌めなければならない場で、僕よりいくつも年下の子が、仲裁に入った。令嬢が頬に怪我を負うなどありえないことなのに、きみはそれを承知の上で間にはいったんだ」
「で、殿下、それは……」
そんな高尚な考えではなく、もっと俗めいた、邪な思いからだ。
言い淀む私に、彼が首を傾げて優しく微笑んだ。まるで、大切な思い出を語るように。
「その時、僕はきみに惹かれた。同時に僕の情けなさや至らなさも痛感したが……あれ以来、僕はきみに見合うだけの紳士になろうと励んできた。……きみが婚約破棄を突きつけられているところを見て、これを逃す手はないと……」
「殿下……」
私がロイド様に婚約破棄を突きつけられ、興奮に震えている時に彼はそんなことを考えていたのか。
あまりにも私とはかけ離れすぎていて、恥ずかしくなる。私の穢れた欲望は彼の純な想いを汚してしまう。
「僕がきみの名を知った時、既にきみには婚約者がいた。……身を引くつもりだったんだ。なにかあれば僕が力になるつもりだったから、変わらず自己研鑽には励んだが。だけど……相手があのロイド・ローゼンハイスと知り、僕は彼を憎んだし、呪った。きみを大事にしないなら、僕にくれと言いたいくらいだった」
「ミュリディアス殿下……」
彼の言葉は不思議だ。
そのどれもが私を想う優しい言葉なのに、そんな言葉を向けられ慣れていない私はどう受け止めればいいかわからなくなる。
戸惑いにも似た、落ち着かない感覚になる。
困惑した声を出す私に、彼が微笑んだ。
「焦らなくていいよ。きみは僕の気持ちを知らなかったし……急に言われても困ると思う。ゆっくり僕のことを知っ」
「私、ドMなんです」
私が困惑していると、ミュリディアス殿下が頬笑みを浮かべる。冷たい美貌の人だと思っていたが、彼は私と話す時は柔らかな雰囲気になる。
元々そういう人なのだろうか。社交界で見る彼はいつも刺々しい雰囲気があり、眉を寄せ、誰をも寄せ付けないような空気感があったので、そういう性格なのだと思っていたが。
「貴族院の承認は得ているよ。かなり強引になってしまったけど……承認には変わりない。陛下の方も……まあ」
「……陛下はご納得されているんですか?」
ミュリディアス殿下と私の婚約自体、突然のもので陛下がどう思っているか分からない。不快にさせたのでは、と思っているとミュリディアス殿下が苦笑した。
「納得は……どうだろう。でも、許しは貰えたよ。条件はあったけど」
「……?」
その条件とは、私を娶る理由とも関連しているのだろうか。押し黙っていると、彼が尋ねてきた。
「ごめん。チェリーディア……怒ってる?」
「え、怒って?私が、ですか?」
「勝手に婚姻届を提出されて、知らないうちに夫婦にされてたんだ。怒って当然だよ」
「そう……なのでしょうか?いえ、あの、殿下の方がご不快なのではと……私なんかと形上ではありますが夫婦など。ただでさえ気を悪くされているでしょうに、そうせざるを得なかったとはいえ、申し訳なく思います……」
私としては、彼に冷たく接されるのはご褒美のほかにならないが、彼は違うのだ。ただ純粋に、私を疎ましく思っているのであり、ストレスを感じているのだ。
それについては申し訳なく思う。素直な感想を口にすると、ミュリディアス殿下は目を見開いた。そして、がっと私の肩を掴んだ。強い力だ。
殴られるのかと思ってびっくりする私に、彼が言った。
「チェリーディア、どうして?僕がそんなこと思うはずがないじゃない。きみを妻にできるんだ。これ以上の幸福はない」
「えっ」
「くそ……僕の気持ちが伝わってなかったんだな。いや、勝手に夫婦になったことの後ろめたさではっきり口にしなかった僕も悪い。チェリーディア、いい?僕はきみが好きだ。愛してる。だから、きみを妻にしたいと思ったし、あのくそみたいなチェルチュア伯爵家からきみを連れ出したいと思ったんだ」
「へ……………?」
愛?
好き?
誰を?
誰が?
……………私!?
びっくりしすぎて何も出てこない。
あ、とか、う、とか意味の無い言葉ばかり漏らす私に、彼が困ったように笑った。
「チェリーディア、きみは知らないだろうけど僕はずっと前からきみのことを知ってる。ずっとずっと、きみのことが好きだった」
「あ、うぇ……???」
「幼い頃、僕は母上に連れていかれたティーパーティーでうんざりしていたんだ。令嬢にいい思い出がなかったから、彼女たちから逃げ回っていた。あとから母には叱られたが──でも今はそれでよかったと思っている。なぜなら僕は、そこできみに出会った」
「私……?」
ミュリディアス殿下とティーパーティーで会った……?いつの話……?
こんなに綺麗な顔をしているなら、覚えているはずだ。だけどいくら記憶を探しても思い当たらない。私が難しい顔をしていると、ふ、とミュリディアス殿下が笑った。
「きみが知らないのも無理はない。あの時、私はきみに声をかけなかったしきみも私に気がついていなかった」
怪訝な顔になる私に、彼が思い出すように目を細めた。長い銀色のまつ毛が薄水色の瞳を彩る。
「あの時、私の妃候補にと呼び出された令嬢たちの間で口論になったらしく、場はヒートアップしていた。本来なら私が仲裁に入るべきだったのだろうが、どうにも億劫で。好き勝手に罵り、自滅すればいいと放置していた。争いに巻き込むなとも思った」
「………」
「そのうちの一人が、ついに手を上げた。なにか頭にくる言葉でも言われたのだろうね。相手の令嬢を殴ろうとして……その間に、きみが割り込んだ」
記憶をひっくり返すように思い出そうと懸命に頭を悩ますが、覚えていない。似たようなことは今まで何度もあったから、これ、と言いきれるものがない。
「令嬢の手がきみに当たり……きみは頬を打たれたというのに、全くこらえた様子はなく穏やかに微笑んで、言ったんだ。『おやめください、こんな場をミュリディアス殿下に見られたらお困りかと思います』と。それで周囲の令嬢は頭が冷えたのか、みな静かになった」
「…………………」
お、覚えてない……。
でもおそらく、私が割り込んだのは手を上げた令嬢がきっと美しかったからだろう。
だから、私のいけない癖が出てしまい、考えるより先に体が動いてしまったのだと思う。その言葉は後付だ。咄嗟に体が動いたための言い訳に過ぎない。
いたたまれなくなり視線を逸らす私に、ミュリディアス殿下が言った。
「衝撃だった。本来なら僕が諌めなければならない場で、僕よりいくつも年下の子が、仲裁に入った。令嬢が頬に怪我を負うなどありえないことなのに、きみはそれを承知の上で間にはいったんだ」
「で、殿下、それは……」
そんな高尚な考えではなく、もっと俗めいた、邪な思いからだ。
言い淀む私に、彼が首を傾げて優しく微笑んだ。まるで、大切な思い出を語るように。
「その時、僕はきみに惹かれた。同時に僕の情けなさや至らなさも痛感したが……あれ以来、僕はきみに見合うだけの紳士になろうと励んできた。……きみが婚約破棄を突きつけられているところを見て、これを逃す手はないと……」
「殿下……」
私がロイド様に婚約破棄を突きつけられ、興奮に震えている時に彼はそんなことを考えていたのか。
あまりにも私とはかけ離れすぎていて、恥ずかしくなる。私の穢れた欲望は彼の純な想いを汚してしまう。
「僕がきみの名を知った時、既にきみには婚約者がいた。……身を引くつもりだったんだ。なにかあれば僕が力になるつもりだったから、変わらず自己研鑽には励んだが。だけど……相手があのロイド・ローゼンハイスと知り、僕は彼を憎んだし、呪った。きみを大事にしないなら、僕にくれと言いたいくらいだった」
「ミュリディアス殿下……」
彼の言葉は不思議だ。
そのどれもが私を想う優しい言葉なのに、そんな言葉を向けられ慣れていない私はどう受け止めればいいかわからなくなる。
戸惑いにも似た、落ち着かない感覚になる。
困惑した声を出す私に、彼が微笑んだ。
「焦らなくていいよ。きみは僕の気持ちを知らなかったし……急に言われても困ると思う。ゆっくり僕のことを知っ」
「私、ドMなんです」
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