26 / 37
26
しおりを挟む阿賀野は焦っていた。
普段、不測の事態が起きることは多々ある。発注ミスや連絡不足、急な事故にその他雑多な問題。気を付けていても事業は大きいし、部下も多いだけあって必ずそれらは阿賀野に判断を仰いでくるが、それらを先陣をきって打破していくのが仕事のひとつでもある。
落ち着いて問題点を客観的に見据え、決して感情的になってはならない。頭の中でフローチャートを作り、いくとおりもの家庭とその先を思い描く。その中で最適な道筋を都合立てて行動に移す。そうやっていくつもの難関を潜り抜けてきた。
けれど今、阿賀野は迷いに迷っていた。
なんの話をすれば会話は弾むのか、どういう風に言えば彼との会話が続くのか、なにひとつわからないのだ。
「その……ああ…」
『……』
電話口の真柴は通話を切らずにいてくれるが、居心地は悪いだろう。
なにか共通の話題をと記憶をさらった阿賀野は、そういえばとリビングで見た写真を思い出した。
「あの…リビングの」
『リビング? うちのですか』
「そう、さっき借りたリビング。キャビネットに写真があったけど、一緒に写ってたのは文月さんと鷹介さんかな」
『そうですけど……なんで名前知って…』
そういえば松前から話を聞いただけで、真柴自身から話してもらったわけではない。話題の振り方をしくじったかと思ったが、かけた言葉が今更戻るわけもなく、仕方なく阿賀野は話題をそのまま続けた。
「松前さんに聞いた。ごめん、俺が知りたくて聞いたんだ」
あれやこれやと漏らしてくれたのは松前だが、話を振ったのは阿賀野だ。自分が発端だと謝ると、真柴の声があの、と歯切れ悪く響いた。
『あの…どこまで聞きましたか』
どこまで聞いたら駄目だっただろう。
真柴のプライベートのことであるし、ましてや真柴自身どころか祖父母にまで話は及んでいる。返答次第ではそれこそ嫌われてしまうかもしれない。
迷ったが、結局阿賀野は誤魔化すことをやめた。
「鷹介さんと文月さんのなれ初めというか…ここに来ることになった経緯を聞いた。あと、真柴くんが都内生まれで、中二の頃にこっちに来たことも」
『…あの、俺がこっちに来た経緯は』
「それは聞いてない。鷹介さんたちの…真柴くんのお祖父さんたちの話がほとんどだったから」
『それは、どういう…』
「ええと……文月さんと鷹介さんの馴れ初めと、真柴くんのお父さんが生まれてから都内に引っ越したことと、この家は療養用に別荘にしていたけど、退職してからまたこっちに戻ってきたことかな」
『祖母の話は、どのくらい…』
真柴の声に、わずかな動揺が混じる。震えているわけではないが、どこかか細く、弱弱しかった。
おそらく、文月の実家がオメガ家系として差別を受けていたことに起因しているのだろう。
「生まれつき匂いが強くて、その…事件に巻き込まれかけたこともあった事も聞いた。でも、だから鷹介さんが文月さんの為にこの家を建てた事も聞いたよ。けど、文月さんはすごく愛されてたってことも聞いた。文月さんも幸せそうだったって」
残念なことに、鷹介も文月も既に鬼籍の人だ。会う事は叶わない。けれど、松前はいつも二人は一緒で、幸せそうだったと言っていた。それを鵜呑みにしていたわけではないが、リビングに飾ってあった写真を見て、言葉の通りだったのだなと阿賀野は思っていた。
「真柴くんから見て、文月さんは幸せそうだった?」
実際本人から聞いたわけではないが、松前の語った文月の生い立ちはアルファとして生まれ育ってきた阿賀野には思いもよらない話だった。
けれど、写真の中の文月は笑っていた。
オメガの性徴についての知識が今よりもずっと周知されておらず、偏見と差別のなかで生きてきただろうに、フレームの中の文月は穏やかな顔をしていた。
そんな文月を傍で見て育った真柴になんとなく聞きたくなって問いかけると、沈黙が一瞬だけ横たわった。
外ではまだ風が吹き荒れている。煽られた雨がばしばしと窓にあたり、激しい音を立てている。その中でぽつりと声が落ちた。
『……祖母は、幸せだったと…思います』
さっきまでどこかよそよそしかった真柴の声が、やわらかく響く。
『すごく祖父と仲が良かったんです。喧嘩もしてたけど、すぐに仲直りして…いつも一緒にいました』
だからアルバムがたくさんあるんです、祖父はアナログでずっと撮り続けてたので。
そう言った真柴だったが、ごく小さな声で、すみません、つまらない話ですねとも続けた。
『あまり人と話すこともないんで…』
「そんなことはないよ。真柴くんの事がまた一つ知れて嬉しい」
『そ、…それなら、あの……阿賀野さんの事を教えてください。俺のことばかりで恥ずかしいので……嫌じゃなければでいいんで、あの、すみません……』
なかば吐息のようになった語尾が、耳の中にふわふわと消えていく。
電波で繋がっている二人の間に沈黙が横たわったことに阿賀野が気付いたのは、ゆうに数秒経ってからだった。まさか真柴の方から話を振ってくると思わなかったのだ。
初夏の頃から今日にいたるまで、真柴に対して何度も話しかけてきた。けれど真柴から返ってくる返事は、はいかいいえの短いものがほとんどで、会話ではなく語りかけのような状態だったのだ。
突然話を広げられて思わず動揺した阿賀野は思わず口を半開きにしたまま呆けたが、身じろいだはずみに軋んだベッドの音で我に返った。
「あっ、ああごめん、電波、悪くて……」
咄嗟に言い訳をするも、口の中がカラカラだ。
好きな子に話しかけられなかった小学生の頃でもあるまいしと妙な気恥しさを覚えながらベッドを降りた阿賀野は、水分を求めて部屋を出た。
抑制剤はすっかり体に回っているようで、匂いは感じなかった。
「俺の話か。そうか、そういえば俺の話は全然してなかった。なにを話そうかな。ああ、先に飲み物を貰ってもいいかな」
『あ、冷蔵庫に麦茶があるので、それを』
「ありがとう。君も何か飲みながら…ってごめん、俺が出たら君が出られないか」
明かりがついたままの台所は、寝る前に見た時よりも片付いている。水切りカゴも空になっていて、食器棚からコップを一つ拝借すると、電波の向こうにいる真柴も動いたのか、ごそごそと音がした。
『いえ、こっちにも台所があるんで……』
カチャカチャと陶器のぶつかる音がする。次いで、とぷとぷと水音もした。
「台所が? 離れになってるんだな」
『廊下で繋がっているので、半離れくらいです。トイレもお風呂もあります。ここで暮らしても不便はないですね』
それなら大丈夫かと、ダイニングテーブルから椅子を引きだして、注いだばかりの麦茶を煽る。普段口にするペットボトルのお茶よりも薄かったが、冷えたそれはすっきりと喉を潤してくれた。
「じゃあ、そっちが真柴くんの部屋だったりするのか……って、ごめん、また君にばかり話させてるな。ええと俺の話…」
なにを話すべきか、まったく用意など出来ていない。普段会話をするといえば須藤や副島がほとんどで、プライベートでは諏訪園の店に行ったときに彼を相手に益体のない会話に興じる程度だ。
自分の話をしたところでなにかあるだろうかと考えたところで、ふと須藤の言葉が脳裏を過ぎった。
―――自分の事、ちゃんと見つめ直してみなさいよ。
そうでないとずっと独り身だと須藤は言っていた。その意図はどこにあるのかとぼんやり考えながら麦茶を煽った阿賀野の視界の端に、食器棚が映った。
硝子戸の向こうにしまわれているのは、白地に薄紅で桜が描かれた小さな小鉢だ。見覚えがあるそれは、サラダがよそわれていたものだった。
無理に食べたものではあったが、吐くほどのものではないし、思っていたよりも食べられた。幼い頃に野菜を食べた時は吐き出してしまっていたが、慣れない苦味を感じて眉間にしわが寄りはしたものの、完食出来た。口内に不慣れな味は残ったし、麦茶で流し込んだ。どっと疲れを感じたりもしたが、悪い気はしなかった。
「俺の、話は……そうだな、つまらなかったらごめん。小さい頃の話なんだけど」
話が長くなってしまうかもしれない。けれど朝からさっきまでぐっすり眠ってしまったし、時間も暇も有り余っている。
電話の向こうには真柴しかいないし、彼になら聞いてほしいと、阿賀野はスマートフォンを持ちかえながら、ダイニングチェアの背もたれに向いて腰を下ろした。
真柴は、前もって阿賀野が待つ前に話を聞いてしまったせいもあるが、自分の弱いところを見せてくれた。だからというわけではないが、彼に対して、今までの一晩の相手を口説く時のように、自分がアルファとして培ってきたものをさらけ出すのはふさわしくない気がした。
真柴でなければ、話す気にはならなかったかもしれない。
アルファのくせにと蔑まれてしまうかもしれないというおそれが、真柴を相手にすると、彼はそんなことは言わないだろうと思いに覆われて消えてしまうからだ。
(間抜けだな)
適当な相手には、アルファとして生きてきた派手な自分ばかり見せてきた。それなのに、運命だと確信した相手に、アルファらしさなど微塵もない、それどころか大人としてさえ情けない話をしようとしている。
けれど、間違った選択だとは思わなかった。
15
あなたにおすすめの小説
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
恵方巻を食べてオメガになるはずが、氷の騎士団長様に胃袋を掴まれ溺愛されています
水凪しおん
BL
「俺はベータだ。けれど、クラウス様の隣に立ちたい」
王城の厨房で働く地味な料理人ルエンは、近衛騎士団長のクラウスに叶わぬ恋をしていた。身分も属性も違う自分には、彼との未来などない。そう諦めかけていたある日、ルエンは「伝説の恵方巻を食べればオメガになれる」という噂を耳にする。
一縷の望みをかけ、ルエンは危険な食材探しの旅へ! しかし、なぜかその旅先にはいつもクラウスの姿があって……?
勘違いから始まる、ベータ料理人×氷の騎士団長の胃袋攻略ラブファンタジー!
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
泡にはならない/泡にはさせない
玲
BL
――やっと見つけた、オレの『運命』……のはずなのに秒でフラれました。――
明るくてお調子者、だけど憎めない。そんなアルファの大学生・加原 夏樹(かはらなつき)が、ふとした瞬間に嗅いだ香り。今までに経験したことのない、心の奥底をかき乱す“それ”に導かれるまま、出会ったのは——まるで人魚のようなスイマーだった。白磁の肌、滴る水、鋭く澄んだ瞳、そしてフェロモンが、理性を吹き飛ばす。出会った瞬間、確信した。
「『運命だ』!オレと『番』になってくれ!」
衝動のままに告げた愛の言葉。けれど……。
「運命論者は、間に合ってますんで。」
返ってきたのは、冷たい拒絶……。
これは、『運命』に憧れる一途なアルファと、『運命』なんて信じない冷静なオメガの、正反対なふたりが織りなす、もどかしくて、熱くて、ちょっと切ない恋のはじまり。
オメガバースという世界の中で、「個」として「愛」を選び取るための物語。
彼が彼を選ぶまで。彼が彼を認めるまで。
——『運命』が、ただの言葉ではなくなるその日まで。
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
ちゃんちゃら
三旨加泉
BL
軽い気持ちで普段仲の良い大地と関係を持ってしまった海斗。自分はβだと思っていたが、Ωだと発覚して…?
夫夫としてはゼロからのスタートとなった二人。すれ違いまくる中、二人が出した決断はー。
ビター色の強いオメガバースラブロマンス。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる