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巣ごもりオメガと運命の騎妃
53.白に秘める
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白い天井の半分に、光がさしている。目が覚めたサリムは、ぼうっとその光景を見ていた。
皇宮は白い石材を使って作られているので、サリムの部屋の天井も白だ。けれど、いつも寝ている部屋とは石材の継ぎ目も光の入り方も違った。
(ここは……?)
いったいどこで自分は寝ていたのだろうと首をよじったところで、周囲がパタパタと騒がしくなったことに気付く。
護衛や女官が常に周りにいる生活にもすっかり慣れているので驚きはしない。控えめながらも騒がしい中から、サリム様がお目覚めに、ハイダル殿下にお知らせをと聞こえた。
(殿下……そうだ、ここはハイダル様のお部屋だ)
数回しか入ったことはないが、置かれた調度品を覚えている。しかしそうとなればハイダルの部屋に自分が寝ていることがなおさら不思議で、どうしてと困惑したサリムは、ふと呼ばれたように視線を扉の向こうにやった。
特にノックの音はせず、ゆっくりとした動きで扉が開かれる。室内をうかがうように入ってきたのは、やはりハイダルだった。
ハイダルはサリムと目が合うとぱっと表情を明るくし、大股で歩み寄ってきて寝台の傍に膝をついた。
「サリム。俺がわかるか?」
「は、い」
口が乾いて、喉に声が張り付く。ハイダルは嗄れた声にすぐ気付いて、水を飲むかと聞いてきた。
うなずくとすぐに抱き起こされ、水の注がれたゴブレットが口元へ寄せられる。
あまりにてきぱきと動くのでうっかり流されかけたが、本来ならばこんなことをさせていい相手ではない。せめて自分で持たなければと手をあげたところで、サリムは自分の手首に包帯が巻かれていることに気付いた。
なぜと思う間もなく、ここ数日のことが頭をよぎる。そして同時に、自分の首のあたりが涼しいことにも気付いた。
アンバランスに頭が軽い。思わず手をやると、ハイダルが視線を落とした。
「……すまない」
髪はざんばらに切られていて、左半分が首元からないようだった。
そのせいで右だけに重みがあるのかと納得したサリムは、ゴブレットを手にしたままうつむいてしまったハイダルを改めて見た。
立襟のトウブに、左肩から足元まで下がった飾り布。装飾のついた腰帯。どれも白だ。
普段着でも白をまとうことはある。しかしハイダル自身がここにいて、さらにこれほど徹底するということは――
(陛下のご葬儀は終わってしまったんだ)
埋葬が終わってからも三日間は全身に白をまとうのはドマルサーニの葬儀の礼法だ。その礼にのっとった格好をしているということは、まだ三日たっていない。
ならばとサリムは顔をあげた。
「ハイダル様、私付きの側仕えを呼んでいただけますか。髪を整えなければ」
「え? ああ……誰か、サリムの側仕えを」
呼ぶとすぐに数名いる側仕えのうちの一人が現れたが、彼が喜びを顔に出す前に、サリムはまだ少しぼうっとする頭をどうにか働かせてあれこれと言いつけた。
「髪を整えていただきたいので、散髪が得意な方を私の部屋に寄越してください。それから、私にも白の一式を。あと……」
用事を頼まれた側仕えはあわただしく出ていく。その背が見えなくなるより先に、ハイダルがまさかと口を開いた。
「墓へ行く気か」
「はい」
シラージュは敬愛する皇帝であり、ハイダルの祖父だ。生前は優しくもしてくれた。そんな彼の葬儀のすべての行事に参加することができなかったのだ。せめて白をまとう三日の間である今のうち、それもできるだけ早く墓へ行って、その死を悼みたかった。
体調の悪さは依然変わらないが、急き立てられるようにサリムが上掛けを剥ごうとした時だった。
コンコンと扉を叩く音が聞こえ、戸惑いを含んだような声が来訪者の存在を告げた。
「こ、皇妃殿下がお越しになりました」
思わずハイダルを見るが、彼もなぜという表情をしている。
しかし通さずに無視をするわけにもいかない。あわてて上掛けを戻し、サリムはせめてと髪を指で梳き、着せられている寝間着を下に引っ張ってしわを正した。その間にハイダルが扉へ行く。
「お通ししろ」
ハイダルの声に、扉が左右に開かれる。確かにそこにはディーマが立っていた。
「お祖母様、なにか……」
「私がここへ来ることに、不都合が?」
「……いいえ」
聞こえてくる会話は長いものではないが、それでも彼女の敵意はあからさまだ。
うつむいたハイダルの前をさっさと通り過ぎたディーマはサリムの傍まで来ると、顔にも手にも傷を負い、髪も半分切られた皇太子妃を睨むように見つめた。
「いま出ていった者から聞きました。あなた、いまさら白を着るつもり?」
「おそれながら、皇妃殿下。ハイダル殿下のつがいとして、せめてもの礼を尽くさせていただきたいのです」
ディーマの視線は恐ろしいが、シラージュの墓へ行くことはサリムの立ち位置としてもすべきことのはずだ。
個人の感情でなく、あくまでハイダルのつがいとしていく必要があるのだとサリムは伝えたかったが、ディーマの視線の温度は変わらなかった。
「必要ありません。つがいが何だというのです。陛下の墓所は、お前のようなものが足を踏み入れていい場所ではありません」
「おやめください、お祖母様。サリムは俺のつがいです。いまは体調が戻らないので連れていくつもりはありませんが、墓参はすべきです」
取り付く島もない様子のディーマに、ハイダルも言い縋る。それでも頑なな皇妃の態度が軟化することはない。
「それなら、ニルミンを妃に迎えてからにしなさい。新たな皇帝夫婦で参列すれば、陛下もお喜びになるでしょう」
ほんの一瞬、サリムは上掛けの上に置いた自分の指がぴくりと震えるのを感じた。
ディーマが口にした名前が、現実を伴って耳の奥まで響く。
シラージュ亡き後、ハイダルが即位するのは誰もがわかっていることだ。そうなれば皇妃は必ず必要になる。そこへ座るのが誰か、サリムは知っていた。
(やっぱり、皇妃にはもう……)
ディーマに嫌われている自分では皇妃になりえないことはわかっていたが、改めて現実を突きつけられると胸が騒ぐ。
しかし視線を落とした頭上を、思いがけない言葉が飛んだ。
「いいえ、サリム以外を迎えるつもりはありません」
(…………えっ)
反応が遅れたのは、ハイダルの言葉の意味がわからなかったからだ。思わず顔を上げると、ハイダルの手がそっと肩に乗せられた。
「なにを言うの。あなたにはニルミンがいるのよ」
ディーマの言うことはもっともだ。
婚約破棄騒動のあと、ニルミンが笑顔で皇宮を訪れた姿も見ている。あの日サリムはハイダルの婚約者を初めて目にし、婚約は継続されたままなのだと思い知ったのだ。
あれから二年経ったが、その関係に変化があったとはハイダルはおろか、シラージュからも聞かされていない。しかしそれはディーマも同じようで、目をむいて唯一の孫を睨みつけていた。
祖母の怒りとつがいの困惑を一身に浴びながら、ハイダルは深呼吸をしたあと口を開いた。
「陛下が生前、姫のお父上であるザハク氏と話し合い、すでにニルミン姫との婚約は解消されています」
「……っ」
驚きに、ドクンと胸が大きく鼓動する。一瞬くらりとめまいすらしたような気がした。
いまにも気を失いそうなサリムだったが、悲鳴のような声が鋭く意識を貫いて、おかげでどうにか倒れることは免れた。
「聞いてないわ! どういうことなの、ハイダル、あなた……」
「陛下と話し合いました。そのうえで姫とザハク氏に頼み、婚約解消は伏せさせていただきました。そのことに対する誓約書も……」
「私だけが知らなかったと言うの?」
サリムはずっと、ハイダルはシラージュに似ていると思っていた。もしくは、会ったこともないハイダルの両親がきっと彼に似ていたのだろうと。それくらいディーマとは似たところがなかったが、今日初めて、この祖母と孫は似ているのだと気付いた。
整った顔に冷淡なほどの平静をたたえ、回りくどい言葉を使わずに容赦のない言葉で相手を牽制する――普段のハイダルからは想像もできないほど、サリムを罵るときのディーマと似ていた。
「結果的にはそうなりました。ですが、俺はサリム以外を必要としていない。今回の婚約は不要なものです。そのために、お祖母様には伏せさせていただきました」
淡々と言う孫に、いつもならば凛とした姿勢を崩さない祖母は声を張りあげた。
「愚かなことを! あなたも陛下も、オメガのためとなるとこうもおかしくなる。揃って私を馬鹿にしていたのね!」
「馬鹿にしたわけではありません。そうすることが、最善だと思ったのです」
「最善? 愚行の間違いだわ」
吐き捨てるように言うディーマは、激昂を隠しもしない。刺々しい言葉を投げつけ、手に持った扇子をギリギリと音がするほど握りしめた。
それでもハイダルは一歩も引かない。
「俺は婚約を解消したかった。陛下は……お祖父様は、お祖母様のために、俺にサリムを皇妃として迎えてほしいと言っていた。どちらにとっても最善なのです。そして、これはお祖父様の遺言に逆らうことになりますが……この決断に至った全ては、お祖父様先導のもとであるとお祖母様には伝えるように――そう言われていました」
ハイダルの言葉が、奇妙な沈黙の間に落ちる。
一言一句聞き逃さずに、サリムはハイダルの声を聞いていたはずだ。しかし発言の意味が理解できない。ぽかんと小さく口さえ開いてしまった。
(陛下がなぜ……?)
サリムを皇妃として迎えてほしいと言ったことは、なんとなくわかる。次代の皇帝というだけでなく、孫としてもシラージュはハイダルを可愛がっていた。その可愛い孫が、運命のつがいと共にいたいというのだから、それを叶える手伝いをしたのだろうということは想像できる。
しかしなぜそれがディーマのためになるのか、さらにはなぜ自身ひとりが泥をかぶるような真似をするのか。度重なる驚きに飽和状態のサリムの頭では想像もつかない。
ディーマも同様のようで、二の句をすぐにつなぐことができず、どこか気の抜けた声で「どういうことなの」と呟いた。その手から扇子が落ちる。
パキリと響いたのは床に落ちた扇子が割れた音だったのかもしれなかったが、サリムもディーマも、ハイダルから目を離せなかった。
皇宮は白い石材を使って作られているので、サリムの部屋の天井も白だ。けれど、いつも寝ている部屋とは石材の継ぎ目も光の入り方も違った。
(ここは……?)
いったいどこで自分は寝ていたのだろうと首をよじったところで、周囲がパタパタと騒がしくなったことに気付く。
護衛や女官が常に周りにいる生活にもすっかり慣れているので驚きはしない。控えめながらも騒がしい中から、サリム様がお目覚めに、ハイダル殿下にお知らせをと聞こえた。
(殿下……そうだ、ここはハイダル様のお部屋だ)
数回しか入ったことはないが、置かれた調度品を覚えている。しかしそうとなればハイダルの部屋に自分が寝ていることがなおさら不思議で、どうしてと困惑したサリムは、ふと呼ばれたように視線を扉の向こうにやった。
特にノックの音はせず、ゆっくりとした動きで扉が開かれる。室内をうかがうように入ってきたのは、やはりハイダルだった。
ハイダルはサリムと目が合うとぱっと表情を明るくし、大股で歩み寄ってきて寝台の傍に膝をついた。
「サリム。俺がわかるか?」
「は、い」
口が乾いて、喉に声が張り付く。ハイダルは嗄れた声にすぐ気付いて、水を飲むかと聞いてきた。
うなずくとすぐに抱き起こされ、水の注がれたゴブレットが口元へ寄せられる。
あまりにてきぱきと動くのでうっかり流されかけたが、本来ならばこんなことをさせていい相手ではない。せめて自分で持たなければと手をあげたところで、サリムは自分の手首に包帯が巻かれていることに気付いた。
なぜと思う間もなく、ここ数日のことが頭をよぎる。そして同時に、自分の首のあたりが涼しいことにも気付いた。
アンバランスに頭が軽い。思わず手をやると、ハイダルが視線を落とした。
「……すまない」
髪はざんばらに切られていて、左半分が首元からないようだった。
そのせいで右だけに重みがあるのかと納得したサリムは、ゴブレットを手にしたままうつむいてしまったハイダルを改めて見た。
立襟のトウブに、左肩から足元まで下がった飾り布。装飾のついた腰帯。どれも白だ。
普段着でも白をまとうことはある。しかしハイダル自身がここにいて、さらにこれほど徹底するということは――
(陛下のご葬儀は終わってしまったんだ)
埋葬が終わってからも三日間は全身に白をまとうのはドマルサーニの葬儀の礼法だ。その礼にのっとった格好をしているということは、まだ三日たっていない。
ならばとサリムは顔をあげた。
「ハイダル様、私付きの側仕えを呼んでいただけますか。髪を整えなければ」
「え? ああ……誰か、サリムの側仕えを」
呼ぶとすぐに数名いる側仕えのうちの一人が現れたが、彼が喜びを顔に出す前に、サリムはまだ少しぼうっとする頭をどうにか働かせてあれこれと言いつけた。
「髪を整えていただきたいので、散髪が得意な方を私の部屋に寄越してください。それから、私にも白の一式を。あと……」
用事を頼まれた側仕えはあわただしく出ていく。その背が見えなくなるより先に、ハイダルがまさかと口を開いた。
「墓へ行く気か」
「はい」
シラージュは敬愛する皇帝であり、ハイダルの祖父だ。生前は優しくもしてくれた。そんな彼の葬儀のすべての行事に参加することができなかったのだ。せめて白をまとう三日の間である今のうち、それもできるだけ早く墓へ行って、その死を悼みたかった。
体調の悪さは依然変わらないが、急き立てられるようにサリムが上掛けを剥ごうとした時だった。
コンコンと扉を叩く音が聞こえ、戸惑いを含んだような声が来訪者の存在を告げた。
「こ、皇妃殿下がお越しになりました」
思わずハイダルを見るが、彼もなぜという表情をしている。
しかし通さずに無視をするわけにもいかない。あわてて上掛けを戻し、サリムはせめてと髪を指で梳き、着せられている寝間着を下に引っ張ってしわを正した。その間にハイダルが扉へ行く。
「お通ししろ」
ハイダルの声に、扉が左右に開かれる。確かにそこにはディーマが立っていた。
「お祖母様、なにか……」
「私がここへ来ることに、不都合が?」
「……いいえ」
聞こえてくる会話は長いものではないが、それでも彼女の敵意はあからさまだ。
うつむいたハイダルの前をさっさと通り過ぎたディーマはサリムの傍まで来ると、顔にも手にも傷を負い、髪も半分切られた皇太子妃を睨むように見つめた。
「いま出ていった者から聞きました。あなた、いまさら白を着るつもり?」
「おそれながら、皇妃殿下。ハイダル殿下のつがいとして、せめてもの礼を尽くさせていただきたいのです」
ディーマの視線は恐ろしいが、シラージュの墓へ行くことはサリムの立ち位置としてもすべきことのはずだ。
個人の感情でなく、あくまでハイダルのつがいとしていく必要があるのだとサリムは伝えたかったが、ディーマの視線の温度は変わらなかった。
「必要ありません。つがいが何だというのです。陛下の墓所は、お前のようなものが足を踏み入れていい場所ではありません」
「おやめください、お祖母様。サリムは俺のつがいです。いまは体調が戻らないので連れていくつもりはありませんが、墓参はすべきです」
取り付く島もない様子のディーマに、ハイダルも言い縋る。それでも頑なな皇妃の態度が軟化することはない。
「それなら、ニルミンを妃に迎えてからにしなさい。新たな皇帝夫婦で参列すれば、陛下もお喜びになるでしょう」
ほんの一瞬、サリムは上掛けの上に置いた自分の指がぴくりと震えるのを感じた。
ディーマが口にした名前が、現実を伴って耳の奥まで響く。
シラージュ亡き後、ハイダルが即位するのは誰もがわかっていることだ。そうなれば皇妃は必ず必要になる。そこへ座るのが誰か、サリムは知っていた。
(やっぱり、皇妃にはもう……)
ディーマに嫌われている自分では皇妃になりえないことはわかっていたが、改めて現実を突きつけられると胸が騒ぐ。
しかし視線を落とした頭上を、思いがけない言葉が飛んだ。
「いいえ、サリム以外を迎えるつもりはありません」
(…………えっ)
反応が遅れたのは、ハイダルの言葉の意味がわからなかったからだ。思わず顔を上げると、ハイダルの手がそっと肩に乗せられた。
「なにを言うの。あなたにはニルミンがいるのよ」
ディーマの言うことはもっともだ。
婚約破棄騒動のあと、ニルミンが笑顔で皇宮を訪れた姿も見ている。あの日サリムはハイダルの婚約者を初めて目にし、婚約は継続されたままなのだと思い知ったのだ。
あれから二年経ったが、その関係に変化があったとはハイダルはおろか、シラージュからも聞かされていない。しかしそれはディーマも同じようで、目をむいて唯一の孫を睨みつけていた。
祖母の怒りとつがいの困惑を一身に浴びながら、ハイダルは深呼吸をしたあと口を開いた。
「陛下が生前、姫のお父上であるザハク氏と話し合い、すでにニルミン姫との婚約は解消されています」
「……っ」
驚きに、ドクンと胸が大きく鼓動する。一瞬くらりとめまいすらしたような気がした。
いまにも気を失いそうなサリムだったが、悲鳴のような声が鋭く意識を貫いて、おかげでどうにか倒れることは免れた。
「聞いてないわ! どういうことなの、ハイダル、あなた……」
「陛下と話し合いました。そのうえで姫とザハク氏に頼み、婚約解消は伏せさせていただきました。そのことに対する誓約書も……」
「私だけが知らなかったと言うの?」
サリムはずっと、ハイダルはシラージュに似ていると思っていた。もしくは、会ったこともないハイダルの両親がきっと彼に似ていたのだろうと。それくらいディーマとは似たところがなかったが、今日初めて、この祖母と孫は似ているのだと気付いた。
整った顔に冷淡なほどの平静をたたえ、回りくどい言葉を使わずに容赦のない言葉で相手を牽制する――普段のハイダルからは想像もできないほど、サリムを罵るときのディーマと似ていた。
「結果的にはそうなりました。ですが、俺はサリム以外を必要としていない。今回の婚約は不要なものです。そのために、お祖母様には伏せさせていただきました」
淡々と言う孫に、いつもならば凛とした姿勢を崩さない祖母は声を張りあげた。
「愚かなことを! あなたも陛下も、オメガのためとなるとこうもおかしくなる。揃って私を馬鹿にしていたのね!」
「馬鹿にしたわけではありません。そうすることが、最善だと思ったのです」
「最善? 愚行の間違いだわ」
吐き捨てるように言うディーマは、激昂を隠しもしない。刺々しい言葉を投げつけ、手に持った扇子をギリギリと音がするほど握りしめた。
それでもハイダルは一歩も引かない。
「俺は婚約を解消したかった。陛下は……お祖父様は、お祖母様のために、俺にサリムを皇妃として迎えてほしいと言っていた。どちらにとっても最善なのです。そして、これはお祖父様の遺言に逆らうことになりますが……この決断に至った全ては、お祖父様先導のもとであるとお祖母様には伝えるように――そう言われていました」
ハイダルの言葉が、奇妙な沈黙の間に落ちる。
一言一句聞き逃さずに、サリムはハイダルの声を聞いていたはずだ。しかし発言の意味が理解できない。ぽかんと小さく口さえ開いてしまった。
(陛下がなぜ……?)
サリムを皇妃として迎えてほしいと言ったことは、なんとなくわかる。次代の皇帝というだけでなく、孫としてもシラージュはハイダルを可愛がっていた。その可愛い孫が、運命のつがいと共にいたいというのだから、それを叶える手伝いをしたのだろうということは想像できる。
しかしなぜそれがディーマのためになるのか、さらにはなぜ自身ひとりが泥をかぶるような真似をするのか。度重なる驚きに飽和状態のサリムの頭では想像もつかない。
ディーマも同様のようで、二の句をすぐにつなぐことができず、どこか気の抜けた声で「どういうことなの」と呟いた。その手から扇子が落ちる。
パキリと響いたのは床に落ちた扇子が割れた音だったのかもしれなかったが、サリムもディーマも、ハイダルから目を離せなかった。
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