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巣ごもりオメガと運命の騎妃
54.密約-1
しおりを挟むいまから四年近く前、婚約破棄をザハク家の当主にかけあったことが祖母やサリムにばれた日の夜のことだった。ハイダルはシラージュの部屋にいた。
「ニルミン姫との婚約の件だが……お前はどうしたい」
てっきり馬鹿なことをと叱られるとばかり思っていたが、意外にもシラージュはハイダルの意向を問うてきた。
「俺は、サリム以外を妃として迎えるつもりはありません。サリムがいれば充分です。仮に婚約の通りにニルミン姫を迎えたとして、どちらも愛せるほど器用なたちでもありません」
決してニルミンが悪いわけではない。幼い頃から顔を知っているし、その性格もわかっているつもりだ。
けれど彼女はサリムではない。
約束通りに結婚したからといって彼女を愛せるかはわからないし、そんな状態で婚約を推し進めることも、ましてや彼女を皇妃に迎えることも、到底無理な話だ。どう転んだところでハイダルが一番に思う相手は、もう決まっているのだから。
きっぱりと言い切った孫に、シラージュは眩いものを見るように目を細めた。
皇帝となる道を持つアルファ同士、同じ懊悩を抱えた二人だ。しかし決断の先は違うものになった。
運命のつがいと同時に婚約者を迎えたシラージュと、運命のつがいだけを選ぶハイダル。
自分の選べなかった未来を前に、シラージュは深く頷いた。
「わかった。ならば、正式に婚約は解消としよう。近く、ザハク氏とニルミン姫を呼ぶ。お前も同席しなさい」
「本当ですか」
「ああ、本当だとも。だが、条件がある」
そう前置きをしたうえで提示された条件は二つだった。
「まず、サリムと会うのをやめなさい。これは今回の件の罰でもある」
「期間はいつまでですか? それに、発情期は……」
「期日はいまのところ未定だ。発情期のうちのみ、三日の逢瀬を許す。それ以外は……サリムの様子を見て相談するとしよう」
「……」
言葉を失くし、ハイダルはうなだれた。
いまでさえディーマの目を怖れて自分の部屋に招くことができないのだ。それなのに発情期のうちの三日しか会えないとなると、次に顔を見ることができるのは三ケ月後になる。まだつがいではないが、サリムを自分のオメガと認識しているハイダルにはつらい罰だった。
しかし、これは勝手をした自分に非があるうえ、サリムまで巻き込まれている。
(婚約を正式に解消できるなら……)
あくまで一時的な措置だ。そのうえ、提示された婚約解消は一番の難問だ。もうひとつの条件はまだ聞いていないが、うなずく以外になかった。
「わかりました。もう一つの条件とは……」
「私が玉座から退く時、すべてを公表する。それまで婚約解消のことはディーマとサリムに伝えない。それが守れるか」
「お祖母様にも教えないのですか」
知れば烈火のごとく怒るのは目に見えているが、内緒にしておけば、その期間が長いだけ祖母の怒りは激しさを増すはずだ。それがわかっているハイダルは驚いたが、シラージュは仕方がないと声を落とした。
「いま言ったところで、お前とサリムに対する印象は悪くなるだけだろう。少なくとも、サリムとつがいになるまで耐えなさい。……お前たちの時間を使ってしまうことは悪いと思っている。しかしまずは二年、耐えてくれないか」
条件を出すと言ったはずのシラージュの言葉は、途中から懇願に変わっていた。
確かにサリムと正式につがいになるまで二年ある。それまではうなじを噛むことはできないし、体を重ねることもできない。サリムが来て半年経ったが、その間に二回あった発情期でも、交わることはどうにか堪えていた。
(二年……)
まだ年若いハイダルには長い年月に感じる。しかし、それを越えればとこぶしを握りしめた。
「……わかりました」
すべてはサリムの手を取るためだ。寂しい思いをさせることになるが、その分、会えた時は優しくしようと思った。
しかし結局、その後数回の発情期はさんざんなものになった。
それぞれ強い抑制剤を飲んでなお運命のつがいである証のように発情は強く、サリムは毎回泣いて失神し、ハイダルはうなじを噛まないようにと自らに牙を立て、おかげでいくつかの傷は消えないまま跡になっている。
互いに疲弊し、ぼろぼろになる発情期はひどいものだったが、それでもサリムは耐えてくれた。
やがて少し経つと償いのようにあれこれと取り計らわれ、サリムが巡香会の手伝いをするようになり、そこで顔を合わせるようになった。数ケ月後にはハイダルが手がけていた布市場建設の相談役にもサリムが推挙され、そこでも一緒にいることができるようになった。
必ず周囲に誰かがいるので甘い雰囲気になることはなかったが、それでも発情期の三日間でしか会えなかった期間に比べれば格段に良い状態だ。そのおかげか、発情期も穏やかなものに落ち着いていった。
そうして迎えた、サリムが十八になる誕生日の二ヶ月前のことだった。
布市場の工事が始まり、サリムとも顔を合わせることが少なくなることにハイダルは肩を落としていた。それでも二ケ月後にはつがいになる。気落ちしてはいられないと思っていた矢先、シラージュに呼び出されたハイダルは思いがけない言葉を聞いた。
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