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巣ごもりオメガと運命の騎妃
10.異国からの手紙
しおりを挟む発情期も三日を過ぎれば、ほとんど落ち着いてくる。
熱に浮かされたように交わることだけを求める三日が終わり、ミシュアルはようやくまともな昼食を摂っていた。
今日はイズディハールも午前中だけ政務に戻り、午後には戻ってくることになっている。体を重ねるかは決めていないし、雰囲気でどうとでもなるが、ベッドの上の巣を直しておきたい。
そう思いながら葡萄を食んでいると、イズディハールが戻ってきた。
「ちゃんと食べているな」
「はい」
三日の間、ミシュアルは自分で食事をした記憶がほとんどない。促されるまま水を飲み、小さく切った果実やパンを食べさせられたような気もするが、夢だったような気もする。
今朝も夢うつつのなか、政務に行くイズディハールからはちゃんと食事をするようにと言われたような気がする。けれど起きたのはついさっきのことで、ひさしぶりのまともな食事はミシュアルが忘れかけていた食欲を刺激してくれていた。
髪にキスをして褒めてくれるのをくすぐったい気持ちで受け止めながら頷くと、イズディハールはミシュアルの向かいに座り、運ばれてきた食事に手を付ける前に薄い箱を差し出してきた。
「これは?」
「サリム殿からの手紙だ。昨日、ドマルサーニから届いた書簡に同封されていた」
「サリム殿から!?」
手のひら二枚分ほどの箱をあわてて開くと、確かに中には便箋が入っており、確かに文面の一行目にはミシュアル・アブズマール様へと記されていた。
手紙には、先日のナハルベルカ来訪はとても楽しかったこと、ドマルサーニに帰ってからもそれを思い出すことが短いながらも綺麗な字でつづられている。そして、思いもよらない一文があった。
「ミシュアル様がお越しになる頃には、建設中の市場が出来あがっているはずです。ぜひ案内をさせてください……。お越しになる頃?」
思わずぽつりと呟き、紙面から顔を上げて向かいで豆のスープを飲んでいるイズディハールを見る。視線が合うとイズディハールは目を細めて碗を置いた。
「来月、ドマルサーニに行く。お前も一緒だ」
「ドマルサーニに……うわっ」
ぽかんとしながら呟いたとたんに言葉の意味を理解したミシュアルは、思わず箱を取り落とした。
あわてるミシュアルに楽し気に笑って、イズディハールはうなずいた。
「実は、ハイダルが来ていた時に話はしていたんだ。その時は近々というだけで日程は決まっていなかったが、来月頭あたりに出発しようと思っている。お前さえよければ一緒に来て欲しいんだ。どうだ?」
「も、もちろんです」
少しずれた返事になってしまったが、ミシュアルに否やなどあるはずもない。
ナハルベルカから出たことがないミシュアルにとって、すぐ近くの隣国ではなく、何日もの旅を経なければ辿り着かない国への来訪など想像もつかない。それでも行く先がドマルサーニで、サリムと会えると思うと不安より喜びが勝った。
「よかった。お前の顔を見せたい人もいたんだ」
「俺の顔を?」
ドマルサーニにいる知り合いと言えば、先日会ったハイダルとサリムだけだ。しかし口ぶりから察するに、彼らのことではない。ミシュアルが首をかしげると、イズディハールはどこか神妙な面持ちで視線を下げた。
「現ドマルサーニ皇帝のシラージュ陛下だ。昔から実の祖父のように私を可愛がってくれて、ミシュアルのことを話したこともある。だが……近頃、体調が思わしくないらしい」
「ご病気ですか?」
「そうだ。もともと持病もあるし、もうだいぶお歳を召している。本来なら、すでに譲位している年齢でもある」
「ああ……」
口ごもるイズディハールの言わんとすることに、ミシュアルも思わず声を上げた。
ドマルサーニ現皇帝、シラージュを襲った不幸は有名な話だった。彼にはふたりの息子がいたが、長男は若くして病死し、その次男は妻とともに事故で他界してしまったのだ。
事故の当時、すでにシラージュは譲位を考える年齢だったが、息子たちの死より前から訃報は続いており、悲しいことに皇位継承権を持つものはまだ幼かったハイダルだけだった。
その結果、シラージュは既に余生を謳歌していてもおかしくない年齢にもかかわらず玉座に座り続けることになった。
「だが、ハイダルもすでに皇帝代理として何年も前から政務に携わっている。つがいも得て、妃として迎えることもできた。皇帝として立つことに問題もない。譲位も近いはずだ。おそらく、譲位後には静養として王宮を離れるだろうから、元気なうちにお前の顔も見せたいんだ」
宴に連れていかれることはあっても、大国の王に謁見したことなどないミシュアルは早くも緊張に顔をこわばらせたが、イズディハールは立ち上がると大丈夫だと笑ってミシュアルの隣に座り、腰を抱き、肩に頭をもたれさせてきた。
「それに、そろそろサマネヤッド同盟を招集する話も上がった」
「なにか、急ぎの会合が必要な状況が?」
国王が他国へ渡るには必ず理由がある。
ハイダルがナハルベルカへ来た理由をミシュアルは知らなかったが、イズディハールとは何度も会談をしているようだったし、なにかしら国政に関わることのはずだ。
ミシュアルの問いかけに、イズディハールは難しい顔をして顎を引いた。
「少しばかり、目に余る件がある。ハイダルとも話をしたが、やはり早めに手を打っておきたいと意見が合致した。いつもよりは時期が早いが、悠長に見ていられるようなものでもない。こういう時だけは、盟主特権を使わせてもらっても構わんだろう」
大陸にはいくつもの国がひしめいているが、サマネヤッド同盟は大陸の東側に南東に位置するナハルベルカ近隣の中小国を含めた八つの国からなる同盟だ。ナハルベルカとドマルサーニが共同盟主として昔から管理していて、二強国を中心に百年以上の歴史もある。
会合自体は定期的に行われる恒例行事で、去年はナハルベルカの北にある小国で開催されたことをミシュアルも知っていた。
「だから、大体一週間程度はあちらに滞在する。メラはいいところだぞ。我がナハルベルカ国都イレクスも美しいと自負するが、メラも美しい都だ。私は時間が取れないかもしれないが、サリム殿に案内してもらうといい」
ミシュアルは壁に張られた大きな地図を見上げた。ナハルベルカから小国をふたつ挟んだ先にある大国がドマルサーニだ。広大な国土のやや西側に、国都メラと書かれている。
地図上ではミシュアルの指先から肘までほどしか離れていない場所だが、辿り着くまでには一週間もかかる。
遠い異国への旅路と、そこで待つ友人を思い、ミシュアルの胸は早くも高鳴りだす。
どんな場所だろうと早くも湧きたつミシュアルに、イズディハールは大きな噴水があること、階段市場と呼ばれる特殊なつくりの市場があることを教えてくれた。
その晩、ふたりはミシュアルが整えなおした巣のなかにこもり、月が中天を上りきってもまだ眠ることなく地図の上に指を躍らせた。
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