結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。

真田どんぐり

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十八話

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旦那様が離婚に同意してから数日経った今日、私は5年間過ごしたこのアレンベル侯爵邸を離れる。


外はまだ朝日も登っておらず、肌寒い時間帯の早朝。

荷物整理を終えた私は最後の挨拶をするために、旦那様の執務室を訪れていた。
事前に私がこの日、この時間帯に出ると知っている旦那様は確かに起きているはずだ。
しかし扉をノックして声を掛けても、旦那様からの返事はない。

実は離縁書を書いてもらい、離婚した日から旦那様とは一度も顔を合わせていない。
それと同時にあの日から、旦那様は意図的に私のことを避けていた。


「旦那様。私、もう行きます。………………旦那様?」


それでも旦那様は出てくるどこらか、返事すら返してくれなかった。
それはまるで私を拒絶するかのような行動だった。
ここに来て、また旦那様に失望させられるだなんて思わなかった。
まさか最後の挨拶すら拒否するだなんて。

正直、ここで過ごした5年間は"最悪"の一言でしか表せないような日々だった。
しかし私たちの間に何があったにせよ、そんな5年間を共に過ごした夫婦だったことに変わりはなかった。
だからこそ最後の挨拶だけは、ちゃんとしようと思っていたのに、当の本人は臍を曲げて部屋に閉じ籠ってしまっていた。
臍を曲げる権利なんて、ありもしないくせに。
正直そう思ったが、離婚して家を出る私にはもう関係のないことだった。
旦那様が挨拶をしないつもりなら、顔を合わせないのなら、話せないのなら、私もずっとここに留まっている意味はない。
だって特にもう、この旦那様に感謝することもなければ、何か特別言うべきこともないのだから。

結局、旦那様は最後まで何も変わらない、自分本位のデリカシーのない人間だった。



「旦那様………さようなら。」


それが私がここを去る前に旦那様にかけた、最後の言葉だった。
私はそこで完全に彼に同情が尽きて、その扉から背を向けた。
しかし立ち去る前の一瞬、中から微かに物音が聞こえたような気がしたが、私はもう、振り返ることはしなかった。







外に出ると空はまだ仄暗く、空気はとても冷たかった。冬の匂いを感じたくて、息を大きく吸い込むと鼻の奥がツンッと痛んだ。


「奥様……。」


馬車に乗り込もうとしていた私にそう声を掛けてお見送りに来たのは、執事長のトーマスと、私の専属メイドであるユールだけだった。


「2人とも……、お見送りありがとう。」

「とんでもありません……。しかし、本当によろしかったのですか……?」


トーマスが困ったようにそう尋ねて来たので、私は何だか申し訳なくなり、彼を安心させるように笑って見せた。


「いいのよ、朝も早いし……。それに私が行くと知ったら、前みたいに収拾がつかなくなってしまうわ。」


そう、私は使用人達に今日出ていくことを伝えていない。

それは旦那様に離縁を申し込んだあの日、自室まで私を追いかけて説得しに来てくれたのは旦那様ではなく、彼ら使用人達だった。

これはこの猶予期間で分かったことだが、どうやら使用人達は私のことがとても好きらしい。
引き留められた時には薄々感じていたくらいだったけれど、この猶予期間を得てその自信が確信に変わった。

例えば1人で散歩している時、隣を歩いてくれるようになった。
私が1人でお茶をしていると、お菓子などを持って来てよく話しかけてくれるようになった。
時には聴いてもいないのに旦那様の良い所を力説する者までいた。

今までも勿論、心配して気遣ってくれはいたけど、どこか一線を引いて見守っていただけの彼らが、この猶予期間の内に徐々に歩み寄ってくれるようになっていた。

私にはそれがとても嬉しくて、正直旦那様の評価が下がる一方で、彼らのことの方はずっと好きになった。

どちらかと言うと、この猶予期間で私とより密接に関わるようになったのは、旦那様よりも彼ら、使用人の方だった。

だからそんな彼らに見送られるとなると、多分、と言うか絶対泣いてしまう自信があった。

だからトーマスとユールにだけ見送りを頼んだ。
朝早い時間というのも相まって、今頃彼らはまだ夢の中にいるだろう。
そのためトーマスは使用人を代表してか、最後の挨拶として私に頭を下げてこう言った。


「奥様、この5年間私共の女主人となってくださり、本当にありがとうございました……。それから、奥様が辛い想いをしているのを知っていたにも関わらず、お力になれなかったこと、大変申し訳ありませんでした……。」


そう本当に申し訳なさそうにトーマスは深く頭を下げた。
それに倣ってユールも続けて頭を下げる。
最後なのに湿っぽいことは言いたくなくて私は彼らに頭を上げるように促し、この5年間の彼らへの感謝をちゃんと伝えた。


「いいのよ。私だって貴方たちにたくさん迷惑をかけたもの。それに貴方たちの配慮や優しさに私はいつも救われていたわ……。皆んなにもこう伝えて……。今まで本当にありがとうって……。」


そう言うと、トーマスは涙ぐんでハンカチで目元を覆っていた。
そんな彼に泣いてほしくなくて、私は思わず彼の背中を優しく摩ってあげた。

そして先ほどから私たちをチラチラと見て、様子を伺っていた隣のユールにも声を掛けた。


「ユール、貴女も。私の身の回りの世話を焼いてくれて、本当に助かっていたわ。5年間ありがとう……。」


「奥様……!」


ユールは私のその言葉に感動したように一層涙ぐむと、彼女はその後、突然何かを思い出したのか、ハッとしたような顔をした。
そして数瞬した後、まるで何かを打ち明けるかのようにこう私に言った。


「奥様……ひとつ私個人から謝らなければならないことがあるんです。」 


先ほどの泣きそうな顔とは一変、今まで見たこともないくらい顔面蒼白になっていて、その様子は誰がどう見ても何かに怯えているようだった。
謝らなければならないこと、と言うからには私に何か悪いことをした、と言うことなんだろうか。
しかし並大抵のことで私は怒らない。
それはユールもわかっているはず。
つまり並大抵のことではないと言うことなんだろうか。
それにこの怯えようは、一体なんなのだろうか。
それだけが兎に角、不思議に感じた。
謝らなければならないことと言うか、彼女の表現から察するに、それは"打ち明けなければならない秘密"のように感じていた。

そんな尋常ではない彼女の様子を見て、私とトーマスは心配になり、彼女に何事か訊ねようとした、その時。


バンッと邸宅の全ての窓が一斉に開かれた。
そんな突然の現象に私が驚いて固まっていると、その窓からまだ寝ているはずの使用人達が次々に顔を出して来て、私はさらに驚愕した、


「貴方たち…!!どうして………?!」


そう私が問いかけると、彼らは悪い笑みを浮かべて一斉にトーマスの方を指差した。
どうやらトーマスがみんなにバラしていたらしい。


「トーマス、貴方……!」


私が言わないでとお願いしたのに、みんなにバラしたのか、と私が叱るように言うと、トーマスはあからさまに狼狽えながら私に謝罪した。


「も、申し訳ありません!あの子達がどうしてもと聞かなくて……。」


その様子から察するにどうやら自分から話したわけではなく、彼らにしつこく聞かれて答えた、と言うのが正しいようだった。
そうなるとトーマスのせいではないので、彼を責めるわけにもいかず、私は思わずため息が溢れた。
そんな私に陽気そうな若めの使用人が邸宅の窓から声を掛けた。


「奥様!水臭いじゃないですか!!出て行くことを黙っているだなんて……!」


そんな1人の使用人の声を皮切りに、また別の使用人達がそれぞれ口々に私への感謝の言葉を口にしていった。


「奥様、5年間ありがとうございましたーー!!」

「奥様のこと、生涯忘れません!!」

「またいつかどこかでお会いしたいです……!」

「奥様ーー!!どうかお幸せにーーー!!!」


そう声を上げる彼らの中には、私が危惧していたような、あの時のように私を引き留めようとする使用人は1人もいなかった。
それを私は不思議に思っていたが、そんな私に気づいたのか、トーマスは私に近づきこう語った。


「あの時、私共は後悔したのです。私たちの我儘から貴方を引き留め、苦行を強いてしまったことを……。だから使用人一同、決めたのです。…………今度は笑って奥様を送り出して差し上げようと……。」


そう言ってトーマスはまた邸の使用人達を見やった。
勿論、多少は泣いている者もいるが、大半の使用人達はトーマスの言った通り、笑ってこちらに手を振っていた。

私はそんな彼らの想いやりと気遣いに感動し、思わず涙が溢れそうになり、顔を手で覆った。

もう彼らの前で張れる威厳はないけれど、最後の最後で情けない顔を彼らに晒したくなかった。

私は溢れる涙を一生懸命拭い、彼ら全員に聴こえるくらいの大きな声で、こう叫んだ。


「みんな……!!今まで本当にありがとう……!!大好き!!!」


そう言ってみんなに手を振って応えて、トーマスの手に捕まって、私はとうとう馬車に乗り込む。


その際、視界の端にユールの顔が見えて、あ、と思い出した。
そう言えばあの時、ユールは何を言いかけたんだろう?と考えて彼女を見たが、すでに私は馬車に乗り込んでいたし、彼女は泣いてばかりでもう聞けるような状況ではなかった。


そして御者が馬を操り、走り始めた馬車の中で、私は邸宅が見えなくなるまで彼らに手を振り続けた。




そしてその日、照りつける朝日の中、使用人達の大きな声と温かな言葉に見送られながら私は無事、アレンベル侯爵邸を旅立った。









そして結局、旦那様は最後まで私のことを見送りに来ることはなかった。





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