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二十五話
しおりを挟む「ーーーーアルヴィラ、今まで本当にすまなかった。」
侯爵様はそう言って私に向かって深く頭を下げ、これまでの行いや言動、態度、その他の全てを謝罪した。
「お前をずっと傷つけて来たことに対して、本当は1番最初に謝るべきだったのに、愚かな俺はそれに気づかず、むしろさらにお前を傷つけた……。そのことをお前に会えなかった2年間、ずっと後悔して来たんだ……。」
そう言った侯爵様の声色には、本当に反省と後悔の色が滲んでいた。
彼が人として変わろうとして、ここまで努力して来たのは間違いない。
実際に今、こうして彼は人として成長して、過去のことを後悔し、反省し、私に謝罪しに来ているのだから。
彼のそんな努力と誠実さを認めて、私は謝罪の"言葉だけ"、受け入れることにした。
「ーーー謝罪は受け入れます。けれど、今まで貴方がしてきた行いを許す気は毛頭ありません。」
確かに努力して変わったのは認める。
けれどあの時味わったあの怒りや悲しみ、そして絶望感。
今の謝罪の言葉ひとつで、その全てを償ったことになんてしてほしくなかった。
マーガレット様に騙されて私に冷たい態度を取り続けたこと、馬鹿にされ、見下され、蔑まれる原因を作ったこと、噂を止めもせず放っておいたこと、
しかしそれらには私にも非はあるからまだ許せる。
けれど、"処女"と言ったことを私は未だに根に持って、許せないでいる。
あれに関しては私には非はないし、完全に侯爵様自身の発言だった。
あの発言まで許せるほど、私は大人になりきれなかった。
一度広まってしまった噂を消せるわけもなく、あとから"処女"ではないと言うのも、それはそれで何だかおかしい気がしていた。
そもそもの話、実際本当に"処女"だったから訂正するのも憚られた。
でも他の疑惑は訂正できても、"処女"という噂だけは最後までどうにかしようとしたのだが、結局、どうにもできなかった。
だからそれに関しては、噂が風化するのを待つことしかできなかったのだ。
彼も処女と言ってしまったことに関して、本当に悪いと思っているのだろうか。
そんな私の考えを悟ったかのように、彼はこう言った。
「アルヴィラ………。俺は貴族にとって、人にとって、名誉や尊厳が、どれだけ大事なものなのか分かっていたつもりだった。だけどやはり、今考えると俺は何もわかってなどいなかった。」
侯爵様はそう言うが、私は違うと思った。
"今も"わかっていないの間違いだろう。
正直、言葉で謝ることなんて子供でもできる。
彼が本当に過去のことを反省しているのだとしたら、行動や態度でそれを示すべきなんじゃないかと思った。
そんな事を考えていると、もう人の心をが分かるようになったらしい侯爵様に私のその怒りが伝わったのか、「アルヴィラ……、」と彼は突然私の名前を呼んだ。
そして徐に自身の着ている服の中から短剣を取り出すと、それを私に手渡してこう言った。
「怒りが収まらないなら、これで俺を刺してくれ…………殺してもいい。それほどお前に今まで酷いことをしてきたと自覚している……。」
(本ッ当にこの人は……こう言うところは全く成長していないのね……。)
戦争で命の尊さを知ったとあれだけ語っていたのに、自分の命は顧みないなんて、まるで馬鹿のひとつ覚えだと再会してからずっと思っていた。
それに今ここで私が侯爵様を刺したら間違いなく犯罪だし、マーガレット様の二の舞を食らうことになるだろう。
それをわかっていて言ったのだろうか。
「貴方は結局、何もわかっていないんですね………それとも私を犯罪者にするつもりだったんですか?」
「違う……!マーガレットのことは目撃者が多くて隠すことはできなかったが……お前が俺を刺したことは絶対に誰にも言わない……!」
「そんなこと無理に決まってますわ。」
侯爵様が誰にも言わなかったからとかそんなのは関係ない。
いくら人通りが全くないとはいえ、こんな人の多く集まる会場の中庭で彼を刺せば、誰に見られていてもおかしくないし、注目の的だった私たちが一緒に外に出て行ったのを会場の人達は確実に覚えているだろう。
この状況で彼を刺して、万が一危うく殺したりなどすれば、どう考えても言い逃れできない。
そうじゃなくても人を刺すなんてこと、私には絶対にできないけれど。
そこまで考えて私は思わず、はあ……と深いため息を吐いた。
「ーーーーー刺しません。」
それは勿論、人を刺すことへの躊躇が1番にあるから。
それにここで彼の命を奪ってしまえば、罪を償わせることもできないから。
私はあの日、侯爵様が絶望し、傷つくことだけを願って彼と離婚した。
性格が悪いと思われるかもしれないけど、彼が今、傷ついているのなら私はそれでいいと思っていた。
しかし彼は今、その苦しみから逃れようとしている。
私にはそれがどうしても許せなかった。
「今、貴方が私に刺されることであの5年間を全て水に流そうとしているのなら、それで全てを清算しようとしているのなら、私は絶対に貴方を刺しません。」
そう言って私は、彼から手渡された短剣を地面へと落とした。
そんな私の言葉を聞いた侯爵様はとても驚いたような顔をしていた。
だって過去の清算なんて、絶対したくなかった。
私が思い悩み、深く苦しんだ過去をこんな一瞬の身体の痛みだけで解決しようだなんて、とても浅はかな考えだと思った。
いつかは癒える傷なんかで、私の心の傷を償ったつもりになってほしくない。
私は傷つけられた気持ちと記憶を一生背負って生きていくのに。
「私はずっとあの5年間を背負って生きているのに、貴方だけ勝手に楽になろうとしないで下さい………!!」
私が思いのままそう叫ぶと、私が言っている意味を理解した侯爵様はハッとしたように息を呑んだ。
何で1番傷つけられて、苦しみ悩んだ私が今も彼の流した噂とずっと戦っているのに、それを許すと本気で思ったのだろうか。
ありえない。
結局、彼は自分が楽になろうとしているだけじゃないのかと思った。
もしかしたら、侯爵様を刺したマーガレット様も同じ気持ちだったのかもしれない。
彼女は彼を刺した理由を、私が侯爵様の目を気に入っていたからと言っていたが、本当は侯爵様に自分が背負った傷と同じ、"一生ものの傷"をどんな形であれ、心の傷の痛みを知らない彼に残したかったのだろうか。
侯爵様はそんな私の訴えを聞いて、深刻な顔をしていた。
彼のその重々しい表情から、彼が複雑なことを考えていることが何となく読み取れた。
そして侯爵様はその重たい口をゆっくりと開けて、私にこう語った。
「アルヴィラ………。お前が言っていた通り、5年分の罪を2年で清算できるわけじゃない……。そんな簡単なことじゃないのは、理解しているつもりだ……、本当にすまなかった……。だから一生を賭けて償い続けるつもりだ………。」
("理解しているつもり"……………ね………、)
私はその言葉に引っかかりを覚え、心にモヤがかかったような何とも言えない気分になった。
やはりいくら考え方が変わったからと言っても結局、人間の本質は変わらないのだろうか。
「お前が言葉に出してさえくれれば何でもするし、全てお前に従う。ただ、そのためには……その……、できるだけそばにいる方がいいと思うんだ。だから……………………、」
彼は一旦、そこで言葉を区切ると、深く息を吐いた。
そして突然、何かの覚悟を決めたかのような表情をすると私にこう告げた。
「だからーーー
ーーーー俺ともう一度、結婚してくれないか?」
何を言うかと思えば、これは言わば、"プロポーズ"と言うやつなのだろうか。
彼と結婚した時には、一度も言われたことがなかった言葉だった。
つまり侯爵様は、この2年で人として変わった自分と今までのことをやり直すために再婚しよう、と言っているらしい。
しかし彼はらしくなく緊張しているようで、真っ直ぐ私を見つめてはいるものの、その表情はどこか硬く、耳も少しだけ赤い。
いつになく真剣な顔で手を差し伸べ、私の返事を今か今かと待ち続けている、そんな侯爵様に私はこう答えた。
「侯爵様……………
…………………………………いやです。」
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