【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ

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第8章 砂漠の英雄

第1話 報われぬ英雄

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 魔王アリスが魔族を率いて跋扈した時代から、千年以上の時が流れた。
 
 大陸暦1110年。
 大国ベルガー王国の王都ベルンは、腐臭漂う平和に満ちている。
 宮殿の白亜の壁はシミ一つなく美しく輝いている。
 けれど輝きは虚ろだ。民の血を啜って肥え太った貴族たちの、飽食と淫蕩を照らし出すだけの空虚な光に過ぎない。

 この国を実質的に牛耳る男、宰相テスタ・シャイニングは今、自室の豪奢な長椅子に深く身を沈め、葡萄酒が満ちた杯を揺らしていた。
 窓の外、遥か南の国境で何が起きていようと知ったことではない。
 彼の頭にあるのは、いかにして民からさらに搾り取り、己の財産を金銀財宝や新たな宝具で満たすか、ただそれだけである。

 前年、隣国ファインダへの侵攻で手痛い敗北を喫したことなど、すでにとうに過去の話。
 共に戦った南部諸国連合王国が牙を剥く可能性など、彼の思考回路には一片たりとも存在しなかった。
 傷を負った獣同士なのだ、しばらく互いの傷を舐め合うのが道理。
 そんな甘ったれた幻想が、この国の支配者たちの脳髄を蝕んでいる。

 ただ、南の砂漠では事情が違う。
 大小百を超える部族を、武力と褒賞だけで束ねる南部諸国連合王国の王ガンギルは、玉座の上で燃えるような焦燥に身を焼かれていた。
 ファインダへの敗北はただの負け戦ではない。王の権威そのものを根底から揺るがす、致命的な失態である。
 武勇は疑われ、褒美を与えられない。
 部族長たちの突き上げるような視線が、ガンギルの背中に突き刺さる。
 もはや後に引けない状況に陥っていた。

「おのれ! ラインハルト! この恨みは必ず晴らす!」

 ガンギルは誰に言うでもなく呟くと、血走った目で地図を睨みつけた。
 ファインダは無理だが……北には腐りきった豚どもがいる。
 起死回生という甘美な響きが、焦燥を至福に変える。

「先の戦の褒賞を与える!」

 ガンギルの偽りの声が砂漠に響き渡るのに応じ、再び集う部族の兵たち。
 彼らの向かう先が同盟国であることは、誰も知らされなかった。
 こうして、敗戦国同士の戦争の火蓋が唐突に切って落とされた。

 ベルガー王国がテスタ宰相の垂れ流す甘い毒に酔いしれている間、この国の本当の危機を正確に予見していた男が2人いた。
 1人は前宰相フリッツ・レスティアの懐刀と呼ばれた元政務官、テシウス・ハーヴェスト。
 そしてもう1人が南部との国境、エイエス領を治めるアルベルト・エイエス侯爵。
 王都へ送った警告の手紙は宰相への貢物要求の手紙としてしか戻ってこず、城の暖炉で虚しく灰と化していた。
 テスタ宰相によって、王の目に触れる前に握り潰されたのが容易に想像できる。

 ガンギルが兵を集める以前のある日、テシウスは1人、砂漠を越えてエイエス侯爵の城を訪れた。

「逃げたほうがよろしいでしょう」

 テシウスの声は乾いた風のように静かである。彼の紫色の瞳には、これから起こる惨劇をすべて見通しているかのように昏い光が宿っていた。
 アルベルトは窓の外、自らの領地を見下ろしながら静かに首を横に振る。

「私が逃げれば領民がどのような目に遭うか分かったものではない。なあに、ただで死ぬつもりはないさ。王都に巣食う寄生虫どもも自分の命がかかってるんだ。軍はマシなのを派遣するだろう。……テシウスはそっちの工作を頼む。どうせ、もう誰になってくれたら勝てるか考えてるんだろ?」

 アルベルトの言葉に、テシウスは全ての説得を諦めた。
 この男は死ぬ。民のために、誇りのために、腐りきった王国の犠牲となって。
 テシウスは死にゆく男の気高い後ろ姿を己の魂に刻み込むように目に焼き付け、黙ってエイエス領を去った。

 それからふた月後。歴史の歯車は無慈悲に回り始める。
 ガンギル率いる10万の大軍が、蝗害こうがいのごとくエイエス領へと雪崩れ込んだ。
 対するは、わずか500の領兵と、鍬や鋤を手にしただけの領民から志願で加わった義勇兵数百。
 ガンギル軍は瞬時に蹂躙できると予想したが、彼らは3日耐えた。
 血と砂埃に塗れ、雄叫びと悲鳴が交錯する地獄の中、アルベルト・エイエスは獅子奮迅の戦いを見せたのである。

 だが、衆寡敵せず。
 3日目の夕暮れ。城壁は崩れ、もはや戦える者は少なくなっていた。

「余に仕えよ! 南部は力のみの世界! 貴様なら多くの栄誉を手にできよう! 腐ったベルガーに忠を尽くしてなんとなる!」
 
 アルベルトは城壁の上に1人立ち、降伏勧告するガンギル王と対峙する。
 
「私が忠を尽くすのは民のみ! ガンギル王よ! 我が命を引き換えに、民に乱暴狼藉しないと約束せよ!」

「ムウ……。承知した! 但し、酒と食料は徴収させてもらうぞ!」
 
 アルベルトはエイエス領の民の助命を約束させると、振り返らずに彼に跪くエイエス兵たちに呟く。

「民たちを頼む」

 それだけ言うとアルベルトは、その場で自らの首を刎ねた。アルベルトの遺体は城外に落下し、城門が開かれた。
 アルベルトの死に続くように、城に残った彼の一族全員が貴族の誇りを胸に自らの命を絶つ。
 こうしてエイエス領はガンギル王の手中に落ちた。
 
 この攻城戦の3日という時間。それがガンギル王の運命を決定づける。

「惜しい男よ。余に仕えれば、やがては一国の王になれた器だったろうに。おい! 丁重に弔ってやれ!」

「触るな! アルベルト様の弔いはこちらでやる!」

 ガンギル王が部下に指示をしていると、城門から出てきたエイエス兵が涙を流しながら叫んだ。

「ふむ、お主、名はなんと申す」

「……クレバス」

「アルベルトの側に居て勇猛を振るった者じゃな。相わかった、アルベルトの弔いは任せよう。エイエスの民たちに、我らが危害を加えないとも伝えよ」

 ガンギルはクレバスを見て満足げに頷くと部下に告げる。

「宴の準備よ! 明日の朝にベルン目掛けて進軍するぞ!」

 アルベルトは残念だったが、勇猛でいて忠義に厚い男の存在にガンギルは高揚した。
 その忠義、いずれ俺に向けさせてやろう、と。
 
 エイエス領に費やした3日間。
 本来ならば砂漠を抜けたガンギルを待ち受けるのは、緑豊かな大地と、様子見を決め込む日和見な領主たちのはずだった。
 けれどテシウス・ハーヴェストという男の暗躍は、そんな甘い計算を粉々に打ち砕く。
 それを可能にしたのは紛れもなくアルベルト・エイエスの存在であった。
 
 エイエス領が陥落した夜、勝利の美酒に酔い、安息に浸っていたガンギル軍の野営地に、地獄の風が吹き荒れた。

 先鋒アデル・アーノルド率いる千の精鋭と、テシウスが授けた秘策の砂塵作戦。
 夜の闇の中、四方八方から巻き上げられた砂煙が南部諸国軍をパニックへと叩き落とす。
 敵の数も、位置も、何も分からぬまま、同士討ちの悲鳴が夜空を切り裂いた。
 千の兵以外の砂塵の正体は、アデルやテシウスが私費で近隣住民から購入した牛や馬。
 そんな混乱の渦の中心を、アデルの部隊が疾風迅雷の如く駆け抜けていく。

「おのれ! 敵将はいずこ! 我はガンギル! 尋常に一騎討ちに応じよ!」

 迫りくるベルガー兵を薙ぎ倒しながら叫ぶガンギル。
 やがて彼の前に、赤毛の巨体の男が現れる。

「我が名はアデル・アーノルド」

「是非もなし」

 数十合剣を交えた両者だったが、アデルの剣がガンギルの首を貫き、勝敗は決した。

「ガンギル王、兵を逃がす時間を稼いだか。敵ながら見事。逃げた兵は追うな! エイエスの解放に集中せよ!」
 
 夜が明けた時、砂漠には無数の死体が墓標のように転がっていた。
 死体の中にはガンギル王の亡骸も含まれていた。

 こうしてベルガー王国の亡国の危機は去った。
 けれど何も変わらない。王都の祝勝ムードは、テスタ宰相の独裁がさらに強固なものとなるだけである。
 国を救ったアデルは準男爵の位に相応しく少ない褒賞金を受け取り、黙々と軍務に励む日々に戻る。
 影の殊勲者テシウスは無官のまま、再び歴史の闇へと姿を消した。
 栄光の勝者など、どこにもいなかった。

 そして旧エイエス侯爵領には、新たな絶望の種が蒔かれる。
 ひと月後、テスタ宰相の腰巾着、テオ・マーイン伯爵が新領主として着任する。
 彼は城壁の下に領民を集めると、醜く歪んだ笑みを浮かべて第一声を放った。

「アルベルト・エイエス時代の租税は軽すぎた! 奴めは宰相閣下の度重なる王への献上品を用意せよという礼儀作法すら無視し、兵卒すら用意できずに無様にも南部の蛮族どもに領地を奪われたのだ! 一族全員自刃しているからいいものを、生きていれば処刑確実だっただろうな! ガッハッハ!」

 マーインの甲高い笑い声に、彼の連れてきた一族や兵士たちが追従するように下品に笑う。
 領民は誰も笑わない。彼らの目は光を失い、ただ虚空を見つめている。

「エイエス領は、本日を持ってマーイン領と改名する! 租税は従来の倍だ! 南部の蛮族どもの再侵攻に備えねばならんし、エイエス城も略奪され尽くして金銀がまったくなかったからな! これは必要なことだ! 恨むならアルベルト・エイエスを恨めよ。奴が籠城なんて馬鹿な選択をせずに、金銀と民と共に逃げればこんなことにならなかったんだからな!」

 再び、マーインの高笑いが響き渡る。
 領民たちの心に、南部諸国軍に蹂躙された時以上の絶望が広がっていく。
 前領主への侮辱。それは彼らの最後の誇りさえも踏みにじる、許されざる冒涜。
 金銀など、エイエス領主は一切貯めていないことも周知していたからこそ、余計に憤慨した。
 領民たちの瞳の奥に、憎悪の炎が静かに燃え上がり始めたことを、この愚かな新領主は知ろうともしない。
 
 絶望と憎悪の連鎖が、これよりこの地で始まる。
 
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