【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ

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第8章 砂漠の英雄

第33話 マリーナ

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 夜明け前の最も昏い静寂が戦場を支配していた。
 剣戟の音も、魔法の爆音も、悲痛な叫びも、今はもうない。
 ただ血と死の匂いを纏った乾いた風が、私たちの頬を撫でていくだけ。
 私の視線は、先ほどまでエリが立っていた場所に縫い付けられていた。
 彼女が呪いの反動を受け、砂のように崩れていった場所に。
 そこにはもう何も残っていない。彼女が生きていた証も魂の欠片すらも。
 街から立ち昇っていた禍々しい光の柱は消え、代わりに再生の優しい光が夜闇を払拭し始めている。
 私たちは生き残り、この街の呪いを解き、偽りの平和を終わらせた。
 だというのに、胸に広がるのは虚ろな空洞だけ。

「ねえねえ、今、どんな気持ちぃ。キヒ♥ これでよくわかっただろ。邪教の魔女を救う? くっだらねえこと言ってんな。戦いは生きるか死ぬかなんだよ。南部で待ってるぜぇ。もっともっとぉ、絶望を、お・し・え・て・あ・げ・る。キャハ♥」

 幻聴かと思った。
 疲弊しきった私の脳が作り出した彼女の声。
 けれどそれは、鼓膜を直接揺さぶるかのように鮮明に耳元で響いたのだ。

「ローゼ!」

 仲間たちが血相を変えて、私の元に駆け寄ってくる足音が遠くから聞こえる。
 ああ、幻聴じゃない。あいつは、まだここにいる。私の背後に、私をいつでも始末できる位置に。
 振り返ろうとした私の身体が、鉛のように重く固まった。

「おっと、勘違いしないでよねぇ。ここの戦場は、あんたらが敵を皆殺しにして決着ついた。あたしは身内の鎮魂に顔見せただけぇ」

 ジーニアの声が、今度は私の背後から聞こえる。
 彼女の言葉に私は心の何処かで安堵している自分に気づき、愕然とする。
 今、この顔で、ジーニアとどう向き合えばいい?
 
 好きにさせない? 
 これ以上、悲劇を起こさせない?
 
 どの口が、そんな言葉を吐けるというのだ。
 クレバスも、シオンも、名も知らぬ衛兵たちも、そしてエリも。
 彼らは自ら死を選び、私はそれを止めることすらできなかった。
 ジーニアの言う通りだ。私は、誰も救えなかった。
 勝利の代償として積み上げられた死の山を前に、私の掲げた理想は無力で、空々しく響くだけ。

 それでも。
 ここで膝をつけば、死んでいった彼らの覚悟をも踏みにじることになる。

「……私は……諦めない」

 絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。
 私はジーニアに背を向けたまま、言葉を続ける。

「ジーニア、エリさんを救えなくてごめん」

 それは敵への謝罪ではない。
 レアードの姫として生まれ、歪んだ運命を歩むしかなかった魂への、私なりの手向けの言葉。

「……ちっ」

 背後で、ジーニアの鋭い舌打ちが聞こえる。
 次の瞬間、彼女の気配は砂塵と共に掻き消えていた。

 やがて仲間たちが私を取り囲むように集まった。
 誰もが傷つき、疲れ果てている。けれど瞳は真っ直ぐに私を捉えてくる。
 そんな仲間たちを代表するように、リョウが静かに口を開いた。

「……ローゼ、俺たちの勝ちだ」

 彼の言葉が、私の張り詰めていた糸をぷつりと切っていく。
 そうだ。勝ったのだ。私たちはこの街の明日を繋いだのだ。
 それだけは紛れもない事実なのだ。

「うん」

 込み上げてくる熱いものをこらえるように、私は短く頷くと、リョウの胸にそっと頭を寄せていく。
 彼の鎧の冷たさと、奥から伝わる確かな温もりが、今は何よりも優しかった。

 ***

 宿屋のベッドに倒れ込むようにして眠り、次に目を開けた時、窓の外は夕暮れに染まっていた。
 街は驚くほど静かだ。人々は家の内に籠り、昨夜の惨劇と、これから訪れる未来に固唾を飲んでいるかのように。
 私たちは誰に促されるでもなく、あの酒場へと足を運んだ。

 扉を開けると、そこには街の男たちがテーブルを囲んで静かに杯を傾けていた。
 私たちの姿を認めると、彼らは一斉に立ち上がって深々と頭を下げてくる。
 感謝と拭いきれない罪悪感が入り混じった、重い沈黙がいつまでも続くかのように流れていく。
 クレバスとシオン、そして衛兵たちの死を悼む空気は、まるでレクイエムのように酒場に満ちていた。

 そんな重苦しい空気を、マリーナさんの快活な声が切り裂いた。

「なんだい、みんな辛気臭い顔しちゃって! ちょっと待ってな! あたしが特製のハリラを作って振る舞うから! お代は無料だよ! ローゼちゃんたちも食べていきな!」

「よっ! 待ってました!」
 
「マリーナちゃんのハリラは天下一品さ!」

「義姉ちゃんのハリラ! ヘッヘッヘ、こいつは酒呑んでる場合じゃねえぜ!」

 彼女の一声で、死人の集会のようになっていた酒場に一瞬で命が吹き込まれる。男たちの顔に微かだが笑みが戻っていく。

「手伝おうか」

 夫のステイクさんが心配そうに声をかけるが、マリーナさんは悪戯っぽく笑って制し、1人で厨房の奥へと消えていく。
 彼女の背中を見送りながら、私も立ち上がった。

「ごめん、ちょっとお花を摘みに行ってくるね」

 私は厨房へと向かう。胸の中に生まれた、小さくも無視できない棘のような違和感に導かれるように。

 厨房の扉の隙間から、マリーナさんの荒い息遣いが聞こえた。
 
 ハアハア、ハアハア。
 
 瞳孔が開き、カタカタと震える彼女の手には常人が手に入れるのは不可能な、禍々しい紋様が刻まれた小瓶が一つ握られていた。
 一級品の薬草を作れる魔女なら誰でも作れる、人を死に至らしめる調合品。
 彼女が蓋を開け、煮えたぎるハリラの鍋に中身を注ぎ込もうとした瞬間、私は彼女の腕を強く掴んだ。

「ローゼちゃん……なんで……」

 マリーナさんの瞳が驚愕に見開かれる。

「私、毒に関しては敏感なんです。師匠のディルに、散々料理に毒を混ぜられましたから。……それに、ヴィレッタも以前、私を救うために自死しようとしたことがあるんです。その時の笑顔と、マリーナさんの笑顔が重なったので」

「フフフ、凄いのね。ローゼちゃんって。いえ、ローゼマリー姫様。……なら、なぜあたしがこうするのか分かってるんだろ? エリの協力者はクレバスとシオンちゃんだけじゃない。あたしもそうだって」

「ええ……エリさんが仕掛けた撹乱策から、あなたがエリさんに協力していたんだと想像はしていました」

「なら! あたしも死なせな! フハハ、本当は酒場に居る連中ごと死のうと思っていたのにねえ」

 私は静かに首を横に振る。

「あなたは最初から、1人で死ぬつもりだった。この街の闇を、あなた自身の命で全て葬り去るために」

「どっちだろうが、これ以上、あたしをこんな世界に居させないでおくれ。後生さ、離しておくれ」

「いいえ、離しません。……マリーナ・レックさん」

 その名を私が口にした瞬間、マリーナさんの身体が凍り付いた。
 
「……なぜ……それを。夫もケントも知らないのに」

「女物のドレスを着た骸骨兵が所持していた錆びたイヤリング……これが、あなたのイヤリングにそっくりだと思ったのが最初の疑念です」
 
 私はポケットから、あの時クリスたちが転がった場所で拾ったイヤリングを取り出して見せた。

「酒場に来る前、フィーリアとヘクターさんが商業ギルドで調べてくれました。エイエス領時代のレック商会のこと、それとマーインの息子に乱暴されて呪いの維持装置とされた赤子の母親、アリーナ・レックの名と、その妹、マリーナ・レックの名前を」

「う……あ……」

「あなたはエリさんとクレバスを憎むと同時に、真相を知らされていたんじゃないでしょうか? 彼らは真相を話し、謝罪し、その上で協力を要求した。この地に平和をもたらす大義名分と、お姉さんの赤子によって維持されている平和を護るために」

 私はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「あの日、私とエリさんとシオンさんが宿屋で話していた時に現れたあなたは、『早朝の散歩』だと言いました。あなたの靴に付着していた土から、今思えば盛り土の場所に行っていたと判ります。あの場所は真相を知る者は近寄らず、知らぬ者は薄気味悪くて近寄らない。近づくのは訳ありのクレバスのような人か……あの盛り土の下に大切な人が眠っている人だけです。それが、あなたがレック姉妹の妹だと確信した根拠です」

 マリーナさんの膝が崩れ落ちる。

「何だったんだろうねえ。……姉さんの人生は……」

 私から錆びたイヤリングを受け取ると、彼女の瞳から大粒の涙が止めどなく溢れ出した。
 私はただ一言、こう言うことしかできない。

「生きてください。お姉さんの分も、お姉さんが産んだ赤子の分も。夫のステイクさん、義弟のケントさんと一緒に」

 私の言葉に、マリーナさんの号泣は、この街に再び訪れる朝を告げるかのように、大きく、いつまでも響き渡った。
 扉の向こう側の、ステイクさんとケントの嗚咽を包み込むように。
 
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