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第8章 砂漠の英雄
第32話 赤子の右手
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膠着しているようで、じりじりと追い詰められている。
夜闇は剣が空を斬る音と魔法の爆音に引き裂かれ、舞い上がる砂塵が月光を遮り世界そのものが息を詰めているかのようだ。
私たちの攻撃は、この土地と一体化したエリの幻影を虚しく斬り裂くだけ。
対して彼女が指先から繰り出す紫黒の雷撃は、着実に衛兵たちの命を刈り取っていく。
「させません! 護ると宣言した彼らをこれ以上……!」
レオノールの絶叫が響き、二対の剣が大地を抉る。
乾いた土くれが壁となって隆起し、衛兵たちを狙う雷を防ぐ。
けれど凄まじい衝撃波は、彼女の小柄な身体を木の葉のように吹き飛ばしてしまった。
白銀の鎧が鈍い音を立て、骸骨兵の残骸が散らばる砂地へと叩きつけられる。
「レオノール!」
クリスが身を挺して庇うも、勢いは殺しきれない。2人の身体は、かつて人であった者たちの骨を砕きながら地面を転がった。
骸骨兵の誰かが生前最期まで握りしめていたのだろうか、錆びついた質素なイヤリングがカランと虚しい音を立てた。
2人に追い打ちをかけるべく放たれるエリの魔法の閃光を、リョウの剣戟とベレニスの風が寸でのところで逸らす。
だが、その一瞬の連携が命取りだった。私たち全員が、守るべき一点――呪いの誓約書から大きく距離を取らされてしまったのだ。
誓約書を囲んでいた肉の壁はもういない。
最後の衛兵が胸から血飛沫を上げて崩れ落ち、彼らの壮絶な抵抗は幕を閉じた。
誰一人救えなかった無力感が胃の腑からせり上がり、喉を焼く。
私は込み上げる焦燥を押し殺した。
彼らが命を賭して稼いだこの一瞬を、彼らが信じたこの街の未来を無駄にはしない。真の英雄たちの最期を、この目に、この魂に、永遠に焼き付けるのだと。
「今度は……私が守る!」
その声はシオンのもの。
砂塵の中から躍り出た彼女は、エリの魔力が直撃する寸前、禍々しい光を放つ誓約書を自らの身体で覆うように強く抱きしめた。
「壊させない……! 私たちの罪も、この街の未来も!」
義父が、アルベルトが、そしてクレバスが守ろうとした民が作り出した、罪の象徴を。
一瞬、エリの指先が止まる。彼女の瞳に、ほんの僅かな動揺が走ったのを私は見逃さない。
……なんだ? この反応は。ただの駒として利用していただけではないのか?
「シオンさんも彼女の母親もレアード王国出身。……あなたもレアード王国の姫……だった。ひょっとしてあなたがこの街に来た本当の理由は!」
「黙れ! 死は全ての終わり! 死した者とこれから死にゆく者に関係などない!」
私の推測をかき消すかのように、エリは絶叫した。
容赦なく、これまでで最大級の紫電が彼女の指先からシオンへと向かって放たれる。
その一撃に全神経を集中させたエリの背後に、一瞬の死角が生まれた。
「ローゼさん! これを!」
フィーリアの鋭い声。投げ渡されたのは、彼女が短い時間で作り上げた光を凝縮した魔石。
逆転の一手になる最高の逸品だ。
私は全身の魔力を沸騰させ、空気を焦がすほどの灼熱の奔流を生み出し、エリの魔法と正面からぶつけ合う。
……くっ。やはりここでは全てを防ぎきれない! 威力が、この土地の呪いそのものが彼女に味方している!
「シオンさん! 逃げてください!」
ヴィレッタの悲痛な叫びが、魔法の衝突音で掻ききえる閃光の中、私は見た。
――千年前、イフリートの炎に焼かれるアネクネーメで、アニスに微笑みかけたハールーンとゼノビアの姿と重なるように、穏やかな笑みを浮かべるクレバスとシオンの姿を。
そう。ズタボロの身体を引きずりながら、クレバスは再び立ち上がっていたのだ。
「クレバス……!」
驚愕に目を見開くシオンの隣に、彼はそっと寄り添った。彼の傷だらけの背中が彼女を守る盾のように。
「愚かな男ね。ただ死ぬだけなのに」
エリの声が、どこか遠くから聞こえるように響いた。
「勘違いするなよ、エリ。俺は満足してるんだ。偽りとはいえ7年、エイエス領を平和にしたんだ」
「永遠の地獄も、永遠の平和もない。だから私たちは次を託せる」
「バカな女だな……シオン様は」
「あんたこそ。……私にも背負わせて……クレバス」
それが私たちが最期に聞いた、クレバスとシオンの声だった。
紫電が2人を包み込み、身体は一瞬で黒い消し炭と化す。
彼らが命を賭して護った呪いの誓約書の上にこびりついていた赤子の手もまた、7年間の役目を終えたかのように、黒い灰となって夜風に散った。
「あっはっは! 全部無駄だったわね! 安心しなさい! ただ死ぬだけじゃない! クレバスもシオンも! 街の連中もローゼマリー一行も! 全部新たな呪いにしてあげるわ! 滅べマーイン! 呪いの誓約書の責務を果たし、滅びゆく大地に新たな怨念を生み出しなさい!」
エリが高らかに宣言した瞬間、封じられていた魔力が解き放たれる。
禍々しい光が天を突き、遠く街の中心、城から、市場から、民家の窓という窓から、同じ絶望の光の柱が無数に立ち昇った。
街全体が一つの巨大な破滅の魔法陣と化す。
遠くから聞こえる人々の悲鳴が、この世の終わりを告げるかのように響き渡る。
街が崩壊する。全てが無に帰る。エリの高笑いが夜闇に木霊した。
けれど破滅の闇が全てを飲み込む直前、彼女の笑みが凍り付き、絶句の表情を浮かべていく。
「なぜだ! なぜ起動しない!」
そして彼女は驚愕する。私の手元に本物の呪いの誓約書があるのを見て。
「あなたは……犠牲なんかじゃない」
私の声は、破壊の前の静寂に優しく響いた。
誰もが目にした消滅した赤子の右手。
否、それは私がクレバスたちに気を取られるエリの虚をつき、フィーリアが魔石から精巧に作り上げた偽物とすり替えたもの。本物の右手は、今、私の手のひらの中に静かに収まっている。
私はミイラ化した小さな手を慈しむように、そっと両手で包み込んだ。
名もなき母子の人生に想いを馳せる。この街の人々の愚かさと、それでも生きようともがいた7年間の日々に祈りを捧げる。
「誰よりも小さな体で、7年間も、この街を……ここに住む弱い人たちを守り続けた……。あなたは、誰よりも気高い、この街の『守り神』よ」
恐怖ではない。罪悪感でもない。
感謝を。追悼を。そして、祝福を。
私が今まで旅で出会った全ての人々への想いを乗せて、ありったけの祈りを「言葉」にする。
私だけの力じゃない。
クレバスが、衛兵たちが、シオンが、エリの攻撃から護ったことで発動できる奇跡。
私の声に呼応するように、ヴィレッタの神聖魔法の詠唱が、小さな魂に安らぎの歌を捧げる。
フィーリアとヘクターさんが投じた魔石が、私たちの祈りを増幅させ、光の波紋となって街全体へと伝播させていく。
街中から立ち昇っていた禍々しい紫黒の光が、一瞬揺らめいた。
破滅へと向かっていた魔力の奔流が、穏やかな光の粒子へと変わり始める。
――キャッ、キャッ。
無邪気に笑う赤子の声が、誓約書の消滅の直前に聞こえた気がした。
ありがとう。そして……おやすみなさい。
エリの目論見は、ここに潰えた。
全てを見届けたクレバスとシオンの魂が微笑みかけた気がする。
光の粒子となった彼らの魂は、再生を始めた街の光の中へと溶けていく。
彼らの死は単なる消滅ではない。自らが犯した罪の対価として、この街の未来を繋ぐ礎として、大地へと還っていくのだ。
「エリ! 呪いのシステムは、反転したら全て術者に向かう! 私に魔力を渡しなさい! そうすれば助かる! 早く!」
光り輝く夜闇の中、エリは三日月のように口を曲げ、私に……背を向けた。
瞳に映るはあり得なかった未来。
シオンの母親とシオン、2人と平和な日々を過ごす光景。
ガンギル王の侵攻で彼女も夫も死亡した事実。
その後のこの街の惨状。彼女の娘の現状。
全てが歯車を軋ませた。
「……やりきったわ。先に逝くね。ジーニア」
直後呪いの反動を一身に受け、彼女は砂のように崩れた。
夜闇は剣が空を斬る音と魔法の爆音に引き裂かれ、舞い上がる砂塵が月光を遮り世界そのものが息を詰めているかのようだ。
私たちの攻撃は、この土地と一体化したエリの幻影を虚しく斬り裂くだけ。
対して彼女が指先から繰り出す紫黒の雷撃は、着実に衛兵たちの命を刈り取っていく。
「させません! 護ると宣言した彼らをこれ以上……!」
レオノールの絶叫が響き、二対の剣が大地を抉る。
乾いた土くれが壁となって隆起し、衛兵たちを狙う雷を防ぐ。
けれど凄まじい衝撃波は、彼女の小柄な身体を木の葉のように吹き飛ばしてしまった。
白銀の鎧が鈍い音を立て、骸骨兵の残骸が散らばる砂地へと叩きつけられる。
「レオノール!」
クリスが身を挺して庇うも、勢いは殺しきれない。2人の身体は、かつて人であった者たちの骨を砕きながら地面を転がった。
骸骨兵の誰かが生前最期まで握りしめていたのだろうか、錆びついた質素なイヤリングがカランと虚しい音を立てた。
2人に追い打ちをかけるべく放たれるエリの魔法の閃光を、リョウの剣戟とベレニスの風が寸でのところで逸らす。
だが、その一瞬の連携が命取りだった。私たち全員が、守るべき一点――呪いの誓約書から大きく距離を取らされてしまったのだ。
誓約書を囲んでいた肉の壁はもういない。
最後の衛兵が胸から血飛沫を上げて崩れ落ち、彼らの壮絶な抵抗は幕を閉じた。
誰一人救えなかった無力感が胃の腑からせり上がり、喉を焼く。
私は込み上げる焦燥を押し殺した。
彼らが命を賭して稼いだこの一瞬を、彼らが信じたこの街の未来を無駄にはしない。真の英雄たちの最期を、この目に、この魂に、永遠に焼き付けるのだと。
「今度は……私が守る!」
その声はシオンのもの。
砂塵の中から躍り出た彼女は、エリの魔力が直撃する寸前、禍々しい光を放つ誓約書を自らの身体で覆うように強く抱きしめた。
「壊させない……! 私たちの罪も、この街の未来も!」
義父が、アルベルトが、そしてクレバスが守ろうとした民が作り出した、罪の象徴を。
一瞬、エリの指先が止まる。彼女の瞳に、ほんの僅かな動揺が走ったのを私は見逃さない。
……なんだ? この反応は。ただの駒として利用していただけではないのか?
「シオンさんも彼女の母親もレアード王国出身。……あなたもレアード王国の姫……だった。ひょっとしてあなたがこの街に来た本当の理由は!」
「黙れ! 死は全ての終わり! 死した者とこれから死にゆく者に関係などない!」
私の推測をかき消すかのように、エリは絶叫した。
容赦なく、これまでで最大級の紫電が彼女の指先からシオンへと向かって放たれる。
その一撃に全神経を集中させたエリの背後に、一瞬の死角が生まれた。
「ローゼさん! これを!」
フィーリアの鋭い声。投げ渡されたのは、彼女が短い時間で作り上げた光を凝縮した魔石。
逆転の一手になる最高の逸品だ。
私は全身の魔力を沸騰させ、空気を焦がすほどの灼熱の奔流を生み出し、エリの魔法と正面からぶつけ合う。
……くっ。やはりここでは全てを防ぎきれない! 威力が、この土地の呪いそのものが彼女に味方している!
「シオンさん! 逃げてください!」
ヴィレッタの悲痛な叫びが、魔法の衝突音で掻ききえる閃光の中、私は見た。
――千年前、イフリートの炎に焼かれるアネクネーメで、アニスに微笑みかけたハールーンとゼノビアの姿と重なるように、穏やかな笑みを浮かべるクレバスとシオンの姿を。
そう。ズタボロの身体を引きずりながら、クレバスは再び立ち上がっていたのだ。
「クレバス……!」
驚愕に目を見開くシオンの隣に、彼はそっと寄り添った。彼の傷だらけの背中が彼女を守る盾のように。
「愚かな男ね。ただ死ぬだけなのに」
エリの声が、どこか遠くから聞こえるように響いた。
「勘違いするなよ、エリ。俺は満足してるんだ。偽りとはいえ7年、エイエス領を平和にしたんだ」
「永遠の地獄も、永遠の平和もない。だから私たちは次を託せる」
「バカな女だな……シオン様は」
「あんたこそ。……私にも背負わせて……クレバス」
それが私たちが最期に聞いた、クレバスとシオンの声だった。
紫電が2人を包み込み、身体は一瞬で黒い消し炭と化す。
彼らが命を賭して護った呪いの誓約書の上にこびりついていた赤子の手もまた、7年間の役目を終えたかのように、黒い灰となって夜風に散った。
「あっはっは! 全部無駄だったわね! 安心しなさい! ただ死ぬだけじゃない! クレバスもシオンも! 街の連中もローゼマリー一行も! 全部新たな呪いにしてあげるわ! 滅べマーイン! 呪いの誓約書の責務を果たし、滅びゆく大地に新たな怨念を生み出しなさい!」
エリが高らかに宣言した瞬間、封じられていた魔力が解き放たれる。
禍々しい光が天を突き、遠く街の中心、城から、市場から、民家の窓という窓から、同じ絶望の光の柱が無数に立ち昇った。
街全体が一つの巨大な破滅の魔法陣と化す。
遠くから聞こえる人々の悲鳴が、この世の終わりを告げるかのように響き渡る。
街が崩壊する。全てが無に帰る。エリの高笑いが夜闇に木霊した。
けれど破滅の闇が全てを飲み込む直前、彼女の笑みが凍り付き、絶句の表情を浮かべていく。
「なぜだ! なぜ起動しない!」
そして彼女は驚愕する。私の手元に本物の呪いの誓約書があるのを見て。
「あなたは……犠牲なんかじゃない」
私の声は、破壊の前の静寂に優しく響いた。
誰もが目にした消滅した赤子の右手。
否、それは私がクレバスたちに気を取られるエリの虚をつき、フィーリアが魔石から精巧に作り上げた偽物とすり替えたもの。本物の右手は、今、私の手のひらの中に静かに収まっている。
私はミイラ化した小さな手を慈しむように、そっと両手で包み込んだ。
名もなき母子の人生に想いを馳せる。この街の人々の愚かさと、それでも生きようともがいた7年間の日々に祈りを捧げる。
「誰よりも小さな体で、7年間も、この街を……ここに住む弱い人たちを守り続けた……。あなたは、誰よりも気高い、この街の『守り神』よ」
恐怖ではない。罪悪感でもない。
感謝を。追悼を。そして、祝福を。
私が今まで旅で出会った全ての人々への想いを乗せて、ありったけの祈りを「言葉」にする。
私だけの力じゃない。
クレバスが、衛兵たちが、シオンが、エリの攻撃から護ったことで発動できる奇跡。
私の声に呼応するように、ヴィレッタの神聖魔法の詠唱が、小さな魂に安らぎの歌を捧げる。
フィーリアとヘクターさんが投じた魔石が、私たちの祈りを増幅させ、光の波紋となって街全体へと伝播させていく。
街中から立ち昇っていた禍々しい紫黒の光が、一瞬揺らめいた。
破滅へと向かっていた魔力の奔流が、穏やかな光の粒子へと変わり始める。
――キャッ、キャッ。
無邪気に笑う赤子の声が、誓約書の消滅の直前に聞こえた気がした。
ありがとう。そして……おやすみなさい。
エリの目論見は、ここに潰えた。
全てを見届けたクレバスとシオンの魂が微笑みかけた気がする。
光の粒子となった彼らの魂は、再生を始めた街の光の中へと溶けていく。
彼らの死は単なる消滅ではない。自らが犯した罪の対価として、この街の未来を繋ぐ礎として、大地へと還っていくのだ。
「エリ! 呪いのシステムは、反転したら全て術者に向かう! 私に魔力を渡しなさい! そうすれば助かる! 早く!」
光り輝く夜闇の中、エリは三日月のように口を曲げ、私に……背を向けた。
瞳に映るはあり得なかった未来。
シオンの母親とシオン、2人と平和な日々を過ごす光景。
ガンギル王の侵攻で彼女も夫も死亡した事実。
その後のこの街の惨状。彼女の娘の現状。
全てが歯車を軋ませた。
「……やりきったわ。先に逝くね。ジーニア」
直後呪いの反動を一身に受け、彼女は砂のように崩れた。
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