【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ

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第5章 籠の中の鳥

第17話 記憶の齟齬

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 テスト期間中は、女子寮も学校も独特の緊張感に包まれていた。
 普段は賑やかな廊下も心なしか静かで、すれ違う生徒たちの表情も硬い。
 そんな中でレオノールとゆっくり話す機会を作るのは、想像以上に難しかった。

 あの夜、私のベッドで囁かれた言葉

『この世界は偽りです』

 その衝撃は未だに胸の奥で燻り続けている。
 でも、それを確かめる術がない。

 レオノールはこの国の第一王女。
 休み時間になれば、ルリアさんはもちろん、ソフィアさんやベーベルさんといった貴族令嬢たちに常に囲まれている。

 私のような他国の留学生が気軽に割って入る隙がないのだ。
 学年も1つ下だから、教室を訪ねるようにも人目を避けるのは難しい。

 ヴィレッタが熱心に勉強会を開いてくれるのはありがたいが、そのせいでレオノールが寝落ちする機会もなくなった。
 あの夜のように、2人きりになるチャンスも失われてしまったのだ。

 この世界が、偽り……?
 信じられない。だって、ここはこんなにも平和なのだ。
 もう何百年も大きな戦争はなく、人を喰らう恐ろしい魔獣なんて、古いお伽噺の中にしか出てこない。
 そんな穏やかな世界が、すべて作り物だなんてあり得ない。

 けれど……私はそっと、自分の手のひらを見つめる。
 意識を集中させると指先に微かな熱が集まり、次の瞬間、ポン、と小さなオレンジ色の炎が灯った。
 魔法。この世界では存在しないはずの、空想の産物とされている超常的な力。

 なのに私は当たり前のように、呼吸をするのと同じくらい自然に、それを使うことができた。
 いつから使えたのか、どうやって覚えたのか、全く記憶にない。
 ただ、身体が覚えている。この感覚を知っている。

 手のひらの炎は、私の意思に応じて形を変えて揺らめく。
 最初は豆粒ほどの灯火だったものが、瞬く間に掌全体を覆う渦となり、温かな光と熱を放つ。
 私自身の魂の一部が燃えているかのように。

 この力は、私の知る『私』の記憶と一致しない。
 私はベルガー王国の王女ローゼマリー。
 魔法なんて物語の中でしか知らないはずなのに。

 どうして、魔法が使えるの……?
 今日までの日々を必死に思い返してみる。
 ベルガーでの穏やかな日々、父様と母様の優しい笑顔、ヴィレッタとシャルロッテとの他愛ないお喋り、そしてファインダ王国への留学……何もおかしなことはない。
 ただただ平穏で、少し退屈なくらいの毎日が続いているだけ。

 でも、レオノールのあの言葉と、この説明のつかない魔法の力が、私の確信を揺さぶり、心の奥底に巣食う違和感を増幅させた。

「きゃっ! ローゼマリー様、その手に火が⁉」

 突然の鋭い声に私はハッと我に返り、慌てて手のひらの炎を掻き消した。
 振り向くと、金髪縦ロールのソフィアさんが目を大きく見開いて私を見ていた。
 その表情には驚きと、ほんの少しの恐怖が混じっているように見えた。

 しまった、人目がないと思って油断した!
 今はテストとテストの間の短い休み時間。
 ヴィレッタとシャルロッテがクラスメイトに捕まっている隙に、1人で考え事をしようと中庭に出ていたんだった。

「ソフィアさん、どうかなさいましたの? ……あら? ローゼマリー様だけとは珍しいですわね」

 私が平静を装っていると、今度は栗色ウェーブヘアのベーベルさんがやってきた。
 彼女は不思議そうに小首を傾げている。
 ソフィアさんはまだ私の手元あたりを疑わしげに見ているが、確証がないのか口ごもっていた。

「あ、ええ、少し風に当たっていましたの。貴女方こそ、ご一緒とは珍しいですわね。いつもは……そう、派閥で競い合っているようなイメージでしたが」

 努めて冷静に、隣国の王女としての威厳を意識しながら私は言葉を返す。
 そういえば、この2人と直接こうして話すのは初めてかもしれない。

 私の言葉に、ソフィアさんとベーベルさんは怪訝そうに顔を見合わせた。

「派閥争い、でございますか? いえ、わたくしたちはそのような……」

「そうですわね。わたくしもソフィア様も、いずれレオノール様をお支えする立場。互いに競い合うことはあっても、足を引っ張り合うような真似はいたしません。それに、レオノール様は誰に対しても分け隔てなく接してくださるお方。媚びへつらったところで、お心に響くとは思えませんもの」

 ベーベルさんが少し呆れたように言い、ソフィアさんも静かに頷く。
 2人の表情からは、私の言葉の意味が本当に分からない、といった困惑が窺える。
 彼女たちの内心を探ろうとしても、そこにあるのはレオノールへの敬意と、貴族令嬢としての矜持だけのように見える。

 ……私の記憶にある、あの熾烈な派閥争いは、一体どこへ消えたのだろう?

 まただ。また私の記憶とこの世界の現実が食い違う。

 レオノールが裏表のない性格なのは知っている。
 彼女なら派閥争いを嫌うだろう。
 でも、だからといって、すでに入寮時点で存在していたはずの派閥が、こんなに綺麗さっぱり消えてなくなるものだろうか?
 レオノール自身も、二つの派閥の板挟みに悩んでいたはずなのに。

 ……そうだ、確かめてみよう。

「ソフィアさん、ベーベルさん。少しお尋ねしたいのですが。もうすぐ新年を迎えますけれど、レオノール姫はいつ頃、この女子寮にいらして、王立学校へ通い始められたのかしら? それから、ついでで構わないのだけれど、私たちベルガーの者が留学してきたのは、いつ頃だったか覚えていらっしゃる?」

 私は努めて穏やかに、しかし内心の動揺を悟られまいと微笑みながら尋ねた。

 2人は一瞬きょとんとした顔をしたが、私の王女スマイルに警戒を解いたのか、すぐに記憶を探るように視線を巡らせて答えてくれた。

「はあ……えっと、レオノール様がご入学になり、この女子寮に入られたのは、わたくしたちと同じ、今年の春、4月ですわ」

「そして、ローゼマリー様がヴィレッタ様、シャルロッテ様と共に留学にいらしたのが、たしか初夏の6月だったと記憶しておりますわ。初めてお姿を拝見した時の、あの輝くような気品……今でも鮮明に覚えております。わたくしも、ローゼマリー様のように美しく、そして気高くあれるよう、日々精進しているつもりですの」

 ベーベルさんが少し頬を染めながら言う。
 その言葉に嘘や誤魔化しがあるようには、到底思えなかった。

 今年の6月に、私たちが留学してきた……?
 その頃の記憶が、すっぽりと抜け落ちている。
 思い出そうとすればするほど、頭の中に濃い霧がかかるように何も見えなくなる。

 でも、2人は嘘をついているようには見えない。
 そもそも、彼女たちが嘘をつく理由がない。
 だとしたら……おかしいのは、私の記憶の方……?

 いや、違う。おかしいのは、この世界の方だ。

 じわじわと、足元から現実が崩れていくような感覚。
 胸が締め付けられ、呼吸が浅くなる。
 私が信じていたこの『現実』が、実は脆いガラス細工のように、いつ壊れてもおかしくない偽物なのかもしれない。
 その可能性が、冷たい恐怖となって背筋を這い上がってくる。

「我らがファインダ王国と、ローゼマリー様たちのベルガー王国。両国が固い婚姻の同盟で結ばれ、こうして末永く友好関係が続いているのは、本当に素晴らしいことですわ。文化交流も、商人の往来もますます盛んになり、貴族も民も豊かさを享受しております。この輝かしい時代が永遠に続くよう、女神フェロニア様にお祈りしなければなりません。きっと両国の輝かしい未来は、ローゼマリー様とレオノール様の手によって切り開かれていくことでしょう」

 ベーベルさんが、うっとりとした表情で未来への希望を語る。
 その瞳は純粋な輝きに満ちている。

「我らが英雄王ラインハルト陛下、そしてベルガー王国の中興の祖と謳われるカエサル陛下。この英邁なる2人の王が治める時代に生を受けた幸運に、心から感謝いたしますわ」

 ソフィアさんも、胸に手を当てて厳かに言う。

 ……カエサル陛下? 私のお父様……?
 でも、父様は……もう。
 ……違う。そんなはずはない。父様は健在だ。
 ベルガー王国で、立派に国を治めていらっしゃる。
 母様と一緒に、私の帰りを待っていてくださるはず。

 なのに、どうして? どうして私の心の奥底で、別の記憶が叫んでいるの?
 あの日の血の匂いと、絶望と、母様の最後の言葉を。

 ダメだ、考えちゃダメだ。おかしくなってしまう。

 私は自分の記憶への信頼を完全に失いかけていた。
 同時に、この世界の『真実』を知ってしまったら、私はどうなってしまうのだろうという恐怖が、心を支配し始めていた。
 もし本当にこの穏やかな世界が偽りだとしたら、本当の私はどこにいるの? 私の存在理由は?

 思考がぐるぐると空回りし、目眩がしそうになる。

 ちょうどその時、休み時間の終わりを告げる鐘が鳴った。
 私はソフィアさんとベーベルさんに曖昧な笑顔で別れを告げて教室へと戻った。

 廊下ですれ違う生徒たちの楽しそうな話し声や笑い声が、遠い世界の出来事のように私の耳に入ってくる。

 この世界は、あまりにも静かで穏やかすぎる。

 ***

「おや? リョウ殿の姿が見当たりませんが?」

 待ち合わせ場所である王都リオーネの中央広場。
 約束の時間になってもリョウが現れず、近衛隊長のアレックス・シオーレンは眉をひそめた。
 屈強な騎士である彼には珍しく、少し困惑した表情が浮かんでいる。

「あー、傭兵? さっき、可愛い女の子2人にナンパされて、全力で逃げていったわよ」

「うんうん、すっごい速さだったよね~」

「まあ、あの様子だと、しばらくは戻ってこないと思うっすよ。リョウ様、ああ見えて女性には免疫ないっすから」

 ベレニスはケラケラと笑い、クリスは暢気に頷き、フィーリアはやれやれといった顔で肩をすくめる。
 彼女たちの反応はあまりにも軽く、日常茶飯事の出来事かのような感覚だ。

 アレックスの困惑が深まった。
 彼は騎士として多くの修羅場を潜り抜けてきたが、女性とのコミュニケーション、特にこういった少女たちとの世間話は苦手分野なのだ。
 リョウがいれば、まだ間が持つのだが。

「……近衛隊長のアレックスさんにわざわざご足労いただき、感謝するっす。ガードン子爵という歴史編纂官の方をご紹介いただけるとのことですが、どのような御仁なんすか?」

 アレックスの内心を察したのか、フィーリアがにこやかに話を切り出した。
 その商人らしい気配りに、アレックスは少しだけ安堵する。

「ああ。ガードン子爵は我が国の歴史、特に貴族の家系やその内情に精通しておられる。おそらく、ファインダにおける魔女の家系のことなども、何かご存知かもしれないと思ってな」

 今日は、そのガードン子爵を訪ねるために、こうして集まったのだ。
 休日とあって、広場は普段以上に多くの人々で賑わい、活気に満ち溢れている。

「ふうん、魔女ねえ。それじゃ、さっさと行きましょ。こっちは最近、ローゼの柔らかい太ももとか、引き締まった腰つきとか、ぷにぷにした可愛い足の裏とか、弾力のあるお尻とかに全然触れていないから、ストレスが溜まっているのよ~」

「ヴィレッタもいい匂いするよね~。すべすべの白いお肌とか。レオノールの胸も、ぽよんぽよんしていて……あ~、触りたいなあ~」

「ベレニスさん、クリスさん。その発言、非常にまずいっすよ。もしリョウ様が同じこと言ったら、間違いなくヴィレッタさんに八つ裂きにされるレベルっす」

 少女たちのあまりにも明け透けな会話に、アレックスは完全に思考停止した。
 表情は変わらないものの、その額にはうっすらと汗が滲んでいる。
 ……リョウ殿は、普段からこのような会話に晒されているというのか? 同情を禁じ得ない。

「ところで傭兵はどこに行ったのかしらね。まあ、どうせ暗くてジメジメした場所で、1人いじけてるんでしょ。放っておきましょ♪ さ、行くわよ!」

 ベレニスが軽い調子で言うと、アレックスはリョウへの同情を胸にしまい込み、仕方なく3人の少女と共に歩き出した。

「そうそう、今日は休日なので、午後は女子寮の方にも顔を出したいっすね。ローゼさんがそろそろリョウ様成分が不足して、禁断症状が出始めている頃かもしれないっすから」

 フィーリアが、鞄から何かを取り出した。
 例のホレイショカフェのおまけ第2弾として作られた、リョウの姿を模した小さなぬいぐるみだ。
 以前のものより、少しだけデフォルメされて、ほんの僅かに可愛らしさが増している……気がしないでもない。

 それを見たクリスが、ぴくりと反応した。

「うーん、もうちょっと可愛く作ればいいのにね~」

「リョウ様らしさがなくなっちゃうっすからね。これはこれで味があるってことっす」

 フィーリアが苦笑しながらぬいぐるみを弄んでいると、不意にベレニスが声を上げた。

「あ、傭兵いたわよ。ほら、やっぱり。あんな暗くてジメジメした木陰で、膝を抱えて落ち込んでいるわ」

 ベレニスが指差す先、広場の隅にある大きな木の根元に、見慣れた黄土色の皮鎧の後ろ姿があった。
 その背中からは、深い深い哀愁が漂っている。

 アレックスは、そっとリョウの肩に手を置いた。
 言葉はなかったが、その手には、同じく女性が苦手な者同士としての、深い共感と労りの念が込められていた。
 
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