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第5章 籠の中の鳥
エピローグ
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とある場所、厳しい冬の夜風が吹きすさぶ酒場の扉が開いて冷気が流れ込んだ。
カウンターに、旅人風の若い女が静かに腰を下ろし、年季の入った店主に注文する。
「この店で一番美味い料理と、一番強い酒を一つ頼む」
店主は無言で注文主を一瞥した。
年の頃は10代半ばほどか。
金髪ウェーブのショートヘアが被っていた黒フードの隙間からのぞいている。
黒マントに隠された体つきは華奢に見えた。
やがて、じゅうじゅうと音を立てるガーデリア地方名物の牛ステーキの香草焼きが、湯気と共に少女の前に置かれた。
そして店主は、ぶっきらぼうに一言付け加える。
「酒は大人になってからにしな」
店内に一瞬、シンとした静寂が訪れる。
暖炉でパチパチと燃える火の音だけが、やけに大きく聞こえた。
金髪の少女である魔女ディルは一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、すぐに鼻腔をくすぐるステーキの芳醇な香りに意識を引き戻された。
(しまったわい。若返りも良いことばかりではないのう。全く、クレマンティーヌ様の気まぐれには困ったものじゃ。勝手に儂が弟子だった頃の、この若い姿に戻しおって。今更、一度外に出て適当な大人の姿に変化し、入り直すのも面倒じゃ。何より、この目の前の極上のステーキを無駄にするのは惜しすぎるわい)
ディルは内心で小さくため息をつき、酒は諦めて濃厚な果実ジュースを追加で頼むと、ナイフとフォークを手に取り、目の前の肉料理へと意識を集中させた。
黒フードに黒マントという出で立ちは旅人としては珍しくない。
このご時世、訳ありの人間などいくらでもいる。
少女の容姿以外は、特に目立つものではなかった。
「なんだ、嬢ちゃん。その若さで一人旅か、危ねえな、なんて思ったが、お仲間がいたのか。ま、どっちも別嬪さんだから、悪い奴らに目をつけられないように気をつけなよ」
店主が呆れたように言う。
ディルがふと横を見ると、いつの間にか隣の席に自分とよく似た恰好の黒髪ボブヘアの少女が座り、ディルが食べているステーキを指差して「同じものを」と店主に注文していた。
「……マツバか。随分と久しぶりではないか」
ステーキを優雅な所作で切り分けながら、ディルは隣の少女に嘆息混じりに声をかけた。
「久しぶり、ディル」
目線は運ばれてきたばかりの熱々のステーキに釘付けのまま、マツバと呼ばれた黒髪の少女は短く答える。
その様子に、ディルは呆れ顔になった。
「やれやれ、三つ子の魂百まで、とはよく言ったものよ。リュンカーラにいた頃と、お主は全く変わらんな」
「料理は神聖なもの。敬意を持って味わうのが当然」
キラリ、とマツバの瞳が一瞬鋭く光る。
ディルも「違いない」と苦笑しながら、自身の食事を再開した。
「して、チャービルや他の者たちは息災か?」
「……うん」
「クレマンティーヌ様は?」
「相変わらず、暢気」
短い会話の中に、千年以上もの時を超えた、複雑な関係性が垣間見える。
魔王が誕生し、世界が絶望に覆われる前の日々。
ディンレル王国の王都リュンカーラで、偉大なる師クレマンティーヌの下、共に魔法を学び、語り合った9人の少女と2人の青年。
そして……ディンレル王国が滅びた、あの日のこと。
魔王軍の圧倒的な力の前に、多くの仲間たちが散っていった、忘れもしない光景。
「そういえば、お主らが散々、始末に失敗し続けているという傭兵……リョウ・アルバースにこの前、直接会ったわ。……あれは間違いなく、マツバ、お主の子孫じゃろう。儂の勘に狂いはない」
「……興味ない」
マツバはステーキを咀嚼しながら、ディルの言葉を一蹴する。
しかし、その視線が一瞬だけ、ディルの傍らに置かれた、古びた革袋……ガードン子爵邸から失敬してきた書物が入っている袋に向けられたのを、ディルは見逃さなかった。
「ふん、手に入れた魔導書は儂のものじゃ。お主にはやらんぞ」
「……別に要らない。というか、その中のいくつか、私が昔書いたものも混じっている。チャービルのもあるね」
「……なに?」
ディルは思わずナイフを持つ手を止めた。固まる。
道理でガードン子爵の秘蔵と言われていた古書のはずなのに、読んだことのある魔法理論や、妙に懐かしい筆跡のものが多かったわけだ。
「ごちそうさま」
綺麗にステーキを平らげたマツバは、手を合わせると、代金をテーブルに置き、静かに立ち上がった。
「……なんだ、てっきり『六賢魔』に戻れ、とでも言ってくるかと思ったが、肩透かしじゃのう。随分と若い魔女どもを駒にして使っておるようじゃし、もはや儂の居場所などない、ということかえ?」
「戻りたければ、戻ればいい。誰も止めない」
「そこは少しは説得せい。少しは寂しいと感じんのか」
「……別の目的で動いているディルを、説得する理由がない」
「ふん! ローゼマリーは儂の『駒』よ! 10年前に儂が見出し、育て上げたのじゃ! 我らが『神』は、儂の理論で、儂の手で蘇らせる!」
背を向けて店外へ向かうマツバに、ディルは挑発するように囁いた。
マツバは扉の前で足を止め、振り返らずに、フッと微かな笑みを漏らした。
「我らが『神』は、もうすぐ、我々のやり方で蘇る。……それに、駒なんて必要なら奪えばいいだけ」
そう言い残して、マツバの姿は酒場の扉の向こうへと消えた。
1人残されたディルは、チッ、と小さく舌打ちする。
コップをキュッキュッと磨きながら、2人の少女のただならぬ会話を固唾を飲んで見守っていた店主は、ようやく詰めていた息を吐き出すことができた。
「……嬢ちゃん、お酒、飲むかい?」
ムスッとした表情で、空になったジュースのグラスを睨んでいるディルに、店主が恐る恐る尋ねる。
ディルは待っていましたとばかりに顔を上げ、叫んだ。
「飲む! 一番強いやつを! たくさん!」
この日、ガーデリア地方のとある酒場で、見た目はうら若い少女が、一晩で屈強な男たちもかくやというほどの量の強い酒を飲み干したという奇妙な逸話が生まれた。
ただ、それが本当にあった出来事なのか、それとも酔客の見た夢物語なのか。
それを確かめようとする者は、誰もいなかったという。
カウンターに、旅人風の若い女が静かに腰を下ろし、年季の入った店主に注文する。
「この店で一番美味い料理と、一番強い酒を一つ頼む」
店主は無言で注文主を一瞥した。
年の頃は10代半ばほどか。
金髪ウェーブのショートヘアが被っていた黒フードの隙間からのぞいている。
黒マントに隠された体つきは華奢に見えた。
やがて、じゅうじゅうと音を立てるガーデリア地方名物の牛ステーキの香草焼きが、湯気と共に少女の前に置かれた。
そして店主は、ぶっきらぼうに一言付け加える。
「酒は大人になってからにしな」
店内に一瞬、シンとした静寂が訪れる。
暖炉でパチパチと燃える火の音だけが、やけに大きく聞こえた。
金髪の少女である魔女ディルは一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、すぐに鼻腔をくすぐるステーキの芳醇な香りに意識を引き戻された。
(しまったわい。若返りも良いことばかりではないのう。全く、クレマンティーヌ様の気まぐれには困ったものじゃ。勝手に儂が弟子だった頃の、この若い姿に戻しおって。今更、一度外に出て適当な大人の姿に変化し、入り直すのも面倒じゃ。何より、この目の前の極上のステーキを無駄にするのは惜しすぎるわい)
ディルは内心で小さくため息をつき、酒は諦めて濃厚な果実ジュースを追加で頼むと、ナイフとフォークを手に取り、目の前の肉料理へと意識を集中させた。
黒フードに黒マントという出で立ちは旅人としては珍しくない。
このご時世、訳ありの人間などいくらでもいる。
少女の容姿以外は、特に目立つものではなかった。
「なんだ、嬢ちゃん。その若さで一人旅か、危ねえな、なんて思ったが、お仲間がいたのか。ま、どっちも別嬪さんだから、悪い奴らに目をつけられないように気をつけなよ」
店主が呆れたように言う。
ディルがふと横を見ると、いつの間にか隣の席に自分とよく似た恰好の黒髪ボブヘアの少女が座り、ディルが食べているステーキを指差して「同じものを」と店主に注文していた。
「……マツバか。随分と久しぶりではないか」
ステーキを優雅な所作で切り分けながら、ディルは隣の少女に嘆息混じりに声をかけた。
「久しぶり、ディル」
目線は運ばれてきたばかりの熱々のステーキに釘付けのまま、マツバと呼ばれた黒髪の少女は短く答える。
その様子に、ディルは呆れ顔になった。
「やれやれ、三つ子の魂百まで、とはよく言ったものよ。リュンカーラにいた頃と、お主は全く変わらんな」
「料理は神聖なもの。敬意を持って味わうのが当然」
キラリ、とマツバの瞳が一瞬鋭く光る。
ディルも「違いない」と苦笑しながら、自身の食事を再開した。
「して、チャービルや他の者たちは息災か?」
「……うん」
「クレマンティーヌ様は?」
「相変わらず、暢気」
短い会話の中に、千年以上もの時を超えた、複雑な関係性が垣間見える。
魔王が誕生し、世界が絶望に覆われる前の日々。
ディンレル王国の王都リュンカーラで、偉大なる師クレマンティーヌの下、共に魔法を学び、語り合った9人の少女と2人の青年。
そして……ディンレル王国が滅びた、あの日のこと。
魔王軍の圧倒的な力の前に、多くの仲間たちが散っていった、忘れもしない光景。
「そういえば、お主らが散々、始末に失敗し続けているという傭兵……リョウ・アルバースにこの前、直接会ったわ。……あれは間違いなく、マツバ、お主の子孫じゃろう。儂の勘に狂いはない」
「……興味ない」
マツバはステーキを咀嚼しながら、ディルの言葉を一蹴する。
しかし、その視線が一瞬だけ、ディルの傍らに置かれた、古びた革袋……ガードン子爵邸から失敬してきた書物が入っている袋に向けられたのを、ディルは見逃さなかった。
「ふん、手に入れた魔導書は儂のものじゃ。お主にはやらんぞ」
「……別に要らない。というか、その中のいくつか、私が昔書いたものも混じっている。チャービルのもあるね」
「……なに?」
ディルは思わずナイフを持つ手を止めた。固まる。
道理でガードン子爵の秘蔵と言われていた古書のはずなのに、読んだことのある魔法理論や、妙に懐かしい筆跡のものが多かったわけだ。
「ごちそうさま」
綺麗にステーキを平らげたマツバは、手を合わせると、代金をテーブルに置き、静かに立ち上がった。
「……なんだ、てっきり『六賢魔』に戻れ、とでも言ってくるかと思ったが、肩透かしじゃのう。随分と若い魔女どもを駒にして使っておるようじゃし、もはや儂の居場所などない、ということかえ?」
「戻りたければ、戻ればいい。誰も止めない」
「そこは少しは説得せい。少しは寂しいと感じんのか」
「……別の目的で動いているディルを、説得する理由がない」
「ふん! ローゼマリーは儂の『駒』よ! 10年前に儂が見出し、育て上げたのじゃ! 我らが『神』は、儂の理論で、儂の手で蘇らせる!」
背を向けて店外へ向かうマツバに、ディルは挑発するように囁いた。
マツバは扉の前で足を止め、振り返らずに、フッと微かな笑みを漏らした。
「我らが『神』は、もうすぐ、我々のやり方で蘇る。……それに、駒なんて必要なら奪えばいいだけ」
そう言い残して、マツバの姿は酒場の扉の向こうへと消えた。
1人残されたディルは、チッ、と小さく舌打ちする。
コップをキュッキュッと磨きながら、2人の少女のただならぬ会話を固唾を飲んで見守っていた店主は、ようやく詰めていた息を吐き出すことができた。
「……嬢ちゃん、お酒、飲むかい?」
ムスッとした表情で、空になったジュースのグラスを睨んでいるディルに、店主が恐る恐る尋ねる。
ディルは待っていましたとばかりに顔を上げ、叫んだ。
「飲む! 一番強いやつを! たくさん!」
この日、ガーデリア地方のとある酒場で、見た目はうら若い少女が、一晩で屈強な男たちもかくやというほどの量の強い酒を飲み干したという奇妙な逸話が生まれた。
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