Archaic Almanac 群雄流星群

しゅーげつ

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第一部 揺動のレジナテリス

4.因循の司直 マルセル・ドイエン(M-048)

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 良い天気――

 つい口にしてしまい、《角兎が目を覚まして、巣穴から這い出る》往来の無い時刻でも
気恥ずかしさを覚えてしまう。


 角兎月ジャッカリーに入って気温が上がった事もあり冬服が少し暑く感じてしまうが、
露出が多い夏服に衣替えをする勇気は未だ出ない。 
 というより毎年火竜月サラマリーの末まで粘っては同僚に指摘されているので、
このままで良いかなと、ぼんやり自己解決して官僚坂ビューロードを下り始めた。



 王城大通ロードロードの東に位置し、店舗が無ければ始界広場ジャイルラプラス
迂回しなくて済む好立地の官舎から――脚筋を鍛えられる――通勤を強いられている。 

 裏金を渡して店内を横断する官僚もいるらしいが、不正に追従は出来ない。
力車カブ通勤は禁止されていないが、給金を実家に仕送る身で贅沢が許されるはずもない。


 王都の東ブルメドゥ丘陵の奥、所謂田舎にあるターニュは牧畜で生計を立てる小さな街で、
ドイエン家は王都直轄ではありながら由緒正しいだけの貧乏子爵でしかない。

 実家は弟が継いでいるが、せめて恥ずかしくない生活が出来るようにと支援しているので、
日々を切り詰める生活を続けている――家を飛び出た姉の贖罪として。

 それでも小さなランプを頼りに書を読み、父や兄に殴られ蹴られ、メイドからも嘲られた、
苦い幼少期を思えば、朝食を取って職場に迎う日々は幸せと言う他ない。

 

 「あらマルセル嬢、おはよ。相変わらず時間ぴったりね」


 広場を取り囲むように円を描いて立ち並ぶ露店の中でも、貴族街区にあっても見劣りしない、
小さな可愛いカフェの店主――シェラがいつも通りに声をかける。  
 「いつもの? ちょっと待ってね」

 小ぶりなドライフラワーで装飾されたカウンター越しに挨拶をして、対面席に腰を掛けた。


 王都の真ん中に位置する広場、その中央に鎮座するセプティムフォンスと呼ばれる噴水は、
水時計を兼ねており上段の盆から溢れ落ちる水が中段に満ちるまでが朝食時間となる。
 

 水都と言われる王都フランシアで、今や待ち合わせの場所として本来の用途を失った遺物を
酔狂にも愛用しているのは私くらいだろう。
 
 馴染みの店主に背を向けてまでカウンターではなく小卓に座る理由もこれにある。
雨が降るとただの石の塊になってしまう、そんな儚さもどこか好ましく思っているが、
唯一気に入らない点があった。それは――
 
 「はい、どーぞ」


 一人でぶつぶつ脳内独言に没頭していると、スッとトレーが差し出される。
会釈して受け取ったモーニングセットには黒パンが二つと、新鮮なサラダ、
温かいオニオンスープ、芳香漂うハーブティー。

 ハーブティーに使われているラベンダーは北の山岳地帯でなければ採取出来ない珍しい物で、
モーニングで出す店は王都では多分ここくらいだろう。
ポーションの着色料にも使われており、採取で人気の素材を出せる理由は
店主の元旦那の伝手であることは想像に難くない。


 そのオルガー・ブラント前法務官が背任罪で処刑された――とされるのは、2年も前になる。



 最後に牢内で言葉を交わした私が、彼の後任を継いだのは運命の悪戯としか言いようが無い。
結果的に内縁だった彼女を救う事が出来たことは、荒れる城内では奇跡だった。

 更には渦中に居た不審な大臣達が議場を支配し始めている現状では、過去を追求することも、
朝食のパンを黒から白に変えるのと同じくらいに難題と思えた。

 「どうしたの? 難しい顔して」

 試作のパウンドケーキ一口分を小さなお皿に載せて差し出すシェラが、実姉のように覗き込み、
険しくなる眉間を指して、軽く揉みながらカップに継ぎ足した。

 「え……あ、ちょっと考え事を」
 「何をあれこれ考えることがあるの、こんな良い天気なのに」
 「いえ……その……ブラント卿の事を……」

 今でも昔を思い出すと、奥底に沈む罪悪感が薄い紫の中にプカりと浮かび上がる。 
 ふぅと一息ついてポットをテーブルに置くと、シェラは腕を組んで仁王立ちした。

 「あのね……前にも言ったけど、貴女には感謝してるのよ? 内縁とは言え一緒に暮らしてた
私が罪にも問われず、今でも店を続けて居られるのは貴女のお陰でしょ?」

 真顔で見返す彼女に何も答えられずに、やましさから逃げるように噴水に目を向ける。

 「それは……ブラント卿が審議も無く罪に問われたことが……」
 「そうかもね。けど、そうなってしまったんだから、でしょ?」
 「それは――」
 「――けどね、後任が貴女で良かったと、心からそう思ってるのよ」

 え? と聞き返すと、シェラは同じように噴水を眺めて続ける。


 「あの人、貴女の事を褒めてたのよ? 貴族でありながら法律を守ることに力を尽くすのは
簡単なようで難しいって。どうやって法律を侵さずに私腹を肥やすか、それしか考えていない
貴族の中で、それがどれだけ素晴らしいことかって」


 思いもよらない言葉に視界が滲んだ気がした。

 私にとってのブラント卿は、上下関係に厳格と言われる鍛冶ギルドの親方より怖い存在で、
何度も陰で泣いた記憶がある。

 「けど……もしそれが本当なら――」


 そこまで言いかけた時、遠く見慣れた風景に『違和感』が滑り込んだ。

 「あら? あれ……王子かしら?」


 同じように広場に目を向けて居たシェラも気づいたようで、一行は異彩を放っており、
疎らな周囲の人が明らかに避けている様子が伺えた。


 眼前の異様な光景を少しでも正確に捉えようと、腰を上げ身を乗り出し、目を細――
 「ひっ!!」


 怯え声に釣られ目を向けると、小さな男の子がこちらを凝視し背景の噴水最上部の台座に並ぶ
七英雄セプテムヘリオス像のように硬直し、小さな口を開閉している。
 
 
 涙と汗が入り混じるまでは、一瞬だった。


 駆け付けた母親がスミマセンスミマセンと連呼し、子供を抱えて走り去るのを数秒で見送ると、
先刻までの罪悪感が別物に変容し、顔面の体温を紅潮させる。

 両足の力が抜けストンと腰が落ち、次いでポンッと頭の天辺に手を置いたシェラが、
小柄なお陰で自分と合致する目線を合わせ、優しく微笑んだ。

 「子供好きなのにね……なんで眼鏡しないの? そのせいでしょ?」

 「……お金かかりますし、仕送りしないとなので……」
 「確かに高いけど……そのせいで損してると思うわよ?」


 何も言えなかったが、理由は家庭事情だけでも無かった。それはよく解っている。

 嫌な物から逃れるように目の前の小さな文字にしか向かって来なかった自分にとって、
法書以外に見たい物が見つからないからだ。中身が穴だらけでも。

 「あ、それより時間なんじゃない?」
 トレーを下げながらシェラが教えてくれるが、遅刻の処分よりも重要な事を思い出した。

 「すみません、お代置いておきます!」

 テーブルに大銅貨1枚を置き手巾を胸元に仕舞って、広場を王城大通に向かって駆け出した。


 思い出したのは王子が連れた大男と担がれた荷物の事で、あれが犯罪絡みなら無関係ではない、
どころか大事になる。

 小走りで広場を反時計周りに走ると、王城が聳える丘陵に向かって真っ直ぐ伸びる一本坂
――北大通ノースロードが聳え立つ白壁に見えた。


 中腹で目立つ黒髪を確認して、意を決して石畳みを蹴る――

 半刻で駆け抜けるくらいでないと、彼らに追いつけない――



 
 見通しの甘さを肩で息しながら呪い、城門に辿り着いたのは三刻を過ぎた頃だった。


 探しながら通用門へ向かうと、早くから働いている庭師が会釈してくるので返す。
裏口は既に開かれており、揃えられた芝目を見ながら胸を膨らませ――
 「やぁマルセル嬢、どうしたんだい? 変質者にでも追いかけられたのかな?」

 不意に背後から聞こえてきた軽薄な声が、呼吸を落ち着かせるのを妨げた。


 「っ! けほっ……お、おはようございます、嬢は止めて下さい不謹慎です」

 嫌々振り返ると、案の定そこに立っていたのは三官の一人で護民官、ベーレン領主でもある
ロータル・ベーレンスだった。
 二役の法務官の方が上役にはなるが、歳が一回り上で官僚歴も彼の方が長く、
言葉の節々から侮られている感がして好きになれない。

 「まぁまぁ、久々に会ったんだからつれない態度は無しで、ね」
 「久々なのは朝議に来ない貴方が不真面目だからでは?」
 「僕だってそれなりに忙しいんだよ? こう見えても、一応領主だから」

 薄笑いで嘯いているが私は知っている。領運営は腹心が行っていて彼は殆ど関与していない。
とは言えそれ自体は咎めるような話では無いし、領内が上手く回っているなら何も問題はない。

 だがこの軽薄男は領主やの仕事は任せっきりにして戦人バトラー稼業に精を出している。
そして悪びれもせず『領内の治安維持』と宣う。議会だけでなく朝議も皆勤の私にとって、
心安い存在じゃなくても仕方ない。

 「……珍しくお付きの美女は居ないんですね?」
 「何言ってんの、朝議に彼女らを連れてくる訳無いでしょ? ギルドで留守番だよ」

 当然のように言うが、この人なら議場に女を侍らせても何ら不思議ではない。
それでも何故か《好色卿》の人気は領内でも高いらしく理解出来ない。


 「どうでも良いです。職務に遅れますので失礼します」
 「あ、そういえば、さっき王子が知らない子を連れて議場に向かったの、見た?」

 「……いえ。何があったかご存じなのですか?」
 「いや? 城食で朝飯食べてから帰ろうとしたら見かけただけだよ」
 「……ここは食堂じゃありません。朝議に参加しないなら来ないでください」

 「固いこと言わないでよ、今日は本当に参加しようと思ってたんだから」
 本当に何しに王都に来たのか。まさか食事しに来ただけということは無いだろうが。
そもそも朝議は強制ではないのだから、この人に限らず他の官僚も基本的には来ない。

 「そうですか。では、失礼します。」
 「ああ、じゃあねマルセル嬢」


 相変わらず人の話は半分も聞いていない人だと、半ば諦めながら城内へ入る。
 薄暗い通路を何かの体内に潜り込むように、職場に向かって歩き出した。



 見習いが既に業務を始めている詰所に入ると、全員がバッと一斉に立ち上がり敬礼する。
これが苦手で仕方ないが、上下は重要なので我慢して着席を促す。



 「おはようございますドイエン卿」
 少し遅れて入って来たのはアクレイア・オータムーン筆頭書記だった。


 見習いが持ち回りで行う書記業務を、昇進を断り長期で続けているという変わった青年である。

 職務に忠実でミスが少なく個人の感情が文面に乗りがちな書記と言う仕事を、
人との関係性を薄めてまで徹底している節がある。
その辺が少し共感出来て、意外と好感を持っている数少ない一人だった。

 「おはようございます。今日は少し遅いようですが何かあったのですか?」
 「あ、いえ今日は朝議が早まったので、たまたま宿舎に居た自分が呼ばれたんです」
 「……え? では今日の朝議は……」
 「ええ、もう終わりましたよ」

 王子を見失って半刻も経っていないとは思うが、そんなにすぐに終わるものだろうか。
詳細を聞きたいが、ここでは人目があるのでやはり躊躇う。


 「えっと……朝御飯はもう食べたかしら?」
 「いえ、これからです。コレを置きに来ただけで……えっと、まぁ白紙ですけど」

 議事日報を持った右手を上げ、書庫へ向かおうとした彼の袖を掴んだ。
 「い、一緒に朝食どう?」


 どよっと一斉に注がれる視線と、目を見開いて固まった書記官の表情で全てを察したが、
嘘をついてまではしたない行動に出た理由を思えば今更引き下がれない。

 「あの……えっと、ほら朝議の内容も知りたいし」
 「え、ああ、そういう事ですか、分かりました」

 一瞬驚いたような顔をして腕を降ろし平静を取り戻した彼の動きに同調するように、
なーんだ、という声が聞こえて来そうな詰所から、飛び出すように廊下に出た。

 「じ、じゃあ! 先に行ってるから!」

 背後から聞こえる分かりました、と言う騒めき混じりの声を遠ざけながら、思った。


 私が男性を誘ったとして、それが何なのか。
 浮いた話が一度も無い、そんな女だから滑稽に見えるのか。

 後ろ向きな事を考えると、切ない思いと空しさと焦りが入り混じった気持ちになる。

 
 それでもドイエン家にさえ生まれてなければ普通に恋をして子供を産んで居たのかもという、
どうしようもない思いに苛まれて、情けなくて切ない。



 これも『仕方ない』ことなのだけど。  
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