Archaic Almanac 群雄流星群

しゅーげつ

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第一部 揺動のレジナテリス

12.聖樹の翡翠 ウルシュ・シルハヴィ(U-083)

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 「うわーなにここー!」
 

 軽快に吠えるリコは、視界に広がる浄化槽の水面を見ながら飛び跳ねた。


 郊外南西の山裾には王都の生活排水を処理して、山向こうの外海へ流す為の浄水施設がある。
投棄出来る程度に処理された水は、水路と通って地下へと流れていくのだ。


 湖と呼ぶには不自然に造成された構造物は初めて見る人間、特に子供心をくすぐるのだろう。

 生産ギルドの中でも水精術師と土精術師を多く抱えるインフラギルドが管理するこの区画は、
精霊術を駆使して喉が渇いていれば我慢して飲める程度に浄化する、という役割を担っていた。
 しかし今回用があるのはここでは無い。
 
 シャンパニ疎水と呼ばれる水路が、そのまま王都を囲む山脈の地下を貫くように続いており、
地下水路が王都西部にあるシアン坑道に繋がっているからだ。


 リコを連れ、水路脇の階段を塞ぐ門を開けて降り――ようとした時、微かな違和感が走った。
そしてその正体はすぐに形となった。門の錠が外れていたからだ。

 浄水場は生産ギルド所属の公的施設で、一般人は勿論職員ですらも容易に入る事は出来ない。
例え特例で通行を許可されている官僚でも事前通達が必須となっていて、無人の区域とは言え、
誰彼構わず入れるようにはなっていない。

 そして勿論再施錠する決まりになっている。


 そもそもここを通る人間は、官僚であり、かつ西部へ近道したいという、
かなり限定された人種しかいない。自分を除いて知っている限りではエドとロタの一行だけだ。

 エドとは行動を共にすることが多いので、残る可能性としてはロタしかいないが考えづらい。
 
 どちらかと言えばルールは守る、破る時点で言い訳を用意するので施錠はする、そんな男だ。
あれこれ考えても仕方ないと、気にせずに先を進む事にした。


 頼りない天採光が弱まる煉瓦と石畳で造成された水路への階段を下りて、重い鉄扉を開くと、
奥深い細道を弱弱しく照らす水力灯と、肌寒い湿気、何とも言えない匂いが出迎えた。


 「うー……なんか臭いね」
 先人や職員の並々ならない努力を思えば言いづらい事を容易に口にしたリコは、
少し動きが鈍りながらも手すりの向こうの、ドドっと落ちる水の音が反響する――闇を覗き込んだ。


 「行こう! リコ、走るけど滑らないように、落ちたら終わりだから」

 気持ち声を張り上げ、小さな肩を押して合図する。


 「え! わ、分かった! け、けどどこにいくの!?」
 
 一から十まで説明するのは得意ではない。いっそ振り切るつもりで駆け出した。


  
  ***



 アハッアハハ、ハァ……
っと笑いとも溜息とも取れない音を出してリコが地面に座り込んだ。


 割と全力で水路を駆け抜け、道中襲い掛かって来る岩鼠や牙蝙蝠を横目にやり過ごしながら、
最後の渓流下りに至るまで、リコは期待を裏切らない能力の高さを見せた。


 中でも優秀だったのは、滑りやすい石畳みを疾走しながら、一度も転ばないバランス感覚と、
渓流を下る丸木舟――と、呼ぶには頼りない木っ端舟――から振り落とされないだけの集中力、
そして幼いながらも行動を持続する持久力、

 これら三つは一流冒険者に引けを取らないだろう。
 
 試験の第一段階は合格と言って良いが、上乗せしたくなる性分を抑えつつ洞を出た。



 王都の西、シャンパニ第一坑道の真裏側に位置する第二坑道の入山口には何人かの鉱夫と、
銀鉱石を狙う戦人達がツルハシ片手に猛っており、人を避ける為に渓谷へと逃れた。

 
 ここから先はアーブ湿地帯、アミアス大森林と難所が続く道程となる。

 湿地を北に抜ければ夕方にはアーブに辿り着くが、それでは試験にならない。
吊り橋を越え危険生物の居る森へ入り河畔でキャンプ――と、経路を再度確認する。

 危険と言ってもこの辺はLv15~Lv20帯で、今の能力値的には少々厳しいくらいでしかない。
 
 それでも脱落するなら、その程度と諦めも付く。
期待している地点は遥か先にあるのだから、命の補償は請け負うが限界まで試したい。
もしダメでも生活の術だけは整えてやればいい。


 そして栗毛の子供はと言えば、木舟でもまるで櫂のように扱っていた長弓を傍らに伏せさせ、
靴に何かを擦りつけている。対岸に見える風景を見て準備をしているのだろう。


 「これから森に入るけど……その弓は使える?」
 「いつも森で使ってるから大丈夫だよ」

 「それ以前に……その靴で平気なのか? 獣布に見えるが」
 「だからちゃんと滑らないようにしたよ。ちょいヘタれてきてるけど」

 「なら良い。ここからは全速で行くから、付いてこれなくなったら安全な場所で待ってて。
その時点で街に連れて行くから下手に動かないように」
 「よくわかんないけど、わかった」


 良く分かっていないようだが結果はすぐに出る。
狭路で動きやすい小柄な身体を持ちながら、わざわざ嵩張る長弓を持つ
無意味さを理解させて、後で矯正するのが第一目的だ。

 速射連射が効かない長弓よりも、取り回しに優れる短弓で慣れらせた方が、
将来的には絶対に有利なはずだ。
視力や身軽さ、体格を最大限に活かすなら、間違いなくメインは短弓一択――
そんな風に考えながら先導し、湿地の木橋に足を踏み入れ、


 そして数刻が過ぎた。
   

   ***
 

 双角羊が暮れに臨む頃、頭が疑問符に埋め尽くされたまま、
あれこれ推測し続けたからか、精神が削られているのを感じ始めていた。


 なんなんだコイツは。


 アーブ湿地帯はシャンパニ山脈の裾にあり湿地と言うよりは湿生草原で、
高地にありながら隣の大森林同様に木々が生い茂り、地面も相当にぬかるんでいる。

 本来は沼沢に足を取られ移動を制限される難所で、坑道へもジャギー橋を利用するしかない。
順路を無視して湿地を抜けようとするなら、相応の脚力が必要になる。


 しかしリコはそんな能力を一切使わずに湿地を突破してしまった。


 アミアス大森林は地面こそ乾いているが、獣道が連なる狭路を進む為に、
速度は湿地以上に落ちることになる。大半の新人はここで力尽き無力を痛感する――はずなのだが。

 リコは体力も気力も必要とせず楽々と突破し、まだまだ余力を残していた。


 それもそのはず、ここに至るまで殆ど走っていないのだ。



 リコの移動方法――それは、弓を使って跳躍を繰り返し樹上を足場にして、
時には飛び移り、最小限の労力で進んでいくという猿のような動きだった。


 走る事を強制した訳でも、足を濡らす事を強要した訳でも無い。
だが、弓をあんな使い方で移動に用いるなんてことを誰が想定出来るだろう。

 小柄な体格だからこそかもしれないが《跳躍》や《疾走》《軽業》を認定しても不足はないだろう。
それほどまでに森の中での技能に特化していた。

 
 丁度目的地までの中間になるミューズリバー下流の河畔に到着した時、既に日は落ちていた。



 焚火を熾し即席の葉鍋を作っている間、リコは仕留めたグラントードを剥ぎ始めた。

 人より巨大な蛙は、動きは速くないものの、突然跳躍して頭上から襲い掛かって来るという、
油断していると危険な両生系だが、それをリコは樹上から一矢で射止めてしまった。

 皮が厚く刃が通りにくい的を木矢で貫き、ひっくり返ったそれを指して言った。

 『倒してよかったんだよね?』と。


 眼前に陣取って睨みつけて来た蛙を狙撃しても問題は無いが、弧を描いて頭蓋を貫いた矢を、
倒れたトードから抜きながら発した言葉が更に頭を離れなかった。

 『目ん玉のまわりは骨がないから矢が通りやすいんだよねぇ、矢も回収しやすいし』


 この一文の中にどれ程の《森林内での戦闘歴》が含まれているのか、考えても答えが出ない。
全ては試験が終わってから――と思っていると、プルっと震えたリコが立ち上がる。


 「あー……っと、ちょいトイレ」
 白肉を刺した小枝を焚火の脇に挿して、川辺に向かおうとするリコの肩を咄嗟に捕まえた。


 「待てリコ、どこでするつもり!?」
 「え? そこの川だけど、もれちゃう」

 「い、駄目! こんな目の前……じゃない!」
 「え、下流に行けってこと? 流れるし大丈夫だよ?」

 「そうじゃない! 水源保護区に決まってるだろ!」
 「すい……? なんのこと?」


 水場から離れた所で用を足させて、食事をしながら幾つかの決まりを説明する事にしたが、
レインフォールで育ったという狩人は狩猟は一流だが、常識がすっぽり抜けている。

 「ふーん……じゃぁ残った肉は川に沈めておけばいいんだね」
 「そういう事。狩猟を生業にしている戦人は、基本的に自分用のミートタグを持っている。
タグを付けて川に沈めておけば後で回収する事も、回収屋に依頼する事も出来る」

 「持っていかれたりしないの?」
 「そういう輩も居ない訳じゃないが、盗んだ所で大した稼ぎにはならないから」

 「え? 獣が?」
 「ん?そういうのは普通《齧る》だろ? 跡も残らないなんてことはないから、すぐ解る。
逆に要らないのなら《ご自由にどうぞ》という意味で、タグを付けずに小分けに沈めておく。
だからこの森で食料に困った時は、一先ず川に出れば良いということになっている」

 「へぇ……便利だね。ウチだと食べきれない量は腐らせちゃうから全部森に撒いてたよ?
次の日行ったら美味しい所だけ食べてあって、残ってたら埋めるようにしてた」

 「そういう意味……間違ってはいない。ただそれは他に戦人が居ない環境だからであって、
アミアスは狩りの聖地だから、水を汚さない――というのは最も大事」


 「分かった! 気を付けるよ!」
 元気よく答えたリコの幼い顔が焚き火に照らされて紅潮するのを眺めながら、
言いかけて止めた事を思い起こしていた。

 狩人――戦人が多いと言う事は、悪意に晒される危険性も高いということを意味している。


 リコは狩りの獲物を掠めていくのが《獣》だと、真っ先に考えた。
しかし郊外で最も注意すべきなのは《人》だ。

 パーティーメンバーですら安全とは言えない。

 そしてそれこそが孤独な猛虎――エドが他人と組まない理由でもある。
 


 ウトウトと浮き沈みする栗毛を眺めながら、つい膝を抱えてしまうのだった。

   
  ***



 「……リコ、起きている?」

 「ふぇっ」
 小動物のような声で目覚めたリコは朝露で湿った草の付いた寝癖を掻き乱して立ち上がった。
薄っすらと靄がかった川縁に光が差し込み、水面に反射して辺りを輝かせている。


 「今からグランデルシアという宿場町まで一気に駆け抜ける。恐らく昼過ぎには着くと思う。
本当はこのままフラン湖まで下る順路だった……けど」

 必要ないだろう、という言葉を飲み込んだ理由は幾つかあったが、
一番は余計なトラブルが増える可能性があるからだ。
ここまでの行程と先刻思い出していたリコのステータスを考慮すると、
未登録のまま徘徊するより先に登録だけでもした方が良いだろう。

 ELSE――Eランクは、ただそれだけで侮られる。


 「その、町って? そこには何があるの?」
 「デルシアは私のホームタウン、小さいけど狩りに必要な施設が固まっている便利な拠点で、
特に戦人には人気で大半は一番にここを目指す事になる」

 「へぇ~ そうなんだね……って僕、その《戦人》っていうのになるの?」
 「違うのか? 王子がエドに君を預けたというのは、そういう意味だと思う」

 「さぁ? エリアスが僕に何をしてほしいのかはよく分からないんだよ。
僕はただ姉さんのお願いでエリアスの友達になろうと思っただけだし」

 「……随分とおかしな動機だが……他には何か言ってなかった?」
 「ええっと、友達じゃなくて……見習い? そう見習い! それでCランク?
になってこいって、よく分かんないけど」


 王子の指示通りの結果にはなっていたが、結局目的までは分からなかった。

 エドの話では、次の指示まで猶予はあるようだが、それがいつになるかは知らされていない。
町に着いたら居所だけは伝えた方が良いだろう。

 「王子は別にしても……他にやりたいこととか、しないといけないことはない?」
 「うーん……家に居てもよく分からない仕事をしてただけだったからなぁ……
せっかく外に出れたんだから、いろんな所に行きたいし、いろんな物を見たいかなぁ」


 遠くを見るようで、近くも見ていないような、何とも言えない表情を見せたリコに
何となく故郷で燻っていた昔の自分を重ねてしまう。

 戦人の全てを叩き込んでくれたエドガーが、リコにとっての私なのかもしれない。

 そして――私が一度は諦めた夢を託せるそんな相手が、唐突に目の前に現れた事に震える反面、



 この小さな子供の行く先も見てみたいと、偽りなく心から思うのだ。
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