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間劇 ~インタルード~
間劇 『星海の果て』
しおりを挟む星の海を渡る。
そんな比喩を耳にしたのは、いつの事だっただろう。
無量の煌めきの中で、漆黒を大海原と例えるなら――
もしくは東洋史で学んだ海より深く、此岸と彼岸を隔てる川だとすれば、
頼りない命を乗せた船は漂う流木のようなものだろうか。
オートパイロットが導く推進の向くままに、決起から幕引きまで、始まりから終わりまで、
最果ての更に果て《この世の果て》へと、緩やかに進んでいた。
入れ物は永久でも、中身は永遠ではない。
今はまだ士気が保たれている分、クルーに動揺は無いが、結末は容易に予想が出来る。
成分を保たれた通路に多めのCO2を吐き出すと、それがインターホン代わりになったのか、
プシューという無機質な排出音と共に扉がスライドした。
「よう、ブラザー」
「やぁ、ヴァン」
我らがリーダーであるグレッグ・ガーランドの低音から、微塵は動揺を感じられなかった。
士官用シルバージャンプスーツを身にまとった上官様は、航海生活ですっかり髪が伸びて、
一瞥したら女性、二度見しても中性に見えてしまう。
「こんなとこで何をしてんだ、グレン」
「暇潰しだよ。たまにはこういうのも良いと思ってね」
娯楽とは名ばかりの書庫は今や倉庫代わりになっており、雑多なムービーが入った端末と、持
書物や図鑑といった備品と私物で溢れ、整理下手なマダムのクローゼットと化している。
「けどよグレン、この辺の媒体にしたってよ、byteで持ち込めば大量に持ち込めるモンを、
なんで積載を圧迫してまでアナログで備え付けてんだ?」
グレンは読みかけの――ますます用途が解らない――《改訂版人名事典》を開いたままで、
区切りの良く思考の栞を挟もうとしているのか、少し間を置いて答えた。
「私はこういうのも嫌いでは無い。確かな物が無い生活ではそう悪くないな」
「変わってんな。それより消灯が近いから風呂入るなら早くしろてっよ。もう入ったか?」
「いや。一緒にどうだ」
風呂――長旅を想定してか、単なる福利か、リソースを割いてまで提供されている施設だ。
この船には謎が多く、風呂もその一つといえる。
「あんな狭い所に野郎二人でか!? 俺にゃそんな趣味はねぇよ」
「それは私にも無いが……」
気は乗らないが話しておきたい事もある。仕事ついで、と言い訳して付き合うことにした。
all rightと言うとcatch you latterと木霊する艦内。
あと何回聞けるだろうとペシミズムに浸食されそうになりながら、グレンを追った。
粗末、といっても足を伸ばせる程度はある浴槽に浸かり親父のように息を吐く。
天井から滴る水が水面に落ちて小さなクラウンを作る。見上げると次弾が装填されていて、
そんな何気ない現象を見ていると、なぜか《まだ生きている》と思えた。
「面倒で日置きにしてたけどよ、これはこれでアリだな」
軽く頭を洗い髪をタオルで捲し上げているグレンに『女子か』と突っ込みたいのを抑える。
鍛えられたボディに搭載されった頭部じゃなければ勘違いを起こしかねない。
「毎日でも入りたいがエネルギーを使うからな」
「ま、今更節約してどうなるって話だけどな」
水は重要だが、前代的な設備とは違いおよそ100%のリサイクルが確立している。
尿を濾過して水にする技術は昔から存在していたが、気化した水分まで集積するのだから、
科学の進歩には凄まじいものがあるが、当然再利用に電力を消費する。
動力が半永久機関だとしても無駄遣いをするような、生温い訓練は積まされていない。
数か月前の事を思い浮かべていると、折良くグレンが話題を挟んだ。
「トレセンではよく宿舎の大浴場に入ったな」
「あれこそイモ洗いだろ。あれで風呂が嫌いになったようなもんだぞ!」
候補生は百人近く居た。
各国から「かき集められた」と言っていい多業種多分野の若者は、狭い施設に押し込まれ、
ダンスフェスタよろしくにチーム分けされ、あれよ――と言う間に大海に放たれた。
いや、放り出された。
思えば全てがイレギュラーで、綿密に計画されたプロジェクトではなかった。
このチームはルート7と呼称されていたので、断定は出来ないが少なくとも他にも6艘が、
同じように星海を漂っている目算になる。
ここに風呂以外の、そして最大の――という枕詞が付く《謎》が存在する。
そもそもの任務は《探査》が主題で、事前訓練、艦内装備、遺書を書く諸々を含めた準備、
それら全ての意味がその主題に集約している。
しかし最も不可思議なのは、船の最下部――動力室の更に奥に、誰も立ち入れない格納庫、
詳細が全く分からないブラックボックスが存在することだ。
風呂や書庫、艦橋、居室、ラウンジ、トイレに至るまで全てが《館内設備》であるはずで、
にも関わらず格納庫については何も知らされていない。
倉庫の扉は厳格な権限で封鎖されており、グレンもこれまで言及したことが無かった。
知らないのか、知っていて隠しているのか、
そしてなぜ希少スペースを割いてまで隔離し、隠匿する必要があるのか。
天井に方眼を描き間取りをトレースしながら、右手で円を描く。
「EOS……か」
艦内図に小さく書かれていた小さな3文字が、脳裏に浮かび上がるのを湯煙りが薄く覆う。
考えても分からない物は分からないと浴槽を出て、シャワー席と交代した。
「ヴァン。君の意見を聞きたい」
「ん? ああ。お前はどう思ってる?」
不意に投げかけられた問いに聞き返したが沈黙に居た堪れなくなり、諦めて答えた。
「この旅は……もうすぐ終わるだろ」
レバーを倒し排出される湯圧を額で受け、頭から不安を刮ぎ落とすように荒く掻き回す。
「私も同意見だ」
トレセン時代から幾度となく意見を交わし、時に戦わせたことが信頼を育んだと言えるが、
結末に関しては一つの齟齬も無く、不可避の事実という結論に至った。
洗顔を顎に塗りたくり髭を剃りながら目を閉じて、バッドなマルチエンドを思い浮かべる。
「統制されし衰弱……もしくは凄惨なる内紛、ってとこだろうな、タイトルで言えば」
「是非、前者で頼む」
「そうだな。今更取り乱す奴も仲間には居ないと思うが……アレからもう1週間にもなる。
水やエアは循環維持出来るにしても……ハッキリした方がいい」
「ディナータイムに、ワインでも傾けてget togetherと洒落込むか」
不意な台詞に剃刀を持つ右手が急制動で停止させられる。
薄目を開くと、真顔でグラスを傾けるような仕草をしている男がそこに居た。
「はっ お前でも冗談言うんだな。ただジョークならもう少し笑った方がいいぞ」
ヴィンテージでもあれば最後の晩餐が出来たのかもしれないが、酒や煙草は持ち込み禁止、
私物も限定されており、気軽に気晴らしも出来ない。
お陰で禁煙が出来たと皮肉交じりに吹いていたが、今度は体型維持に苦労する事になった。
まぁ今更気に掛ける事もないのだが。
そんな風に雑に洗う癖毛とリンクするかのように、思考が四方八方へと流されて行くのを、
口角相手に苦戦しているグレンがサルベージした。
「ヴァン……君はこのような事態になった理由をどう考える?」
脳内でこれまでの旅路を投影しながら、浴槽に浸かる。
濡れた顎を擦りながら、熟考して慎重に言葉を選んだ。
「そうだな……やっぱあの小惑星だろ」
「君もそう思うか」
「あれに引っ張られてコースを外れたとしか思えない。衝撃は無かったが嫌な予感はした。
コースがマイクロでもナノピコでもずれりゃ、最終的な誤差は最早誤差じゃないだろ」
「最初から生きて戻れるミッションじゃない、分厚い誓約書を書かされた上でのトライだ。
皆が覚悟は出来ていると信じる、が――」
グレンの真摯な眼差しから、現実から、少しでも目を背けたくて剃り残しを刈った。
「無駄死には御免だな……パンドラの箱に何が入ってたのか、それくらいは知りたかった。
それが『ハズレ』でもな」
意図的に中身の二文字をすり替えて、立ち上がる。
不意に頭のタオルを外したグレンの、流れるような金髪が浴槽にミルキーウェイを描いた。
「その通りだ。彼らの努力に報いるだけの、確かな結果を示してやりたい」
「……そうだな」
普段よりも長湯になりながら、相棒と意見を交わす。
どうにかして、この絶望的な状況を回避出来ないかを探し、それから意味を求めた。
そして結局の所、どうにもならないという事を二人で再確認しただけだった。
***
資材庫とキッチンが一体となっているリビングで、極少量の食事を終えた勇敢なクルー達、
7名はブリーフィング早々一様に口をつぐむ。
彼等なりに保っていた士気という最後の希望を断ち切られたような、
脱力や諦観といった、困難に向かう勇者にそぐわない面持ちをしていた。
最奥に座るグレンは、右隣で手を組んで顎を弄ぶヴァンを見た。
ヴァンは思案気に、正面に並ぶ揃いの女性三人を、順に視線でなぞる。
ヴァンの正面に、伏し目がちに繊細な肩を落とし消沈する女性はセシリア・ノルドランド。
セシルと称される淑女は清流のような髪を垂らし眦に触れた。
その隣、小柄で白銀に近いボブカットが知的な印象を与えるヒルデガルト・クヴァンツは、
自らが噛み苛んだ不格好な爪先を擦り合わせ、その一点を凝視している。
隣には長い船内生活で腰まで伸びた赤毛のウェイビーヘアのせいで一層と妖艶さを増した、
アデーレ・シェルヴィーノが憮然と顔を背け抵抗の意思を何処かへ投げている。
この三名がチームの頭脳担当で、各々が多方面での幅広い知識を有している。
彼女達は、過去類を見ないプロジェクトNO《Ne-Orion》計画に基づき招聘されたという、
終末世界においての各分野の権威である。
しかし不可思議だったのは、科学や物理のみならず農学・鉱石学・生物という専門分野や、
使い所の考えられないキャリアをも、選考において重視した点にある。
ヴァンの左隣で微動だにしないのが、こちらも風貌が激変しているライオネル・アーロン。
癖のある髪と顎髭がやがて繋がり名前負けしない程の見事な《ライオンヘア》になっていた。
軍歴でのグレンの部下に当たり、無口男の褐色の肉体は筋骨隆々としてレスラーのようだ。
ただ同様に社交的とは言えないグレンとは反りが合わないようである。
ライオンの巨躯の左で長いポニーテイルが棚引いているのが、ケンショウ・ヤマト。
オリエントな風貌をした彼は、剣術いう現代では骨董品のような技術で選考されたという。
最年長ということもあり、曲者揃いの中で潤滑油のような役割を果たしていた。
以上――総勢7名、一癖も二癖もあるルート7の精鋭達が、
思考も感情も衝動も停止させ、
沈黙というバッドステータスを与えられるに至った経緯は、ほんの5分前に遡る。
***
「皆、そのままで聞いてくれ」
食事を終えたクルーに対して、片づける間も無くグレンが切り出した。
「本船は大きくコースを外れ漂流しているようだ。元から確かな航路もないミッションだ。
修正する手段は――無いだろう」
覚悟はしていたが、事実の再確認は予想以上に衝撃が大きかったようで、全員が硬直する。
予測通りに招いた沈黙を、ボスからのアイサインで促されるようにヴァンが解す。
「原因は、恐らくだがアンノウンとのニアミスだろうな。報告を受けて駆けつけた時には、
既に逃れられる状況じゃ無かった」
ヒルダが肩を震わせるのを見て察し、トーンを落とし続けた。
「まぁ……あれだ、俺等は海図も持たずに大海原を進んでいる舟のようなもんだったんだ、
アクシデントに見舞われても、それは誰の責任でもない――そうだろ?」
「だな」
即応したのはケンだった。
二度小さく頷いたヴァンの手綱をグレンが引き取る。
「原因を問うても無意味だ。今は議論すべきだと考える。残された時間で何を――」
「――もう……どうにもならないんでしょうか」
グレンの総括に、消え入りそうな声でセシルが前提を滑りこませた。
「ヴァンと共にあらゆる手段を模索したが、有効な方策は思い浮かばなかった」
それが呼び水となったのか、セシルの両目が潤んで儚い輝きを見せる。
「ここに至り道は二つしかないと考える。
一つは今まで通り変わらずに船内の活動を行い、粛々と終わりの時を迎える」
自らの意思に反した選択を言い澱むグレンの後を、ヴァンが引き取った。
「もう一つは……限界まで粘って、希望を残す――ってやつだ」
「冗談でしょ? 足掻いて何になんの。
明日死ぬか、1週間後死ぬかってだけの違いなら、楽な方が良いに決まってんでしょ」
「私も……苦しいのは……」
アデーレの湿った声に釣られ、ついに落涙したセシルが両手で顔を抑えて机に伏した。
二人の意見を聞いてケンが極めて平静に、それでいて諦めを含んだ語尾を添える。
「精神論じゃねぇが、最期くらいは潔くありたい……とは思う」
「……命令には、従おう」
返答を待つヴァンの視線に促された大男は組まれた腕を微動だにせず、瞑目した。
ヴァンは薄く笑って、俯いたまま顔を上げられない小さな頭を見て優しく問いかける。
「ヒルダ、君の意見も聞きたい」
「私は……私のせいでみんなを……」
自らで追い詰めて噛み続けたのだろう、不揃いな爪先を握りこんだヒルダが逡巡する。
各々の途切れ途切れの決意の言葉が、もどかしい時間を無様に刻む。
「君の責任じゃない。誰が監視していても同じ結果になったはずだ」
「でも……でも……私が」
その続きは発せられる事は無く、永遠とも思える5分が流れた――
その間、ヴァンにも思う所はあったが、どう言葉として伝えるか、
どう皆に気力を与えるか、それに意味があるのか、自身でももう解らなかった。
「……遥か昔の話なんだが、ある船が大海を横断した時の事だ。
海図も持たず海峡を抜け、目算も無く指標もない凪いだ未知の海域に繰り出した。
鼠や虫を食べて飢えを凌いだそうだ。当然犠牲も出たし反乱もあったんだろう。
だが……数か月を過ぎた頃、小さな島に漂着した」
一堂が、何を――といった顔をしたが、他に聞くべき話もなく清聴した。
「彼等の多くは過酷な状況を伝えられていない、端っから内紛を抱えた船員だったからな、
血生臭い話も多かったが。俺たちには目的があり、何より強い意志がある」
グラスから水を一口含んで、渇きを潤して、言葉で一歩踏み出した。
「どうだ? 希望を……もう少し俺達みんなで追ってみないか?」
「耐えて、飢えて……それで何があるっていうのよ?」
数名の気持ちを代弁するかのようにアデーレが吐き捨てた。
「俺たちは、チケットが片道分しかない事を知っていたはずだ。知っていてここまで来た。
なぜだ?荒廃した俺達の故郷に、何かしらの希望を……伝えたかったからじゃないのか?
万が一……億が一、海の底から一粒のダイヤを探すよりも希少な可能性かもしれない――」
「――けどよ! 俺達が、今ここで決断に迫られている事の意味が、きっとあるはずだ!」
「迫られる意味……」
グレンが意味深に繰り返す。
天秤が左右に傾き揺蕩うように、誰からともなく他の言葉を、皆が待っているようだった。
諦めたい訳ではないのだろう、続ける為の確かな理由が欲しかっただけなのかもしれない。
「……やって見るか?」
「そう……ですね。どうせ結果は同じでも……後悔はしたくないもの」
「まぁ、諦めが良い方では無いけどさ」
ケンが、セシルが、アデーレが触発されるように、それでいて少しずつだが意思を紡いだ。
ヴァンが振り向き、瞑目して了を表すライオネルと、口角を上げるケンを視界に捉える。
小さくサムズアップすると、俯いて涙を溜めるヒルダの後ろに立ち小さな肩に手を置いて、
最期の鼓舞を投げかける。
「泣いてる暇はないぞ、賭けに勝った時は、君の知識が一番必要になるんだからな」
そして、無言で頷いた小さな頭をポンと一つ撫でて、目配せでバトンをグレンへ返した。
「皆の思いは解った。本船はこれより削減領域を最大に引き上げ管理はヴァンに一任する。
生命維持の為に水分だけは取るように。以上!」
「Yes Sir!」
涙交じりに全員が呼応する。
「そして君達に誓おう。もし最後が訪れる時は――私が全ての責を負い、担う事を」
重く硬い決意の言葉に、畏怖と安堵が入り混じり、溶けて心を支配する。
ここにいる誰しもが人柱として立ち上がった者達で、自らを諦める事など出来はしない。
その言葉は迷い無き最期の保証であり――
その業をリーダーが自ら背負うという苛烈な決意と、今生の約束だった。
***
各々が居室エリアに戻り、ラウンジにグレンとヴァンの二人が残った。
少しの静寂の後、示し合わせた訳でも無く無言でラウンジを後にする。
船内は非常電源モードに切り替わっており、オレンジの非常灯と計器の小さな灯火だけが、
薄っすらと互いを照らしていた。
「ヴァン、すまない。説得を全て任せてしまったな。
ああいう言い方は、私には出来ない。君がサブで良かった」
「あ、あぁ?……ほめても何も出ないぞ?
それにだ――俺に出来ない事はお前が出来る、そういうもんだろ」
「そうだな……だが本当に厳しいのはこれからだ。
君にはただ時を待つよりも辛い役目を、結果的に押し付けたかもしれない」
リーダーが反感を買えば、結末は最も悲惨な事になる。
しかしサブであればリーダーが処断して事なきを得る事も可能だと以心していた。
その上での決断だった。
「誰かが憎まれ役を買う必要があるなら、それは俺しか居ないだろ」
ヴァンの差し出した拳を、力強くグレンが小突く。
二人の悲壮な覚悟が、ゴッという音と互いの痛みを伴って静寂の中に鳴り響いた。
***
食料が完全に無くなるまでに一か月。
水だけで命を繋ぎ始めて更に一か月。
クルーは一様に言葉が減り、一堂に会する事も無くなった。
その必要が無くなった事もあるが、骨が浮き上がってくる姿を特に女性は晒したくないと、
各々の居室に篭る事が多くなった。
男性陣ですらも、少しでも体力消費を抑えようとベッドに横たわるようになった。
元は長い教練課程を乗り越えた訓練生である。
余計な蓄えを肉体に施して居なかった為に、不幸にも筋肉が燃やされる機会が
予想以上に早く訪れた。そしてそれは男性ほど顕著だった。
気力だけで乗り越えた漂流生活は、具現化する死神の鎌で、
終わりを告げようとしていると――誰しもが感じていた。
***
更に1週間が過ぎた。
***
***
そして、日にちを数えるのを止めた。
***
***
グレンは朦朧とした意識で考えた。最後の仕事の時が訪れたのだと。
ヴァンは夢幻の狭間で故郷の山と、美しい湖を思い浮かべて微笑む。
二人は別種の覚悟を携え、最期を仲間と過ごそうと、どちらともなく皆を招集した。
時間や習慣を意識しなくなって随分立つが、
最期の時は《晩餐》で迎えたいということで、《19:00》を集合時間とした。
時刻――価値を失って久しい4桁は、
刻々と増していくアラビア数字と反対の意味合いを、強烈に匂わせる。
一人、二人と集まり始めたが、誰も彼も衰弱していた。
もう自身の姿を長らく鏡に映していない者が殆どだろう。
忍び寄る物を認識したくないことよりも、
醜くなる自分を自覚したくないという気持ちを、誰しも持っていた。
そして今こうして集い、互いに眼前に座る仲間の姿を写し鏡にして、
逃れえぬ終末を悟り、待ち望んだ終焉を誰しもが願わずには居られなかった。
「ありがとう。言いたい事は山ほどあるが、それだけ伝えられれば、俺は充分だ」
ヴァンが深々と頭を下げると、様々な無言のリアクションが痛い程に思いを伝えて来たが、
誰も恨みの目を向けた者は居なかった。
「私からも言わせてくれ。このメンバー全員で旅が出来て、
最期まで戦えて、良かった――心から感謝し誇りに思う」
仰々しく、それでいて真に迫った言葉をグレンがかけると啜り泣きが静寂に流れた。
「まだ……出るんですね……」
セシルが涙雫を微笑みで隠す。
「もう……良いんでしょ?」
流れ落ちるのを堪えようとせず零すアデーレは、グレンの小さく静かな頷きをスイッチに、
堰を切ったように号泣した。
覚悟を決めて微動だにしないリオンとケンとは対照的に、スッと立ち上がり音もなく歩き、
監視モニターの前に座るヒルダの動静に視点が凝集される。
一同が彼女の覚悟の瞬間を待った。
ほんの1分弱――グレンがヴァンの目を見る。
引鉄の一旦を共に担う事を願い、互いの意志が疎通する、その時まで。
静かで長く、緩やかで、残酷な時が流れた。
そして、ヴァンがゆっくりと口を開こうとした……その時。
「あ……」
一点を凝視して呟くヒルダの前には、漆黒のパネル――正確には煌めきを散りばめた黒――
他には何もない。
しかし何かしらの動きがあった以上、どうであれ精査して決断を出す責任がある。
グレンは、ゆっくり歩いてヒルダの後ろに立ち、監視モニターを見た。
「……」
「……どうした?」
腰を浮かせ、次の挙動に備えるヴァンに対してグレンが応じた。
「ヴァン、来てくれ」
ヴァンも次いで、ヒルダを中心に左翼に立った。
闇に吸い込まれるようにモニターを凝視するヴァンの顔に、怪訝の二文字が浮かぶ。
「……?」
3人、6つの眼球には、広がる星空の一点に、真に漆黒の同心円が映り込んでいる。
「セシル――すまん、ちょっと見てくれ」
セシルは小声で返し立ち上がろうとするが、余力が残されて居ないのかよろめく。
ケンが腰を上げるが、すかさずヴァンが手助けをしに戻るのを見て再度下ろした。
ヴァンが肩を貸しセシルをモニターまで随伴する。
「あれは……なんだ? ブラックホールか?」
セシルの到着を待って、グレンが問いかける。
「そのように見えますが……私は違うと思います」
ありがとう、と小さく謝辞を述べて、ヴァンの肩から腕を下ろし、
椅子を支えに手をついてセシルが続けた。
「ブラックホールにしては……シュヴァルツシルト面が存在していないように見えますし、
かなり小さいと思います。ですが……そのような物が本当にモニターに投影されるのかも――
あれが本当にあそこに存在するのか、それすら私には判断出来ません……」
ヴァンは思案気にヒルダを見た。
「ヒルダ、もしもあれが何かしらの物だとして、モニターに認識できるという事はあるか?
君の専門的視点から聞きたい」
「……分かりません。ただ……Corp-sonerは受け身だから……
距離を判断する為の宇宙線を、あの暗闇が……遮っているのかも」
たどたどしく間違わないように語句を選ぶヒルダを、誰も追及しようとはせず、
ただ一人、ヴァンだけが判断を引き取った。
「なるほど……要するに、少なくとも《あれ》が《そこ》に《ある》というのは《事実》で、
それは割と確かなんだな?」
強調した言葉の意図を計りかねたように、ヒルダが目を伏せた。
ヴァンは操縦席に座り、胸の小さなポケットに指を滑りこませ一本の金属板を引き出すと、
薄いメタリックブルーのそれを眼前のスロットに挿した。
意図を察したグレンは今しがた語られた言葉に、一つの救いを見出した。
《闇》が一同が感じている刹那の希望の証などではなく、より酷な事実の標であることは、
現実主義のグレンには明らかに思えた。
グレンは数週間前のヴァンに報いるように、今度は自らが彼等に先を差し示す。
「では、あれに飛び込んだらどうなる?」
「それは……恐らく……いえ、あれが何か解らない以上、確かな事は何も……」
言い澱む肩に、ヴァンがそっと手を置いて続きを促す。
セシルは諦めたような顔を伏せて、答えた。
「……中心……あるいは、外向きに引っ張られ……」
辛そうに言葉を絞り出すセシルに、ありがとう、とヴァンがタップして制止した。
素人でも解る事だった。
グレンは専門知識を持つ者の、最終判断を仰いでおきたかっただけなのだろう。
それを理解していたからこそ、ヴァンは残酷な結末の言語化を強要しなかった。
「諸君、これは天恵だ!」
今までに一度も聞いた事のないような声量で、グレンが皆に弔辞を述べる。
「我々は誰も……仲間を互いに手にかける事なく、この旅を終えられる!
長い道の果て、辿り着いた結末が、意味のあったものかどうかは解らないが――
私は、君達を誇りに思う!」
皆が、沈痛でそれでいて安堵を含んだ面持ちで、その時を迎える為に席に着き、伏した。
そこからはもう、嗚咽や啜り泣きを飲み込む以外の音を、誰一人発さなかった。
言わなくても気持ちは痛い程伝わって、言いたいことは訴えかける事が出来た。
7つの命は、いま始めて一つの道標に向かって、一体と化した。
大海を漂う小舟は、あえて自ら大渦に巻き込まれんと、
自動操縦という舵を小さく切り、
真っ直ぐで、それでいて緩やかに、最果ての虚無へ直進していった。
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