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第三部 崩墜のオブリガード
45.驟雨に紛れた契機
しおりを挟むクロエが港湾の商会倉庫に忍び込んだ空夜。
クロスキャンプのワークショップに腰を下ろし、鎌の刃を端切れで入念に擦るバスターは、
膝を抱えて夜空を見上げるグロリアに目をやった。
「どうしたお嬢? 眠れないのか?」
「……え? っと……そう……なんですかね?」
「話したい事でもあるなら一杯やりにいくか?」
「そうですね……いえ、今日は止めておきます。明日も早いですし」
リコとクロエを見送ってからずっと沈んでいたグロリアに、バスターは何も聞かなかった。
口数が少なくなった彼女を慮り、一旦別行動を取ったバスターが所用を済ませて戻った時と、
殆ど変わらない姿勢で同じ表情で座っていたからだ。
「なんだ? リコ達が心配か?」
「え……っと。それは……そうですね。まだ子供ですし……」
「王子と再会出来れば大丈夫だろ。つか、どうも心配の種はそっちじゃないみたいだな」
バスターの言葉に平静を装ったグロリアは言葉を詰まらせ俯く。
「兄さんの事だろ? 名前は……パストルだったか」
「……ええ」
「お嬢が寝た後に少し話をしたんだがな……兄さんも分かっちゃいるみたいじゃねぇか?
それでも断れない理由って奴があるんだろうよ」
「ええ、それは私も頭では分かってはいるんです。彼が無理に戦人を続けようとするのも、
元は仲間の為でもありますから……」
「ん? 家を継がずに戦人を続けてるのは兄さんの望みじゃないのか?」
「勿論パット自身の意思ではありますが、一番の理由はディアナ……仲間の昇格の為です。
他の二人は彼の幼馴染ですが、二人を誘って戦人にしたのはパットなんです」
「つまりランクアップの為だけに無理な依頼をこなしてるってのか?」
「ええ……高ランクの依頼をこなして実績と経験を積む為です」
「難度と経験は比例しないだろ。秤にかけるべきはリスクじゃねぇか?」
「ええ、私も……そう思います。確かに貴族依頼を多くこなせば直接指名が増えますから、
実戦は積みやすくなります。割りの良い護衛や警備も優先して回して貰えるでしょう」
「力量を無視した背伸びは命取りだぞ? 結局は能力次第なんだしよ」
「そうです……ディアナには才能がありますから、急がなくても……」
「まぁ、そういう事情もあるんだろうが……結局は《逃げられない》んじゃねぇか」
バスターは昨夜のパストルとの会話を思い出しながら刃線の艶を月に照らした。
「えっと……逃げられないというのは? 家の事でしょうか?」
「それもあるだろうけどな。貴族のしがらみってのは俺なんかにゃ到底理解出来ないが……
お嬢も理由の一つじゃねぇのか?」
「え? 私ですか?」
「お嬢の家はセバールの領主だろ。グレンデス領の貴族で、領主のセザール・グレンデスは
イベリスの領主とベッタリだって話じゃねぇか。つまりそういう事だろ」
「それは……断ったら私の家にも害が、ということでしょうか?」
「まぁ、これは俺の推測でしかないが、俺にお嬢の護衛を頼んで来たのは親父さんだぞ」
「え! 父がそんな事を!?」
「つっても、リコとクロエを送るところまで付き合うつもりだったからな、事のついでだ。
とはいえ素性の分からない戦人に任せるより護衛を付けた方が早いと思わないか?」
「そ、それは……」
「何なら、あの底が知れない執事に後を付けさせりゃ早いだろ」
「セバスチャンですか? あの方は昔から居るただの執事長ですが……」
「ん……まぁ要するに表立って動けないんだろ」
「つまり……パットは私の立場を守る為に依頼を無理に受けたと……?」
「理由の一つ、それも推測つったろ? 実際の所は分かんねぇよ」
「そ、そんな……私が足を引っ張ってたなんて」
「仲間ってそういうもんじゃねぇのか? 言えなかったってのも分からなくないぞ」
「言ってくれなきゃ……分かりませんよ」
膝に顔を埋めるグロリアを見て、バスターは溜息交じりに鎌尻から伸びる鎖を旋回させる。
「まぁ、そりゃそうだな。とにかく俺としては危険を感じたら逃げろとしか言えなかった。
判断を間違えねぇでくれたらいいが……」
「あの……さっきから気になってたんですが、その鎖何ですか?」
「聞くのおせえよ……敢えて放置してんのかと思ったぞ」
「色々考え事してましたから……気づいたのもバスターさんが戻って大分経ってからです。
鍛冶屋に行ってたんですか?」
「ああ、ちょっと思いついた事があってな。柄尻に鎖を付けてもらったんだよ」
ジャラジャラと軽快な音を立てる鎖を柄巻き付けて、見せた尖端には分銅が付いている。
プラプラと左右に振りながら、バスターは宙に浮かせた分銅を握った。
「覚えてるか? ベルデで投擲槍を使ってた三人組の。
アレを見てピーンと来たんだよな。鎌に付けても便利なんじゃねぇかってな」
「けどあれって……槍を回収する為ですよね? 投げるんですか? 鎌を?」
「んな訳ねぇだろ。使い方は色々あるが……鎌は斬ってなんぼだし大きく左右に振ったり、
後は腕に巻き付けて盾替わりに使えるかと思ってな」
「それって……どうなんですかね。危なく無いんですか?」
「まぁ当分は訓練が必要だろうな。息が合わない仲間だと巻き込んじまうかも知れねぇし、
斬撃が防げるかも試さないと、本番で鎖ごと切られちゃ意味ねぇからな」
「そうですね……けどこれって射程が伸びそうですよね」
「おう。お嬢がリッツでケーンの先に金具付けてたが、あれって距離を延ばす為だろ?」
「はい! 引っかかりが無いとスルッと抜けちゃって届かない事があるので」
そう言ってグロリアは少し嬉しそうに、ケーンの先に嵌めたアタッチメントを見せる。
「発想が面白いなって、あん時思わず声をかけちまったんだよ。
それが何の因果か知らんが今じゃこんなとこまで来ちまって……お互い分かんねぇもんだな」
「本当ですね……リコちゃんとクロエちゃんと……色々ありましたね」
「そうだな……って、お嬢はスロワーヒーラーだったよな?
ベルデじゃリコの世話で動けなかったが、実際の所どうやって回復するんだ?」
「ポーチの中に幾つか《ボーラ》が入ってるんですが……これ、見た事ありますか?」
グロリアがポーチから出した小さな玉を受け取り、バスターは弾力を確かめるに軽く握る。
「……なんだこりゃ? 動物の腸か何かか?」
「詳しくは知りませんが……確か膀胱だと思います。中にポーションが入ってるんです」
「膀胱……こ、これをまさか――」
「――はい、投擲でぶつけます!」
やっとニッコリ笑ったグロリアをバスターは道中で初めて冷めた目で見た。
「お嬢……これって、仲間は嫌がらなかったのか?」
「ちゃ、ちゃんと綺麗に洗ってると思いますし汚くないですよ!」
「そりゃそうだろうけどよ……気分的に……どうなんだ? けど……射程は長いのかこれ」
「そうなんです。普通は前衛が下がって治療するんですが、これなら下がらずに済みます」
「なるほどな。素材に目を瞑りゃ確かに便利そうではあるな」
「ですです。他にも色々あるんですよ。解毒、覚醒、止血……
塗布薬剤にしか使えないのが難点ですが。
経口薬や詠唱が必要な重症は従来通り下がって貰って治療します」
「っはー。近頃のヒーラーには色々スタイルがあるんだな。けどこのボーラってのはよ……
要するに投紐の応用だよな? だったらケーンで投げるより……」
この時バスターが出した案が実現するのは、随分先の事になるのだった。
***
「降ってきましたね……今思うと初めての雨じゃないですか?」
「だな。リコかクロエが《サンブリンガー》だったのかも知んねぇな」
「だとしたらリコちゃんですかね。太陽みたいな子でしたから」
「けどアイツって確か……」
首を傾げたバスターの頭頂部に溜まった水滴が頭皮を滑り落ちる。
ベルピコス公園はドリードの北東に位置する樹林で、
計画的に植林された木材の産地として知られている。
バスターとグロリアがこの地を訪れたのは――彼の日の昼下がりだった。
クロスビレッジで馬を借り、悪党が消えたベルデ林道を駆け抜け、
ドリードに着いた二人は、真っ先に材木商の元へと急いだ。
バスターの旅の目的がやっと果たされる時が来たと思いきや、
予算と材種の選定の為に見学を勧められ――現地に至ると言う訳である。
「それで……どのような木材が必要なんでしょうか? 場所はオクシテーヌですよね?」
「そうだな……急に人が増えたもんで、とりあえず長屋でも小屋でも建てば充分なんだが、
あっちも虫が多いからな……オークやエルムじゃちょっと不安でよ」
「アッシュとかどうでしょうか? 虫に強めで丈夫と聞きますが?」
「アッシュか……腐りやすいって聞くがどうなんだろうな。
雨はそう多くないが……理想はヘーゼルなんだが、ちょっと値が張るのがな」
「中々難しいですね……そういえばオクシテーヌも緑豊かな場所だそうですが、
あちらでは丁度よい木材は手に入らないんでしょうか?」
「あー……お嬢には話した事無かったか。北オクシのフォートレル領ってのはな、
果樹園が有名なんだが、過剰な森林保護で揉めてるとこなんだよ。
知ってっかあそこのギルドホール? わざわざデカい大樹の樹洞に建ててんだぜ?
伐採すなわち悪みたいな土地なんだよ」
「そ、それは中々凄い所ですね……領主の考えなんですか?」
「どうなんだろうな。領主も困惑してるって話を聞いた事はあるが、なんせ俺も久々でな。
クロスビレッジだのパルベスで買い付けるより、結局ドリードの方が割安って話なんだよ」
「それでエスパニまでいらしたんですね……それでは一度ドリードに戻って――」
グロリアの言葉を遮ったのは、バスターではなく数多の鳥達が飛び立つ音だった。
木陰で休めていた羽に鞭打ってまで雨を裂いた小さな影は、四方へ追われるように散った。
「……なんだ? なんかあったか?」
「なんでしょう? 雨音しか聞こえませんが……とにかく一度戻りましょう」
雨脚が強くなる中、二人は街道を迂回してタミル洞へと向かって歩いた。
「この辺りまで来ると余り建築向きの木が生えていませんね」
「材木商が言ってた立入禁止区域が近いんじゃなかったか? タミル洞だっけか……」
「ちょうどその裏辺りになりますかね、この辺りは……あれ?」
グロリアがふと気づいて指差した先には、何かしら人の手が入った後があった。
先行したグロリアの後ろを左右確認しながらバスターが追う。雨は一層強さを増していた。
「……何でしょうかこれ? どうしてこんな所に……」
「ん? ああ、こりゃ野営の跡だな。焚き木の痕が残ってるだろ。
それに……テントの跡が一つ……二つ……三つか、
パーティーにしては少し多いな。十人くらい居たぞこりゃ」
「いえ、そうではなくて……ここは管理公園ですよね? それもタミル洞の裏手ですし」
「……そうか。戦人がこんな場所で野営するはずがない……盗賊の類にしても目的が謎だ。
この辺にゃドリードと、それこそ《木》しかないからな」
「ええ……あれ? バスターさん、ここ見て下さい」
グロリアがケーンの柄で左右に示したのは、焚き木の跡だった。
「焚き木がどうかしたかお嬢?」
「燃え方が……変じゃないですか? 地面を見て下さい」
「……確かに組み木してない所まで燃えてんな。なんか火精術でも盛大に使ったみてぇな」
「変ですよね……これって一応報告した方が良いんでしょうか?」
「どうかな。ドリード領の事だし、流石に領主は知ってんじゃねぇか?
違和感がある程、トラブルに巻き込まれそうな気がスゲェ」
「そうですね……セザール様が私の話を聞くとも思えませんし、そっとしておきますか」
「だな。俺らにもやる事はまだまだある。それにお嬢を早く送ってやらないとだ」
「えっと……私はそんなに急いでいませんけど」
「そうはいかねぇだろ。早く親父さんを安心させてやらないと。喧嘩別れしてんだろ?」
「それを言いますか……意地悪ですねバスターさん」
「それなりの間、一緒に旅して知ったけどよ、お嬢はお嬢で少し意地っ張りな所があるな。
素直になった方が良いと思うぞ? みんなアンタを思っての事なんだしよ」
「……耳が痛いです」
「ハハハ、すまねぇな。じゃぁとっととドリードへ帰ろうや。ずぶ濡れだ」
「早く帰って身体拭きたいです……」
旅の間ですっかり打ち解けたバスターとグロリアは、軽口を叩きながら旅の終わりを憂いた。
しかし、彼等の苦難はまだ続くのだということを、
止まない雨が教えているかのようだった。
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