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50 還らざる索敵機
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赤城から南雲忠一中将以下一航艦司令部が第十戦隊旗艦・軽巡長良に移乗を決意したのは、赤城被弾から二十分ほどが過ぎた〇七四六時のことであった。
船体前部で発生した火災は、延焼は防げているものの未だ鎮火の見込みが立っていなかった。
爆風によって前部飛行甲板はめくれ上がり、後部飛行甲板の破孔からは折れ曲がった鉄骨が空へと伸びている。
医務室には次々と負傷者が運び込まれ、入りきらない負傷者が通路にまで溢れていた。火傷を治療するための肝油と負傷者から流れ出た血で床はぬめり、さらに消火のための海水まで流れ込んで艦内通路の一部は血の川が流れているような凄惨な有り様であった。
全身火傷を負った兵士がうわごとを呟きながら絶命し、比較的軽傷に見えた者も火傷のために次々と呼吸困難に陥っていく。
機関室が無事であったため、海水を放つ消火ポンプは電源を失うことなく正常に作動していた。また、セイロン沖海戦での損傷を修理する際、それまで赤城に装備されていなかった、いわゆる煙突部の“海水シャワー”と消火ホースを接続出来る設備を追加していたため、これが功を奏した部分もあった。
何とか、赤城の火災は消火出来るだろう。青木艦長も含め、艦橋の誰もがそう思っていた矢先のことであった。
〇七四二時、赤城はより深刻な事態に見舞われることとなった。
艦尾付近への至近弾の影響で若干の浸水が発生していたのだが、その浸水が拡大して左舷の舵機が操舵不能となってしまったのである。
赤城の舵の形式は、「並列二枚釣合舵」。同じ大きさの舵が、左右で二枚、並列に並んでいる形式である。推進軸の数は四。
この時、赤城は消火のために風下に向かって航行していた。前部甲板での火災の消火を容易とするためである。彼女は舵を中央に固定したまま、身動きが取れなくなってしまったのだ。
一航艦司令部の長良移乗も、こうしたことが影響している。
南雲中将以下の者たちが長良に移乗した時点において、艦隊全体の指揮は栗田健男中将が執っており、航空戦については山口多聞少将が担っていた。
一航艦残余の艦艇は、山口少将の攻撃命令とそれを支援するために艦隊陣形の立て直しを図る栗田中将の命令によって、すでに新たな行動を開始していた。
そこに、長良は航続することとなったのである。
「まだ、戦闘は終わっておりません」
長良移乗後も、航空甲参謀の源田実は意気軒昂であった。
「こちらはすでに三隻の米空母を撃沈しております。たとえ、米空母に安否不明のレキシントンが加わっていたとしても、最大で五隻。その内三隻を撃沈し、こちらは未だ飛龍と五航戦が健在です。今朝より見た米軍搭乗員の稚拙な技量から考えまして、まだ十分な勝機はあるものと考えます」
「そうだな」
赤城の損傷は深刻ではあったが、沈没に至るような状況ではなさそうである。加賀と蒼龍も飛行甲板を破壊されただけである以上、沈没の危険性は小さいだろう。
だから南雲もまだ、精神的に余裕を持つことが出来た。
「とはいえ、ここからの航空戦を指揮するのは、我々ではないようだが」
空母から旗艦を軽巡に移した時点で、そして山口少将が独断で行動を始めてしまったことで、一航艦司令部に出来ることは限られている。
今は栗田中将のように、一航艦司令部も航空戦の指揮を執ろうとしている山口少将を支援すべきだろう。
「ひとまず、第三戦隊司令部に対して、赤城の曳航を命じよう」
左舷側の舵機を故障した赤城は、自由な行動が利かなくなりつつある。これを、何とか内地まで回航しなければならなかった。
それは、一航艦を預かる者の責務だろう。
巡洋戦艦改造の赤城の基準排水量は三万六五〇〇トン。それなりの艦でなければ曳航は難しい。
そしてもし、この海戦が明日以降までもつれ込むようであれば……。
南雲は夜戦にて決着をつける決意を固めつつあった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
菅野兼蔵飛曹長機は一時間以上にわたって米空母部隊との接触を維持した後、母艦へと帰投するために引き返していた。
すでに母艦を飛び立ってから三時間以上の時間が経過している。時刻は、〇九三〇時(現地時間:一二三〇時)過ぎ。
わずか十九歳の偵察員・岸田清次郎二飛曹は、一航艦の被害を知らせる通信を受信していた。そのため機内には、米空母に対する敵愾心と、自らの母艦が無事であるかどうかを案ずる気持ちの入り混じる雰囲気が流れていた。
索敵任務を果たしながらどこか晴れない気分を抱いていた三人の搭乗員の前に、味方航空機の大編隊が現れたのは、そんな時であった。
操縦員の後藤継男一飛曹が、味方機であることを示すバンクを送る。
その直後、菅野機の機内でどのような遣り取りがあったのかは、後世の知るところではない。
だが、彼らが一つの決断を下したことは事実であった。
母艦へと向かっていた九七艦攻の機首が、不意に反転する。そして速度を上げると、すれ違おうとしていた五航戦攻撃隊の前に出た。
菅野機から発せられた電文は、短く、そして簡潔であった。
「我、誘導ス」
船体前部で発生した火災は、延焼は防げているものの未だ鎮火の見込みが立っていなかった。
爆風によって前部飛行甲板はめくれ上がり、後部飛行甲板の破孔からは折れ曲がった鉄骨が空へと伸びている。
医務室には次々と負傷者が運び込まれ、入りきらない負傷者が通路にまで溢れていた。火傷を治療するための肝油と負傷者から流れ出た血で床はぬめり、さらに消火のための海水まで流れ込んで艦内通路の一部は血の川が流れているような凄惨な有り様であった。
全身火傷を負った兵士がうわごとを呟きながら絶命し、比較的軽傷に見えた者も火傷のために次々と呼吸困難に陥っていく。
機関室が無事であったため、海水を放つ消火ポンプは電源を失うことなく正常に作動していた。また、セイロン沖海戦での損傷を修理する際、それまで赤城に装備されていなかった、いわゆる煙突部の“海水シャワー”と消火ホースを接続出来る設備を追加していたため、これが功を奏した部分もあった。
何とか、赤城の火災は消火出来るだろう。青木艦長も含め、艦橋の誰もがそう思っていた矢先のことであった。
〇七四二時、赤城はより深刻な事態に見舞われることとなった。
艦尾付近への至近弾の影響で若干の浸水が発生していたのだが、その浸水が拡大して左舷の舵機が操舵不能となってしまったのである。
赤城の舵の形式は、「並列二枚釣合舵」。同じ大きさの舵が、左右で二枚、並列に並んでいる形式である。推進軸の数は四。
この時、赤城は消火のために風下に向かって航行していた。前部甲板での火災の消火を容易とするためである。彼女は舵を中央に固定したまま、身動きが取れなくなってしまったのだ。
一航艦司令部の長良移乗も、こうしたことが影響している。
南雲中将以下の者たちが長良に移乗した時点において、艦隊全体の指揮は栗田健男中将が執っており、航空戦については山口多聞少将が担っていた。
一航艦残余の艦艇は、山口少将の攻撃命令とそれを支援するために艦隊陣形の立て直しを図る栗田中将の命令によって、すでに新たな行動を開始していた。
そこに、長良は航続することとなったのである。
「まだ、戦闘は終わっておりません」
長良移乗後も、航空甲参謀の源田実は意気軒昂であった。
「こちらはすでに三隻の米空母を撃沈しております。たとえ、米空母に安否不明のレキシントンが加わっていたとしても、最大で五隻。その内三隻を撃沈し、こちらは未だ飛龍と五航戦が健在です。今朝より見た米軍搭乗員の稚拙な技量から考えまして、まだ十分な勝機はあるものと考えます」
「そうだな」
赤城の損傷は深刻ではあったが、沈没に至るような状況ではなさそうである。加賀と蒼龍も飛行甲板を破壊されただけである以上、沈没の危険性は小さいだろう。
だから南雲もまだ、精神的に余裕を持つことが出来た。
「とはいえ、ここからの航空戦を指揮するのは、我々ではないようだが」
空母から旗艦を軽巡に移した時点で、そして山口少将が独断で行動を始めてしまったことで、一航艦司令部に出来ることは限られている。
今は栗田中将のように、一航艦司令部も航空戦の指揮を執ろうとしている山口少将を支援すべきだろう。
「ひとまず、第三戦隊司令部に対して、赤城の曳航を命じよう」
左舷側の舵機を故障した赤城は、自由な行動が利かなくなりつつある。これを、何とか内地まで回航しなければならなかった。
それは、一航艦を預かる者の責務だろう。
巡洋戦艦改造の赤城の基準排水量は三万六五〇〇トン。それなりの艦でなければ曳航は難しい。
そしてもし、この海戦が明日以降までもつれ込むようであれば……。
南雲は夜戦にて決着をつける決意を固めつつあった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
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