北溟のアナバシス

三笠 陣

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第一章 風雲極東編

8 戦時艦隊編制

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 出師すいし準備の発動と共に、各艦隊もまた戦時艦隊編制へと移行していた。
 連合艦隊司令部も、戦時編制への対応を慌ただしく行っている。

「慣れの問題ではあろうが、いささか落ち着かんな」

 戦時艦隊編制への移行に伴い、新たに連合艦隊旗艦となった軽巡大淀に司令部を移した古賀峯一大将は、司令部施設を見回りながらそう呟いた。

「とは言われますが、通信設備という点では本艦は大和型と遜色ありません」

 先任参謀の柳沢蔵之助大佐が言った。彼は、海軍大学校の首席卒業者にしては珍しく、通信畑を歩んできた人物であった。帝国海軍における、通信の専門家とも言える。
 大淀への旗艦移乗については、柳沢は事前に大淀の設備を確認して、旗艦任務に耐え得るだけの設備を持っていることを確認していた。
 もっとも、彼自身の本音としては、最早連合艦隊司令部は艦艇ではなく陸上に移転した方が良いのではないかと考えている。
 かつての日本海海戦のようにGF司令長官が直接艦隊を率いて艦隊決戦に臨むような体制は、海軍全般の作戦を指揮する都合上、かえって支障が生じるのではないかという意見が、柳沢だけでなく海軍内部で徐々に浸透しつつあった。
 理由は、戦時にGF司令長官が管轄すべき海域が広くなりすぎていることである。
 第一次世界大戦の戦訓から海上護衛作戦の重要性を認識するようになった海軍は、戦時の連合艦隊司令部の役割にそれも組み込んでいたのである。そうなれば当然、GF司令部は敵主力艦隊との艦隊決戦のみを考えていればいい、ということにはならない。
 むしろ、連合艦隊司令部が艦隊決戦の中で壊滅するような事態になれば、その後の作戦全般に深刻な悪影響を及ぼすことになる。
 特に海軍が海上護衛の問題に真剣に取り組まざるを得ない理由は、中東に権益を持つ油田の存在があった。
 第一次世界大戦の結果、日本が手にすることになったメソポタミア地域の石油利権であるが、この利権を手にした当時は、まだイラク周辺に有望な油田があるかどうかは未知数であった。
 当時、海軍が期待していたのは、シベリア出兵とそれに伴う尼港事件の結果、占領下に置くことになった北樺太油田であった。
 ロシア革命に対する干渉戦争であるシベリア出兵自体は、欧州戦線に十五個師団もの兵力を引き抜かれていたため、当時陸軍が二十一個師団しか有してしなかったこともあり、限定的な出兵であった。アメリカからの共同出兵の呼びかけにより、約七〇〇〇の兵力をウラジオストクを中心とする沿海州地域に派遣しただけに終わったのである。
 しかし、その中で発生したニコラエフスクでの虐殺事件で日本人軍民七〇〇名超が犠牲になると、世論は沸騰し、海軍もこれを口実に以前から計画されていた北樺太の保障占領に踏み切った。
 北樺太の石油利権はその後の日ソ基本条約交渉の中で日本の権益となり、アメリカ、蘭印に次ぐ第三位の石油の供給源となっていた。
 こうした状況に変化が生じたのが、一九二七年であった。この年の四月、イラン北部でついにメソポタミア地域における最初の油田が発見されたのである。
 当然、トルコ石油の株式取得を通じて中東の石油利権をわずかながらに有していた日本も、この石油採掘事業に参加した。
 この時、一本の油井からは約九万五〇〇〇バレルもの石油が噴き出したという。二〇年代当時の日本の年間石油消費量は二万バレルに届かない程度であったから、特に石油政策に関心の高かった海軍が中東油田に新たに着目するのは必然的な結果だったろう。
 結果、日本はその後、中東地域での石油利権の拡大を目指していくようになる。
 北樺太油田からの生産や搬出はソ連側の執拗な妨害工作に晒され、一九三三年を境にその生産量は減少傾向に転じていたから、なおさら日本にとって中東の石油利権は手放せないものとなっていた。
 三二年にはトルコ石油からモスル石油と名を変えた石油会社の株式保有率を日本は十二パーセントにまで上げることに成功し、さらに一九三九年にはサウジアラビア王国からの打診やイギリスの仲介もあり、カフジ地域の石油採掘利権を得ることに成功している。
 こうした中東での石油利権の拡大は必然的に海上交通路の長大化をもたらし、特にアメリカの軍事基地が存在するフィリピンの西側を通過する南シナ海航路の安全確保は、対米戦を考える海軍にとって重要な課題となっていた。
 こうした海軍の置かれた戦略環境の変化、第二次欧州大戦におけるドイツUボートの活躍もあって、船団護衛を行う対潜戦闘に特化した松型駆逐艦の建造、そして松型よりも燃費を抑えた各種海防艦の整備が、一九三〇年代末期から続けられていた。
 そして、戦時艦隊編制では海上護衛を専門に行う第一、第二海上護衛隊の編成が定められていた。これは、既存の各艦隊が海上護衛任務を行う場合、担当海域ごとに引き継ぎの必要性が生じ、船団護衛の効率を著しく低下させることが懸念されていたからである。
 四〇年代に入ると、日本海軍にとって海上交通路の保護問題は、第二次欧州大戦におけるフランスの敗北とその後のヴィシー政権の成立でより切実な問題となっていた。このドイツ第三帝国の傀儡政権に帰順する意思を示しているアデン湾のジブチ、東南アジアの仏印にドイツ潜水艦隊が進出するようなことになれば、中東から南シナ海にかけての航路がさらに危険に晒されることになるからである。
 戦時における帝国海軍の作戦海域は、太平洋に留まらずインド洋にまで拡大していたのだ。
 こうして艦隊決戦だけに集中することの出来なくなった連合艦隊司令部は、戦時艦隊編制では戦艦から他の適当な艦艇に移乗するという方針が定められるようになったのである。
 柳沢のように、いっそ陸上に移してしまった方が良いのではないかという考えもあったのだが、やはりGF司令部は艦上にあるべきと考える者たちもおり、折衷案として横須賀沖の軽巡大淀が新たなGF旗艦に選ばれたのである。
 横須賀ならば、東京の軍令部との直接のやり取りにも利便性があるという判断である。
 この大淀は、本来であれば潜水艦隊旗艦ないし海上護衛艦隊旗艦として、通信設備と航空機搭載能力を重視した軽巡として建造された艦であった。
 船体自体は、第三次海軍軍補充実計画で建造された十五・五センチ砲三連装三基を有する新型軽巡である阿賀野型の設計を流用し、艦後部に水偵搭載設備などを充実させるという形で建造が進められていた。
 しかし、その優良な通信設備に注目され、日ソ関係の緊張化という要因も加わって、大淀は建造途中で水偵搭載設備を撤去、その巨大な格納庫などに連合艦隊旗艦として必要な設備を詰め込んだ、GF旗艦専用の通信艦として竣工することになったのである。
 ただ、これまで帝国海軍最大最強の戦艦である大和型を旗艦としてきた古賀にしてみれば、軽巡を旗艦にするのはいささか落ち着かないのだろう。

「さて、出師準備に伴う戦時艦隊編制への移行の件だが、第七艦隊の整備はなるべく優先して行うべきであろうな」

 ひとまず長官公室に腰を落ち着けた古賀は、集まった参謀たちを前にそう言った。
 第七艦隊は今年十月一日の平時艦隊編制の改訂に伴って創設された艦隊であるが、当然、戦時艦隊編制でも存在している。
 その編成は、次の通りである。

  第七艦隊  司令長官:五藤存知中将
第三戦隊【戦艦】〈伊勢〉〈日向〉
第四航空戦隊【空母】〈隼鷹〉〈飛鷹〉
第九航空戦隊【空母】〈千歳〉〈千代田〉〈日進〉
第六戦隊【重巡】〈青葉〉〈衣笠〉〈古鷹〉〈加古〉
第十八戦隊【軽巡】〈天龍〉〈龍田〉
第五水雷戦隊【軽巡】〈名取〉
 第五駆逐隊【駆逐艦】〈朝風〉〈春風〉〈松風〉〈旗風〉
 第二十二駆逐隊【駆逐艦】〈皐月〉〈水無月〉〈文月〉〈長月〉
 第二十三駆逐隊【駆逐艦】〈菊月〉〈三日月〉〈夕月〉〈卯月〉
第四潜水戦隊【特設潜水母艦】〈りおでじゃねろ丸〉【潜水艦】〈伊一一〉
 第十八潜水隊【潜水艦】伊号潜水艦×三隻
 第十九潜水隊【潜水艦】伊号潜水艦×三隻
 第二十一潜水隊【潜水艦】伊号潜水艦×三隻

 ソヴィエツキー・ソユーズを中心とするソ連太平洋艦隊を牽制する都合上、編制された第七艦隊ではあったが、その中心となるのは旧式艦艇ばかりであった。
 ソユーズ級が十六インチ砲三連装三基を持つと伝えられているのに対し、伊勢型は一九一七年竣工の三十六センチ砲連装六基を搭載する旧式戦艦でしかない。
 空母は隼鷹型が商船改造で、千歳型が水上機母艦改装であった。
 軽巡、駆逐艦のみならず、潜水艦も戦隊旗艦である伊一一は一九四二年竣工の新鋭艦ではあったが、それ以外は伊一六五など、一九三〇年代前半に竣工した艦であった(流石にそれ以前の海大三型bなどは練習潜水艦となっている)。
 その意味でも、整備の優先度は高いと言えた。

「承知いたしました」

 参謀長の塚原二四三中将が言う。

「では、第七艦隊の方にも各艦艇の状態を問い合わせ、軍令部第二部の方に上申することにいたしましょう」

 そうは言いつつも、対ソ戦を意識しながら旧式艦艇しか日本海に回さないという部分に、連合艦隊司令部や軍令部も含めた日本海軍の対米優先意識が現れていると言えよう。
 もちろん、彼らはそれを当然と考え、むしろ商船改造とはいえ中型空母に匹敵する性能の隼鷹型を日本海に回航したことである種の達成感や安心感を抱いていたのではあるが。
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