高遠の翁の物語

本広 昌

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第三幕

(二十五)褐色の姐御、参戦

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 天文十四(一五四五)年三月上旬、諏訪頼継と藤沢頼親は、諏方満隣を退治しようと画策する。しかし板垣信方に察知されてしまった。板垣は諏方満隣に宮川合戦で破壊された干沢城を復興しろと命じ、城代とする。満隣は二年ぶりに干沢に戻った。数日後、季節はずれの嵐に伊那も諏方も襲われた。被害報告が意外とでたので、頼継は出陣をやめて復旧を優先した。

 月末、快晴の日、高遠館に秋津一行が現れた。秋津と諫早佐五郎と大仏庄左衛門ともう一人いる。
 諏方頼継はピンときた。

「そなたが秋津が言っていた船主候補か?」

 男は名乗った。

「はい。某、工藤くどう祐長すけながと申します」

「くどう……か」

 その苗字、禰々御料人の実家の姓と同じだが、よくある姓だ。偶然の一致だろう。祐長は見た感じでは賢そうであり、たくましそうであり、何か苦い過去もありそうだ。それがどこか海野幸綱に似ている気さえ、した。
 祐長は苦笑いして言う。

「しかし某、船主はお預けになりまして」

「どういうことだ?」

 これは秋津が解説する。

「半月ほど前に嵐がありましたよね。それに秋津丸がやられまして、伊豆で座礁しました。新たな秋津丸が出来るまで、およそ半年ほど待たないといけませんので」

「なんと、怪我は無かったか?」頼継は秋津たちを心配した。

 秋津は首を左右に振った。

「はい。みんな大丈夫です」

 転んで擦りむいた程度の者はいるが、そんなものは 怪我の内に入れない。

 頼継は「うむ、よかったよかった」と安心した。

 秋津は、愛着のある秋津丸を失ったのは残念だった。

「秋津丸は大永生まれのお婆ちゃんで、所々にガタはきてたんです。総本店からは、新しい船に変えろとも言われてました」

「まあ、元遣明船といってたもんな」

「愛着ありすぎてましたから、ずっと断っていました。でも、もうそろそろ引退させてやりたかったのですが、出来なかったのは悔しいです」

「で、どうなった?」

「秋津丸は、浜の村人がこぞってバラバラにしました。薪とか、誰かの家の柱とかにされるのでしょうね。積み荷も全て持っていかれました。ま、助けてもらったし、百名分のメシも一泊の屋根もタダでくれたので、しゃーねぇや!」

「それが浜に暮らす村人の掟だとは聞いたことがあるが、ホントなんだな」

「全国どこでもそうですよ。下手すりゃ命も取られる。で、取られてばかりじゃシャクですから、国友くにともで作った虎の子の十一丁は、北条氏康様が買って届けるものだから奪うな。奪ったら成敗されるぞ。なんて脅しました。ま、みんなの帰りの旅費を得るためだから、しゃーねーや!」

「北条? あ、伊勢氏康か。アレの苗字の問題など、ワシにとってはどうでもいいけど、お前が喧嘩もせず、穏便に乗り切ったのがなによりじゃ」

「勝てない喧嘩はしませんよ。ま、好きに奪わせてやるんだから、それ相応の気遣いはしてもらわないとね」

「成程……。あ、そうか、氏康の名を使って客人扱いしてもらったんだな」

「はい」

「しかし、虎の子とは何だ?」

「これです!」

 秋津は頼継に火縄銃を見せた。
 頼継は手にとって観察した。

「村上義清様からいただいた手銃とは、似て非なるものに見えるな」

「明国産のですか? こっちのほうが遙かに優れていますよ」

「あ、これか。和冦……、いや、南蛮人とやらから買ったというものは」

「実は違います。言ったでしょ。国友で作ったって。というか、長話が必要ですね」

 秋津はニヤニヤし、頼継は冷や汗をかく。聞いてるだけで疲れるので拒みたかったが、秋津は勝手に話し出した。要旨はこうだ。
 火縄銃は、本来なら肥後国の福江島に持ち込まれるはずだったが、嵐の影響で薩摩国種子島に持ち込まれた。しかしそれは、たったの二丁だった。種子島当主 時尭ときたかとの話し合いで、うち一丁を解体し、秋津や根来寺の坊主達が連れてきた鍛冶職人に観察させたら、国内での自力生産は可能と判断した。これを秋津と根来は全額出資し、丸一年かけて、根来衆は紀州で、秋津は近江おうみ国友くにとも村で生産できる体制を作り上げた。その国友最初期生産型十一丁のうち十丁を北条氏康に売り、帰りの旅費と船乗りたちの賃金とした。氏康も対関東管領戦に備え、全て河越城に送ったという。

「その十丁、高遠さまに売りたかったんですけどねー」

 秋津は後悔しながらも、口調はのほほんだった。
 ここで町に混乱が発生する。猪が暴れてるという。秋津は好機と察知し、現場へ走った。
 頼継はあわてる。

「こら、待て!」

 秋津は待たない。むしろ、

「種子島の力を教えてあげますよ!」

 と、頼継を誘った。
 逃げ回る町衆、町屋に体当たりする大型の猪。秋津は祐長に装填させ、自ら石を投げて誘う。猪は秋津に気づいて突進する。秋津は装填完了した火縄銃を構えて、発砲した。

 ズドーーーーーン!

 激しい銃声に、皆、仰天した。
 頼継も「雷か!」と焦りながらも、周囲を確認すると、猪が倒れていた。庄左衛門が猪を蹴って「くたばってるぞ」と確認した。
 秋津はふてぶてしい笑みで、頼継に言う。

「どう?」

「どうって、雷はどこに落ちた? こんなに晴れてるのに……」

「そんなの落ちてませんよ。こいつが一発で殺ったんですよ」

「まさか。大人の猪だぞ。矢を何本を当てても、槍で何度突いても死なない獣だぞ!」

「でも、ヤりましたよ」

「……、本当だ。動かない。信じられん」

 ここで釣竿を持った海野幸綱が現れて、言った。

「おいそこのお前、その武器、攻めで使えるのか?」

 秋津は「どうしてです?」と問いかける。

 幸綱はよく見ていた。

「足場を固めてから放っただろ」

「はい。女の細腕では重いし、放った後の反動も強いんですよね。でも、遠くから先手を打てますし、待ち伏せにも結構使えますよ」

「放つまでの準備が面倒じゃ。弓を使ったほうが間隔に隙がないし、簡単だ」

「いいえ。面倒でも、教えれば誰でも使いこなせます。弓では、ここから猪が死んでる場所までは届かないでしょう。仮に届いても、一矢では殺せません。鎮西ちんぜい八郎はちろう為朝ためとも公を除いては」

「確かにそいつは凄いと思う。下手な素人でも遠くまで飛ばせるのは魅力だよ。手銃の比ではない。しかしそいつ、扱いに手間暇がかかる。放つまでは矢が必要だろ」

「へえ、初見でそこまで頭が使えるんだ!」秋津は幸綱が気に入ったので、先に名乗った。

「私は、博多商人神屋東海道頭目の山本秋津」

「ワシは元海野家一門衆、海野弾正忠幸綱。今は高遠様の食客だ。そなたは商人か。で、そいつを売りに来たのか?」

「いいえ。これは私物だから売りません。ここへは日常品の商売に来たのもそうでですけど、来月、甲斐と喧嘩をするのでしょ。そのためにウチの暇な連中百名ほどを連れきました」

 暇な連中とは全員、秋津丸の船員を指す。
 幸綱はひとつ、違和感があった。

「何故、来月だと分かる?」

 秋津はなんなく答えた。

「ここに来る前、甲府に寄ってきました。もう、バカみたいにいきり立ってましたよ」

 頼継は驚く。

「敵が来るのか? なら我らも準備だ!」

 幸綱が秋津を誘う。

「軍議につき合え。そのためのそいつだろ」

 秋津はうなずいた。

「火縄銃っていうの。私らは〝種子島〟って呼んでますけどね。で、釣れたの?」

「いや、ワシにはそっちの才がないらしい」

「あら残念」秋津はクスクスと笑った。

 秋津、幸綱、頼継は館に戻る。猪は諫早佐五郎らが解体し、無償で町衆に配布した。
 軍議と言っても作戦の基礎作りだ。これを元に伊那衆と小笠原長時に伝え、後日行われる正式な軍議では再確認と、新たな意見があれば作戦に肉付けする。
 秋津は開口一番、

「姫様をここから移しましょう」

 と言った。頼継も幸綱も賛成だが、問題はどこに逃がすかである。
 頼継は自信なさげに提案した。

「ここはやはり、信濃府中だろうか……」

 幸綱は消極的だ。

「姫様は伊那衆が、諏方信仰の誇りでお守りするべきでしょう。全軍の士気のためです」

 頼継は落ち着いて反論する。

「それもそうだが、しかし、高遠はもう危険だ。冬の通行止めは解かれているのだぞ」

 ここで秋津が提案する。

「天竜川の対岸はどうです? たとえば箕輪城とか、箕輪城とか、箕輪城とか」

 頼継は腕組みするも、苦笑いする。

「三度も言うな。そこしかないのだろ?」

 幸綱は賛成だが、問題点を指摘した。

「だがあそこは、武家屋敷に毛が生えた程度の小城だ。攻められたらひとたまりもない。それともうひとつ、城主の木下家は、頼親様結婚のときに藤沢家に来たとはいえ、本来の主は鈴岡(小笠原信定)様だぞ」

 これに頼継は、城主は任せろという。

「とはいえ木下惣蔵そうぞう殿は伊那神党でもある。代々、藤沢家とともに渡河場の西東を運営し続けてる。惣領家滅亡の時も兵は貸してくれなかったが、大量の矢の束と、いくばくかの軍資金を貰った。だから説得すれば、分かってくれるだろう」

 幸綱は頷いた。

「分かりました。お願いします」

 秋津は縄張り問題に言う。

「そんな城なら作り変えれましょう。堀が浅いのなら深く掘れば、土塁も高く出来ます。単郭ならば、ひとつくらい増やしましょう」

 と、縄張り図を二人に見せた。だが、どう見ても箕輪城の拡張図ではない。よく見たら、高遠城と記されてあった。
 頼継は秋津に問いただす。

「なんだこれは? まるで我が館を全部潰して、一から作り直したかのようではないか」

 秋津は答えた。

「甲府に行ったとき、バカ親父が留守だったので屋敷から頂戴しました」

「頂戴って盗みだろ、それ……」

「いいのいいの。あいつはホント腹が立つけど、この図は悔しいくらいに頭を使って知恵を出しきった傑作です。ならばこの図面通りにして、難攻不落の城に変えます」

 頼継は一瞬、秋津の〝傑作〟と放った言葉に違和感を覚えた。山本勘介の、悪口以外の評価を初めて聞いたからだ。でも、二人の知恵者によってはかどる軍議を途中で折りたくないので、構わず進めた。

「図面通り? お前なりの工夫はないのか?」

「しません。私、縄張の知識はいい加減ですし、なによりこのいくさ、急いだほうがいいですから」

「……そうか、分かった」

「高遠さまはカネはあるけど時間ときがない。でも、急げば単郭の所は数日で何とかさせます。あとをひと月ほど長引かせれてくれれば、二の郭は作れます。これしかないと思います」

 幸綱は秋津の作戦に感心した。

「先ずは高遠と荒神山で足止めだな。ワシとしては敵を箕輪城に誘い、籠城戦にしたい」

「なんでです?」秋津は問う。

「スズメ(小笠原長時)様を活躍させたい。昨年、当主になって初めてのいくさを逃してるからな。ならば氾濫原の多い東岸よりも、台地になってる西岸のほうが戦いやすい。鈴岡様だって家来を助ける大義がある。ならば小笠原は総力をあげてくるはずだ」

「なるほど、鈴岡も西岸でしたね。それなら東岸の福与城は目障りになりますね。東岸は確かに地形は複雑です。たとえ地元の理があっても、大軍を用いてはやりにくいでしょう」

「悪いが福与は自落させよう。ま、このいくさのみの措置だ。勝ったら建て直せばよいだけだ」

「そうですね。そのあたりは高遠様、お願いします」

 頼継は秋津と幸綱に頭を下げられた。頼継は少し驚いたが、

「わ、分かった。やっておく」

 と受け入れた。
 秋津と幸綱の考えが共鳴している。頼継はこれなら勝てる希望が沸くも、不安はある。

ーー主君の敵討ちに没頭する者と、大海原を渡る者の知恵だな。地に足がついてない。

 頼継はそう意見したくも、話の流れが許さない。決定は頼継がしなければならない。

「ワシは明日、藤沢頼親殿と木下惣蔵殿を説得に行く。秋津も攻め弾ゆきつなもワシに着いて来い。秋津は船乗りと共に箕輪城に入って普請にかかれ。攻め弾ゆきつなは竜ヶ崎の神林上野入道にこのことを伝えてから、共に信府へ走れ。小笠原様に援軍要請をするのだ。館の留守は槍弾まさとしに任せる」

 頼継は、最後に夜須香姫へ報告した。姫もこの作戦には、恐る恐るも同意してくれた。
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